四章
燃料電池というものがある。
水素と酸素から電気と水を作り出す、クリーンエネルギーだ。
この社会では当たり前に使われているが、何年か前までは
新エネルギーとされ、高級品扱いされてきたものだ。
「……こんなちっこいものに、そんなもん詰め込めんのかよ」
「だが、俺の目に狂いはねぇ………かもな」
「自信ねぇのかよ!」
と、見事につまらない親子漫才を繰り広げる、捺伎とその父親。
父親の部屋に捺伎と二人、机の前に立ち竦み、作業をしていた。
周囲は機械で埋め尽くされている。
それは、小学校の理科の実験で使うようなものから、大学院の専門家でも使わない
ような代物まで、その種類は多用だ。
おかげで、部屋の中には1畳分のスペースしかない。
「んでもな、みてみろ」
父親が近くにある電圧器を指差した。
「…これは……見事だな…」
捺伎も感嘆する。
「あぁ、見事だ…」
電圧器の針は、見事に振り切れ、取れていた。
父親は無言でその電圧器に針を付け直す。
「こんなに電気を詰め込むことは、物理的…いや化学的に不可能だ」
「いや、科学な……って言葉だけじゃ伝わんねーけどさ…」
「…要は、こいつは常に自分自身で電気を作り上げてるってわけだ」
人差し指をピンと立て、得意げな顔をする父親。「つまり、こいつは電池だ」
「いやいや、意味わかんねーから。何だよ、つまりこいつは電池だって。
自分で電気を作ってるからって、それは電池じゃねぇだろ」
激しくツッコミを入れ、勢いよく反論する捺伎。
それでも、父親の方は相変わらず得意げだ。
「実際、乾電池ってのは、電流が流れないと電気を発しない。
それに、親父の理論から言うと、電気うなぎも電池だぞ」
「…………」
その比喩に、しばし考え込むと
「…しまった〜。そうすると雷雲も電池になっちまうー」
などと一人で叫んでいた。
「これで…いいか……」
額に浮かぶ汗を拭い、満足そうな顔を浮かべる父親がいた。
「……あのな…親父」
「おう、終わったぜ!」
ぐっと親指を突き出し、ガハハと大声で笑った。
「いや…あのな……」
「なんだ?不満なのか?」
頭に疑問符を浮かべ、わななく捺伎を覗き込んだ。
「窒素充電式小型内蔵電池を、通常の単三式電池対応のシャトルに
置き換え、万一中身を見られても一目じゃ分からないように、電池
そのものを二段式にして、片側で計三本を使って―――――」
「聞いてねーよ…………あのな、なんで俺が怒っているか分かるか?」
「…さあな。お前のモリーを勝手に改造したことか?この電池で
走れるように…」
捺伎の体に溜まった怒りが、拳に集まる。
「…それはな……」
「…それは…なんだ?」
「俺が…俺には今日講習があるということだー!」
強烈な一撃が父親に入った。
「ふぅ…いやぁ…お待たせさせてしまいましたね」
「…いえいえ、お構いなく」
「構いますとも…大事な客人なんですから」
「ふっ、エルサイオル卿にそんな事言われると、皮肉にしか聞こえませんね」
「おやおや、ご挨拶ですねぇ…」
少々狭い部屋…とは言っても、それは彼らのいる部屋以外と比べて
いるからであり、実際は、三十畳ほどの広さのある部屋。
そこにいるのは、二人。
一人はエルサイオル卿。もう一人は、捺伎にアタッシュケースを渡した男だ。
「ちょっとばかし荷物が届いたものでしてね、急ぎの確認が必要だったので…」
「あぁ、もう良いんですよ。今こうして話せているのですから」
「…そうですか……では、本題に入りましょう」
エルサイオル卿が右手の指をパチンと鳴らした。
同時に、ドアが開き、執事が入ってくる。
「御呼びでしょうか…」
「この間届いた、あの紅茶…何て言ったか…あの紫の――」
「ジェルオンガルルーバですか?」
「あぁそれだ。それと、適当な菓子を頼む」
「御意に」
静かにドアを閉め、執事がいなくなった。
暫く、静寂に包まれる。
「…確かに造ってきましたよ、この二つの薬……」
その均衡を男が破る。
手元にあったかばんから、オレンジの小さな巾着袋を取り出した。
「流石ですな、我輩の無理を実現させてしまうなんて…」
その小さな巾着袋を、目の前の机に置く。
「苦労しましたよ、この二つは…なんせ、実験対象が動物ですからね。
効果の程が今一つ分かりにくいのですよ」
「…なんだ、人体実験はしていないのか……」
当たり前と言うように、エルサイオル卿が言った。
「…………」
「…何か言いたそうな目をしているな……」
ガチャっとドアが開く。
男が話そうとした時、ちょうどいいタイミングで
「失礼致します。お茶とお菓子をお持ち致しました」
執事が入ってくる。
テーブルの上に、すばやく物を置くと、そそくさと出て行った。
エルサイオル卿が一口啜る。
「…ふむ…興味深い味だ……」
それを聞いて、男も一口飲んだ。
「……ほほう…なるほど…」
一体どんな味なのかは、まったくわからない。
二人はその味に興味を示し、そのまま飲み続けた。
「それでは、用は済んだので、私は帰らせてもらいますよ」
男が目の前に出されたお菓子と紅茶を全て平らげ、席を立ち上がる。
「おや、そうですか…特に主な話もできませんでしたね」
ドアノブに手を掛け、少しまわした。
「世間話をする様な柄では無いでしょう」
「ふふふ、まぁ、そうですな…」
「あぁ…一つ話しておくのなら……」
思い出したように、男が振り返った
「我々の姫は、くれぐれも丁重に扱って下さい」
その一言で、部屋の空気が凍りつく。
一瞬にして、二人の間に亀裂が生じる。
「……今、なんと…」
「我々の姫、アミテルシア様を丁重に扱うようにとお願いしたのです」
「………」
「分からないと思いましたか?この私に」
「…それは、この我輩の城の造りを知ってのことか…」
「えぇ、此処に来るまでに一通りの装置は確認できました」
ドアノブに掛けた手を離し、エルサイオル卿を見る。
「断崖絶壁の場所に建てられた忌城。海に囲まれている為、侵入・逃亡と
共に不可能」
「………」
目を細めて、エルサイオル卿が男を見る。
「仮に船や飛行機で此処から抜け出せられたとしても、一番近い陸までは
軽く200キロはある」
「…どうやら、理解はしているご様子だ」
「ふっ…殺気を隠せないのですねぇ……殺されては困るので、これで失敬」
卑屈な笑いを残し、男がドアを開ける。
「待て」
エルサイオル卿のその言葉に、一旦止まる。
「…姫が此処にいると、なぜわかった…」
体半身外に出し、再度振り返る。
「……分かるんですよ…私たちには……」
「彼女の目の力の事か…」
「……ご想像にお任せします」
「っひゃーーー!」
玄関をものすごい速さで飛び出し、捺伎は駅へと急いだ。
もちろん、線路を使って自力で大学に行くためである。
「…けっ、行ってきますも無しかよ」
父親が、小さくなっていく捺伎の背中を見つつ、悪態をついた。
「…何にも起きなきゃ良いんだがな……」
脇道から捺伎のすぐ後ろをつけていった集団を見ながら、ため息をついた