7 対面
水戸に馴染みのない方のために紹介すると、水戸黄門で有名な所です。
廊下には誰もいない。
見慣れているはずのそこが、やけに不気味に見える。
普段なら気にも留めない切れかけた蛍光灯や、仄暗い非常階段が雰囲気バッチリだ。
いつまでもここにいるわけにはいかない。いかに恐ろしくとも、ここは避けては通れぬ道なのだ。家と言う名のセーフゾーンは目の前だ。
「ふひゅっ、ふひゅっ、おえっぷ」
吐瀉物の匂いがするげっぷで我に返った。迷っている暇はない。右を見て左を見て、もう一回右を見て、僕は駆けだした。
「廊下なげえー!」
叫んでも恐怖は消えない。目の前のなにかを掴むように手が宙をかく。遅い遅いマジ遅い。僕の脚はまるで水中を行くがごとく、恐怖と言う名の抵抗を受けて、思うように前に進まない。それでもなんとか部屋の前にたどり着いた。ポケットから鍵を取り出すが、今度は指が動かない。ちゃりんちゃりんと小気味のいい金属音が廊下に響いた。ようやく部屋の鍵を探り当て、鍵穴にさしこもうとしたのだが、勢い余ってドアノブにぶつけ鍵を取り落としてしまった。
「あーもー!」
やり場のない怒りを声に出し、かがんで鍵を手に取った時、それが見えた。
なんの変哲もない運動靴だった。適度に履き古し、ところどころ薄汚れてはいるが、ボロボロとまではいかない。そんなどこにでもありそうな、大手スポーツメーカーの流通品。
恐る恐る顔を上げると、そこにはサングラスとマスクに覆われたあの顔。視界が揺れているのは、僕が震えているからだろう。
こいつはエレベーターに乗らなかった。最初から乗るつもりなどなかったのだ。僕がどの階で降りるかを階数表示で確かめ、非常階段を駆け上がった。そうとしか考えられない。
「ッ! ッ!」
声が出ない。
こういった場合、大声で助けを求めるのが定石と小学校で習ったにも関わらず、肝心の喉が用をなさない。
膠着状態はしばらく続いた。すると、おもむろに不審者がなにかを差し出したではないか。見れば、それは僕の通学カバンだった。逃げ出した時に落としてきたらしい。しかし、不用意に受け取るわけにはいかない。差し出した腕を掴まれ、ねじ伏せられるかも。
不審者は諦めたのか鞄を置くと、サングラス越しに僕を睨みつけてきた。
「佐久間幸平さんですね」
甲高い声だ。マスク越しなのでくぐもってはいるが、その断定的な口調は相手に有無を言わせぬ圧力に満ちている。
「お願いがあります」
「ななななななな」
なんでしょうと言いたい僕。
「私を」
不審者が、突然その身を沈めた。
(ズボンを下ろされる!)
僕はベルトを掴むと、渾身の力で引き上げた。
ちなみに、作者は水戸に2~3回しか行ったことがありません。もちろん、住んだこともないんですが…なぜ舞台にしようと思ったのか…。