WHITE BAD DOG
6234―
それにダイヤルを合わせるとカチリと小気味好い音が鳴る。
「…どういう事だ」
コインロッカーの中を確認した紀伊は、その虹彩異色の目を疑った。支給される手筈の物が見当たらない、完全な空虚。場所も、日時も、指定と違いは無いはず、と回想する。すると突如背後から声をかける者があった。
「先輩!遅かったね〜待ってたよ!」
まるで事前に待ち合わせをしていたかのように、朗らかに挨拶をするその少年は、目鼻立ちが良いにも関わらず左目を前髪で隠していて、一筋縄ではいかないような曲者の雰囲気を醸し出していた。
「なんだ君は」
「俺、武。知ってるでしょ?今の千芭の番長。よろしく」
紀伊はその名前に覚えがあった。今回の任務では千芭の生徒と深く関わる予定では無いが、他校と関われば自然と話に出るであろう“千芭のトップ“が誰かは把握する必要がある。加えて、紀伊がその存在を深く記憶していた理由はもう一つ。武は同胞"カラス"の中では珍しい未成年の人員だからだ。
「それで、これ。先輩が探してるブツね」
武は手に持った紙袋を見せる。
「盗んだのはお前か」
「盗んだなんて人聞きの悪い〜!先に回収しといただけだよ」
武は大げさな表情と手振りでおどける。
「うーん、入ってたの黄色だけど、先輩は赤が似合うからコッチの赤タイで!はい!」
武は紙袋の中から黄のネクタイを取り出し、自分の襟元に無造作に掛けて、懐からは赤のネクタイを取り出して紀伊に差し出した。
「先輩と呼ぶくせに下級生のタイを渡す奴があるか」
「あっ。知ってるんだ学年色」
紀伊は怪訝な顔で武を見るが、武はどこ吹く風といった具合でとぼけた。
千芭は学年によって、制服のネクタイとリボンの色が区別されている。今年度は三年生が青、二年生が黄、一年生が赤だという事は、紀伊も潜入の為に必要な知識として頭に入れている。武が黄色のネクタイを掛けるならば、紀伊への呼称が矛盾している事は明白であった。
「それさ、俺の大事なやつ。あんたに預けるよ」
その一瞬だけ、武は真剣な表情を見せた。
「お前の目的はなんだ」
「そんなに怪しまないでよ〜。俺も先輩の手伝いしたいんだって」
この任務では、紀伊は単独で行動をする予定で、手伝いだと宣う武はイレギュラーでしかない。それを怪しむのも当然だった。
「…聞いていないぞ私は」
「だって言ってないもん。思いつき!」
「は…?」
武は悪びれた様子もなく笑顔を見せた。
「それよりさあ、先輩」
武は紀伊の手首を掴み、まるでイタズラを思いついた子供のような無邪気で、かつあくどい表情をする。
「丁度この近くに万唐の縄張りがあるんだよ。いっちょ景気づけに乗り込まない?」
◇
"レッドペッパーチキン"という荒々しい字体で書かれたペイントと、剥げた塗装が目立つ古びた倉庫。しかし倉庫とは名ばかりであり、現在は万唐の不良生徒が屯する縄張りとなっている。今も一人の赤髪の少年―靄志がその中で感慨もなくパラパラと雑誌のページを滑らせていた。
「ビンボンビンボーン!」
その静寂を破ったのは、設置してもいないインターホンの音、ではなく声だった。
「誰だ汚ねえチャイム口で鳴らしてんの…は」
「やほーモヤシちゃんここちょうだい」
靄志が扉を開けると、そこに立っていたのは桃色の髪の小柄な少女メリ。メリは開口一番に"宣戦布告"の声を上げた。
「お前ふっざけんなよ!お前とはやりたくねえんだよ!」
「不戦勝かーやりぃ」
「くっそ…やりゃあいいんだろうがよ!」
