Crazy grayish mouseⅠ
「よく帰ってこれたな。兆番の森から」
紀伊達が留守番だった靄志に事の顛末を伝えれば、靄志は最後にそんな疑問を述べた。
「それがさあ、誰かが雑貨屋さんに連絡したみたいなんだよね。兆番の生徒が迷ってるって。それで迎えに来てくれたんだ」
おにごっこ後の紀伊達は、メリですら帰り道が分からず半ば遭難状態に陥った。そこへ雑貨店の店員二人が来た事で難を逃れたのだった。武はそれを説明したあと、思うところありとばかりに怪訝な顔つきで数秒黙り込む。
「うーん」
武は唸りつつ自分の制服の表裏、ポケットの中を隅々まで漁っては凝視する。
「ちょっと先輩」
「おい、何だ」
次は紀伊の方ににじり寄り、まるでボディチェックのように紀伊の制服を弄る。暫くしてそれにも気が済んだ素振りを見せたあと、メリの方を見る。
「やっぱ先輩でもないか。じゃあメリ……脱いでくれる?」
流石に女子に対しては気を遣ってか、直接触れずにそんな要求をする武と、「うん」と何の疑問も抵抗もなく制服を脱ぎはじめるメリ。
「まてまてまて! お前何言ってんだ! お前も簡単に脱ぐな!」
狼狽える靄志をよそに、武はメリからジャケットを受け取ってそれも隅々まで弄る。やがて何かの手応えを得たように、ピタリと手を止めた。
「あった」
「なんだそれ」
「盗聴器」
武が机の上に転がしたのは、小さな電子機器と思しきもの。武はアッサリと断定したが、靄志と紀伊程度の素人目には、それを一目で盗聴器だと見抜くことはできない。武は盗聴器を小突きながら、メリの方へ視線を向ける。
「メリ覚えない? 最近俺達と兆番の人達以外で、変に近づいたり触ってきた人いない?」
「うーん。ギンちゃんかなぁ」
武の質問に対し、メリは体を斜めに倒しつつ少し考えてから答える。それは紀伊が初めて聞く名前だった。
◇
靄志の案内で、紀伊は公園に連れられた。武は用事があるからと離脱し、メリのみが付いて来ている。そのまま靄志がずんずんと進んでいった先には、ポツリと一人の若い男が座り込んでいた。男の前には茣蓙が敷かれ、その上にフリーマーケットのように幾多もの物品が並べられている。
「よう」
「やっほーギンちゃん」
「いらっしゃいませ……」
靄志とメリが声をかけると、俯いていた男は顔を上げ弱々しい声で挨拶を返した。その視線は紀伊の方にも向き、ハッと驚いたような顔をする。
「あ、新しい……チームの……」
「知っているのか私を」
「は、はい……聞いてます……自分、抗争のサポートというか……その、怪我……しやすい皆さんの為に、お薬とか色々売ってて……」
「こいつも俺たちの裏から遣わされてるパシリみたいなもんだよ」
そう言いながら靄志は、同情を含んだ目線を男に向けた。
紀伊は茣蓙に並べられた品々を確認する。薬局などでも買えるような治療薬ばかりで、何も怪しいものはない。ただその値札は市販のものより大幅に安い。学生でも手を出しやすいように、という事だろう。そこまでして学生らを動員させるのか、と紀伊はつくづく忌まわしい気持ちを抱いた。
「自分……常木銀って言います……皆さんからは……ギンって……呼ばれてます…」
銀は紀伊の様子を覗いながら、おずとお辞儀をする。
「そ、それで……今日は何のご用っすか……? カツアゲっすか、強奪っすか、パシリっすか、サクラっすか、人体実験っすか……」
「君はいつも何をされてるんだ……私はそんなことをしに来たわけじゃない」
「そ、そうなんすか……? あ、あなた……いい人……っすね……」
紀伊が哀れみと共に否定すれば、銀はへにゃりと顔を綻ばせた。
「少し聞きたいんだが」
紀伊は懐から盗聴器を取り出し、並んだ商品の近くに置いて見せる。すると銀は目を見開き、瞬く間に顔色が青くなった。
「ヒッ……! ししし、知りません! そんな盗聴器なんて……! 仕掛けたの、自分じゃないっす!」
銀は明らかに動揺した様子で後ずさり、掌を向けてブンブンと腕を振る。
「まだ何も聞いていないし、これが盗聴器だとも教えていないのだが。よく分かったな?」
「あ、あぅ……」
紀伊に理詰めされた銀は返す言葉も無くなり、ただ意味をなさない音を漏らしながら口をハクハクとさせる。
「誰に頼まれた?」
「Crazy grayish mouseのリーダー……ハツネさんっす……」
銀は大人しく正座をして、弱々しく答えた。
