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少年ルナセオと大団円のゆくえ  作者: 佐倉アヤキ
3章 All or Only One
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 聖女様の仲間のひとりに、美しい銀髪と瑠璃色の瞳を持つ、たいそうかわいらしい少女がいたという。

 亡国の女王だった彼女は、明晰な頭脳を持ち、幅広い知識でよく聖女様を助けた。穏やかで優しい心根は、まさに聖女様の臣下にふさわしく、聖女様自身も「彼女こそがいちばんの仲間」と言ってはばからなかった。


 しかし、この世界から聖女様とその仲間が消えてしまう折、真っ先に姿が見えなくなったのはまさにその少女だった。

 世界を平和にしたから、役目を終えて自分の亡き故郷に帰ったのだという者もいるし、聖女様を守って死んだのだという者もいる。

 とある歴史家は、聖女様が少女のあまりの清らかさに嫉妬して、殺してしまったのだと言うが、さすがにその説を信じるものは誰もいなかった。



 ルナセオはもはや疲労困憊だった。


 4番の印があれば戦闘には事足りるはずなのに、レクセを旅立ってから鬼教官エルディの指南を受けることとなったルナセオは、日々ボロボロになるまで修行に明け暮れた。

 適当な木を削って二本の木刀を作ったエルディは、片方をルナセオに与えた。

「俺にはこのチャクラムがあるんだから、剣を覚える必要なんてなくない?」

「剣術は武器の基本だ。4番の印があっても、戦い方が身についているのといないのとでは天と地ほどの差が生まれる。剣士になれとまでは言わないが、せめて基本姿勢とある程度の筋肉がつくまではそのチャクラムは封印しなさい」

「えーッ」

ルナセオは不平たらたらに叫んだが、エルディに冷たい目で一瞥された。彼の美術品みたいな顔で睨まれると、「存在していてごめんなさい」と平伏したくなるほどの威力がある。


「文句があるなら私にかすり傷ひとつでもつけてから言うことだ。できるものならな」


 そうしてエルディとの修行が始まったわけだが、早々にルナセオは自分の見通しの甘さを実感した。赤い印があれば技術なんて不要だと思っていた過去の自分を殴ってやりたい。ルナセオはエルディにかすり傷ひとつ負わせるどころか、その剣の切っ先を当てることすらまだ一度もできていない。

「まあ、シェイルの一等騎士は超人・人外・魑魅魍魎だっていうのは、ウチの都市じゃ誰でも知ってることよ」

 その化物の娘であるセーナ姉さんは平然と言い放った。トレイズもうんうん頷いている。こんな時だけ息の合うふたりだ。

「エルディは凝り性だからな。騎士になってすぐは剣の腕を磨くために寝食もなおざりに日がな一日稽古し続けて、指南役のほうがさじを投げたって話だ」

「俺には無理だよそんなの」

 一刻素振りしただけでヘトヘトなのだ。不老不死のおかげで傷ができればたちどころに治るものの、疲労感ばかりはどうにもならない。


 とはいえ、剣術を学ぶことで見えてくるものも確かにあった。間合いの取り方だとか、相手の次の動きを予想するだとか。筋トレの成果か、ネルからも「セオ、なんだかたくましくなったね」と言われた。


 そんなわけで、旅立ちからこっち、今日も今日とてエルディとの稽古に明け暮れていたルナセオは、鬼教官のしごきに悲鳴をあげるのだった。「当てるつもりで来い」と言われてエルディに木刀を上げようと振り続けるが、ルナセオの攻撃はすべてエルディの木刀に阻まれる。

「腰が入っていないぞ!そんな隙だらけの攻撃で巫子狩りに勝つつもりか?」

「い、いや、巫子狩りに、こんな、バケモンは、いな…いってェ!」

息絶え絶えのルナセオに対して、エルディは汗ひとつかかずに涼やかなばかり。ましてや一歩も圧されやしない。エルディが長い脚を伸ばしてルナセオの足を払うのもまったく避けられず、なすすべもなくルナセオは仰向けに倒れこんだ。


「あーッ、もうダメ、無理、降参!」

 ルナセオは木刀を放り投げて両手を挙げた。「シェイル騎士団ってみんなこんな体力おばけばっかなの?俺もう疲れた!」

「馬鹿を言うな、こんなものは序の口だ」

土の上に大の字に伸びたルナセオを、エルディは息も乱さずに見下ろした。

「騎士団の新人用訓練であれば、あと千回の素振りと筋トレメニュー、訓練場の走り込み三十周を終えるまで休憩なしだぞ」

「それホントに訓練?拷問かなにかじゃなくて?」

あるいは人外育成プログラムかもしれない。どうにかこうにか起き上がったルナセオは、ネルから水筒を受け取って喉を鳴らして飲んだ。背後でエルディが「水は大事にしろ」と苦言を呈したが無視だ。


「そろそろ村が見えるはずなんだよな。今日はそこで一泊しようぜ」

トレイズが遠くを眺めたが、その視線を追っても見えるのは草原ばかりだ。前回もトレイズとともに通った道のはずだが、さすがに道順までは覚えていない。しかし、前と同じ旅路であればゴドル洞を抜けたこの先に、ラゼを弔った村があるはずだ。

「やった!シャワーが浴びられる!」

「賛成、私もいい加減ベッドで寝たいと思ってたところ!

