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少年ルナセオと大団円のゆくえ  作者: 佐倉アヤキ
2章 狂気と幸運のハッピーエンド
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戦闘描写があります。

 がしゃんと、階下から食器が割れるような音がして、ルナセオは立ち上がった。腰のチャクラムに手を伸ばすと、すかさずマユキがマントの裾を引いてきた。

「うかつに出て行かないほうがいいわ。大人しく待っていなさい」

「でも、そのレナってやつ、悪いやつなんだろ」


 話を聞くに、メルセナが出会ったレナという神都の高等祭司は、シェイルディアで勃発していた行方不明事件の犯人らしい。それを目撃したメルセナを襲おうとしたときに、レナの持つ赤い印がメルセナに移ったという。ルナセオがラゼから印を受け継いだときと同じような感じだ。

 メルセナの話すレナの人物像は、正気を失った魔女のようで、人の話も聞く耳持たない様子だったそうだ。それが本当に母の妹かどうかはさておき、階下に残してきた母が心配だった。


 グレーシャも反対側からルナセオのマントをぐいぐいやって止めてきた。

「いやいやお前、そんなキャラじゃなかったじゃん?お前が出て行ってなんの助けになるっていうんだよ?」

「少なくとも」

左耳が熱くなる。トレイズは、この印は身体強化に特化していると言っていた。ルナセオは特別運動ができるわけではないけれど、ラトメで神護隊の男を蹴り飛ばしたときのように、少しくらいは戦力になるはずだ。

「ここで学生やってたときよりはマシだよ」

「私も力になりたいけど、ここで私の力を使っちゃうと家が壊れちゃうわ」

メルセナは残念そうに自分の手首を見下ろして言った。同じように赤く染まった髪を梳きながら、ネルが思いついた様子で顔を上げた。

「セオ、わたし、手伝えるかもしれない」



 ルナは、リビングに引きこんだかつての妹を床に叩きつけ、馬乗りになって魔弾銃を突きつけた。ラゼとともに倒れていた巫子狩りから拝借した、()()()()()()特別な武器だ。あいにく巫子には効かないが、レナに赤い印がなければ恐ろしい威力を持つはずだ。

「なにを勘違いしてるか知らないけれど」

 巫子だった頃は、散々血も涙もない女だと言われたものだけれど、息子のルナセオは、いつも能天気な母にそんな一面があるだなんて思ったこともないだろう。ルナはのんびりお菓子を作りながら過ごすこの平穏を愛していたし、争いごとを好まなかった。息子には勧善懲悪よりも、だれもが幸せになれる物語ばかりを教え聞かせた。

 それでも、この世の中には大団円なんて存在しないということを、誰よりもルナ自身がよく分かっている。


「私はチルタと一緒になったことを誰に許してもらおうとも思わないわ。ましてや、あの人が9番になって苦しんでいる間、そこにいなかった人なんかには」

「…ふふ」

 なにがおかしいのか、レナは額に銃口が当たっているにもかかわらず、肩を震わせて笑ってなどいる。

「ふふふ…ふふ、あははははは!」

壊れたように笑い続ける妹の目は見開かれて血走って、ルナの背筋が粟立った。我が家のリビングで大の字に寝転がる女は、果たして本当に自分の血を分けた妹なのだろうか。

「でもね、お姉さま…」ひとしきり笑い続けて満足したのか、不意にレナは冷たいまなざしでギョロリとルナを射抜いた。


「チルタは、私が生きていると知ったら、なんて言うかしら?」


 ほんの一瞬の隙を、レナは見逃さなかった。突如、彼女の手から巻き上がった風がルナの身体を吹っ飛ばし、思いきり壁に叩きつけられた。ゲホゲホ咳き込んでいる間に、ゆらりとレナが立ち上がった。

