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ヤマンバGirl

作者: さとうさん

異世界は割とすぐ近くにある。

 三枚の御札という昔話がある。


 昔、山で道に迷った小僧さんが困り果てていると、何処からともなく優しそうなお婆さんがやって来て小僧さんを助けてくれた。

 

 しかしそのお婆さん。実は恐ろしい山姥だったのである。小僧さんを油断させて食べるために、優しいお婆さんのフリをしていたのである。


 「急げ急げ!」

 

 町外れに有る、深い山の中。

 猛烈な風が吹き、激しい雨が打ちつける。

 山の天気は変わりやすいと言うが、それだけではない。

 

 「だから僕は台風が来るってのに、カブトムシ捕りなんて止めようって言ったんだ!」

 

 台風が来る事は聞いていた。しかし朝方はまだ曇り空だった。

 

 「うるせぇ! 黙って走れ!」

 「嫌だぁ。濡れちゃう!」


 小学三年生。好奇心旺盛の幼い三人の冒険者たちは、計画の変更を嫌い無謀にも挑戦する事を選んだのである。

 近くの友達の家に行くだけ、と親を騙してまで。 

 

 「淳也(じゅんや)が言ったんだろ! この山にはカブトムシが多いって!」

 

 体格が良く、クラスでもガキ大将と見られている健治(けんじ)が吼える。

 

 「僕だって噂で聞いただけだって言ったじゃん! そもそもカブトムシは夜行性なんだから!」

 

 細身で眼鏡を掛けた、クラスの千恵袋で通る淳也が反論する。

 

 「もう、こんな時に喧嘩しないでよ!」

 

 ミディアムのボブカットが可愛らしい、クラスのアイドルである(さき)が諌める。

 

 「あ~もう来るんじゃなかったし!」

 

 悪天候の影響で薄暗くなった山道を、ひたすら走る。

 しかし何処までも続く深い緑色の景色は、拙い方向感覚を容易に狂わせた。

 

 「あれ?」

 

 淳也が戸惑いの声を上げる。

 

 「道、こっちだっけ」

 

 見覚えが無い分かれ道。いや見ていたとしても、同じような景色の連続である山林だ。記憶も曖昧である。

 

 「嘘でしょ?」

 

 咲が失望の声を漏らす。

 

 瞬間、ガゴンと雷鳴が響いた。雷を伴う台風は珍しいと言うが、運悪くその『珍しい』に当たってしまったようである。

 

 「きゃっ!」

 「とにかく走れ!」

 

 割れるような健治の怒号に押され、果ての見えない道を進む。

 

 「おかしい。僕達、来る時はこんなに歩いてない気がする」

 「道を間違えたって事!?」

 

 強い不安に襲われる三人。無常にも天気は悪化の一途を辿る。

 

 「はぁ、はぁ」

 

 疲れ果てて、とぼとぼと歩く。連続した同じような景色。進めば進むほど不安は大きく募った。

 二十分程歩いたところで、少し開けた場所に出る。

 

 「どこだ、ここ」

 

 其処だけ切り抜いたような小さな広場。その真ん中にポツンとお堂のような物がある。来る時はこのような建物、見ていない。

 

 「本格的に迷ったかな」

 

 淳也がため息をつく。

 

 「迷ったかな、じゃねえだろ! どうすんだよ、夜になっちまうぞ!」

 「健治が聞かずに適当に進むからだろ!」

 「何だと!?」

 「だから喧嘩しないでって言ってるでじゃん!」

 

 万事休す。取りあえずの一時凌ぎに、お堂の軒下へ雨宿りする。

 

 そのお堂は幅が大人の肩幅二人分くらいと狭く、管理はされているようだが薄汚れていて、損傷も目立つ。随分と昔の物のように見える。

 

 「おい、もっと詰めろ! 肩に雨が掛かってんだよ!」

 「仕様が無いだろ! 狭いんだから」

 

 激しい雨が、お堂のトタン屋根を打ち付ける。現在、十六時。このままでは見知らぬ山中の、頼りないお堂の下で夜を迎える事になる。

 

 「携帯は? 咲、携帯持ってるよな? 迎えに来て貰おうぜ」

 「だめ……圏外」

 

 深い山の中、アンテナは消失していた。

 

 「あぁ、くそ!」

 

 悪態をつき、健治がお堂に寄りかかる。

 

 「なぁ、このお堂に入れねーのか?」

 

 お堂には格子状の扉が付いており、その内側に空間があった。

 

 「やめろよ。罰が当たるぞ」

 

 淳也が諌める。

 

 「ふーん」

 

 ふいに興味を引かれた咲が、お堂の中を覗き込んだ瞬間「ヒッ」と小さな悲鳴を上げた。

 

 「なんだよ」

 

 健治も釣られて中を見る。

 其処にあったのは古ぼけた鬼の石像と、山神と書かれた石碑だった。

 

 「鬼……?」

 

 「そう言えば、お婆ちゃんから聴いたことが有る……」

 

 咲がくぐもった声で語りだす。

 

 「町の外れにある山は山姥が住んでいる。絶対に近づいてはならぬ――って」

 「お、おいおい迷信だろ?」

 「僕もそれ知ってる。鬼ヶ淵山(おにがふちやま)の事でしょ。町の外れ……。もしかしてこの辺りじゃないか?」

 「淳也テメェまで変なこと言うんじゃねぇ! この時代に山姥なんて居るもんか!」


 健治が取り乱す。

 

 「山姥はね。山に迷い込んだ人間を殺して……た、食べちゃうって!」

 「だから昔話だって! なぁ!?」

 「殺されたら……どうしよう……明日、咲の誕生日なのに」

 

 咲の目に見る見る涙が溜まっていく。

 

 「落ち着けよ! な!」

 「こんな危ない所に来て絶対ママに叱られる。うぅ……ぐす」

 

 咲だけではなく淳也もぐずりだす。

 

 「泣くなって言ってるじゃんかよぉ!」

 

 泣き出してしまった二人につられ、健治も不安や悲しみが込み上げて来る。

 

 「うわぁぁあん!」

 

 とうとう三人とも泣き出してしまった。無理も無い。小学校三年生にとって見知らぬ場所、得体の知れない恐怖に抗えるはずも無い。

 

 夜が近づき、薄暗かった空が更に黒く染まっていく。

 雨風は無慈悲に勢いを増し、幼い体を濡らし続ける。


 どうしていいか解らず、泣きじゃくる三人。どのくらい時間が過ぎたであろうか。

 

 「……どうしたの?」

 

 それは本当に突然だった。いや雨風と自らの泣き声で、その接近に気付かなかっただけかも知れないが。

 

 「……こんな日に、こんな所に何の用?」

 

 三人の目の前には赤い傘を差し、レインコートを羽織った同年代くらいの女の子が立っていた。長い黒髪が、風に煽られ激しく振り乱れている。

 

 きょとんと目を見合わせる。

 

 「……まぁいいや。ごめんなさい。少しだけどいて貰えますか」

 

 女の子がお堂を指差す。

 

 「え……お、おう」

 

 困惑し、言われるがまま道を開けた。

 

 「……ありがとう御座います」

 

 物静かな女の子は持っていた鍵で扉の南京錠を開けると、二度お辞儀をして拍手を打つ。

 

 「……雨風が強いので、今日は持ち帰ります。ごめんなさい」

 

 そう語りかけて、お堂の中にあったお供え物と思わしき品を回収する。

 

 「……ふう」

 

 再び扉を閉めて鍵をかける。

 

 「……皆も、早く帰ったほうが良いよ。あと数時間でボウフウイキ? に入るそうだから」

 

 嵐の中、立ち去ろうとする女の子。慌てて淳也が呼び止める。

 

 「ま、待って! 君は何処から来たの!?」

 「……えっと」

 

 突然の質問に彼女は戸惑う。

 

 「僕達、道に迷ってるんだ! お願い助けて!」

 

 藁にも縋る思い。地獄に仏。彼女なら地域に詳しいのかもしれない。

 

 「……私は、すぐ其処の家から来たの」

 

 彼女の指差した先、朽ち果てた鳥居の向こう。木々の間から薄っすらと屋根と思わしき物が見える。先ほどまでは余裕も無く、気付かなかった。

 

 「……麓に降りるなら、私の家の前に道が有るから、其処を四十分位歩けばいいよ。そうすれば大きなコクドウ? に出る」

 「よ、四十分?」

 

 この時間、この天候では絶望的な長さだ。しかも国道に出た所で其処から家まで何キロ有るか検討も付かない。

 三人が固まってると、女の子は状況を鑑みて不憫に思ったのか、違う提案をする。

 

 「……取りあえず、家に来る?」

 「いいのか!?」

 

 ぱぁっと健治の顔が明るくなる。この状況ではこの上ない提案だ。

 

 「……いいよ。付いて来て」

 

 そう言って彼女は歩き出す。

 

 「やったなぁ淳也!」

 「あぁ、どうなる事かと思ったよ」

 

 浮かれる二人を他所に、咲の表情は暗い。

 

 「どうしたんだよ咲。疲れたのか?」

 「馬鹿!」


  咲は健治の耳を掴み、コソコソ耳打ちする。

 

 「忘れたの!? この山は山姥の住む山なんだよ!?」

 「そ、そんな事も言ってたな」

 「あの子が山姥だったらどうするの!?」

 

