レッドペッパーチキン
「ああ。それでモヤシ昨日ふてくされてたんだね」
「まじで?モヤシくん拗ねちゃってたの?かわいー」
紀伊の視界で談笑するのは、武と麻姫という少女。三人がいるこの倉庫は、靄志をリーダーとするRPC〈レッドペッパーチキン〉から奪ったものだ。麻姫はRPCの一員で、その経緯を知らずに自分達の領地だと思ったままに訪れ、武が構わず迎え入れた事から現在に至っている。
縄張り争いをしている11のチームと、そこへ急遽参戦したWBD〈WHITE BAD DOG〉。どこのチーム同士にも協力関係等は結ばれておらず、WBDとRPCも、ご多分に漏れず対立している。―はずなのだが。と、紀伊はやたらと仲の良い二人を不思議そうに見つめていた。
「なあ、君達はもしかして…」
「マキ!お前やっぱここに来てたのか!」
紀伊が二人にかけようとした言葉は、突然扉を開け入って来た靄志に妨害された。窓の外から麻姫の姿を見つけて飛び込んで来たのだろう。
「ちょっとぉ、ここWBDの倉庫なんですけど。勝手に上がり込まないでくれます?」
「そうだよあんた失礼だね」
「おめーが言うな!どの立場だよ!」
武が靄志を非難すると、靄志の味方である筈の麻姫も加わる。そこへ反論する靄志のやり取りは、まるでコントのようだった。
「まあ…ここ取られたって伝えてなかった俺が悪いけどさ、武と何仲良さげにしてんだよ」
靄志が物悲しそうに言うと、武はニヤリと悪戯な笑みを浮かべた。
「嫉妬してんの?モヤシちゃん」
「はあ!?ちげーし!」
靄志は声を荒げる。
「そうそう、違うよ。モヤシが好きなのメリだから」
「おいマキ!なんでんな事知って…!ていうか言うな!」
「大丈夫大丈夫。俺も知ってる〜」
「んなっ…!」
武と麻姫の連携によって、靄志は顔を火照らし、ついには言葉も詰まらせてしまった。靄志は武と麻姫に弄ばれている。先日彼らに会ったばかりの紀伊にも、その関係性は容易に把握できた。
「もういい!俺は帰る!マキも暗くなる前に帰れよ!」
「はいはーい」
ぶっきらぼうで、しかし麻姫を気遣う台詞を吐き捨てて立ち去る靄志へ、麻姫はひらひらと手を振る。そして扉が閉じられると、ふうと一息つき、紀伊を見据える。
「それで、えーっと?キイ?あんたほんとに私ら解散させるつもりなんだ?」
「ああ。早ければ数日内…明日にでも君達の本拠地に乗り込もうかと」
「知ってんの?モヤシと…その、バックにいるやつの事」
「ああ。だからこそ彼を、君達を解放する」
「ふーん。そっか、そうだね。私達も、いい加減ケリつけなきゃいけないしね」
麻姫は伏し目がちに独りごちた。
「私も帰るね。モヤシの事、頼むよ。信用してるからさ。あんたの事」
麻姫は立ち上がり、扉の方へ歩きだす。
「…随分、信頼してくれてるんだな」
会ったばかりの麻姫がこうも素直に心情を吐露してくれているのが、紀伊には分からなかった。紀伊の言葉を聞いて、麻姫は足を止めて振り返る。
「武が気に入ってるんだから、あんた悪い奴じゃないでしょ」
紀伊の疑問に対して返ってきたのは、真っ直ぐで快活な言葉と笑顔だった。
◇
翌日、紀伊が武を連れ訪れたのは、先の件で紀伊と靄志達が相対した倉庫よりも一回り規模の大きい倉庫。レッドペッパーチキンの縄張りだと主張する、大きなロゴが描かれた扉を開けての第一声は、武の物騒な挨拶だった。
「こんちゃー!WHITE BAD DOGでーす!ボコしに来ました!タイマンやろーぜ!」
「うわっ。マジで来たのかよお前ら」
靄志は紀伊と武の姿を視認して、まるで幽霊でも見たかのように椅子から飛び上がった。周囲にいるRPCのメンバーであろうガラの悪い少年達も、一様にざわついている。
「あれ。予告してたっけ?」
飛び込みの訪問にも関わらず、予見していたような靄志の反応に、武は疑問を呈す。
