夢見る桃色羊。
武と紀伊だけがいた活動拠点も、靄志達が加わった事で、賑やかさが増した。
「んで先輩次どうすんの?どこ攻める?」
「そうだな…」
武に問われ、紀伊は少し考える。紀伊の任務では、漠然と全チームの解放を目的としていた為、どのチームから順に対峙するかの方針は未定であったからだ。
「メリの所はどうなんだ?夢見る桃色羊。…だったか」
前回は初めて相対した靄志の率いるレッドペッパーチキンを標的としたわけで、ならば次もその場にいた、知った顔のメリを。と紀伊は安直な答えを出した。
「夢羊…って、そういえばアイツらの本拠地って確か兆番にあるらしいから…行けんのか?」
「良いんじゃない?俺一回兆番に乗り込んでみたいんだよね。謎だらけだしあそこ」
武は特に異論があるわけでもなく、好奇心で賛意を示した。しかし靄志の方は渋い顔で考え込んでいる。
「じゃあ俺はパスでいいか。アイツとは戦いたくねえ」
「好きな娘とは戦いにくいと」
「そうじゃなくて!」
紀伊が少し揶揄えば、言葉だけは否定しているが声は上擦っていて、動揺がわかりやすいほどに初な反応を返す。この調子では麻姫や武に好意を見抜かれていたのも当然の事だと紀伊は感じた。
「アイツは何ていうか…突拍子もねえ事するし言うし…やりにくいんだよ」
「へえ。そういうとこが好きなんだ。モヤシは振り回されたいタイプだ」
「やめろ!」
靄志は明らかに照れた様子で、武に殴りかかるのではないかというほどに勢いよく立ち上がるが、理性が働いたのか、武には敵わない事を身を持って知っているからか、直ぐに大人しく座り直した。
「それにアイツ、直接殴り合うみたいな勝負は吹っかけて来ねーんだ。じゃんけんだとかさ。ケンカしか能が無い俺には向いてねえよ」
確かに、メリは好戦的なタイプでは無さそうだと、紀伊は感じていた。好戦的であろうが無かろうが、学生達を動員して利用する、それがこの縄張り争いの姿。メリが縄張り争いに参加している理由も、実に不条理なものなのだろう。
「だからさ、頼むよキイさん。アイツ、助けてやってくんねえかな」
「そうだな。勿論」
実際は、靄志にもメリを助けたいという気持ちがあるはずだが、それよりも確実性をとって自分は身を引き任せるのだという思いは、紀伊にも十分に伝わっていた。
◇
深い森に面した所で、舗装された道は途切れた。先に見えるのは獣道のようで、明らかに人の侵入を歓迎しているものでは無い。
「この森全体が兆番の敷地なのか。道案内も無いしどう進んだものか」
「俺のリサーチによると、あの店の人が兆番に行く道を教えてくれるって」
武は脇道にそれた先にある小さな建物を指し示す。
「どこでそういう話を聞いてくるんだお前は。私は兆番の事はろくに知らされていないぞ」
「カラスとは別の筋だよ。俺ってば顔が広いから」
顔の広さや社交性、フットワークの軽さで言えば、武はカラスの統率役である烏京に似ている。武が若くしてカラスに抜擢されたのも、そういう所が買われたのだろうと紀伊は捉えた。
店の中に入ると、きらびやかなアクセサリーや小物が並んでいた。その手の装飾物に縁がない紀伊には、この雰囲気は落ち着けない。一方で武は興味深げに一つ一つを眺めている。そこへ店の奥から若い男性と女性が現れた。二人は雰囲気が似ていて、恐らくは兄弟なのだろうと計り知れる。
「こんにちは。いらっしゃいませ」
男性はにこやかに挨拶をして、隣の女性は無言で頭を下げた。
「何かお探しかな?彼女へのプレゼント?それとも君達がカップル?」
「ああ、すまない。この先にある兆番学園に行きたいんだ」
紀伊がそう答えると、朗らかだった男性の表情が一変し、鋭い視線を向ける。
「うちの生徒に何の用?きみ抒割?遺塵?」
『うちの』と称するあたり、二人は兆番の関係者である事が明白になった。
「俺千芭の生徒なんですけど、友達のメリちゃんに会いに行きたくて。兆番への道、教えてもらえないですか」
武が得意の人好きのする笑顔で、間に割って入るが、それでも二人の態度が柔和する事は無い。それどころか、メリの名前を出した事が逆効果だったらしく。
