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少年ルナセオと大団円のゆくえ  作者: 佐倉アヤキ
3章 All or Only One
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 あたりはうっすら霧がかっていた。適当な花束を買って、村はずれの墓場にたどり着くと、ルナセオはドキリとした。墓標もないラゼの簡素な墓の前に、酒瓶を持ってたたずむトレイズの姿があったからだ。

「よお」

トレイズはルナセオに気がつくと酒瓶を軽く持ち上げた。

「トレイズ、酒場に行ったんじゃないの?」

「どうにもゆっくり飲む気にならなくてな」

そう言うと、トレイズは栓を抜いて、酒をラゼの髪が埋まっているあたりの土にかけた。アルコールの匂いがむわっとあたりに充満した。


「アイツが巫子になったのは十六歳の頃でな。故郷では三十になるまで酒は飲めないしきたりとかで、不老不死の間は飲むべきじゃないって律儀に守ってたんだ。でも、死んじまったならもう無効だろ」

 そうしてトレイズは、半分ほどになった瓶の中身をあおった。ルナセオは花束を濡れた土の上に置いた。この季節、シェイルに咲くありふれた花らしいが、華やかな黄色が、あの気の強いラゼぴったりだと思った。

「ラゼも、お前らと同じことを言ってたよ」

「なにを?」


 地べたにあぐらをかいて座ったトレイズを見下ろすと、彼はラゼの墓を見つめながら乾いた笑い声を上げた。

「9番は本当に殺さなきゃいけないのかってさ。あいつ、ルナ…いや、俺たちの時の9番の仲間と友達になってさ。結果的に俺たちの代じゃ9番は倒せなかったけど、それをいちばん喜んでたのはラゼだったかもな。そういう友達思いのやつだった」

「…トレイズは、倒したかったんだろ、9番のこと」

 ルナセオもトレイズの隣に腰を下ろした。彼は飲みかけの瓶を差し出してきたが、その手を押し返して断った。レクセの成人は二十歳だ。


「今となっちゃどうなんだろうな。巫子と9番って関係だったけど、結局あの時にチルタを殺せていたとして、それはただの私怨にしかならなかったんじゃないかとも思う」

 トレイズの口から発せられる父の名前は、まるで自分の知る者とは別人のような感覚だった。父の日記で盗み見てしまったふたりの遺恨に、ルナセオはざわざわと罪悪感を覚えた。


「俺は裏じゃそれなりに名の知れた暗殺者の一族の生まれでさ。ラトメで“神の子”に拾ってもらうまで、人には言えないような汚れ仕事をして生きてきた。それが悪いと思ったこともなくて、自分が殺したやつの顔も覚えていないような体たらくだった。どっかで恨みくらいは買ってるだろうと思ってたけど、それだけだ。大して気にしたこともなかった」

 ひやりとした風がふいて、トレイズのマントがなびいた。彼は自分の右手を見下ろした。

「神護隊に入ってしばらくして、チルタに会った。俺たちの代の9番は神都の高等祭司だったんだが、どうにも嫌われててな。別にこっちも仲良くしたいわけじゃなかったから、気難しいやつだと思うくらいだった。

 そしたらあるとき、あの野郎、俺の一族を…グランセルドの暗殺一族を全員討伐したんだ。適当に罪をでっち上げて、そりゃあもう残忍なやり方で」


 悪夢みたいな光景だったな、ほとんど聞こえないくらいの声音でトレイズはつぶやいた。彼の瞳は、その時の憎しみを思い出したのかギラギラと光っていた。

「俺はずっと奴を恨んでいた。ギルビスやラファの家族も、ラゼの身内も、みんなアイツにやられた。こんな奴は生かしちゃおけないと思っていた…だけど」

 その先に続く話は、聞かなくても予想がついた。父からの視点で、ふたりがどんな関係なのかを、すでに知らされていたから。

「チルタは…9番が赤い印を得るには、世界を滅ぼしたいと思うほどの強い憎しみが必要だ。アイツの場合は、初恋の女が一族ごと殺された…俺が、殺したんだ。はは、信じられるか?9番をいちばん憎んでいた俺こそが、実はそいつが9番になる原因を作っていたなんて」