 淳也がうろたえる。

 

 「え、だってあの子、お婆さんじゃないし」

 「山姥が化けてるかもしれないじゃん!」

 「嘘だろおい」

 

 健治も少し不安を覚える。

 

 「こんな何も無い山の中に住んでるなんておかしいじゃん! 家に入ったら捕まえて食べる気なんだよ!」

 「どうする? 逃げるか」

 「逃げるって何処へ?」

 「でも山姥は物凄いスピードで走れるって聞いたし……」

 

 三人で頭を寄せ合い、あ~でもない、こ~でもないと議論を交わす。三人揃えば文殊の知恵と言うが、所詮は小学生。有効な打開策が出てこない。

 

 「……何やってるの?」

 

 女の子に声を掛けられ、ビクッと体を震わせる三人。

 

 「……早くしないと風邪を引くよ」

 

 恐怖は拭えない。しかし、代替案は出てこない。不安に駆られながらも、恐る恐る付いて行く。

 どうすればいいのか。考えが纏まらないまま森を抜け、急斜面に作られた木製の粗末な階段をトントン下る。

 そんな中で、咲が勇敢にも彼女と会話を試みた。

 

 「あなた……お名前は?」

 「……私はキウチ アヤ」

 「見ない顔だよね。田舎里(いなかざと)小に居た?」


 田舎里小学校は咲らが通う小学校だ。全校生徒は約百二十名と少ない。

 

 「……ううん。鬼ヶ淵小。三年生」

 

 鬼ヶ淵小学校は隣の校区だ。過疎により廃校の危機に晒されているらしい。偶然にも同学年であった。


 「こんな所に住んでて大変じゃん?」

 「……そうかな。良く言われるけど生まれた時からこんなだし、解んない」

 

 階段を下りきり、藪道を抜けると目の前に大きな家が現れた。

 

 「おぉ……」

 

 健治が思わず感嘆の声を漏らす。

 その家とは木造の平屋で、立派な萱葺き屋根が有り、明治以前の農家を思わせる巨大な古民家だった。子供だけではなく大人でさえも固唾を呑むような堂々たる住居である。

 

 「すごい。こんな家がこの町に有ったなんて」

 

 淳也も珍しそうに見渡す。

 

 「……すごいの? あまり実感が無いけど」

 

 咲もぐるりと周辺を見回し「本当に山姥の家みたい……」と呟いた。

 軒先に着いたアヤは傘をたたみ、古めかしい引き戸を開ける。

 

 「……入って良いよ」

 

 「お邪魔します!」

 

 すでに恐怖よりも好奇心のほうが勝っている健治が飛び込む。続いて咲も警戒しながら中へ入った。

 

 「おいおい、騒ぐなよ」

 

 最後に淳也が入ろうとしたその時、フッと偶然にも入口の表札が目に入る。

 

 瞬間、淳也の足は止った。

 

 「うわぁ、なんか変わった匂いがするな!」

 

 古民家独特の土っぽくて酸っぱい匂いがツーンとする。例えるならば学校に在る、入る事の少ない倉庫や空き教室のような匂いだ。現代の家に住むと、嗅ぎ慣れない匂いである。

 入り口入ってすぐの土間には見慣れない道具や古ぼけた竈が有り、その奥にある板間には近代化された台所が見える。

 

 「……靴は其処で脱いで。その障子を開けると中に入れるから」

 「おう!」

 

 障子を開け、屋内に入る。すると目に飛び込んできたのは、見慣れない家具や調度品の数々。健治のテンションは留まる所を知らない。

 

 「これは何だ!?」

 「……囲炉裏」

 「これは!?」

 「……糸車」

 「これは!?」

 「……祭りで使う人形」

 

 今までに見たことがない、お婆ちゃんの家よりも古い家。

 さながら幼い子供には不思議の国だろう。

 

 「囲炉裏、使ってみたい!」

 「……最近は使ってない。それに使い方もわかんない」

 「冬は使うのか!?」

 「……ううん。使わない。ストーブが有るから」

 

 アヤはパンパンとレインコートについた雨粒を払い、土間のハンガーに掛ける。

 「……今、タオル出すね」

 

 綾も靴を脱ぎ、囲炉裏のある板間へと昇る。

 ギィと古めかしい箪笥を開け、バスタオルを三枚取り出した。

 

 「……はい」

 

 渡されたタオルは家の古くさい匂いに反して、柔軟剤の心地良い香りがする。

 

 「他には誰も居ないの?」

 「……お父さんは仕事。お母さんとお婆ちゃんはお買い物。お爺ちゃんは……解んない」


  そこでアヤはタオルを渡すべき対象が一人足りない事に気付く。

 

 「……ねぇ、君は其処で何をしているの?」

 

 淳也が入り口の前から中に入ろうとしない。

 

 「キウチ……アヤちゃん?」

 

 淳也が恐る恐る声を出した。

 

 「おい、淳也。お前何やってんだよ」

 

 健治が不思議そうに尋ねた。

 

 シーンと場が静まり返る。

 

 淳也は出かけた言葉を二、三回飲み込み、しかし意を決したように続けた。

 

 「ねぇ、アヤちゃん。あれは何?」

 「……ノコギリ」

 

 壁には通常では有り得ない程、大量のノコギリが所狭しと掛けて有った。

 

 「あれは?」

 「……鉄砲」

 

 これも普通の家庭に有るものではない。

 

 「ちょっ……」

 

 咲の顔が一瞬で青ざめる。

淳也は再度唾を飲み込み、震えた声を搾り出した。


 「ねぇ、アヤちゃん?」

 「……」

 「き、キウチって苗字さぁ。どんな漢字で書くの?」


 咲と健治が顔を見合わせる。アヤはそんな2人を知ってか知らずか、涼しい顔で淡々と答えた。


 「キウチのキは鬼と書いて鬼。ウチは福は内の内。2つ合わせて鬼内。鬼内綾」


 ガゴンと雷鳴が轟き、古い家を照らす。


 「おおお鬼?」


 健治が溜まらず後ずさる。


 「……そうだよ。鬼」

 「な、なんでそんな名前」


 咲が恐怖に満ちた声で尋ねる。


 「……だって」


 綾はそんな咲を一点に見つめ、静かに答えた。


 「……私、山姥だもん」


 ガゴンと再び雷鳴が轟く。雨はこれまで以上に強さを増し、風はうねりを上げる。


 「ひっ!」


 思わず尻餅をついた咲に綾がスススと素早く歩み寄る。

 瞬間ヌッと顔を咲に近づけ、至近距離で目を合わせた。


 「ひゃあ!」


 あわや口付けも出来そうな距離。壁際に追い詰められ、逃げ場もない。肝心の男どもは怖気づいて頼りにならない。

 咲は目に涙を溜め、恐怖におののく。


 その耳元で、綾は世にも恐ろしい声で呟いた。


 「……食べちゃうぞ……」


 「い、嫌あぁあああああ!」


 手で顔を覆い、必死にガードしようとする咲。

 何とか逃れようと手足をじたばた動かし抵抗を試みるが、綾はどんっと両腕で咲を挟み込むようにして壁にもたれ掛かる。


 「……白くてツヤツヤしててモチモチで……美味しそうだねぇ」

 「お、お願いします。何でもしますから命だけは助けて……」


 もはや恐怖で抵抗も出来ず、最後の勇気を振り絞り哀願する。

 心臓はドッドッドッと激しく脈を打ち、呼吸も困難なほどだ。


 「助けてください……。お願いします。助け……助けてぇ」

 「……くす」


 だが綾は怪しく微笑を浮かべ――


 優しく咲の頭を撫でた。


 「……嘘だよ」

 「え?」


 綾は楽しそうにクスクスと笑いながら咲から距離を取る。


 「……フフフ。今時、そんな妖怪みたいな人居るわけないよ」

 「お、おい! じゃあ山姥ってのは嘘かよ!」

 「……それは本当」

 「えぇ!?」

 「……でも食べちゃうのは嘘」

 「???」


 三人とも理解が追いつかず、硬直している。


 「で、でも山姥って言ったじゃん!?」

 「……そりゃ山に住んでるからねぇ」


 反応に困る咲。裏腹に綾は悪戯っぽく笑ってみせる。


 「……ごめんね。でも三人が影でコソコソと私を妖怪みたいに言うからだよ」

 「聞こえてたのか」


 健治と淳也がバツの悪そうな顔をする。


 「……耳のよさが自慢なの。山姥だからね」


 腰を抜かしている咲に綾がニコリと笑った。


 「……心配しなくて良いよ。お爺ちゃんが戻ってきたら、田舎里町まで送ってくれないか頼んでみる」


 綾は入り口で呆然としている淳也にタオルを渡し、手を引いて屋内に誘う。


 「……扉、閉めて。雨が入っちゃう」


  言われるがまま淳也は引き戸を閉め、慎重に奥へと進む。


 「……それにしても、さっきのアナタの反応ときたら。フフフ」


 さぞ悦に入ったのか、嬉しそうに咲の横へ腰掛けた。


 「……よいしょ」

 「――っ」


 咲はどんな反応をすれば良いのか、まだ解らない。そんな咲に優しい笑顔を向け、綾が語りかける。


 「……アナタ、お名前は?」

 「さ、咲」

 「……咲ちゃん。ね。アナタたちは?」

 「お、俺は健治」

 「僕は淳也」

 「……宜しくね咲ちゃん。健治くん。淳也くんも」


  綾は再び腰を上げて台所に向かう。


 「……お腹空いたでしょ? 驚かせちゃったお詫びにお菓子をいっぱいあげる」


 綾は吊り戸棚から人数分の湯飲みと急須を取り出した。


 「……こっちだよ」


 綾は土間横の囲炉裏部屋を抜け、更に奥の部屋へと進んでいく。


 「どうする?」

 「どうするって言っても」

 「この状況じゃもう、出るに出られないし」


 綾も怖いが外も怖い。門前の虎に後門の狼だ。


 「……来ないの?」

 「い、行くし!」


 意を決して咲が綾に続く。


 「お、おい咲! 大丈夫なのかよ」

 「もう、こうなったら信じるしかないじゃん!」

 「で、でも……」

 「情けない! それでも男の子なの!?」


 咲はプリプリと怒りながらどんどん進む。 さっきから地蔵と化してる男子達にご不満なようだ。


 「あーもう知らねぇからな!」


 健治と淳也も挑発されて仕方なしに付いていく。


 囲炉裏部屋の奥は、二十畳は有る広い畳部屋だった。途中敷居で区切られており、表座敷と奥座敷の二部屋構成である。縁側に面しており、快晴の時は日当たり、風通し共に良さそうだ。

