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少年ルナセオと大団円のゆくえ  作者: 佐倉アヤキ
3章 All or Only One
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 思っていたよりも長い時間が経っていたらしい。霧にさらされてすこし湿ったマントで、身体がずいぶん冷えていた。腕をさすりながら宿に戻ると、男性陣の部屋になぜかネルとメルセナも来ていた。


「あ、セオ、トレイズさん、おかえり」

 しかも、ずっとふさぎこんでいたネルがはにかんでルナセオたちを迎えてくれたので、ルナセオはドキリとした…彼女が笑うのを見るのは久しぶりだ。喜ぶより先に戸惑って口をモゴモゴさせていると、隣にいたトレイズが酒が入って赤くなった頬をざっと青ざめさせて、勢いよく後ずさった。廊下の壁にしたたかに背中を打ち付けたようだが、視線は部屋の中に固定されたままだ。

「シェイル王殿下!?」

シェイル王?恐怖にひきつったトレイズを見上げると、室内から聞きなれない声がした。

「やあ紅雨の、久しぶり!今いいところだから礼を失しているのは勘弁しておくれ」

「な、なぜここに」

「匂いがしたらしいわよ」

「王様?シェイルの王様が来てるの?」

匂いとはこれいかに。メルセナの解説に首をかしげて部屋の中をのぞくと、そのひとはメルセナの持っていた分厚い図鑑に視線を落としていた。メルセナの6番の印は幻獣を呼び出す能力だとかで、レクセでグレーシャが彼女に貸し与えていたものだ。


 王様と言われて、威厳ある恰幅のよい男を想像していたが、彼はルナセオの考えるどの王様像にも当てはまらなかった。だいいち、その少年はルナセオよりも年下、十代半ばにさしかかるくらいにしか見えなかった。深緑の三揃いの上に黒い厚手のケープを羽織り、頭には派手な花飾りのついた黒いトップハットをかぶっている。ナシャ王妃のような絶世の美少年、というわけではないが、シミひとつないつるりとした肌に、見るからに仕立ての良い衣装をまとったこの少年が並べば一対の人形のように見えるに違いない。

 その少年はというと、メルセナの図鑑を読み終わったのか、裏表紙を閉じて余韻に浸るように目を伏せた。

「いやはや、素晴らしい図鑑だった。幻獣の類は伝承が多岐にわたっていて、編纂の難しい題材だと思っていたが、なかなかどうして世の中には才ある編者がいたものだ」

 見た目のあどけなさとは打って変わって、彼の口調はしっとりと落ち着いていて思慮深さを感じた。少年はメルセナに図鑑を差し出しながらうなずいた。

「6番の印で召喚できる幻獣には限りがあるだろうが、まあ片っ端から試してみるといい。確か昔の6番が召喚した幻獣のメモが城に残っていたはずだから帰ったら貸してあげよう」

「ホント!?」

ぴょんと飛び上がって図鑑を抱きしめるメルセナ。なんだかずいぶんとこの場になじんでいるようだ。


 ルナセオはこっそりネルに耳打ちした。

「本当にシェイルの王様?芸人とかじゃなくて?」

それかもしくはどこかの貴族のお坊ちゃんが紛れ込んだのか。疑わしげに少年を見ると、ルナセオの質問は本人に届いていたらしく、彼の黒曜の瞳がついとこちらに向いた。部屋の中は暖かいはずなのに、そのまなざしにルナセオの背筋がぞわりと冷えた。

「そうだねえ、僕も王様なんかより芸人になりたかったなあ。あいにく妻子を食わせるほどの才能がなくってねえ」

まったく怒った調子もなく、そればかりかケタケタ笑うくらいだったが、彼の底知れぬ雰囲気に、ルナセオは思わずひれ伏しそうになった。やばいぞ。この人、ただ者じゃない。慌てて謝ろうとすると、その前にトレイズに肩をひっつかまれた。

「お前…お前!マジでその方にだけは失礼な口を聞くな、ケツの毛まで尊厳のすべてをむしり取られるぞ!」

「そういうトレイズがいちばん失礼なんじゃないの?」

「やだなあ、君なんかのケツに興味ないよ」

そう言って、王殿下はニッカポッカを履いた細い脚を組み替えた。確かルナセオが部屋を出るまではエルディが座っていたはずの席だが、どうやら彼は椅子を奪われてしまったらしい。エルディは王殿下の後ろで無言のまま直立不動で、物言わぬ彫刻になっている。どことなく表情がげんなりしていた。

「なに、王冠を脱いで城を出れば、僕だって市井の町人たちとさして変わりはしないさ。少年、僕はリズセム。僕の愛しの君が、城にやってきた君を助けたと自慢げに語っていてね。少しばかり嫉妬してしまったよ!一度会いたいと思っていた」

「え、えっと、ルナセオです」

戸惑いながらルナセオは頭を下げた。口調こそひょうきんだったが、トレイズの忠告がなくとも、彼の不興を買えば命がなくなりそうな危険を感じる。そう、ナシャ王妃の話になっただけで首元に死神の鎌の先を突き付けられたような心地だった。王様って怖い。


「で、なんだっけ?ロビ坊やに会いたいんだっけ?」

 ルナセオがぱっとネルとメルセナに視線を移したが、彼女らは小さく首を横に振った。この謎めいた王様は、何も説明されなくてもルナセオたちの事情をよくご存じらしい。リズセム殿下がカップを少し持ち上げると、心得たように背後のエルディが恭しくおかわりを注いだ。カップを小さく回して紅茶の水面を眺めながら、彼はなにやら思案するようにひとりごちた。