 ルナセオにはなにも言えなかった。父がトレイズと再会して狂っていったことも、トレイズが父への憎しみの行き場をなくしてしまったことも、どちらも知ってしまったら、簡単な慰めの言葉などかけられたものではなかった。

「とはいえ、そんなことが分かったって、もう後には引けなかった。過去の俺がしでかしたことの落とし前をつけるには、やっぱりチルタを殺すしかない。でも、アイツはもうどっかで所帯を持って、平和に暮らしてるんだろう。俺の復讐は…もう、果たせないんだろうな」


 ふとトレイズはルナセオを見て苦笑した。大きな手のひらでぽんぽんルナセオの頭を叩く。初めて会ったあの日、ラゼの仇を殺そうとしたのを止められたときと同じ手つきだった。ルナセオはなんだか泣きたくなって、立てた膝に顔をうずめた。


 でもさ、トレイズ。俺はもう、ぜんぶ知ってるんだよ。トレイズの家族も含めて、大勢殺した悪の権化みたいな昔の9番が、俺の父さんだってこと。


 トレイズはきっと夢にも思っていないのだろう。その9番が所帯をもって、それで授かった息子が今、彼の隣で昔話を聞いているだなんて。彼が面倒を見て、旅にまで付き合ってやっている少年が、復讐したいほど憎んでいる男の血を引いているなんて。

 そして、それを打ち明けるだけの勇気はルナセオにはなかった。知られたら最後、トレイズはもうこれまでのように、ルナセオに親切にしてはくれないだろうから。


 黙りこんだルナセオの頭上から、少し笑いまじりのやさしいため息が落ちてきた。

「…悪いな、突然こんな話聞かされても困るよな」

気遣わしげなトレイズの声音に、ルナセオはふるふる首を横に振った。ルナセオの頭から彼の手が離れていって、ふたたび酒を飲んでいるのか、喉の鳴る音がした。

「…トレイズは」

「うん?」


 なんとかしぼりだした言葉に、しかし続きが立ちこめる霧のようにもやもやして、ルナセオは口をつぐんだ。視線をさまよわせると、小さな墓地に並ぶいくつもの墓標が目に留まった。

「…トレイズは、今もまだ、クレッセを殺すべきだって思う?」

本当に聞きたいのはそれではない気がしたけれど、今のルナセオにはそれ以上の質問は浮かばなかった。トレイズはまた一口酒を飲んで、口元をぬぐった。

「まあな。俺の意見はレクセで言った通りだ。9番はな、破壊せずにはいられない。自分の気持ちが制御できなくなって、ところかまわず傷つけたくて仕方なくなる。今のそいつがどんなに善良だったとしても、9番である限り、チルタみたいな恨みが必ずどこかにあるはずなんだ」


 ルナセオは、レクセで読んだ父の日記を思い出した。今はネルが持っていて、何度も何度も、大人たちの目を盗んで読み返しているのを知っている。彼女は鬼気迫る様子で、そこになにかクレッセを救うヒントがないか探しているみたいだった。

 そんな強迫観念に駆られているからか、ネルは日に日にふさぎこんでいっているように見えた。あまり笑わなくなったし、時折じっと空を見上げて、ここにはいない幼馴染みに話しかけるように物思いにふけっていた。その姿を見るたび、ルナセオはどうにも焦燥感に駆られてやるせなくなる。