 その表座敷側に大きなテーブルと座椅子が六つ。ここが鬼山家のリビングのようである。 電気ポットや大きなテレビ、エアコンまで有る。この古民家には似つかわしくない近代化された空間だ。もっとも、現代社会において家電に頼らない生活など出来ようも無いが。


 「……適当に座って」


 言われるがまま三人はテーブルに着く。テーブルは木製の漆塗りで、脇には装飾も施された大層立派な物である。所々の傷が年季を感じさせる。


 「……待ってて」


 綾は奥座敷の床の間にある木箱に手を合わせ、その前に有るお菓子を何個か持ってきた。


 「その箱は何だ?」

 「……オシラ様」

 「?」


 どうやら神様か何からしい。三人には知らないものだ。

 綾はテーブルの上にドサドサとお菓子を置く。


 「……好きなの食べて良いよ」

 「本当!?」

 「……普段は一日一個までなんだけど、お客さんが来た時は特別」

 「じゃあ咲はクッキー!」

 「俺、ポテチ」

 「僕も!」

 

 綾は急須に茶葉とお湯を入れ、トクトクと湯飲みに注ぐ。

 テレビを付けると、ちょうど夕方のアニメを放映していた。


 「……さて、こんな天気なのに、何で山になんかいたの?」


 綾も座椅子に腰掛け、輪の中に入る。


 「だって健治のヤツがカブトムシが欲しいなんて言うから」

 「お、俺の所為かよ!?」

 「だからって何もこんな日にねぇ。本当に馬鹿だし」


 咲が肩を竦める。


 「お前がカブトムシ見てみたいって言ったんだろ!」

 「あーそんな事言う! すごいカブトムシ見せてやるって言ったの誰でしたっけ!」

 「そもそも、今時カブトムシなんかではしゃぐなんて子供かよ」


 淳也が嘲た表情を見せる。


 「お前だって付いて来ただろ!」

 「違うよ! 健治が無理矢理……」


 黙って聴いていた綾だが、お茶を啜り一呼吸置いたあと静かに言った。


  「……うん。皆馬鹿だね」


 綾が微笑ましそうにクスクスと笑う。釣られて三人も照れ臭そうに笑った。


 「……それにしても田舎里から山を越えて鬼ヶ淵に抜けたって事は、相当歩いたんだねぇ」

 「そんなに離れてる?」

 「……山を越えないで道路を走っても車で40分くらいかなぁ。鬼ヶ淵は何も無いから、よくそっちへ買い物に行くもん」」

 「昼の十二時くらいからやってたからな」

 「……それでカブトムシ何匹捕れたの?」

 「う……零匹」

 「……あっはっはっ」


 綾が屈託の無い笑顔を見せる。その可愛らしい微笑みには、恐ろしい山姥の片鱗も感じさせない。

 

 「……カブトムシなら確かに多いけどね」

 「やっぱり多いんだ?」

 「……たまに縁側の網戸に止まってるよ」

 「マジで!?」

 「……庭の木に蜜を塗れば入れ食い」

 「おぉお!」


 男子二人が嬉しそうに聞き入る。


 「……でもこの天気じゃ、出てこないと思うけどね」

 「カブトムシもお家で大人しくしてるでしょ」


 主犯格の健治が何ともバツの悪そうな顔を見せた。


 「お、俺トイレ!」


 いきなり立ち上がる。


 「あっ、逃げる気だー」

 「ち、違げーよ! 馬鹿」


 咲の嘲笑にしどろもどろになりながら、健治は部屋を出ようとする。


 「……トイレは縁側に出て突き当たり」

 「お、おう!」


 勢い良く障子を開け、縁側に出る。縁側はガラス戸によって内縁と外縁に分かれた、所謂『くれ縁』タイプだ。内縁側は廊下として活用されているらしい。

 そのガラス戸の向こう、外縁側では激しい雨風が続いている。八月の十七時ではあるが、天候の影響で既に暗い。

 更にその廊下だが、照明が無かった。昼は良いだろうが、夜は障子から漏れる光が無ければ何も見えないだろう。


  トットットッと板張りの廊下を歩き、トイレのドアを開ける。そのトイレもまた見慣れない形状だ。

 洋式の座るタイプでは有るのだが、水洗タンクが見当たらない。それもそのはず、そのトイレは汲み取り式の、ボットン便所だった。


 「う……」


 便器の中は暗くて深い空洞となっており、落ちることは無いだろうが水洗トイレに慣れた現代っ子には異質であり恐怖である。


 強風の所為も有ってか、時折奥からはヒューヒューと風が通る音が聞こえる。


 「これ、終わったあとどうすんだ? 流さなくていいのか?」


  少し躊躇したが背に腹は代えられんとチャックを下ろし用を足す。

 流れ落ちる小便が水琴窟のように空洞内に響き渡る。


 「怖えーなここ」


 このトイレの板一枚向こう側は外である。ざーっと言う雨音と風の音がダイレクトに聞こえる。

 しかも立て付けが悪いのか、肌に風が触れるのを感じる。その風で天井の電球が揺られ、チカチカと点滅している。


 「ふぅ……」


 出しつくしてチャックを戻す。こんな怖い所、一秒たりとも長く居たくないと急いで扉を開けた次の瞬間――


 「ぎゃぁあああああああ!」


 という悲鳴が屋内に木霊した。

 居間に居た三人に戦慄が走る。


 「何事!?」

 「今の健治だよな!?」

 「……只事じゃ無い」


 三人は直ちに障子を開け縁側に飛び出す。


 「どうした健治!?」

 「健治くん!」


 トイレの方を見ると、健治が尻餅をつき、外を指差してわなわなと震えている。


 「あ、あれ……あれ!」


 指差す方を三人も見た。そして―――


 「ぎゃぁああああ!」

 「いやぁああああ!」


  咲と淳也も悲鳴を上げた。


 ガラス戸の向こう、雨風吹き荒れる景色の中――其処には猟銃を肩に掛け、大きな棒を持った老人が立っていた。

 目は鋭くギラリと光り、その姿は正に鬼を髣髴とさせる。


 「あああああああ!」


 ガクガクと膝を震わせ、抱き合う咲と淳也。 そんな二人をよそに、綾が進み出る。


 「……お爺ちゃん」

 「えっ!?」


 度肝を抜く発言を、他の三人が脳内で処理するより先に、綾はガラス戸を少し開けた。


 「……お爺ちゃん。どこに行ってたの」

 「おぉ、綾。こいらは綾の友達が?」

 「……ううん、さっき知り合ったの」

 「そうが。オラは近くさ〝イタジ〟が出はったらしいがらよ。頼まれで見回りばしとった」


 老人もとい綾のお爺ちゃんは棒を柱に立てかけ、銃を綾に渡した。


 「……何もこんな日に」

 「いやぁ、このままじゃ童を外に出せんと町内会が言うがらよ……仕方なく近くだけば回ってきたべ。婆ちゃんはどうした?」

 「……買い物からまだ帰ってない。この天気で遅れてるのかも」

 「んだが。へばオラは少し畑ば見てくるがらよ。ほら、雨が入っがら窓閉めぇ」

 「……あっ、待ってお爺ちゃん」


 去ろうとする祖父を綾が引き止める。

 

 「……この人たち、山で迷ってたの。田舎里町まで送ってくれない?」

 「あぁ?」


 お爺ちゃんは三人を見渡した。


 「うーん。そいつは気の毒だけんどよ。今、軽トラしか無ぇがら三人は乗せらんねぇど」

 「……三往復する?」

 「いやいや、この台風ん中で山を何回も通りたく無ぇ。畑さ防風ネットば張らなきゃなんねぇしよ」


 三人は顔を見合わせる。


 「んだばもう今日は泊まってもらえ。この天気じゃあ、その子らの親が来るのも大変だしよ」

 「えぇ!?」

 

 咲が驚きの声を上げた。


 「明日の朝には台風も過ぎるがらよ。そうすれば家のデカイ車で帰れるべや」

 「で、でも迷惑じゃないですか?」


 淳也が萎縮して尋ねる。

 

