こいつ教師の資格あるか?
『じゃ、今日はこんなところですかね~。火曜日、いつものラジオなんで、よろしくお願いします。ふつおたのテーマなんだっけ? ……ああそうそう、「共感されづらい創作季語」ね。これな~、季節に対する解釈が一番試されるよね。まあ、細かいことは配信の時に話すけどさ。……うん、まあじゃあ今日も遅くまでありがと。んじゃまた』
あっつ……。なんで音楽室って空調ないわけ? っていうか副顧問の私が合奏を聞かされる意味とは? 顧問に「先生はどう思います?」とか言われても、「そうですね~、出だし揃ってきましたね」しか言うことないんだが? うちの子らが出だし揃えられないわけないだろ。
防音のためにマット敷いてあるし、寝っ転がっちゃダメかな。そしたら、パイプ椅子の下の生徒たちのおみ足が並んでみえて最高の景色なのだ。
窓開けて演奏できないのマジゴミだよな~。まあ、音響いた方がうまく聞こえるけどさあ。地域密着型の公立中学じゃ、近所の皆様のクレームに逆らうことはできないんだね。つら。
家帰って酒飲みてえ~。ストロングゼロとか最近流行ってるけど、あんなの貧者の飲み物だよな。通は、ウーロン茶をロックで飲む。100円そこそこでできる。ってそれただの冷えたウーロン茶やないかーい。は?
あれ、演奏終わったな。寝てたって思われないように、顔を微動ださせず、考え込む仕草。これで大概のことはごまかせる。
「先生はどう思います?」
「あっ、出だしが揃ってきたとおもいます」
絶対裏で、出だしぴったりおばさんって呼ばれてるだろ。
今日は休日練習なんで、合奏の後にパート練がある。パーカッションの移動を手伝ったあと、しばらく廊下をうろうろする。職員室戻ると、顧問に熱く指導哲学を聞かされるからな……。つまらん通り越して、暗唱できるわ。
蝉うるさいな、盛ってんのか? 土に潜ってる年数が奇数になってるのよくできてるよな。その繁殖に掛ける熱意は私も認めるところではある。それはそれとしてうるせぇ。
廊下には影が目立っていて、日差しに当たりたくない私は、彩度が落ちたような空間に身を置いて少しでも涼もうとする。ほとんど変わらないけどさ。
こんなに熱いんじゃ、子供たちには虐待だよな。だからといって、私にしてあげられることは何もないが。所詮公僕。
あちこちから暑苦しい練習の音が飛び交って入り乱れる。いろんな楽器の音が、まるで競争するみたいに空間を満たしているのを聞いていると、ちょっとした焦りを感じる。でもそれはいまここで立ち上がってきている感情ではなくて、自分が中学生、吹奏楽部だった頃に感じていたものが掘り起こされるような感じ。みんな練習しているのに蚊帳の外でそれを眺めさせられているような感覚。今、感じる分にはそう悪い気持ちじゃない。いまとなってはそんな生々しい焦燥感に追いかけられることはないから。どちらかといえば懐かしさの方が勝つのかもしれない。
そうしてふらついていると、音のしない教室の前に立つ。実のところ、全くこの教室を意識していなかったかというとそんなことはない。ずっとその方向へと注意を向けて、まるでサーモグラフィーでそこだけ色が変わってしまっている下手糞なスパイを見逃すように、見てみぬふりをしていた。でも足取りは確かにここに向かう。彼女たちの蜜月を泳がせていたんだ。
気づかれぬように足音を漸減させて、立ち止まる。まるで沈む海の中のように、さっきまでの空間から、まるで異なる流体に包まれたかのように音がぼやける。
「……あの番組……だけど……」
「何言ってるんですか。そんなの……じゃないですか」
「そうかな。私ああいうネタがすきなんだけど」
「えぇ……。趣味悪いですよ、それ」
つまみを少しずつ回すように、声に焦点が定まっていく。サボりの類、見つかってはいけないという感覚は知らず自分にも波及して、背中が丸まっている。さすがにドアから顔を出すとばれそうな気がするので、廊下側の壁の低い位置にある謎の窓から彼女たちを見つけ出す。ここからだと、ニーソと肌色で構成されたJCの足によってのみ、二人の距離感がわかる。
「ぐへっ」
「……? 今何か聞こえなかった?」
「え、聞き間違えじゃないですか」
危ない危ない。これではまるで犯罪者みたいだ……。
「ていうか、まーちゃんさあ……。敬語やめない? 二人っきりなんだし」
「嫌です。超えちゃいけない一線だと思います。あくまで先輩後輩なんですから」
その一線越えちゃいなYO! 割り込めない雰囲気醸し出しちゃいなYO!
「家にいるときもダメっていうじゃん! お姉ちゃんって呼んでくれないとやだ!」
「……もう中学生だし、そんな呼び方変じゃないですか。実姉でもないのに」
私の百合厨センサーによると、なにやら雲行きが怪しい。最近、先輩の結月ちゃんの方の押しが強くなっているように見える。それがまーちゃんこと真理ちゃんには、逆に働いているようだ。
「……まあいいや。明日もまーちゃんの家に行くからね!」
「それは構わないですけど、先輩、最近勉強してます? 成績悪くなってるって、おばさんから聞きましたけど」
「うっ……。もう、なんでお母さんそういうこと言っちゃうんだよ……」
「おばさんは悪くないです。今月テストなんですから、ちゃんと準備していかないと。勉強は積み重ねが全てですし」
うーん……、この会話の端々から感じられる香ばしい百合の香り……。こういうのでいいんだよな……。
「明日は勉強会にしましょう。ちゃんと勉強道具持ってきてくださいよ」
「ええ……。めんどくさい……」
真理ちゃんはこんなの慣れっこだというように、計画を立てている。
「じゃあ結月ちゃんが教えてよ! てとりあしとり~」
「気持ち悪いジェスチャーしないで下さいよ……。だいたい学年上なんだから無理でしょ」
二人の距離感はいい具合に近づいたり遠のいたり。直近の話をしてる分にはさっきのような、かすかな不協和音はない。いい調子だ……。
私が二人に目を付けたのは真理ちゃんが入学した、今年の四月から……ではない。いや、もちろん正確には真理ちゃんの名前も知らなかったのだけど、おととしからなんとなく結月ちゃんにはレズの香りを感じていて、探りを入れていた。
どうやら結月ちゃんには、二つ下の女の子がいて仲がいいこと、校区の関係でこの中学校に入ってくるらしいことを、聞かされていた。え、どうやって聞き出したかって? ……まあ、それは結月ちゃんが話してるのを盗み聞きしたり、結月ちゃんの友達が話してるのを盗み聞きしたりですが……。え、これって聞かされていたって言わないんですか?
いずれにせよ、期待通り、いや、期待以上の百合カップルだった。二年待った甲斐があった……。毎度ごちそうさまです。
そんな理由で勝手に二人の関係には思い入れがあり、幸せになってほしみがやばい。
「……白川先生。藤井先生が呼んでますけど」
申し遅れました、わたくし。廊下にはいつくばって、生徒に蛆虫を見るような目で見られているこのわたくし、白川百合と申します。この名前好き。
「……うん。床のシミの数、数え終わったら行くね」
絶対裏で、妖怪床舐めばばあって呼ばれるだろ。