「いずれ、9番が何かことを起こしたとしたら」

 トレイズは口にした途端に、苦いものを口にしたように顔をしかめた。

「いちばん傷つくのは、多分、ネルだろ」

「…そうだね」

 クレッセがかつての父のように狂ってしまったら、その恨みの矛先がどこへ向かっても、ネルは傷ついてしまうのだろう。穏やかで、気遣い屋で、一生懸命な女の子。

「だけど、クレッセが死んじゃったら、その時もネルは傷つくだろ」

「そう、だな。どっちに転んでも、あの子が満足できる終わりにはならない」

 クレッセが9番の意思に取り込まれる前に、何かしらのきっかけで9番の資格を失わない限り、ハッピーエンドは訪れない。だからその道を模索しようと旅に出たのだ。


「ねえ、やっぱりクレッセを助けるのは難しいって思う?」

 尋ねると、トレイズは空になった瓶の中身を確かめるようにくるくる振りながら難しい顔をした。

「不可能じゃない。現に、俺たちの代の9番は資格を失くしたわけだし」

母さんの色仕掛けでね、ルナセオは心の中だけで相槌を打った。

「だが、俺は望み薄だと思ってる」

「なんで?」

「ラトメでネルが言ってただろ、9番に会ったとき、心の病気みたいだったって」

 確かに言っていたが、よく覚えているものだ。感心してトレイズを見上げると、彼は肩をすくめてみせた。

「9番に対して、人間らしい罪悪感や感受性を求めるべきじゃない。どんなに優しい人間でも、虫も殺せないようなヤツでも、暴れまわって笑っていられるようになるのが9番だ。ネルの見たそいつがもうその段階に行きつつあるなら、俺たちに止めることはできないんじゃないか?」

「でも、俺が会ったときは…ぜんぜん変じゃなかったよ。まあ、不思議な感じの子だったけど。ネルとデクレを守ってくれって言ってたし、思いやりのあるやつに見えた」

「それはラファが押しとどめてるからだろ」


 ラファの名前を呼ぶとき、トレイズは吐き捨てるような口調になった。

「アイツは幻術が得意だった。催眠術とか、あとは結界術なんかも勉強しててな。確かにヤツの魔法使いとしての実力は認めるが、相手は巫子で、しかも世界を滅ぼせるだけの力を持つ9番だ。せいぜい、一時しのぎにしかならないだろ」

「じゃあ…じゃあ、今この瞬間にも、クレッセはまたおかしくなっちゃってるかもしれないってこと?」

「さあな。俺にも分からない。ただ、俺たちが9番を救う方法を見つけるまで、そいつが悠長に待っててくれるってわけじゃないと思うぜ」


 父のときは、きっかけはトレイズとの再会だった。ほんの小さなできごとで、坂を転がり落ちるようにおかしくなっていったのだ。それと同じことが、クレッセにも起こるのかも、もしくは、すでに起こっているのかもしれない。


「まあでも」

 トレイズは立ち上がりながら言った。

「それを言ったところで旅の速度が変わるわけじゃない。お前たちが決めたことなら、俺に無理強いはできないしな。ギルビスやロビに会って、お前たちでよく話し合って決めればいいさ。あいつらはお前らの言うことをないがしろにするような奴らじゃないし、きっと、いい知恵を授けてくれる。少なくとも、俺みたいな一辺倒なヤツよりは」

「…セーナにも同じように言ってあげればいいのに」

 メルセナはすぐにプンプン怒ってトレイズに噛みつくし、トレイズもトレイズで大人気なく売り言葉に買い言葉で喧嘩になる。ルナセオに対するくらい丁寧に説明してくれれば、彼女だって納得するだろうに。


 トレイズは気まずそうに口元をへの字にひん曲げた。

「そりゃお前、あれだよ。アイツが挑発してくるからつい」

「自分の半分も生きてない女の子の挑発に乗るなよ」

ルナセオも立ち上がって、彼の背を追った。最後にちらりとラゼの墓を振り返ったが、そこにはトレイズがかけた酒の水たまりが小さくできているだけで、少しも彼女の気配は感じられなかった。

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