 「あぁ? 構わん。寝るところは有るがらよ。食うものも何とかなるべや」


 そう言うとお爺ちゃんは綾と二言三言会話した後、忙しそうに行ってしまった。


 「ど、どうする?」

 「どうするって言っても」


 咲と淳也が不安そうに健治を見る。


 「お、俺に決めろってのかよ!」

 「……どうしようも無い」


 スッと綾が間に入る。


 「……お爺ちゃんは頑固だし、お父さんは夜遅い。お母さんもきっと運転したがらない」

 「そんな……」


 「……迎えに来てもらうのもいいかもだけど、夜の山道は本当に危険。街灯も無いし、ガードレールが無い所もあるよ。しかもグネグネ道。慣れてないと危ない」


 ぞぞぞと三人に冷や汗が流れる。


 「……もう、覚悟を決めるしかないね」


 綾は口では心配してる風だが、事の他嬉楽しそうに笑顔を見せた。


 「ううう」


 可愛らしい顔でそう言われては、三人も抵抗し辛い。


 「……ふふふ。あ、私この鉄砲置いてくるね」


 トタトタと綾は土間のほうに向かってしまった。

 外を見れば既に周りは真っ暗で、雨風共に強く吹き付けている。


 「悪いヤツじゃ無さそうだしさ。泊まろうぜ」

 「そうだね」


 男子二人が決めたものの、一人咲だけは浮かない顔をしている。


 「どうした咲?」

 「ねぇ……三枚のお札って昔話知ってる?」


 二人はキョトンと顔を見合わせる。


 「聞いた事が有る様な無い様な……」

 「昔々……」


 咲きは声色を変えて話し出した。

 

 「あるお寺の小僧さんが栗を拾う為に山に入ったんだけどね。今日の私たちみたいに道に迷っちゃったの。小僧さんが困っていたら、優しいお婆さんがやって来て家に泊めてくれるって言ったのね」


 ごくりと二人が唾を飲み込む。


 「そのお婆さんはご馳走も沢山用意してくれて、お風呂も沸かしてくれて、小僧さんも安心していたのね。でも夜中にふと目を覚ますと、ショリショリと音が聞こえたの。何だろうって小僧さんがそっと覗いたらお婆さんが――」

 「覗いたら……?」

 「小僧さんを食べる為に包丁を研いでたの!!」


 ガゴーンと雷鳴が轟く。三人は青ざめた顔をして互いに目を見合わせた。


 「アイツ言ってたな」

 「あ……あぁ。私は――」

 「山姥だって……」


 再び強風が窓を打つ。今更、不用意に見知らぬ人の家に招かれた事を後悔した。

 少し打ち解けて油断していたが、やはり住む世界が違うと感じる。

 暗い廊下で辺りを見回す。古めかしい建物が急に恐ろしく見えた。

 

 「誰かお札、もってるか?」

 「もってる訳ないでしょ! 何言ってるの!?」

 「シッ! 淳也くん、声大きいから! あの子に聴かれちゃうじゃん!」


 額を寄せて話し合う。


 「逃げるか?」

 「こんな雨の中を!?」

 「でも食べられちゃうよりはマシだし!」

 「でもあの爺さん、鉄砲持ってたぞ」

 「咲たち見つかったら撃ち殺されちゃうかも……」

 「じゃあ、その鉄砲奪おうぜ!」

 「……健治くん、使い方分かるの?」

 「解んねーけど、相手も使えなくなるだろ!」

 「沢山有るかもしれないじゃん!」

 「……それに、さっき熊が出たって言ってたし」

 「く、熊!?」


 淳也と咲が怯えた表情を見せる。


 「逃げてる時に熊が出たらどうする?」

 「熊が出たら死んだフリしろってお婆ちゃんが言ってた!」

 「マジか! 咲の婆ちゃん物知りだな!」

 「……残念。それ、嘘」

 「えっそうなの!?」

 「……むしろ腹ペコな熊さんだったら、餌が落ちててラッキーくらいの感覚で食べられる」

 「じゃあどうするんだよ!」

 「どっちでも、このままじゃ食べられちゃうじゃん!」

 「……万事休すだね」


 うーんと『四人』が深く考え込む。


 「ん?」


 ここでようやく、淳也が『異常事態』に気付いた。


 「あ……」

 「……あ」

 「綾ちゃん……?」

 「……綾ちゃんです」


 しばしの間。


 「うわぁあああああ!」

 「ぎゃぁあああああ!」

 「ひゃああああああ!」


 そして三人はまた飛び上がって驚いた。


 「……う、五月蝿い」


 仕方在るまい。なんせ超重要な極秘会議が敵に全て聞かれていたのだから。


 「いいいいい何時の間に!?」

 「……あの爺さん、鉄砲持った鬼で悪魔のようなコンチクショウだ――の辺りから?」

 「そ、其処までは言ってねぇよ!」

 「……そうだっけ? もう、本当にヒドイんだから」


 綾はまた悪戯っぽく笑顔をみせて「……やっぱり食べちゃおうかな」と言った。

 もう三人には本気なのか冗談なのか解らない。


 「……さて、話は終わり? じゃあそんな所居ないで、中に入ったら?」


 綾はおいでおいでをして部屋に招きいれようとする。


 「もう、覚悟を決めようぜ」

 「いざと言う時は、三人一緒だからな!」

 「ひ、一人で逃げたりしたら駄目だからね!」


 ヒソヒソと口裏を合わせたあと、三人は無理矢理ニコニコして部屋に戻った。

 

 「……っと、今日ね。折角だからお爺ちゃんが凄いものご馳走してくれるって!」


 ピリピリした場を和ませようと、明るい口調で綾が続ける。


 「凄いものって何?」

 「……ふふ、秘密だよ」

 「どのくらい凄いヤツ?」

 「……たぶん誰も食べたこと無いんじゃないかなぁ」


 その言葉。興味もあるが不安もある。何せ自称山姥が提供する品だ。


 「何だろう?」

 「まさか人間の肉だったりして……」


 咲がボソリと呟く。

 

 「ば、馬鹿! 止めろよ!」

 「……?」

 

 綾がキョトンと首を傾げた。


 「……それよりも、もう五時半だよ? お家に連絡とかしなくていいの?」

 

 「あっ」と咲が時計を見る。


 「お母さんに電話しなきゃ」


 咲は自分のポーチから携帯電話を取り出す。 が、圏外のままだ。先程のお堂から数メートルしか離れていないなら当然である。


 「……うち、携帯使えないよ。番号は解る?」

 「咲のは携帯に入ってるから。二人の連絡先も登録してある」

 「……良かった。じゃあ家の電話使って。さっきの囲炉裏の部屋に有るから」

 「ありがとう」


 四人は連れ立って囲炉裏の部屋へ向かう。

 

 「電話ってどれ?」

 「……これだよ」

 「???」


 しかし三人は首をかしげた。


 「これ、何?」

 「……えっ電話だけど」

 「何か……奇抜なデザインだよね」

 「数字のボタンがねーぞ」

 「受話機も重いし」


 三人の目の前には黒光りした本体に丸いダイヤルの付いた電話と思わしき物体が有った。


 「どう使うの?」

 「……え? 普通に」

 「その普通が俺達には解んねーよ」

 「……冗談だよね?」


 綾は驚いた表情で使い方を説明する。


 「……受話器を取ります」

 「はーい」


 咲が受話器を耳に当てる。

 

 「……プーって音が聞こえた?」

 「うん。聞こえるよ」

 「……そうしたら電話番号の穴に指を入れて、この金具の所まで持ってきて」


 咲がジィーコとダイヤルを回す。


 「おおお!」


 慣れない感触だが、何だか心地いい。


 「……そのまま全ての番号を回して」

 「090の……」


 咲がジィーコジィーコとダイヤルを回し続ける。


 「わわわ、何か面白い! クセになりそう!」

 「お、おい! 早く変われよ咲!」

 「ちょっと静かにしてよ! まだ電話してないじゃん!」


 他の二人もこの“黒い電話”に興味深々である。


 「あっ! もしもしお母さん? 咲だけど」

 「すごい! ちゃんと繋がった!」と咲が目で伝える。

 「うん、台風で危ないから泊まって行けって。うん、そう。えっと……と、友達の家」


 果たして会って数分の人間を友達と形容して良いのだろうか。しかし山姥の家などと言えるはずも無い。


 「……友達」


 だが綾の反応は少し嬉しそうだった。


 「明日には送ってくれるそうだから。うん、大丈夫。迷惑かけないようにするし。うん。バイバイ」


 ガチャンと電話を切る。


 「はぁー受話器重かった!」

 「すげぇ、ちゃんと電話出来るんだな!」

 「……当然」


 綾が自慢げに答える。


 「じゃ、じゃあ! 次は僕!」

 「はぁ? 次は俺だろ!」

 「ケンカ?」

 「しません……」


 咲に怒られた二人は素直にジャンケンで順番を決め、交互に電話した。

最後の健治が話し終わろうかと言う時、入り口の引き戸が開く。


 「ただいま」

 「はぁ、酷い雨だった」


 入ってきたのは綾の母親、そして祖母と思わしき女性達だった。母親のほうは身なりも綺麗で、優しく落ち着いた雰囲気を感じる。祖母はモンペにブラウスと、如何にも田舎のお婆ちゃん風な出で立ちである。