「私が言った。最初にうち来るそうだから覚悟しときなって」
靄志の腕を掴んで、麻姫は言葉を続ける。
「そしたらこいつ、せこせこ逃げようとしてたんだよ。私が引き留めたけどさ」
「うわだっさモヤシ」
武は単純明快に、靄志へ軽蔑の視線と言葉を浴びせる。
「…だって、俺が負けたら…本当に…」
前回紀伊に呆気なく破れた靄志が臆するのも無理はなかった。自分の力量では勝てる相手ではない。チームを失う未来を容易に想像してしまえるからだ。
「宣戦を拒めば…私達の不戦勝という事になるのだよな?」
「そ、それは…」
戦わず勝つとしても、紀伊にとっては問題ない。しかしそんな経緯で解散などすれば、靄志には、そしてレッドペッパーチキンには、不名誉な事この上ない。それでも靄志は踏ん切りがつかないように、明確に返答を出せないでいる。
「覚悟決めろよ仲間引っ張るリーダーだろお前も」
紀伊の横から聞こえた、一息で捲し立てるような言葉。それは紀伊が初めて聞く、凄みのある武の声色だった。表情すらも、普段の飄々とした武とは別人のように険しい。
「うちのリーダーが相手してやるっつってんだよ。ビビってんじゃねえぞチキン野郎」
「…っ!」
靄志は一瞬、表情を強張らせたが、すぐに強い決心を秘めた目つきに変えた。そして自身の両手で頬を叩く。
「舐めんなよ。鶏は鶏でも軍鶏なんだよこちとら」
靄志は脱いだベストを傍らに落として、一呼吸置く。靄志が覚悟を決めた事を確信して、紀伊は重心を低くした構えを取る。
「おいで」
紀伊が見せた、いつかと同じそのジェスチャーが号砲だったかのように、靄志は一気に距離を詰め、その右脚は地を離れる。中段左から蹴りが来る。紀伊は靄志の動きをそう予見した。しかし靄志の右脚は、紀伊に向かう事なく地面を踏み込み、逆の脚から上段に回し蹴りが入る。タイミングを見誤った紀伊には、それを腕で防ぐしか無かった。
「やるな」
「お前もな」
簡素な称賛を交わし合い、双方一度距離を取る。そして再び靄志が紀伊に攻勢をかける。
来るかと思えば来ず、右かと思えば左。靄志は猪突猛進的な攻撃だけでなく、変化球も使えるようだが、次を謀る為に初動の視線が泳いでいる事を察知すれば、それがフェイクだと紀伊には理解できた。
「ガードばっかだな?どうしたよ」
靄志が煽る通り、動きが分かってはいても、正面から真面目に組み合えば、リーチの差で靄志の攻撃が先に届く分紀伊は防戦一方になる。だが、紀伊も長年自身の身長の低さを補い、又はそれすら活かすように鍛練していた。つまりは懐に入る事を得意としている。加えて、靄志の我流で荒削りの大技には隙が多い。御すのもそう難しいことではないはずだ、と観察する。
―ここだ、入れる。
そう判断した紀伊は、次に来た蹴りを躱して身を屈めて靄志の直近へ潜り込み、逆の脚を軽く引っ掛ける。すると有り余る力を往なされた靄志は前のめりに膝から崩れた。紀伊はすかさず後ろへ回り込み靄志の上体を地面に押しつけて背面に馬乗りになり、股関節から太腿にかけてと右腕を抑え込む。そうなってしまえば、靄志はうつ伏せのまま身動きが取れなくなる。前回の勝負の結末と同じ光景。
勝敗が決まった。それは誰の目にも明らかだった。
「まだやるかい?続けるなら、このまま君を締め上げる事になるが」
「ぐっ…俺は、まだ…」
「負けだよ。モヤシ」
その声で紀伊は振り返る。いつの間にか麻姫が背後に歩み寄っていた。気配を感じ取れていなかった紀伊は瞬時に警戒するが、靄志へ穏やかな視線を向ける麻姫には助太刀をする意志が無いと判断し、続けてその様子を見る。
「今まで頑張ったよ。あんたさ」
麻姫がかけたその言葉で、靄志の抵抗する気力は潰えたようだった。紀伊は靄志の上から降りて、周囲のRPCメンバー達へ視線を配る。