縄張り争いのルールでは、特別な理由がない限り挑まれた勝負を放棄する事は即ち不戦敗と判定される。靄志にはメリが苦手な相手であったが、そんな事情は考慮されない。靄志はヤケとばかりに勝負を受け入れた。
「ではでは〜今回の勝負は〜?デケデケデン!じゃんけんだ〜!わあ平和〜」
「はあ?舐めてんのか」
縄張り争いの勝負内容は、互いの代表者が合意をすれば何であろうと自由となっている。しかしジャンケン等というお遊びが選ばれた事は滅多にない。ゆえに靄志は拍子抜けした反応を示す。そこで唐突に扉が開かれ、別の訪問者が現れた。
「おじゃましまーす!」
「千芭の犬…!」
威勢のいい挨拶と共に乗り込んできた武を見て、靄志はたじろいだ。
「あ、今日はそういうのと違うんだなぁ。新進気鋭のニューチームWHITE BAD DOG!カラーは白!って事で!よろしく!」
「は!?何で千芭まで!」
「なっ…!お前…!」
靄志はもとより、後から入ってきた紀伊までも、武の突拍子も無い発言を聞いて吃驚の声を上げる他なかった。
「あれ、メリもいる。何かやってた?」
「ううん〜。これから」
「じゃあ俺達もまぜてもらうよ。相手は我らがリーダー、キイ!」
「ちょっと待て!何を勝手に…!」
武から次々と飛び出してくる、何から何まで予定外の行動と言葉に振り回される紀伊。当然抗議をするつもりだったが、武は紀伊に耳打ちをする。
「まあまあ先輩。彼らの懐に入るならこれが手っ取り早いって」
それを聞いて紀伊は思案する。縄張り争いをしているグループに近づく事がこの任務には必須であるし、何より紀伊自身も、どちらかと言えば遠回しな事より単純明快な事を得意としている。武の提案通りにするのも無くはない、と結論付けた。
「チッ…千芭の犬まで出張ってくんのかよ…お家の番だけやってろよ」
靄志はそんな憎まれ口を叩くが、武も構わず煽り返す。
「千芭のワンちゃんが怖いんだ?だから相手してくれないわけ?」
「上等だオラ!真っ赤に染めてやんよ!」
「わ〜がんばれモヤシちゃん」
武の言葉で火がついた靄志とは真逆に、メリは我感せずと傍らのソファーに腰を下ろす。
「あ?おめえはやんねえのかよ。元々お前が吹っかけてきた勝負だぞ」
「だってイレギュラーだし…様子見〜」
「そーかい」
武の挑発にまんまとのせられた靄志によって、三つ巴の様相をみせるかという所だったが、メリが勝負を降りたことで、それは回避された。
「じゃ、先輩。ファイト☆」
武は他人事のように呑気なエールを紀伊に送る。武が事態をここまで誘導したにも関わらず、自身は傍観の立場でいるつもりらしい。
「勝負はどうする〜?このままじゃんけんにする?」
「んな生っちょろい事やるかよ。今後お前らがうちに歯向かってくる意思が無くなるように、テッテー的にぶっ潰す。タイマンやろうぜ、子犬」
靄志は紀伊に対して指を動かして、かかって来いというジェスチャーをする。
「いいのかそれで?手加減するのは得意ではないんだが」
「ハッ。必要ねえよ。武より弱いんだろお前?第一、群れの中にも見たことねえツラじゃん。ぽっと出の一年坊主なんか一捻りにしてやるよ」
「ふうん。それは楽しみだ。おいで」
紀伊は先程見せられたものと同じ、挑発するジェスチャーを靄志へ返した。瞬間、靄志の蹴りが紀伊の方へ。
「素直だな君は」
その愚直な急襲は、紀伊にとっては躱す事も、投げ飛ばす事も造作ないものだった。数秒にも満たない間に、靄志はすっかり地べたに叩き伏せられた。
「な…」
呆気にとられる靄志の方へ武は歩み寄り、所謂ヤンキー座りで靄志を見下ろす。
「俺より弱いと思った?ざんねーん。その人、俺より強いよ」
「くっそ…」