 「……お帰りなさい」

 「ただいま綾。あれ、見ない子だね。新しい友達?」

 「こ、こんにちわ。田舎里町から来ました、新井田咲(にいだ さき)です。小学校三年生です!」

 「安方健治(やすかた けんじ)

 「藤代淳也(ふじしろ じゅんや)です」


 順番に挨拶する。

 

「あらぁ、田舎里から。随分遠くから来たんだねぇ。この天気じゃ大変だったでしょ」


 お母さんが傘の水を払い、傘立てと思われる甕の中に挿す。


 「……今日、泊まる事になった。お爺ちゃんが泊まって行けって」

 「あらそうなの? じゃあ色々と準備しないと」


 お母さんはそのまま囲炉裏部屋の横にある個室へと入っていく。

 

 「よう、こんな山奥まで来だなぁ」


  お婆ちゃんは土間との境目である高床に腰掛け、ゆっくりと長靴を脱いでいる。


 「……なんか道に迷ったみたい。山神様の所に居た」

 「そうかぁ。だば、きっと山神様が導いてくれたんだねぇ」

 「お世話になります」

 「えぇ、えぇ。ゆっくりしてけろ」


 お婆ちゃんは長靴を脱ぎ終わると綾に支えられて、居間へと向かって行った。どうやら足が悪いらしい。


 「あれが山姥の親玉か?」

 「シッ! 失礼でしょ!」


 ボサボサの髪を振り乱し、ボロボロの服を着て、ギョロリと光る目玉……なんて昔話でよく聞く山姥の姿では無かった。

 むしろ穏やかで、自分達の祖母と大きく変わらない。


 「でも三枚のお札って、最初は優しそうなお婆ちゃんだったよね」

 「油断は禁物ね」

 

 「あぁ、その通りだ童ども」

 「!!」


 突然背後から声がする。振り向くと先ほどの大きな山男……もとい綾の祖父が立っていた。


 「ぎゃぁあああ!」

 「きゃぁあああ!」

 「うわぁあああ!」


 当然、三人とも度肝を抜かれたのは言うまでもない。


 「あのババァはよ。あった穏やかなツラばして、怒るとそりゃ般若みてぁなツラになるがらよ。気を付けねばなんねぇど。ほれ、般若って知ってっが? お面の……鬼みてぇなヤツだ」


 祖父は口を指で吊り上げて般若の真似をする。


 「知ってる! あの顔が白いのでしょ!」

 「そうそう、怒るとナタばもって追いかけて来るからよ」

 「えぇー!?」

 「お爺ちゃん、変な嘘言わないの。本気にされたらどうするの」


 お母さんが引きつった顔で諌める。


 「はっはっは!」


 お爺ちゃんは豪快に笑うと、再び土間のほうへ降りて行った。

 

 「……あれ、お爺ちゃんと話してたんだ」


 遅れて綾もやって来る。


 「うん……」

 「……なんでそんな落ち込んでるの?」

 「いや、この孫にして……」

 「このお爺ちゃん在りだなって……」

 「…………?」


 居間に戻る。

 お婆ちゃんが夕方のニュースを見始めた為、テレビを取られて詰まらない四人は遊びを考える。


 「なんか無い? ゲームとか」

 「……ベンテンドー3DSは有るけど一人用」

 「へぇ、なにやってるの?」

 「……ポケットクリーチャー」

 「あっ! 僕もやってるそれ!」


 淳也が反応する。


 「……本当? 私、今こんなんだよ」

 「うわぁ! それ、その色でしか出ないヤツじゃん! いいなぁ!」

 「……これ二匹いるから一匹あげるよ」

 「本当!? あーでも今日はゲーム持って無い……」

 「……じゃあ持って来たら何時でもあげる。でも代わりに、そっちの色でしか出ないクリーチャー欲しいな」

 「もちろんいいよ!」」

 「おい! 俺がまだもって無ぇゲームの話すんじゃねぇ!」

 「そうよ! 二人で盛り上がっちゃってさ!」


 話題に入れない二人からクレームが付き、中断する。


 「……怒られちゃったね」

 「はは」


 肩を竦めた淳也が畳に手を付いた時、嫌な感触を得た。


 「うわっ! 何だこれ」


 それはさっき食べてたクッキーの残骸だった。慌てて縁側に飛び出した時に、テーブルから落ちたのだろう。


 「げぇ。汚い! タッチ!」


 そう言いながら健治にこすり付ける。


 「おい! なにすんだよ」

 「うわー健治クン汚なー」

 「……えんがっちょバーリア」

 「うるせぇ!」


 そう言いながら健治は咲にタッチしようとするがかわされる。


 「キャー! セクハラー!」

 「おいまてこの野郎!」


 続いて綾にタッチしようとするがかわされる。

 

 「……おっと危ない危ない」

 「――っ!」


 ムキになって追いかける健治。いつの間にか鬼ごっこになってしまった。

 広い家内を所狭しと駆け回る。


 「こっちだよ~」

 「……ふふふ」

 「おい! 待ちやがれ!」


 ドタドタと走り回る。自分の自宅より何倍も広い空間は、小学三年生にとって恰好の遊び場だ。


 「こーら! 家の中走らないの!」


 などとお母さんが注意するが、馬の耳に念仏。

 「ごめんなさ~い」などと言いながらキャッキャッと走り回る。


 「まぁ、いいべお母さん。こった山奥の家さ、友達が来るなんて久しぶりだぁ。綾も楽しくて仕方ないんでしょう」


 お婆ちゃんは嬉しそうに笑う。


 畳部屋を出て板間、土間と所狭しと駆け回る。


 「ん?」


 ふと見るとお爺ちゃんが囲炉裏に火を起こしているのが見えた。


 「囲炉裏使うの!?」


 咲が興味心身で覗き込む。


 「んあ? あぁ。もう少し待ってろ」

 「あれ? 爺様、こんな夏になんで火なんて起こしてらの?」


 お婆ちゃんが居間から顔を覗かせる。


 「あぁ、童らが囲炉裏見たいって言ってたがらよ。見せてやる」

 「……私が頼んだ」


 綾が咲に耳打ちした。

 いつの間にか子供たち全員が集まってきて作業を見守る。


 「……囲炉裏。使うのは私も久しぶりに見る」


 綾も興味深そうに見つめた。


 「いいが童ども。囲炉裏はよ、まず七輪で炭さ火ば点けるべ? したら火の点いた炭ば囲炉裏の真ん中さ並べて置く。そんでその炭の周りさデケェ炭ば重ねて置いて、この竹筒で静かに吹く。せばデケェ炭さも火が点いて、使える様さなる」


 やって見ろと言わんばかりに、竹筒を健治に渡す。


 「お、俺?」


 最初、惑った健治だがワクワクしながら囲炉裏に近づいた。


 「息ばかけ過ぎれば駄目だ。こっそりと吹くんだぞ」


 健治は大きく息を吸い込み、ふーっと細く吐き出す。


 「んだ。いい調子だ」


 何度か息を吹き続けると、大きな炭も赤みを帯びて来た。火がついてきたようである。


 「はぁはぁ」


 しかし健治の息も上がってきた。


 「だらしねぇ童だな。ほれ、ほれけっぱれ」

 「くそ……はぁはぁ」


 お爺ちゃんに煽られて、再び吹き付ける。


 「よし、もういいべ」

 「はぁはぁ疲れた。暑っ……」

 「本当、サウナみたい」


 咲が手で顔をパタパタやる。真夏に、締め切った空間で火を起こせばそうなるのも必然だろう。特に雨の影響で湿気も多いため蒸し風呂状態だ。


 「火、焚けた?」


 お母さんが土間から顔を覗かせた。


 「おう、もう出していいぞ」

 「はーい」


 お母さんは台所から具材の入った鍋を持ってきた。最近の家庭用には見ない、底が丸くて鉄製の真っ黒鍋だ。


 「いや、この鍋を使うのも久しぶりね」

 「……えっ、お母さん、それ大丈夫なの?」

 「まぁ、何回も洗ったし大丈夫でしょ」

 「……お客様がお腹でも壊したら笑えない」

 「あっはっはっ」


 気にする様子もなく、持ってきた鍋を囲炉裏の上にある鉤にかける。この一家、基本的に豪快である。


 「なんかお魚さんが付いてるし」


 鉤には魚型の木製の飾りがついていた。


 「これは〝猿〟って言うんだ」


 お爺ちゃんが炭を弄りながら答える。


 「猿? 魚だよ?」

 「魚だけんど猿って言うんだべ」

 「変なの!」

 「可笑しいな」


 お爺ちゃんも「へっ」と笑う。


 「こりゃただの飾りじゃねぇぞ」


 魚もとい猿の尻尾部分を少し上に持ち上げると、鍋をかけてある鉤がするすると下へ落ちてきた。


 「これで火と鍋の距離を調節する。良え所で猿を戻せば引っかかって其処で止まる」

 「すげー!」


 淳也が感心して声を上げる。


 「さぁ、童ども。飯を食うんだば母ちゃんの手伝いばしろ。働かざるもの食うべからずだ」

 「はーい!」


 咲が元気よく返事をする。子供たち四人は揃って台所に向かい、食器や炊飯器などを運ぶ手伝いをした。


 「ねぇ、ねぇ何を食べさせてくれるの?」

 「……ふふふ。秘密だよ」

 「気になるぅー」


 様々な料理を手渡される。結構なご馳走を用意してくれたようだ。

 サラダに唐揚げ、野菜の天ぷら。そして


 「これは何?」


 蒟蒻の様に灰色で三角の形をした物に、味噌が乗っている。


 「……そばかっけ。知らない?」

 「知らなーい!」

 「俺も見たことねーぞ」

 「あらら。最近の子供は食べないのかな」


 お母さんが困った顔をした。

 