メルセナとともに歓声を上げてハイタッチしていると、エルディが気まずそうに、トレイズの見ている方とは反対を指し示した。

「トレイズさん、村の方角はあっちです」



 辿り着いたのはやはり前回も通った小さな村だ。ルナセオは自分の服装を見下ろした。ここで揃えた新品の旅装も、あっという間にくたびれてきている。いつの間にかルナセオもいっぱしの旅人だ。

 女性陣は別の部屋に分かれて、ルナセオたちがあてがわれた部屋に荷物を下ろすと、トレイズはマントを脱がずに早々に立ち上がった。

「俺、ちょっと酒入れてくる。ここからクレイスフィーまでゆっくりできる場所もないだろうしな」

「ほどほどにしてください。二日酔いの薬を切らしていますので」

エルディの声がけにも、トレイズはひらひら手を振っただけでさっさと出て行ってしまった。


 エルディは怪訝そうに眉をひそめた。

「珍しいな。村に来て早々昼間から酒場とは。あまりお強くないのに」

「前に来たとき、この村にラゼの墓を作ったんだ。そのせいかも」

トレイズとラゼは親しいようだった。ルナセオもこの村に来ると、なんとなくラゼのことが思い出される。

 トレイズが持ち出したのは彼女の髪ひと房とチャクラムだけだが、この場所にラゼが眠っているのかと思うと、しんみりとした気持ちになった。


「ラゼ様か」

 エルディは備え付けのやかんで湯を沸かしながらつぶやくように言った。

「トレイズさんは彼女を妹のように可愛がっておられた。目の色が似ていたから、親近感があったのかもな」

そういえば、ラゼの瞳もトレイズと同じ、夜闇にきらめく星のような金色だった。

「エルディさんはトレイズとは付き合いが長いんだっけ?」

「言わなかったか?」

エルディは目を瞬いた。まつ毛がはたはた揺れて、そんなにまつ毛が長いと目に入って困ったりはしないのかと、ルナセオは見当違いの懸念を抱いた。

「私は昔ラトメ神護隊にいた。レインとは同期でな。トレイズさんの部下の一人だった」

「へえ、トレイズってそこの隊長だったんでしょ?ちょっと想像つかないな」

エルディの様子を見るに、トレイズに対しては常に敬語で気を遣っているようだった。騎士たるもの年上に対する礼節を大事にしているのだと思っていたが。どうもトレイズがエルディを顎で使っているさまはピンとこない。


 エルディはくすりと笑った。

「いい隊長だった。あの頃はラトメも平和でな。トレイズさんは当時の“神の子”を慕われていた。私のような孤児を迎え入れて、戦うすべを与えてくださった恩人だ」

「ふうん…まあ、面倒見がいいやつだよね」

それよりルナセオはエルディが孤児だったという点のほうが気になったが、さすがに直接聞くのははばかられた。代わりにあたりさわりのないことを尋ねてみる。

「それでなんでシェイル騎士に?トレイズのこと尊敬してたんでしょ?」

「今日は質問が多いな」

エルディはお茶をふたり分淹れると、片方のカップをルナセオに差し出した。エルディの淹れる紅茶はおいしい。天は彼に何物を与える気なのだろう。


「“神の子”が不在となって、ラトメの情勢が悪くなったことで、母と…その夫君にシェイルに迎え入れられた。当時はそれで荒れもしたが、そんな折にセーナを拾ったんだ。それで騎士として落ち着いて…今に至る、というところだな」

「え、うーん、そう…」

 なんだか聞いてはいけないグチャグチャの家族関係の片鱗を垣間見てしまった気がする。ルナセオはあいまいに笑って「大変だったんだね」とだけ言った。


 エルディのほうは紅茶をひとくち飲んで、遠い過去に思いを馳せるように窓の外を見た。

「だから久しぶりにトレイズさんにお会いしたときは驚いた。トレイズ神護隊長といえば私たちの世代ではラトメディアのヒーローのようなもので、皆があの方を慕っていたものだ。“神の子”の権威が地に堕ちたとしてもそれは変わらないと思っていたが…」

「あんな薄汚れた加齢臭のオッサンになっててビックリしたって?」

彼の濁した言葉の先を補足すると、エルディは苦笑して「まあ、お歳からして臭いはどうしようもないが」と弁護を入れた。


 若い頃のトレイズがどういう存在だったのかは、本人が語ろうとしないので、ルナセオにはよくわからない。しかし、あの腐敗したラトメ神護隊の中でさえ、いまだトレイズを慕うものが多いのだということは、一度あの街を訪れたときにも感じた。ラトメが今も平和であれば、彼も立派な英雄だったのかもしれない。


「でも、トレイズはいいやつだよ。頭は固いけどさ」

 薄汚れた身なりはしているが、彼はいつだってルナセオたちを心配しているし、上司の命令を無視してまでルナセオたちについてきてくれている。メルセナとは反りが合わないが。

 ルナセオの言葉に、エルディもほほえんだ。普段仏頂面の彼がそんな柔らかい表情になったら、そこらの女の子がキャーキャー騒いで仕方ないだろう。

「そうだな。どんなお立場にあっても、あの方の本質は変わらない」


 なんとなく、沈黙がいたたまれなくなって、ルナセオは紅茶を飲み干して立ち上がった。

「ごちそうさま!俺もラゼの墓参りに行ってこようかな。ついでにトレイズが飲んだくれてたら連れて帰ってくるよ」

「あまりひとりでウロウロするなよ」

 返事もそこそこに、ルナセオはマントを羽織ると宿を飛び出した。もうシェイル領に入って風も涼しくなってきたというのに、ルナセオの手は少し汗ばんでいた。


 トレイズがいいやつだとは分かっている一方で、彼が直情的で、怒れば我を忘れて飛び出していくタイプであることもまた、これまでの旅でよく理解していた。父と深い因縁があることも。

 だから、ルナセオはどうしても、自分が以前9番だったチルタの息子であることを、トレイズにだけは知られたくなかった。それを知られたら最後、トレイズはもうこれまでのように接してはくれない気がして。


 自分の倍以上も生きている男に対しておこがましいかもしれないけれど、ルナセオは彼を友達だと思っていたから。

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