「あの子を追い回すやつ、抒割以外にもいたんだ」
「ふん。教えるわけ無いじゃん?」
女性の方は怪訝そうに、男性は一層険しい顔でピシャリと拒絶をする。
「行けるものなら行けばいいよ。兆番の森は巨大な迷路。案内人無しじゃ生きて辿り着くことはできないけどね」
「…森に無駄に死体を増やさないでほしいけど…回収するの面倒…」
これ以上は聞く耳を持たぬという風な二人に、紀伊はそれ以上の追求を断念し、店を後にする他なかった。
◇
「先輩」
この先をどうしたものか、と考える紀伊を後目に、周囲を彷徨いていた武だったが、ふと動きを止めて神妙な面持ちを紀伊に向ける。
「なんだ」
「夢羊の本拠地って、ここなんじゃ」
武が手招く店の側面へ回り込むと、その壁にはピンクの可愛らしい羊の絵と共に『夢見る桃色羊。』の文字が並んでいた。
「はあ…やはり彼らに話を聞くしかないみたいだな」
またあの敵意を向けてくる二人へ相対するのは気が進まないが、仕方ない。と紀伊が覚悟を決めてドアへ手をかけた瞬間、背後で大きな物音がした。
「え…何かいる?」
「…私が見てみる。武はそこにいろ」
「はーい」
紀伊が草影を掻き分け、音のした方を探ると、そこにはメリが奇妙な格好で寝転んでいた――というよりも、メリの髪や服に張り付いた葉っぱや先程の音から推測すれば、それは明らかに"木から落ちた"という風体だった。
「メリ…」
「んぇ…キイちゃん。…と武だ。どしたのぉ」
起き上がったメリは服についた葉っぱをはたき落とす。
「あれ、なんだメリだったんだ。すごい音してたけど大丈夫?」
「大丈夫〜」
後ろからやってきてメリを心配する武だが、メリは呑気に大きくあくびをする。どうやら怪我などは何もないらしく、紀伊は安堵した。
「…君はどうしてそんな所に」
「眠くなっちゃったから寝てた〜」
「だからといって何もこんな所で…そこに夢羊の縄張りもあるだろうに」
「木の上で寝るの気持ちいいんだよ〜」
「そ、そうか…」
先程の店内での張り詰めた空気とは真逆の、メリの異様なマイペースぶりにあてられ、紀伊は拍子抜けしてしまう。
「キイちゃん達はなんでここにいるの?」
「夢羊に対戦を申し込みにな」
紀伊がそう言うと、メリは少し驚いた様子を見せた。
「そっかあ。どうしよっかな」
縄張り争いのルールによって、挑まれた対戦を拒否する事は出来ない。故に『どうしよう』というのは、その対戦内容を考えていると捉えられる。
「んーじゃあ、メリとの勝負は〜鬼ごっこでどう?やる?」
「構わない」
メリの提案に、紀伊は即答した。体力にも自信はある。自分よりも背の低い娘との競争ならば造作もない。と紀伊が思ったも束の間、メリの姿がじわりと透け始め、見る間に可視できるのはメリが着ている制服だけとなる。それは所謂、透明人間がその場にいる光景。
「な…」
「ビックリした?そう、兆番はびっくり人間の玉手箱。メリは光学迷彩人間なのでした〜」
「聞いてない…!」
未知の出来事で紀伊の頭の整理もつかぬうちに、空中に浮かんで見えていたメリの制服のジャケットがポトリと地面に落ちた。それからネクタイ、ブラウス、スカートと次々に重力に従って落ちていく。その現象を目の当たりにして紀伊は狼狽える。
「えっ…ちょっと待て!服を脱ぐな!着てなさい!」
「だって服見えてたら意味ないもん」
そのやり取りをしている間にも、問答無用に空中の衣服が減っていく。最後には靴下がポイと投げ出され、完全に人の輪郭を失った。
「じゃ、頑張って追いついてきてね。ゴールまで捕まえられなかったらメリの勝ち」
最早発せられる声以外で、そこにメリがいる事を判別する方法はない。
「よーい…どん!」
その号令と共に舞った地面の砂埃を最後に、間違いなくその場からメリは居なくなった。
「武!服を拾って追ってきてくれ!」
「はーい」
慌てて紀伊は武に指示をして、見えぬ姿の後を追った。
◇