「…世界王陛下に謁見の申し入れをするなら、僕から直接お伺いを立ててもいいんだけど…確かに最近の神都はキナ臭い。いったん内部の者を挟んだほうが賢明か」

リズセム殿下が笑みを消すと、ぴりりとした空気が室内に充満した。一瞬でこの場を支配する威厳はまさに王といったところだ。ルナセオは姿勢を正した。

「ここのところ、まことしやかに世界王陛下の不調説が囁かれている。当然、陛下は赤の巫子であられるから、ご病気であるはずがないのだが…怪しい高等祭司が台頭していること然り、陛下のご威光が薄れているのはまず間違いない。周到な準備の上で向かったほうがいいだろうね」


 怪しい高等祭司というと、レクセで出会ったあのレナ・シエルテミナのことだろうか。彼女と会ったことも、まだトレイズには話していない。焦ってちらりとトレイズをうかがうと、彼のほうはリズセム殿下にビクビクしてそれどころではないらしかった。

 リズセムはカップを傾けて一口紅茶を飲むと、腹に一物どころか何物も抱えたような老獪な笑みを浮かべた。

「幸か不幸か、今年の夏は四年に一度の世界大会議の年だ。各都市のめぼしい首長が額を突き合わせてくだらない利権を言い争う、なんの実にもならないままごとだが、合法的にうちの騎士を調査に駆り出せる機会だ。よろしければ君たちも神都行きの船に同乗させて差し上げよう」

「殿下…あまり彼らを国の陰謀に巻き込むのは…」

ずっと黙っていたエルディがおずおず口をはさんだが、リズセム殿下は一顧だにしなかった。

「我がシェイルの保護を求める以上、タダ飯喰らいに用はないよ、エルディ。せいぜい僕が君たちを守る価値を見出せるよう努力することだ」


 無償で助けてくれるわけではないということだ。ルナセオはこの少年のほほえみに、厳格な王の姿を見た。トレイズやナシャ王妃、それにギルビスやマユキのように、親切でルナセオたちを助けてくれた人物とは違う、為政者の目だ。きっと彼は、ルナセオたちに助ける価値なしとみなせば、即座に切り捨ててしまうのだろう。ルナセオは恐怖で震えた。

 リズセム殿下は鷹揚に空いた片腕を広げて、気取った様子で小首をかしげてみせた。


「僕の理想郷へようこそ、巫子諸君。ぜひとも誉れある働きに期待しているよ」



「緊張した!」

 その後、すぐに恐ろしい王様の気配はなりを潜めて、リズセム殿下はカラカラ笑ってルナセオたちの部屋を後にした。細い指先で宿の鍵をくるくるもてあそんで、「じゃあ僕は自分の部屋に行くから。この宿、店主のプリンがおいしいんだってさ。夕食が楽しみだなあ」と言い残して。この村唯一の宿とはいえ、こんな平民が泊まるようなところでプリンを楽しみにする王がいるものだろうか。

 女性陣を部屋に送ったあとで彼を追いかけていったエルディがよろよろと戻ってきた。どうやら護衛を申し出て蹴りを入れられたらしい。

「殿下はご自身の身の安全に無頓着すぎる」

腹をさすりながらエルディが苦悶の表情でつぶやいた。そういうエルディも、腹を蹴られたことはさして気にしていないようだ。

「まさかとは思うけど、あの殿下、俺たちの旅についてくるつもりか?」

どうか否定してくれとばかりにトレイズが尋ねると、エルディはため息をつきながらうなずいた。トレイズが絶望の表情でうめいた。

「嘘だろ…」

「トレイズは王様となんかあったの?王妃様に会ったときはそんな感じじゃなかったよね」

「ああ…まあ、少しな」

トレイズは顔をそむけた。どうやら話したくないできごとがあったらしい。きっとケツの毛を毟られるような恐ろしい記憶があるのだろう。


「リズセム殿下は軍事一辺倒だったシェイルを繁栄させた。偉大な王であることは間違いないのだが…どうも、性格には…まあ、あれでお優しいところもあるのだが」

 エルディがフォローを入れようとして失敗していた。要するに性格には難あり、ということらしい。

「見た目はアレだけど、怖い王様なんだなってことはわかった。とりあえず怒らせないようにがんばるよ」

「ぜひそうしてくれ」

やれやれと首を振ってエルディはふたたびため息をついた。どうやら彼に仕える騎士として苦労しているらしい。そういえば、シェイルでもギルビスが王への報告に悩んで頭を抱えていた。


 ベッドに寝転んで、ルナセオは以前訪れたクレイスフィーを思い出した。とてもにぎやかで、笑顔のあふれる華やかな街だった。あれを作ったのが底知れぬ笑みのリズセム殿下だということにはピンとこないが、王様としてはたいへん有能だということなのだろう。

「でもさ、王様がこんなところをほっつき歩いてていいの?普通、王様ってお城にいるもんじゃない?」

「シェイルの王族は城に縛れない」

だいぶうんざりした口調でエルディは言った。

「ご子息の王子も含めて、一年の半分くらいは城にいらっしゃらない。ご自身の足で各地を視察されて、あの村の運営がよくないとか、他国でこんな問題が起こっているとか、手紙だけ頻繁に送ってこられる。せめて供くらいはつけていただきたいものだが、果たしてあの方々についてこられる従者がいるのか…数か月だけ王殿下とご一緒したことがあるが、散々だった」

そういえば従者もいなかった。王族がひとりで旅に出て、何事かあったら大問題だろうに、王族を守る騎士もあの王様の身の安全はさして心配していないようだった。


 明日からあの王様と一緒に旅するのか…ルナセオは、彼の何を考えているのかよくわからない黒い瞳を思い出してぶるりと震えた。奇しくも母のそれと同じ色をしていたが、リズセム殿下の前に出れば何もかもつまびらかに打ち明けて隠し事もできなさそうな、そんな不思議なまなざしだと思った。

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