6 佐久間くんは運動が苦手
足おっそいです。
「いやだああああああ! イタズラはいやだああああああああ!」
後ろを振り返る勇気は既になく、一刻も早く安全な場所、すなわち僕が一人暮らしをするマンションへと走った。今ほど己の鈍足を呪ったことはない。
一〇〇メートル走のタイムが女子も含めたクラスで一番遅く、体育祭では僕の出場する競技だけ捨て枠として扱われ、いつにもましていない者扱いされた時だって、これほどの憎悪を感じることはなかった。
「おせぇー! 僕足おっせぇー!」
別に自虐趣味に走ったわけではない。ただ声を出していないと正気を保っていられなかっただけである。しかし、どんなに遅くとも走っていれば目的地にはたどり着く。3LDKという、高校生の一人暮らしには贅沢な我が家! 両親が海外に赴く際に与えてくれた、僕の城! 心配性な母さんがオートロックのあるところにしたらと提案したが、学校と駅となにより天使に近いからと決めたエスポアリバティー水戸!
「オートロックゥウウウウッ!」
叫べればなんでもよかった。
しかし希望と自由とは、なんて素晴らしい言葉だろう。こんなにも素晴らしい単語を二つも備えた我が家が、安全でないはずがない!
僕の確信はより確かなものとなり、転がるようにしてエントランスに入り、エレベーターの『△』のボタンを猛プッシュ! 『開』のボタンを倍プッシュ!
階数表示が亀のように遅い歩みを進める中、ふと物音を聞いた気がした。
その瞬間、僕の体は硬直した。心臓だけがバックンバックン鳴っていて、これは全力疾走の直後だからという理由だけではないだろう。エレベーターはまだこない。僕は恐る恐る振り返った。
いた。やつだ。今度は姿がはっきり見えた。
マンションの外、電柱に身を隠しながら、こちらをうかがっている。夜だというのにサングラスをかけて、大きなマスクまでつけているので、人相はまったくわからない。身長こそ高くないようだが、濃緑のジャンパーに包まれた姿は威圧感たっぷりだ。
もうだめだ。僕は死を覚悟した。その時ふと体が軽くなった。背を預けていた壁がなくなったのだ。
いいや違う。正確にはエレベーターのドアが開き、僕はよろめきながら箱の中へと入っていたのだ。いつの間に後ずさりしていたのか、まったくわからない。しかしこれは好機! 『閉』のボタンを猛プッシュ! 『②』のボタンを倍プッシュ! 奴は追ってこない。扉が閉まる刹那、その身を少し動かしただけである。奴は追ってくることなく、扉は閉まった。
とりあえず助かった。気を抜けば、この場で腰が抜けおしっこを漏らしていただろう。
しかし僕は慎重な男。家に帰るまでが通学なのだ。エレベーターは、あっと言う間に二階へと到着した。
舞台は水戸です。