 「僕はおばあちゃんの家で食べたかも」


 そこで淳也が挙手して答える。


 「……美味しいよね?」

 「うーんあまり覚えてないかも」

 「……ガーン。じぇねれーしょんぎゃっぷ?」


 綾は日常的に食べているようだ。


 「名前の通り、お蕎麦で出来た料理よ。お蕎麦って言うと細くて長くて啜りながら食べるイメージだけど、これは三角に切ったお蕎麦に色々味付けして食べるの」

 「……乗ってるニンニク味噌。とても美味しい」


 囲炉裏を囲むように御座が敷かれ、その上に多くの食事が並ぶ。テーブルは無い。足の悪いお婆ちゃんの前にだけ簡単な椅子と台が置かれた。

 囲炉裏では鍋が良い感じにグツグツと煮えている。

 味噌ベースのフワンとした良い香りが部屋に流れる。


 「そろそろ父ちゃんも帰ってくる頃だ」

 

 言うのとほぼ同時に玄関から「ただいま」と聞こえた。


 「ほれタイミング、バッチグー」


 お爺ちゃんが指でОKサインを作る。

 顔は厳ついし不愛想だが、なかなかお茶目なお爺ちゃんである事が段々解ってきた。


 「いやぁ、酷い天気だ。あれ、お客さん? 珍しいね」


 お父さんはお爺ちゃんに似ず、眼鏡を掛けてスーツを決めたインテリ風のサラリーマンだった。


 「こ、こんばんわ。お世話になります」


 淳也に続き、咲と健治も挨拶する。


 「こんばんわ。綾の新しいお友達かな」

 「……そうとも言う……かも?」

 「かも? まぁいいや。囲炉裏かぁ……いつ以来かな」

 「囲炉裏は色々と面倒でね」


 お母さんがお父さんの上着を預かる。


 「まぁ、いいじゃないの。ちょっと暑いけど」


 お父さんもよっこらしょと囲炉裏の前に座る。


 「ほう今日はく……」


 お父さんが言いかけたところで綾が「……シー」と言葉を遮る。お父さんも察して、口を手で押さえる。


 「それにしても鍋か。これまた季節外れな」

 「文句があるなら食わんでよろしい」


 お爺ちゃんが不貞腐れて言う。

 

 「別に文句はないよ。ちょっと暑いけど」


 お母さん、お婆ちゃんも席に着く。


 「お鍋美味しそう」


 咲がワクワクしながら言う。見たところ、特に変哲のない鍋料理の様に見える。


 「それじゃあ頂きましょうか」


 お婆ちゃんが手を合わせると、家族全員も手を合わせた。健治たち3人もつられて手を合わせる。


 「頂きます」

 「頂きます!」


 お婆ちゃんの声に合わせて、全員で復唱する。

 一斉に箸が動き出す。やはり子供に人気なのは唐揚げだ。


 「唐揚げうまい!」


 健治が感嘆の声を上げる。


 「いい肉使ってるからな」


 お爺ちゃんが日本酒を楽しみながら誇らしげに言う。


 「さっき裏で絞め……」

 「ゴホン」


 お父さんが咳払いで遮る。


 「子供らに余計なこと言わなくて良いから」

 「???」


 子供たちはきょとんとしている。


 「そばかっけって本当に蕎麦の味なんだな」

 「……ただの切り方の違いで、物は同じだからね。美味しい?」

 「美味い!」

 「……ふふ。良かった」

 「さぁ子供たち。天ぷらも食いへ。この野菜は下の畑で採れたもんだよ」


 お婆ちゃんが天ぷらを指し示す。


 「すごい!」


 ナスやピーマン、人参、トウモロコシなどの天ぷらが並ぶ。


 「美味しい!」

 「ピーマンも全然苦くない!」

 「俺、ピーマン嫌い」


 だが健治が顔を顰めた。


 「なんだ男のくせにだらしねぇな」


 お爺ちゃんが睨む。


 「出されたもんは全部食う。それが家の掟だ」

 「お、掟?」


 重い言葉に健治がブルっと体を震わせる。

 

 「あぁ、ここに在るもんは全部神様からの贈り物だがらよ。粗末にしたら駄目だ」

 「うぅ、でもよ」


 健治は頑張って箸を伸ばそうとするが、どうしても躊躇してしまう。


 「どうしても掟に逆らうなら……!」


 タイミングよく、雷鳴がドォオンと響く。


 「――っ!」


 健治は身震いして、涙目になりながらブルブルと必死に箸を伸ばす。


 「頑張って健治君!」

 「美味しいぞ健治!」

 「……緑色のポテチだと思って」


 三人が応援する。大人達は微笑ましそうに見守るが、それに気づくほど今の健治に余裕はない。


 「あーっくそ!」


 意を決して、バクンと口の中に放り込む。


 「ひぐ、つーふぐ」


 一生懸命、ピーマンを噛む。最初は酷い顔をしていたが少しづつ租借し始めた。


 「た、食べれるかも?」

 「おおー!」


 子供たちは嬉しそうに拍手をした。


 「思ってたよりも苦くない」

 「そうでしょ?」


 お婆ちゃんが嬉しそうに笑う。

 