「アイツか……ま、そういうセコい事やるのはアイツかバニーくらいだしな」
靄志は盗聴器を手に取る。
「おいハツネ。聞いてんだろ。今からそっち行く」
それだけ言うと盗聴器を元に戻し、ややあってから紀伊の方へ振り返る。
「……あ、って勝手に言っちゃったけど良い? キイさん」
「構わない。しかし君は本当にメリの事が」
「わー! 言うなって!」
紀伊の言わんとする事を察し、靄志は慌てて声を荒げるが、当のメリはそんな事は気にも止めず、ジッと盗聴器を眺めていた。
「それハツネちゃんとお電話できるの?」
「あいつが一方的に聞いてるだけだ」
「ふーん。ハツネちゃーん遊びに行くねー」
「お前……ほんと脳天気だな」
盗聴器に向かって手を振るメリに、靄志は呆れながらぼやいた。
◇
薄暗い個室の中。少女はヘッドホンを外し、乱雑に放り投げた。機器の扱いなどどうでもいい程に浮かれ、上機嫌なのだ。
「フフ……メリ……ウチにいた頃から変な子だと思ってたけど……やっぱりアタシの目に狂いは無かったんだね。かわいい上にただの人間じゃあない。最高」
恍惚とした表情の上にかかる眼鏡には、爛々と光を放つパソコンの画面が映り込んている。
「はあ……メリの音声だけ切り抜いとこ」
少女はゆったりと椅子に座り直し、手の中の小さなマウスを動かし始めた。
◇
生徒の大半が帰路につき、人影も疎らな抒割高校の校舎。日が傾き、校舎から伸びた影が落ちる先に、その研究棟があった。入り口のドアには、ステッカーが貼られている。ネズミを模した細い線が「Crazy grayish mouse」の文字を囲っているロゴだ。
「おいハツネェ! 来てやったぞ」
「ニワトリ風情がうるさいねェ……言われなくても監視カメラで見てたから知ってるよ……」
扉を開けて第一声に、靄志が声を張り上げると、返ってきたのはハスキーボイスな少女の声だった。
「この声がハツネか?」
「うん。そう」
紀伊が靄志に問いたその声――音声は、天井に設置されたスピーカーから聞こえているようだった。その近くには監視カメラと思しき機器もある。
「見てんなら出迎えくらいしろ。俺はお前らぶちのめして、二度とメリにチョッカイかけるなって制約させるつもりなんだよ」
「はぁ、やだねえ。何でも暴力でどうにかしようとして……頭悪く見えるよ。見えるっていうか事実だけど」
そう煽る初音の声には、相手をするのも面倒という気だるさがありありと乗っていた。
「その先……左の通路を真っ直ぐ行ってつきあたりの左の部屋に来な。アタシそこにいるから」
「……ったく、あの引きこもりが……」
あくまで自分からは紀伊達の元へ赴くつもりのない初音に対し、靄志が不満を垂れながら、一行は指示された通路を進んでいった。
◇
「やっほーハツネちゃん」
メリが一番乗りで扉を開く。その一室の中はかなり広く、手前に拓けた空間と何らかの機器、奥にはまた機器のひと塊と、作業スペースかのようなテーブルと椅子。そこに抒割高校の制服を着た五人の少年少女が腰掛けていた。その中の一人、制服の上に白衣を重ねた少女が、メリを見るなり立ち上がる。
「あぁっ、おかえりメリ♡ 今日もかわいいね」
初音の靄志への粗雑な態度とは打って変わり、メリへの友好的な態度を見て紀伊は疑問を抱く。
「メリはハツネと仲がいいのか?」
「うん。メリはねぇ……元々抒割、の……」
メリがその先を言い終わる前に、靄志の後ろでドタン、と大きな鈍い音がした。
「おいメリ⁉」
靄志が振り返るも、メリの姿が見えない。
「なん……だ、これは」
紀伊もまた、その言葉を残して倒れてしまった。
メリと紀伊より視線が高い分、靄志は遅れて気づいたのだ。背後から白い煙が胸元のあたりまで漂ってきていることを。
「なんだ、これ……」
「気づいたときにはもう遅いよォ。一息、二息……それだけで十分さ」
初音は煙が自身の元に届く前に壁に掛けてあったガスマスクを手に取り装着した。
「アッハ! かわいいねェメリ!」
初音はマスク越しのくぐもった声で快哉を上げると、何かの指示と思しき腕の動きを見せた。
「ずっとアタシの研究対象にしてあげるね」
初音の指示に応じるように、初音と同じガスマスクを装着した抒割生徒が、靄志の背後へ回り込んでメリを抱えあげた。靄志が咄嗟にそれを阻止しようとするも、吸い込んではいけない、と明らかにそう判断できる煙が周囲を取り囲んでいる。靄志は腕で鼻口を抑えたままでは自由に動けない。みすみすとメリを初音の元へと連れ去られてしまった。