「お姉さまはご存じなかったかもしれないけれど…チルタは、私のこと、愛してくれていたのよ?」

チャキリと不穏な音がして、ルナは取り落とした魔弾銃の銃口が、今度はレナの手から自分の額に向けられていることを悟った。


 知らないわけがない。忌むべき9番の力を手にしてまで、彼が望んでいたのが、本当にありふれた、ささやかな願いだということを。好きな人と一緒に生きたいという、たったそれだけの幼い想いが、世界を滅ぼす意思によって、歪んでいくそのさまを。


 夫がかつて愛した花のかんばせをにたりと笑みの形に象って、その女は笑った。

「ごきげんようお姉さま。よい夢を」


 鈍色の暗い穴が火を噴くまでに、ルナにできることなどなにもなかった。ただ最期と思って夫の名前を声にならないままくちびるだけでつぶやいたその瞬間、どこか近くから、気が遠くなるような、調子はずれな子守唄が聞こえてきた。

「人の母さん襲うなよ!」

部屋に飛びこんできたルナセオが、レナの構えた銃を蹴り上げたその勢いのまま、チャクラムを彼女の顔めがけて振り抜いた。あっと言う間もなく顔に傷の走った女は、とどろくような甲高い悲鳴を上げて後ずさり、そのまま背後の壁にぶち当たって座りこんだ。


 息子はすぐさまこちらに飛んできて、ルナの耳をぎゅっとふさいだ。よく見るとルナセオも耳栓をしている。首を振って外に出るよう促されて、彼にしたがって立ち上がると、レナは朦朧とした様子ながらも、手探りで魔弾銃をつかもうとしていた。

「ええっ、なんで寝ないんだよ」

ルナセオはぎょっとして、ルナに自身の手で耳をふさぐよう指示すると、自分は銃を回収するために一歩前に出た。

「セオ、だめ!」

「えっ」

制止した直後、レナは再び魔法で風を起こして、部屋の壁にかかった絵や飾られた植物が吹き飛んだ。レナの近くでもろに風を食らったルナセオはうしろにひっくり返り、いつの間にか扉の近くにいたらしいネルの巻いていたスカーフが外れた。子守唄が途切れて、霧が晴れたように意識がはっきりしてきた。


「ゆるさない…」

 レナはおどろおどろしい、ゆっくりとした動作で再び立ち上がった。顔を覆った両手のすきまから鮮血…ではなく、泥のような黒っぽくドロドロした液体がこぼれている。

「せっかく()()()がくれた、私の身体…傷つけるひとたち、ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない…」

「な、なんかやばいかんじ?」

ルナセオはチャクラムを構えながらも引け腰だ。ネルが、彼女の足もとにたまった液体を見つめて呆然とした。

「このひと、人間じゃない…」

「あの人を取り戻さなきゃいけないのに、そのために必要なものが、たくさんあるのに…どうしてみんな邪魔をするの、どうして、どうして…!」

レナを起点として巻き起こる風によって、髪は乱れ、血走った目は眼球が飛び出んばかりに見開かれて、悪夢のようないでたちだった。彼女はゆうらりと片手を掲げた。

「みんな嫌い、みんな嫌いよ、消えてよ!」


「申し訳ないが、それは勘弁してもらえないかな?」



 穏やかな声が割って入った。その男は悠然とリビングに足を踏み入れると、異常な形相の女をちらりと見ただけですぐに興味を失ったように目をそらした。急いで帰ってきたのか、身に纏うマントも顔も薄汚れていた。柔和な顔はなぜだか小さな傷が点々とついている。ルナセオと同じ黄土色の髪をかきあげながら彼はまっすぐに母のもとへ歩み寄った。

「怪我はないかい?ノックしても君が出てこないから心配したよ」

「あ、あなた」

 紳士的に母に手を貸す父はまぎれもなく普段どおりで、荒れ放題の部屋などちっとも気にも留めやしない。さしもの母も呆然としている。


 父はヘラヘラ笑いながら、自分の顔の傷を指しながら言った。

「いやー、もう参っちゃったよ。道中次々と鳥が手紙を運んできてさあ、はやく帰りたいのに返事を書くまでつつき回されてしまった。奥さんが帰りを待ってるのにひどいとは思わないかい?」