靄志は身じろぐが、紀伊に完全に組み敷かれていて、どこへ力を込めようとも上半身を起こす事すら許されない。
「あー!もう俺の負けだ!離せ!」
紀伊は負けを認めた靄志を解放し、身を起こす事を手伝うように手を差し出すが、靄志はそれを突っぱねた。
「モヤシちゃんだっさーい」
「だっさー」
「うるせえお前ら!」
メリと武は口々に靄志のプライドをへし折る言葉を浴びせる。
「…くれてやるよこんな倉庫」
靄志は紀伊の方を見ず、吐き捨てるように呟いた。
「そうか。活動拠点に丁度いい、もらえるものは貰っておく」
本来想定外の争いと、想定外の報酬物であるが、これも何かの役に立つだろうと紀伊は考えた。そして、ここから立ち去ろうとしていた靄志に語りかける。
「少し話を聞いてもらっていいかな」
そう言うと、靄志は足を止めて振り返った。
「あんだよ?」
「君たちの"後ろ"に伝えてくれ。『取引をしよう。私がチームに勝てばチームを解散させる。私が負ければカラスを一匹引き渡す』と」
「は!?解散ってお前何を…!」
紀伊の言葉を聞いて、靄志は動揺する。しかし構わず紀伊は、そこで初めて靄志へ笑顔を見せた。敗者への、逆らう事を許さない、黙って従えという圧を込めて。
「さ、頼んだよ」
◇
「…ってのが伝言でな」
それぞれ別々の制服を着た11人の学生と11のモニターが、向かい合わせの二列で並んだ、薄暗い会議室。靄志は紀伊から頼まれた言葉を一堂にそのまま伝えた。
「…何だそりゃ。妙なやつだな。バックはどこなんだ?」
訝しげに友が訊ねると、メリが応える。
「わかんなーい。でも多分枯金会じゃないかな?一人は千芭の番長だけど、ちっちゃい子は初めて見る子だった。制服の色も逆だったし」
「改造でしょ?バニーのもそうだし」
ミミは自分の制服の端をひらりと翻した。
「てかカラスってなんだ?」
慎が疑問を呈すが、それに応える者は無かった。ややあってから、モニターの一つが"発言中"を示す赤のランプを光らせた。
「…どうする」
「駒を取り上げられるのとカラスが一匹か、割に合うか?」
「珍しくあちらから鳴いてくれたんだ。捕まえてやろうじゃないか」
「そうそう。いい機会じゃない。身内のカラスも引きずり出せるかもよ」
モニター越しに次々に上がる声は、同意の方へ向いていく。
「いいだろう。その条件のんでやれ」
最終的に出された結論も、当然そうなった。
「えっ…じゃあ、俺達そいつに負けたら本当に解散…?」
紀伊が突拍子もなく頼んで来た言伝が、あっさりと受け入れられた事に、靄志は狼狽える。
「そしたら援助の話とかどうなんのさ?」
「そうだよ、あたし達の研究は…」
大雅が訊ねると、不服そうに初音も続く。
「さあな。そんな事気にせずとも、勝てばいいだけの話だろう?」
モニターの一つのがそう告げると、生徒たちは静まった。
「はあ…困りますね本当に…」
静寂を破る溜息を吐いたのは拓で、苛立ちを隠しきれないように、眼鏡のブリッジ部分をしきりに弄る。
「…俺は構わない。なんにしろ、我らの邪魔になる物は全て潰す。そのキイとやらも、貴様らも」
腕を組みながら終始険しい表情を崩さないでいた仁志郎が、強い意志を表明し、更に一層増した威圧感を周囲へ与える。
「ニシローこっわぁ」
怯える表情のミミとは正反対に、真矢は穏やかに微笑む。
「ふふ。いいじゃないか。私もそのキイって子と、早く手合わせしてみたいね」
真矢の言葉に続いて、陽気なコードをギターで掻き鳴らし、ルースは不敵な笑みを浮かべた。
「同感だぜカガシ。どうせ利用されてるだけの俺達だ。せめて楽しもうぜ」
様々な思惑と感情が、その一室の中で渦巻いていた。