犯罪者差別
犯罪者だって人間だ。
私は、犯罪者批判について疑問を持った。
最近の出来事として、30年前に起きた女子高生コンクリート殺人事件の犯人の一人が出所したと言うニュースがある。
それを機に事件を知った方も多いのではないだろうか。
その事件はあまりに卑劣で、それを知る人の多くがその犯人に最悪の評価を下すかもしれない。それはある意味当然の事だと思う。
ある意味とは、それを当然だと思わない方への予防線なので気にしないでください。
では、その最悪の判断をされた人間は人間では無いのか?
犯罪者とは人間では無いのか?
いや、人間だ。
人間だ。どんなに人を苦しめようと、どれだけの人間の命を無下にしようと法律が生かしている限り人間では無いのだろうか。
では、人権は有るのではないだろうか。
無意味にそそる情報に熱くなり、一晩眠れば忘れてしまう様な方が、一時の興奮から誹謗中傷しても許されるのか。犯罪者だから許されるのか。
犯罪者にも人権が有る。それは事実ではないのだろうか。どれだけ喚こうが、叫ぼうがそれに変わりは無いのではないだろうか。
誹謗中傷はしてはいけない事、これは事実ではないのだろうか。
社会のルールを守ろう。差別は辞めよう。偏見は辞めよう。そこからなのか、そこから言わなければいけないのか。
犯罪を犯した方はルールを破った代償としてペナルティを負った。これ以上外野が何を言おうか。何か言えることは有るか。
犯罪はいけないこと、だから罰を受ける。
これがルールだ。
外野がその方の社会復帰の妨げをして良いものか。全てを晒した人間をこれ以上どうしようと言うのか。死体蹴り、寄って集って私人を批判するのか。
行き過ぎではないか。図に乗りすぎではないか。気に食わないと言って死刑にするのか。若い人材を見捨てるのか。
法律は復讐の道具でも無ければ犯罪者を甘やかす物でも無い。
被害者と被害者の身内、傷付く方々の気持ちを考えろ 。と、言うのなら。
加害者の気持ちは?加害者の身内の方々の気持ちは?罰を受けきっても、それでも見ず知らずの方々から絶え間無い妨害を受けなければいけないのか。
ミイラ取りがミイラに為ってはいけない。
温故知新、今こそ考えてみませんか?
犯罪者が何だって言うのか?関係有るのか?
いつもの様にしらばっくれていれば良いものを。
何故、無駄に感想など抱くのか?
珍しく感情移入でもしてしまったのか?
たまたま耳に入った情報で、皆の怒りに触発されたのか?
堪ったものではないだろう。
気分で晒されて、気分で罵られて、それも務めだと暴論を飲まされるのだ。
自分だったらどうか?
国民皆平等を元に、
もう少し考えて、もう少し冷静に、もう少し自分を持って生きてみてはどうだろうか。
法律を批判するのなら対案を出す。
先人が推敲を重ねて作った物を、つまらない浅はかな考えで簡単に批判してはいけない。貴方の事でも有るのだから。
他人事にしてはいけない。
悔しい現状が有るのなら、自分でそれを変えなければ誰も何もやってくれない。
貴方が何を言おうと
日本で犯罪者差別は、私人への行き過ぎた批判はいけない事ですよ?