「いや、いやいやいや、父さん」

ルナセオは思わず口を挟んだ。すると父は顔を輝かせるなり、両腕を広げて息子をハグした。

「おーっ、セオ、久しぶりだねえ。また背が伸びたんじゃないか?」

そして入り口近くでたたずむネルを見てうんうん頷いてなどいる。

「セオの彼女?よく来たねえ。ちょっと散らかってるけどゆっくりしていってね」

「伸びてないし、彼女でもないし、それどころじゃないよ!」


 父を突き飛ばすと、母同様のほほんとした彼はきょとんとしている。ルナセオは勢いよく、立ち尽くすレナを指さした。

「あいつが俺たちを襲ってたんだよ、それなのになんだよその呑気さは!」

「だって、僕はお客さんより家族との団らんのほうが大事だし」

 父はいつだってこうである。ルナセオの家族は全員自由人でマイペース、呑気でおだやかで、無意識に人を振り回す。最もその被害に遭ってきたのは間違いなく自分だと、ルナセオは自負していた。


「やあ、久しぶりだね、レナ」

 初恋のひとで、もうすでに亡くなっているはずで、かつては彼女のために世界まで滅ぼそうとしていたはずの父は、少しの間会わなかっただけの友人に対するように、気楽にレナに挨拶してみせた。むしろレナのほうが、父の姿を何度も眺めまわして、信じられないとばかりに首を横に振っていた。

「チルタ、なの?でも、だけど…」

「思ったより老けててびっくりした?」

父は苦笑した。彼は歳より老けて見られることが多く、以前街のじいさん連中の集まりに誘われていたほどだ。母が少女にしか見えない分、父が母の年齢を吸っているのだと昔は本気で信じていた。


「君と別れてからもう三十年は経つんだねえ、僕も年を食ったものだ。君も元気そうで何より。でも、いくら()()()()()()()()()()()()だからって、他人の家をこんなに荒らしてはいけないよ」

 落ちた絵画を壁にかけ直し、ソファの位置を戻しながら、父は困った子供に対するような口調で言った。ごぽりと泥のようなものが傷口からこぼれて、レナは口調ばかりが舌足らずな甘さで、すがるように父に手を伸ばした。

「チルタ、お姉さまが私にいじわるを言うの。みんな私にひどいことするのよ。あなたなら助けてくれるでしょう?ねえ、チルタ」


 ルナセオには答えが分かっていた。9番だった頃の彼の姿なんてものは知らない。けれど、ルナセオの見てきた父はいつまでも新婚気分で、母が大好きで、それに仇なす人がいるならば、一切の容赦をしないだろう。

「うん?ていうか君って死んだんじゃなかったっけ?はやくお墓にお帰り、なんなら僕が手伝ってあげようか」


 またレナが逆上して家が壊れるのではないかとルナセオは心配したが、意外にも彼女は、当てにしていた父が想像以上に辛辣なのに心が折れてしまったのか、無言のまま悄然と我が家を出て行ってしまった。父は父で平然と「遠慮しなくていいのに」と言いながら、割れた花瓶の破片を拾い集めている。

 母が途方に暮れた様子で、父に尋ねた。

「あなた、い、いいの?」

「なにが?」父は本気でなんのことかわかっていなさそうだ。

「だから!レナが生きていたのよ、追いかけなくていいの?」


 父が顔を上げたその時、ようやくルナセオは、自分の父がかつて9番であったことを信じられる気がした。眉尻を下げて笑う父の表情は、ラトメで見たクレッセのそれとそっくりだった。


「確かに、それを望んだ時もあったよ。まったく若かった、あの頃はね。叶いもしない野望を掲げて、いい気になっていた。

 でもね、あれから何十年も経った。今の僕には可愛い奥さんがいて、元気に育った息子たちがいて、ありがたいことに職にも飯にも困らず生きていけて、それがとても幸せなんだ。

 そういう未来もあることを、君が教えてくれたから、僕はその世界を見てみたいと思ったんだ」

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