2 彼女の奇行
ヒロイン登場。
「ほぁああああああああああああ!」
ドアの隙間。そこに二つの目があった。それは床から三〇センチほどのところから、僕を覗いていたのだ。
今、その目が歪み、綺麗な三日月型に変化した。
怖い。そして気持ち悪い。恐怖のあまり硬直していた僕の体は、酷く不自然な姿勢をしていたのだろう。重力に逆らえず床へとずり落ちてしまった。
ありえない。どう考えてもありえない。
まず、あの縦長の隙間の、しかも床から三〇センチ足らずの位置に縦に目が並んでいるのが、どう考えてもおかしい。もしこの目の持ち主が人間ならば、その人物は廊下に寝転がるようにして、こちらを覗いていることになる。
「ひひひっ」
(笑った⁉)
やはり気持ち悪い。しかし、この嫌悪感には覚えがあった。
「お、お前、佐々か?」
「ひひひひひひひ」
笑い声で返事をする何者かは、ゆっくりとその身を起こすと(と言っても、僕には二つの目がするすると上に移動したようにしか見えなかったが)、耳障りな金属音を伴い、ドアを開けた。
「師匠ださーい! 変な声出してた! ほぁあああああああだって! ひーっひっひっひ!」
そう言って僕を指さし腹を抱えて笑うのは、やはりと言うべきか、佐々(ささ)翠だった。
染めてから少し時間がたってプリンになりかけた薄茶色の髪。しゃがんだら下着が見えそうなくらいに上げられたスカートをはいている。制服を内から押し上げる胸元は意識的に着崩しを行ったのか、申し訳程度にリボンがぶら下がり、白い肌が覗いていた。
「・・・・・・お前、もしかして廊下に寝転んでいなかったか?」
「わー、よくわかったね」
(ああ、わかってしまったよ。信じたくはなかったけどね・・・・・・)
この、どこからどう見ても今時の女子高生にしか見えない世紀の変人女こそは、僕が所属する(あるいは強制的に拘束されている)文芸部の部長・佐々翠だった。
佐々は己の体を見下ろし「わっ、埃いっぱい!」と叫ぶと体のあちこちを叩きまくって、なぜか足まで動かしその場でくるくる回転を始めた。さながらできの悪いタップダンスだ。
「それにしても、なんでほぁああああああああなんて叫んでたの? ひひひひひ」
「うるさい。ドアの隙間に正体不明の目玉が二つも並んでいたら、誰だって驚く。それと、その変な笑い声はやめろ、気持ち悪い」
「えっ! ウソ⁉ 私の笑い方ってキモイの⁉」
失態の照れ隠しのために適当に言ったのだが、予想外に効果があったらしい。
佐々翠は誰よりも常識を求める、非常識人なのだ。
「変だね。まるで魔女だ。少なくともひーっひっひなんて笑う人間を僕は見たことがない」
「えー、でも師匠が面白すぎるのも悪いと思うよー? なんて言うの? ああいうのを無様っていうんだね。爆笑。もっかいやってよ。動画撮るから」
(ああもうムカツク!)
制服のポケットに手を突っ込み始める佐々。しかしケータイが見つからないのか、上着やスカートをあちこちまさぐっている。ただでさえ短いスカートがひらひら揺れて、とても危うい。かがんだ拍子に見える胸元も同様だ。
僕は目を逸らした。
頬が紅潮しているのがわかる。別に、彼女の下着の色を目の当たりにしたからではない。
あれやこれやと言い返したいのは山々だが、それらすべてが暖簾に腕押しとなるのは目に見えて明らかなのでぐっと我慢する大人な僕。
そう自分に言い聞かせ、なんとか堪えたのが原因だ。
なにせ、こいつは佐々翠だ。
なにがきっかけとなり、また悲劇が巻き起こされるか、わかったものではない。
こんな文学少女はイヤだ。そんなキャラを思い描いていたら、佐々さんができました。