「君達レッドペッパーチキンは解散だ。いいね」
「ま…!待ってくれ!」
「俺達、レッチキが無くなったら…」
「…情をかけるつもりはない」
RPCのメンバー達が次々に抗議するが、紀伊は非情に答えた。
「いいかお前ら。聞いただろ。レッドペッパーチキンは今ここで解散だ」
「リーダー!」
「そんな…!」
解散を宣言した靄志は、ベストを拾って倉庫の扉の方へ力なく歩いていく。
「悪い…俺が…頼りなくて」
仲間を振り返ろうともせず、絞り出すように謝るその声は潤んでいた。
◇
「良かったよねぇ。先輩」
RPCのメンバー達が散り散りに去って行ったあと、紀伊が置き去りにされた物を物色している最中、ポツリと武が呟く。
「何がだ」
「レッチキのリーダーがモヤシで」
あえて要点をぼかしているのか、要領を得ない答え方をする武。紀伊が訝しげにしていると、武は笑ってみせた。
「万唐で一番強いの、マキちゃんだからさ。マキちゃんとやったら、先輩も勝ててたかどうか分かんないよ。俺もマキちゃんに負けてるし」
そして、今度は誰もいない方を見やる。
「だから好きなんだけどね」
紀伊は武と麻姫が恋仲なのかと感じていたが、武の表情は切なさを帯びていて、それは見当違いだったのだと知る。片思いか、もしくは恋仲であったのも過去のことか―そんな追及をするのは野暮だろうと、紀伊は触れない事にした。
「…なら、彼女が出てこなかったのは」
「レッチキが解散する方に賭けてたんだろうね」
麻姫が本気でRPCの存続を望むならば、靄志を逃し代わりに戦えば良かった。しかしそうしなかったのは、麻姫の考えが武の言う通りだったからに他ならない。昨日の麻姫が紀伊を信じると言った心情を、紀伊はしかと噛み締めた。
◇
「先ぱ〜い。ちょっと裏見てよぉ」
数日後、紀伊が倉庫内を調べている所へやって来た武は、入って早々に困惑した顔で紀伊に手招きをする。武が指し示した先、倉庫の裏にうずくまる靄志の姿があった。
「…君は」
紀伊が声をかけると、二人が近くに来た事に気づいた靄志はバツの悪そうな顔をする。
「ここはもう私達のテリトリーだ」
「い、いや…違う…!たまたま通りかかっただけで…!」
「未練タラタラだね〜」
武に本心をつかれたのか、靄志は悲痛な面持ちで黙り込んでしまう。しかしやがて意を決したように顔を上げて、両膝と拳を地面につける姿勢で、紀伊に視線を向ける。
「なにも、失っちまったんだ…もう見栄なんかどうでもいい。頼む、レッドペッパーチキンを返してくれ」
「…それは出来ない。そういう条件だ」
どれだけ目の前の少年を憐れに思おうとも、紀伊にはそれを厳しく斥ける必要があった。情に流され例外を作ってしまえば、また靄志達がそこに付け入られる可能性がある。靄志の目は深く絶望を悟ったように沈み、力なく項垂れた。
「…が、別の方法ならある」
「なんだよ」
靄志は地面に視線を落としたまま、その返答すら紀伊に届けるつもりが無いほど、低く小さく呟く。
「WHITE BAD DOGの一員になってもらう。私は君達を守るし、全て終われば、枯金会の方で君達の支援もする」
「…お前、まさか俺達の事情知ってて…」
紀伊は答えないが、それは無言の肯定だった。
「…従うよ。犬の犬。上等じゃねえか」
「じゃあ頼むよ」
紀伊はフッと笑い手を差し出したが、靄志はその手を取らない。何事かと紀伊が靄志を見ていれば、靄志は突然に頭を深く下げて土下座の姿勢になった。
「キイさん!この恩は一生忘れねぇ!俺はあんたに付いていく!よろしくお願いします!」
「何だ急に…」
人が変わったような靄志の行動に戸惑い、紀伊が差し出した手は行き場を見失って泳ぐ。
「ボスには誠意示す。当然だろ」
靄志がニイと笑うものだから、紀伊もまた苦笑を返す。
「やっぱり君は…素直だな」