それはただの鬼ごっこでは無かった。見えない相手を追いかけなければいけない。それもこの天然の迷路の中、一度見失ってしまえば再度追いつく事は不可能に近い。
草木を掻き分ける動きや音。それがメリによるものか、野生動物達が逃げ去るものかも見極める必要がある。本職で培われた、些細な変化や物音を拾う技術があるとはいえ、紀伊自身も動き回りつつ神経を研ぎ澄ませ続けるのは酷であった。
いっそ一気に追いついてしまえば――と紀伊が思おうとも、チームのリーダーに選出されるだけあって、メリの身体能力自体も相当高いらしく、近づけたと感じて伸ばした手も、するりと躱される。そして躱した先も不明瞭な為に、また神経を張り巡らせて後を探る。そんな堂々巡りで一向に距離が縮まらない。
「メリ…!」
再び、そこにいるであろうメリの方へ手を伸ばしたが、そのタイミングで光が届きにくい深緑の中から開けた場所へ出た為に、紀伊はその明暗差から感じる眩しさで少しの間動きが止まる。やがて目を凝らせば、眼前には湖があり、光をキラキラと弾きながら、水面が波打っている。そして水際近くの地面の柔らかな雑草が人の足の形に潰れていて、メリがそこに立っているのは確かだった。
「メリ、そこから移動してもらえないか」
「なんで?」
「その…反射している」
「ほんとだ。メリのこれ、人の目に映る光は調節できるんだけど、水とかの反射はだめなんだよね、忘れてた」
紀伊が湖面に映る姿を指摘してもメリは恥ずかしがる様子もなく、ゆったりと湖畔から離れた。
「疲れた〜。キイちゃんすごいねぇ」
メリはこれ以上逃げる気がないらしく、ここがメリの想定していたゴールなのだと紀伊は察した。即ち、この勝負はメリに軍配が上がったという事。
「うーん。疲れたからメリまた寝ちゃいそう」
「せめて服を着てからにしてくれ。武が持ってきてくれているから」
メリの方はやはりマイペースで、勝敗など気にせず睡眠を優先したいらしい。放っておけば裸のままでも構わず寝てしまうだろうと、紀伊はその入眠に待てをかける。
「じゃあちょっとキイちゃんお話しよっか」
「…ああ」
メリは静かに語りだす。
「兆番はね、メリみたいな普通の人と違う子達を守ってくれる学校なの。だからみんなの秘密を守る為に、悪い人に生徒が攫われないように、深い森の中にあるの」
雑貨店の者が、部外者に対する敵意を見せてきたのも、それが原因なのだと紀伊は理解した。恐らく彼らは門番のような役割を担っているのだと。
「それで、兆番にお金を出してくれてるのは仙蟲財団だけ。兆番みたいな、秘密が多い怪しい学校にお金くれるところなんて、なかなか無いらしいの」
メリが語るのを、紀伊はただ黙って聞く。
「ねえキイちゃん。財団がメリ達の事いらないってなったら、兆番はどうなっちゃうのかな」
透明なメリの表情は伺い知れないが、その声色は至極真剣で、まるで紀伊に助けを乞うように話している。
「守るよ私達が。例え私でなくとも、枯金会の者が必ず君達を助ける」
「…キイちゃん」
そこで武が息を切らしながらやって来た。
「はあ、先輩いた〜見失ったかと思った〜」
紀伊は武からメリの制服を受け取る。
「ほら、寒いだろう。着なさい」
紀伊はジャケットをメリの居る辺りへふわりとかける。そこで思いがけず、メリの肩へ手が触れた。
「捕まっちゃったね」
「え…?」
メリは器用に上半身のみ透明化を解いて、不敵に微笑む。
「そういえばゴールがどこか言ってなかったっけ」
「ここじゃないのか」
「ううん。兆番の校舎のつもりだったの」
「じゃあ、なんでここで止まったんだ」
「だって思ったよりキイちゃんがちゃんと追っかけて来てたから…慌てて道間違えて…迷っちゃった」
紀伊は嫌な予感を抱きつつ尋ねる。
「帰り道は」
「わかんない」
メリはまるでそれが大したことでもないように、あっさりと答える。
「それって遭難だ」
「そうなんだ〜」
メリと武は能天気に、そんなダジャレで喜んでいる。遅れて来た疲れと、メリに勝てた安堵、帰り道をどうするかの懸念、それらが一気に押し寄せて来た紀伊は、苦笑を浮かべる他なかった。