 「お日様の味がするでしょ?」

 「これなら食える!」


 健治も嬉しそうに笑った。


 「おう、男は度胸だ。これでまた一つ成長したな健治」


 お爺ちゃんも嬉しそうに言う。


 「……男は度胸だよね、お爺ちゃん」

 「あぁそうだ!」

 「……だったらその度胸でトマトも食べようよ」

 「んぐっ」


 お爺ちゃんが胸につっかえた様な声を出した。


 「そうだねぇ。男は度胸だからねぇ」


 お父さんも愉快そうに笑う。


 「あ、あんなの人の食うもんでねぇ!」


 ジトーとした目を向ける子供たち。


 「お爺ちゃんの我侭のせいで、オラ達はレストランでしかトマト食べれないんだよ」


 お婆ちゃんも鬼の首を取ったように嬉しそうだ。


 「あーちょんぼだー!」


 咲たち子供らも囃し立てる。


 「だ、出されたものは食う! が、無いものは食わん!」

 「だったらお母さん、明日はトマトたっぷりのサラダにしようかね」

 「……ピザとかもいいんじゃない?」

 「や、やめろ」


 明らかに狼狽えるお爺ちゃん。それを見て皆、楽しそうに笑う。


 「ほ、ほれ、そろそろ鍋も良いんでねぇが?」


 お爺ちゃんが話題をそらす。それを見て、また笑いが起きる。楽しい夕食である。


 「そうね。そろそろ良いかもね」


 お母さんがみんなの分の鍋を取分ける。子供たちも手伝って、取り皿を回す。


 鍋は大根やゴボウ、ネギ、蒟蒻などが適当に入った豪快な物だ。見た目はすき焼きなどよりも豚汁に近い。そして何より――


 「肉デケー!」


 健治は特に嬉しそうだ。


 「……こちら、本日のメインディッシュとなっております」


 綾が恰好を付けた抑揚で紹介した。


 「このお鍋が?」

 「……そう、これが〝凄いもの〟です」

 「これが凄いものなのか?」

 「ただの鍋に見えるけど」

 「……食べてみて」


 言われるがまま、箸を口に運ぶ。もちろん食べるのは肉だ。


 「ん……美味しいじゃん!」

 「なんか変わった味だね」


 肉は大きく、ぶつ切りにした物のがゴロゴロ入っている。その味は今までに経験したことが無い、変わったものだ。

 牛肉に風味は似ているが見た目は別物。甘い脂がたっぷりと乗っていて、やや獣臭さを感じるが、不快とまではいかない。美味ではあるが――


 「んぐ……んぐ?」

 「固い……」


 その肉質はゴムの様に固く、中々噛み切れない。一生懸命咀嚼する。


 「……お母さん。ちょっと固いよ」

 「ありゃ。急な仕込みだったから煮込みが足らんかったね」

 「まぁ、顎の運動と思えば。味は抜群だべな」

 「でもやっぱり肉デケー!」

 「……ふふ、健治君。さっきもそれ言った」

 「大変だけどいっぱい食いへ」

 「じゃあおかわり!」


 早くも健治が食べ終わる。


 「ちょっと健治君、遠慮しなさいよ!」


 咲に怒られるも、お母さんは「あっはっはっ。いいのいいの」と笑い、大盛でよそってくれた。

 固い肉も、噛めば噛むほど味が染みて来る。

 何となく口の中で細かくなったところで飲み込む。


 「はぁ、美味しい」

 「……フフ。咲ちゃん、いっぱい汗かいてる」

 「食べたら順番にお風呂入りなさい」

 「ねぇねぇ綾ちゃん。そろそろこの正体を教えてよ」


 淳也が興味深そうに尋ねた。


 「……知りたい?」

 「うん!」


 咲も楽しそうに顔を覗く。


 「……この正体はね」


 途端、辺りがシーンとなった。


 「…………」

 「…………」

 「…………」

 「…………」

 「…………」

 「え……? な、何?」


 和気あいあいとした空間に、突如として訪れた緊張。

 子供たちは不可思議な静寂に戸惑いを隠せない。


 「……この鍋のお肉はね――」


 しばし時を置いた後、綾は恐ろしい低い声で続けた。



 「……この山に迷い込んだ、哀れな人間のお肉だよ!」


 ガゴーンと雷鳴が鳴る。


 「――っ!」


 咲が思わず、箸を床に落とした。男2人は硬直し、綾を見つめる。


 「ふふ……おかげで、明日もご馳走ね」


 お母さんがニヤリと笑う。


 「ぎゃぁあああああ!」


 三人は身を寄せ合い、強く抱きしめあう。

 忘れていた。ここは山姥の家なのだ。

 三枚のお札はどういう話であったか。迷い込んだ小僧さんをご馳走で持てなし、気を許した所で食べようとする話では無かったか。


 「お母さん。僕は明日、焼き肉がいいなぁ」


 お父さんが静かに笑う。


 「オラはすき焼きがいいなぁ」


 お婆ちゃんもほくそ笑む。


 「あぁ? 明日はカレーだって言ってたべや」


 お爺ちゃんだけ、流れを理解していないのか話がずれている。


 「いや、食べないで……食べないでぇ!」


 この急展開に思考が追い付かない。

 油断していた。あれだけ警戒していたのに、楽しい雰囲気に完全に気を許していた。山姥の策略に嵌ってしまったのか。


 「ごめんなさい……助けて下さい」


 今にも泣きそうになりながら咲が哀願する。


 「ふふ……」

 「くくっ……!」


 大人たちの嘲笑。

 綾がスクッと立ち上がり、怯え切っている3人の元にゆっくりと近づく。


 「…………」


 一歩、二歩とその距離は縮まっていく。

 一方、子供たち三人は周囲を敵に囲まれ逃げ場も無い。

 どうしてあの時、逃げなかったのか。

 自らの判断を後悔した。


 「ひぃい!」

 「あわわ」

 「おおお俺は美味しくないぞ!」


 顔を寄せ合う三人に綾もグググと顔を近づける。

 今まで無表情だった綾がここに来てニヤリと静かに笑い――告げた。

 

 「……う・そ」


 「え……?」


 きょとんとする三人。


 「……だから嘘」

 「くくく」

 「あっはっはっ」


 大人たちはその様子を見て、堪えきれないようで大いに笑う。


 「う・そ?」

 「……嘘だよ」


 そして綾もプッとたまらず笑い出す。


 「……あははは」

 「あっはっはっ」

 「あー可笑しい!」


 しばしポカンとしてた三人だが、ハッと正気を取り戻した。


 「ひ、ひどーい! また騙すなんて!」


 特に咲はカンカンだ。


 「……だって。ふふふ。咲ちゃん本当に面白い反応するんだもん。まさか二回も騙されるなんて」

 「いあぁ、良い反応を頂きました」


 お母さんは楽しそうに腹を抱えている。

 三人は悔しいやら恥ずかしいやらで感情が定まらない。


 「……ふふふ、これはね」


 席に戻った綾が鍋を指さす。


 「……熊さんです」

 「熊ぁ!?」


 三人が驚愕の声を上げる。


 「く、熊ってさっき捕って来たってやつか?」

 「いやぁ、今日は捕れねがったがらよ。こいは冷凍してたもんだ」


 お爺ちゃんは箸で鍋を指す。


 「こいつは春先に捕ったヤツだがらよ。美味いべ?」 

 「た、確かに美味しいけど」

 「熊なんて初めて食べたよ……」

 「……凄いでしょ?」

 「確かに凄ぇ……」

 「……スーパーじゃ絶対に買えない」


 綾がドヤ顔する。


 「……お爺ちゃんの捕る熊は全部美味しい」

 「見分けるのが上手なんだ。それに血抜きや捌くのも上手い」

 

 お父さんも後押しする。


 「……ツキノワグマさんです」

 「ひぇえ……」


 咲が鍋をまじまじと見る。


 「そもそも熊は禁猟期間が長かったり、味も特殊だから流通しないのよね。これぞザ・ジビエね」

 「今のうちにいっぱい食べておきなさい」

 「は、はい」


 再び食べ始める。


 「熊食ってる家なんてスゲェな」

 「あぁ……」


 感心する男子二人組。


 「……山姥だからね」


 それを見て綾は、再び楽しそうに笑った。




「ふぅー」


 食後、綾と咲は風呂に入る。バスタブは子供二人がやっと入るくらいだ。

 追い炊き機能やシャワーはついているが、やはり全体的に古臭い。掃除は行き届いているが、抗えない年季の入ったカビなどは散見される。壁に敷き詰められた青いタイルが昭和を感じさせた。


 「はぁ、気持ちいいー」

 「……極楽じゃわい」


 湯船にどっぷりと浸かる。

 綾は長い髪をタオルでまとめている。

 

 「あぁー今日は大変だった。いっぱい泣いちゃったし」

 「……ふふ。お疲れ様」

 「もう、半分は綾ちゃんのせい何ですけど!」

 「……ははは、ごめん」

 「反省してないしぃ」


 咲は湯船に肘をつき、うつ伏せのような格好になる。


 「でも良かった。迷ったときはどうなるかと思ったし」

 「……こんな天気の中で山に入るのは危険」

 「危なかったぁ。このまま遭難してたら明日の誕生日、向かえれなかったかも」

 「……明日、誕生日なんだ」

 「そう! それなのに健治君がさ、絶対今日中にカブトムシ捕るんだーって聞かないから」


 そこで綾は夕方の会話を思い出す。


 「……あ、そういう事か。なるほどね」

 「ん?」

 「……ううん。何でもない」


 綾がニヤニヤしながらチャプチャプとお湯を叩く。


 「綾ちゃんは大変じゃない? こんな山の中で暮らしててさ」

 「……さっきも言ったけど、私にはこれが普通。特に大変には思わないよ」

 「でも町まで遠いよね。学校行くのも大変だよね」

 「……車で行くからそんなに辛くないよ。お爺ちゃんが小さい頃はお馬さんで行ってたみたいだけど」

 「馬?」

 「……うん。昔はね、お馬さん飼ってたんだって。このお風呂とね、台所が有るところは昔〝馬屋〟って言ってお馬さんが住んでたらしいよ」

 「このお風呂のところに?」


 今ではその片鱗も感じ取れない。


 「……お馬さんでね、町まで買い物に行ったり畑を耕したり、家族みたいだったんだって。でもいつか死んじゃって、その頃には車が有ったから馬屋を改造して台所とお風呂にしたんだって。それまでは薪でご飯炊いてたし、お風呂もお外にあったんだって」

 「外に? 今日みたいな雨の日は大変そう」

 「……冬はもっと辛かったって。昔のお風呂は誰かが水を汲んできて、火を起こさないといけなかったから」

 「うわぁ……」


 聞いただけで疲弊する。

 

 「……トイレもお外にあって、昔は畑用にウンチを集めてたから便器とかもなくて、石床の上に直接出してたらしいよ」

 「汚っ!」


 年頃の女の子にはドン引きな話だ。


 「はぁ、なんか凄いし。ここって本当、異世界って感じ」

 「……異世界?」

 「だって私たちとは全然違う生活してるんだもん」

 「……そうかな」


 チャプンと指でお湯を遊ばせる。


 「ケータイ使えなかったり、木だけで出来た家に住んでたり、熊を食べたり。田舎里町と全然違うじゃん」

 「…………」

 「本当、山姥なんだなって」

 「……山姥です」


 目を合わせ、自然と微笑みあう。


 「……でもね咲ちゃん。山姥も今はテレビを見るし、パソコンも使うし、ゲームもする。

熊も鹿も食べるけどお菓子も食べるし、レストランにも行くよ」

 「綾ちゃん……」

 「……ちなみに趣味は漫画を描くことです」

 