「おい、お前何やった! なんだよこの煙!」
睨みつける靄志にも動じず、初音はすいと手を煙の高さ辺りまで上げる。
「このガス……まあ睡眠ガスなんだけど。こいつを床から高さ150cmの間に滞留させた。つまり160cm以下の人間の鼻や口の辺りまでね。具体的に言うと、メリに対して効き目バツグンってわけ!」
「んなの卑怯だろ! しかも160以下って、キイさんまで巻き沿い食ってんじゃねえか!」
初音の目的は明らかにメリの確保だが、メリと大差のない小柄な紀伊も、期せずして眠りの中へ誘われてしまった。
「知らないよ。それでもまだ勝負するってんなら別に、君が一人でやったって構わないよ」
「俺が……?」
「もちろん。君が宣戦布告したんでしょ。君達と私達の間で勝負はもう始まっているのだから、そっちが誰も戦わないって言うなら、WBDの負けになるよね」
「……俺が勢いでうかつなこと言ったから……」
靄志は大きく息を吸い、呼吸を止める。煙の中に紛れて眠る紀伊を抱えあげて、壁際の機器の上にもたれ掛ける形にした。
「ガスの効果切れれば、キイさんとメリも目覚めるか……それまで耐えれば……」
紀伊との力の差を嫌というほど自覚させられた経緯もあり、紀伊を頼れば何とかなるという考えが靄志に染み込んでいる。だが一方では、紀伊に並びたい、自分も紀伊の力になりたいという考えもあった。
「……いや、俺がやる」
今がその時なのだと決意を改めた靄志は、ぐっと拳を握りしめて前を見る。
「メリは渡さねえし、こんなコスい事するお前にだけはぜってー負けねえ」
「……ふーん、ナイト気取り? ムカつく」
「リーダー」
「いい。手出すな。君らは作戦変更に備えてて」
脇に控えていた初音の仲間が一旦前に出ようとした。初音がそれを手で追い払うような動作を見せると、すごすごと引き下がっていった。
「良いのかよ。お仲間に助けてもらわなくて」
「……別に、タイマンなんてアタシの趣味じゃないけどね。君だけはアタシが直接ぶん殴りたくなっただけ」
「ハッ。お前なんかに一発もくらわねーよ」
◇
「くそっ……。てめーなんて大した事ねえのに……」
顔が煙より下にならないよう動き、やむを得ない時は息を止め。靄志は呼吸を乱されながら思うように動けない状況で、対する初音は平気で煙の中に潜り姿を眩ませる。接近する瞬間の煙の歪みで、かろうじて初音の位置を察知できるとはいえ、当然後れを取らされ続けている。
靄志は初音に一発も食らわないと宣言したが、実際は一発でも受けて煙に中に沈めば、ガスを吸ってしまう。その後の顛末は明白だ。だが防戦一方では埒が明かない。それもまた靄志はよく理解していた。
一つ勝機があるとすれば、時折初音の動きが鈍くなる事だった。動きが悪くなった瞬間、それを狙う。
――今。
判断と同時に振り上げた脚を落とす。低い位置から這い寄っていた初音の脇腹に入った。
「ぐゥ゙……!」
初音はうめき声を漏らした後、素早く煙の中に隠れていった。決定的な一撃ではないだろうが、一時撤退をする程度には軽くないダメージらしい。
「はぁっ……ちょっとタンマ、苦しい」
靄志から離れた位置で初音が煙の上に這い出てきて、ガスマスクを外した。顔を上に向け、荒い呼吸をしながら息苦しさを訴える。初音の動きが鈍くなる原因は、案の定それだった。
「んなもんつけてるからだろ」
待てと言われて待つ道理もなく、靄志は初音のガスマスクを蹴り飛ばし、転がって行ったあたりを狙い思い切り踏み砕いた。バキン、と確実に使い物にならなくなったであろう音が聞こえた。
「あっ! なんてことするんだい!」
「待てとかねえんだよ」
見開いた初音の眼に靄志の鋭い視線が刺さる。瞬間、初音は怯みそうになるも、周囲から様子をうかがう仲間の呼びかけで我に返る。
「まだやるってんなら、ソイツらからマスク借りればいいだろ。次は腹に思い切り入れてやるけどな」
「チッ……まあいいよ。プラン変更」
初音が腕を上げると、室内の煙が四方の壁下にある給気口に吸い込まれていく。やがて靄志たちが最初に見た空間が再び姿を見せた。
「いいのかよ。もうセコい手は使わなくて」
「策が一つだけなワケない。鳥頭の君とは違うんだ」
「そりゃどうも」
追い詰められた鼠の挑発なんて相手にするまでもないだろうと、靄志は乾いた笑みを返した。




