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深夜のコンビニとニチアサ

「ちゃ~ん、ちゃっちゃちゃっちゃちゃ~ちゃ~」


 チャーシューの歌ではない。「栄冠は君に輝く」。野球応援のために生徒たちが練習していた曲だ。

 こんな真夜中の路上で口ずさむような曲ではないが、逆に言うと口ずさむという行為が許されるのが、コンビニから家までのささやかな時間だけだということでもある。学校では他の教員に見とがめられるし、家のアパートはぺらっぺらの防音設備でお話にならない。

 

 「栄冠」は野球大会の開会式などでおなじみの定番曲だ。私が吹奏楽部員だった頃もさんざん吹いたものだ。こんな希望に満ちた曲であっても、月夜に歌っていたら何気なく寂しさを帯びてしまう。急ぐ用事がなくても、帰宅に歩を進める足は止まらない。

 

 中学の頃はこんなに一人が寂しいとは思っていなかったような気がする。でも、子供の時にそう思っていたことにすら、多少の気恥ずかしさを感じてしまうのは、月並みな心の動きだろうか。

 私は誰もが青春に後ろめたさを感じていると思っている。みんな、学校に叶えられなかった何かを置いてきている。その持論と、中学生の頃のことを思い出したくないと感じることの関係性はよくわからないが、何となくつながっている気がする。


 私が、置いてきた「何か」の場所ははっきりしている。中学のときの夏のコンクールが終わって、学校に帰って来た時のことだった。


 私は自分と同じサックスパートの先輩と仲が良かった。二人で遊ぶこともあったし、先輩の最後のコンクールに際しては、激励のメールやら通話やらプレゼントやらもにょもにょ……。まあ、その他色々をしていた。あの頃はそういうイベント的なものに真剣になれてたんだなぁ、と他人事のように思う。


 楽器を音楽室に運び終え、インターバルが入った。なんの仕事もない時間に、袖をつままれるような感覚で、ちょいちょいと先輩に呼び出された。呼び出されたのが教室だったことと、パート練に使っていた教室でないことだけは確かなのだが、具体的にどんな空間だったかよく覚えていない。だけど、時間的にも西日がきつくて、背面黒板のあたりに飾られていた水槽に金魚が二匹いたことはなぜだかよく覚えている。


 そこで、不意に私は先輩に告白された。


 先輩と付き合い始めても、すぐ受験で忙しくなって会えなくて。そのまま先輩は都会の高校に進学した。

 捨てられたとも、別れたともつかない、限りなく自然消滅という言葉が似あう転帰だった。


 ……淡白に感じるが、本当にこんな調子だった。今思うと先輩は思い出が欲しかったのかも。好きってことを付き合うっていう結果で現したかったのかなと思う。


 これは私から見た一方的な現象で、実際には先輩の方で何かしら心変わりがあったのかもしれないし、自分から積極的に誘ったのは、デート一度きりだった。

 私自身、先輩のことをちゃんと好きだったのかどうかも、今となってはわからない。



 家に帰るとコンビニの袋を無造作に置く。量の少なさが気になるが、中華丼はそれなりにおいしそうだ。コンビニ弁当も、ラインナップがそれなりにあって飽きは来ない。

 ただ、いつも思うのが、何重にも加工されたものだけが24時間並ぶ、コンビニという空間は、あまりにも世界に馴染みすぎてはいないか? ということだ。あれだけ人工的な存在にもかかわらず、まるで当たり前のような顔をして鎮座している。まるでコマーシャルの無いニチアサアニメのようだ。


 もさもさと食事を終えると、もうやることもなく、さっさと風呂に入ることにする。


 風呂の中で、不意に帰り際に思い出していた昔のことが頭に浮かぶ。昨今、「好き」とはなにか考えるのは大変難しい。ツイッターで流れてくるものに、いいねを付けるか付けないか、その二択を何度も重ねた先に自分の「好き」があるのだろうか。


 「好き」とはどうも不定形なものな気がする。そのことを、あの頃の私も今の私も、どうも実感しかねているような気がして。それが、自分の百合好きに繋がっているのかも。


 まあ、学校の二人、結月ちゃんと真理ちゃんがどういう風に進展していくか、妄想することぐらいしか今はできない。他にやることもないし。ゴミみたいな人生だな。


 すれ違いは人生になかなかの禍根を残す。二人には慎重に自分の感情を見定めていってほしいと願う。……しかし若さの一番の利点は自分の感情を不定形にさせたまま突っ走れるところだとも思う。


 人を教え導くというのは、一筋縄ではいかない。結局は本人たちが勝手に育ち、勝手になにかを追いかけるのを見守ることしかできないんだろう。

 なんだか、それって百合作品鑑賞に近いところがありませんこと?

 


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