 「あはは」と2人で笑う。


 「全然、妖怪っぽくないし!」

 「……がっかりした?」

 「安心した!」


 体が温まると同時に心も解放されていく。


 「後で漫画見せてよ!」

 「……ダメ。完成するまでは秘密」

 「えぇーいつ出来るの!?」


 「……さぁ? 納得がいくまで」

 「じゃあ出来たら見せてよ!」


 瞬間、綾はふっと目をそらす。


 「……それって、また来てくれるってこと?」


 咲は飛びっきりの笑顔で「うん!」と答えた。


 「……わかった。完成したら見せる」


 綾は顔を赤くして答える。これは照れているのか上せたのか判別はできないが、喜んでいるようだった。




 女子がお風呂に入っているころ、男子はまだ囲炉裏近くにいた。

 まだ炎が残る囲炉裏でお湯を沸かしながら、お爺ちゃんは鉄砲の手入れをしている。

 鉄瓶から漏れるシューという音が心地いい。


 男子たちはお爺ちゃんの持つ鉄砲を興味深そうに眺めている。


 「…………」

 「どうした童。珍しいか」


 コクコクと二人で頷く。


 「別に面白いこと無ぇべ」


 フルフルと二人で首を振る。


 「銃、撃ってみてぇか?」

 「いいのか!?」


 健治が嬉しそうに反応する。


 「駄目だ」

 「えぇー!」

 「オメェにはまだ早え」

 「何時ならいいんだよ!」

 「大きくなって免許ば取ったらな」


 膨れている健治を眺めながら、お爺ちゃんは銃身内部をブラシで擦る。


 「…………」


 機嫌が悪くなってしまった健治を見かねたのか、お爺ちゃんが銃を差し出した。


 「持ってみるか?」

 「持つ!」


 一瞬で機嫌が直る健治。

 持ってみれば思ったよりも軽く、動きやすそうだ。


 「僕にも持たせて!」

 淳也も興味津々である。


 「その鉄の部分は触るなよ。油で手がベトベトさなるぞ」


 お爺ちゃんは鉄瓶から湯飲みへお湯を注ぎ、インスタントのコーヒーを入れる。


 「オメェら、コーヒーは飲めるか」

 「飲んだことない」

 「コーヒー牛乳なら有るけど」

 「飲んでみろ」


 差し出された真っ黒いコーヒーを一口啜る。


 「うげぇ!」

 「まずい!」

 「ふっ……おい、母さん。なんがジュース無ぇが?」


 「はーい」と奥から返事が聞こえた。

 お爺ちゃんはと言えば楽しそうに返ってきた湯飲みを啜る。


 なおも興味津々に銃を触る子供たち。


 「弾は? 弾は入ってるの!?」

 「弾入ってたら持たせる訳無ぇべ」

 「なーんだ」


 淳也は少しがっかりしたような声を出す。

 

 「これで熊を撃つのか」

 「そうだ」

 「今日食った熊も?」

 「これで仕留めた」

 「ひぇぇ……」

 「玄関に有ったのは?」

 「あれは昔から家さある銃だ。骨董品だな。オラが若い時はアレだった。今使ってらのは三十年前に買ったやつだ」

 「お爺ちゃんは何時から猟師なんだ?」

 「あぁ? そうだな生まれた時からだな」

 「生まれた時?」

 「あの頃は今みたいに便利で無ぇがったがらよ。その日食うもんは自分で捕るしか無ぇがった」


 お爺ちゃんがコーヒーを啜る。


 「最初はウサギ、鳥ば捕った。罠で捕るんだな。大人さなったら銃ば貰ってタヌキや鹿、熊も捕った。昔は仲間が沢山居でよ、熊狩りともなれば十人位で山さ登った。今じゃ呼び掛けても一人か二人しか集まらん」

 「どうして?」

 「死んだやつもいるが、大体は辞めちまった。便利な世の中だからな」


 お爺ちゃんは寂しそうに笑った。


 「でも猟師だから解ることもある。命の重みだ。相手も必死に生きている。だからオラたちも必死に追う。倒した相手の体温を感じながら体ば裂く。つい今まで目の前を元気に走ってたヤツだ」


 ぶるると二人が身震いをする。


 「可哀想だと思うが? でもオメェ達が毎日の様に食ってる牛や豚だってよ、少し前まで生きてたんだぜ」


 お爺ちゃんがゆっくりと健治の背後に回る。


 「オラたちは必死に生きてる相手を見てる。だから食べるときに心ば込めて〝頂きます〟と感謝する。だから残さず食べなきゃならんと思う。パック詰めされた肉を見でもそうは思えん。だから今のヤツらは平気で残すし捨てる」


 お爺ちゃんは銃を持つ健治の手を取り、構えさせた。


 「お、おう」


 戸惑う健治。しかしお爺ちゃんは続ける。


 「まずは銃床……銃の底部分を肩さつける。そいで引き金さ指ばかける。オメェはまだ童だはんでちと長ぇが、大きくなると丁度よくなる。頬ぺたさ銃ばつけてしっかり固定する。そしてスコープば覗く」


 力強くガシッガシッと健治の体を操る。


 「熊を見つけたら隠れて気配を殺し、じーっと待つ。音ば立てれば気付かれる。ヤツラは人間の数倍感がいい。一分、長ければ何分でも丁度良い時を待つ。焦れば負けだ」


 静かになった部屋に、囲炉裏と鉄瓶の音だけがコトコトと木霊する。


 「じーっと待つ。じーっと待って真横を向いた瞬間、ズドン! と一発で仕留める」


 お爺ちゃんが健治と一緒に引き金を引いた。

 カチャンと撃鉄が落ちる。。


 「狙うのは首筋か心臓だ。尻は狙うな。絶対に殺せん」


 お爺ちゃんは健治を熊に見立てて首、そして右脇の肋骨付近をトントンと叩く。

 

 「一発で仕留めれんヤツは三流だ。獲物を苦しめる事さなるし、反撃される事もある。肉もその分、食える所が無くなる」


 お爺ちゃんは健治から銃を預かり、手入れの続きを始めた。


 「猟師はよ、我慢比べだ。相手とオラ、どっちが先に根尽きるかの勝負だな」

 「すごい……」


 淳也が感心して声を漏らす。


 「凄いべ」


 お爺ちゃんがニヤリと微笑んだ。




 「わーい!」

 「……どーん」


 咲達が居間に並べられた布団に飛び掛かる。

 お爺ちゃんは既に眠り、子供にとっては一番楽しい時間だ。


 「しー。あんまり騒がないの! お爺ちゃんに怒られるぞー」


 お母さんに注意され、静まる。


 「……ごめんなさい」

 「解ればよろしい」

 「そうだぞ咲! 近所迷惑だぞ!」


 健治が得意げに注意する。


 「……近所無いけどね」


 綾の言葉に三人がぷっと噴き出す。


 「さぁさもう夜中の十時だべ。みんなお布団にお入り」

 「えーまだ眠くないしー!」


 お婆ちゃんに諭されるも、咲が駄々をこねる。お泊りという、子供にとっての重大イベントだ。テンションは留まる事を知らない。


 「布団さ入って、暗くすれば眠くなるはんで」


 「さぁさ」と誘導され、渋々布団に入る。


 「寝たら今日が終わっちゃうしぃ」

 「せっかく来たのにな」

 「うん」


 三人にとって、寝ることが勿体なくて仕様がない。


 「もう台風は抜けたみたいだから、明日の朝には送っていってあげるね」

 「えーそんなに早く?」

 「おやぁ、もう山姥の家は怖く無くなったのかな?」

 「うぐっ……」


 お母さんに揶揄われ、咲の顔が赤くなる。


 「あはは。みんな明日は仕事が有るから、その時間しか無いの。ごめんね」

 「でも眠くなーいー!」

 「……眠くなーいー」

 「うん」

 「だよな」

 「あらら困ったねぇ」


 お婆ちゃんは少し考えてからポンと手を叩いた。


 「じゃあ、昔っこば聞かせてあげよう」

 「昔っこ?」

 「……昔話だよ」

 「えぇ! 私、そんな子供じゃないもん」

 「いやいや、これは桃太郎だとか浦島太郎では無くて、この山さ伝わる山姥の話だ」

 「山姥の?」


 興味無さげだった咲が食いつく。


 川の字に敷かれた布団の真ん中あたり、咲と健治の枕元にお婆ちゃんが座る。


 「こほん。昔あったじゃ――」


 お婆ちゃんが話始める。


 昔あったじゃ

 鬼ヶ淵山の麓の村に、真面目で正直者の夫婦が畑ば耕しながら静かに暮して居ったと。

 若い二人は仲睦まじく、近所でも評判のおしどり夫婦だったと。

 

 しかしある年、恐ろしい飢饉が村ば襲ったと。

 何も食うもんが採れなくて、残してあるものも、後少ししか無かったと。

 

 お父ちゃんが言う。


 「食うものも後僅か。貧乏なオラの家には売れる物も何も無ぇ。とても冬ば越えられん。覚悟ば決める時だ」

 

 お母ちゃんも言う。


 「お前様。今までもオラたち夫婦仲良く手を取り合って生きてきました。極楽さ行っても変わりません。何も怖く無ぇ」

 「そうか、だったらオラも未練は無ぇ。極楽でも来世でもきっと夫婦さなって楽しく暮らそう」


 そんな話ばしてる時だったと。


 ドンドンドンと家の戸ば叩く音がして、お父ちゃんが「はて、こった夜更けに何だべ」と戸ば開けたら、それはそれは恐ろしい山姥が立っておったと。

夫婦揃ってそれは吃驚したんだけんど、何とか気ばしっかり持って、言ったと。


 「はて、こんな夜更けに何用だべか?」


 山姥は言ったと。


 「途轍もない飢饉で、山でも食うものが何も無ぇ。もう三日も何も口にしとらん。隣の家も訪ねたが、山姥さ食わせる物は無ぇと追い返されてしまった。何か残っていれば分けてけろ」


 夫婦はその恐ろしい山姥ば気の毒に思って、


 「少ないですが、良ければ入ってけろ」


 って招き入れたと。


 お母ちゃんは山姥ば囲炉裏さ当たらせて、最後の米でお粥ば作ったと。


 「さぁさ熱いうちに食べてけろ」


 山姥は一口食べたとたん


 「あぁ、何と美味ぇ粥だ。なんぼでも食える」


 って言ってペロリと全部平らげてしまったと。


 「はぁ、腹一杯だ。しかしまぁ、良くこの飢饉でこんなに米が有るもんだ」


 そう山姥が言ったんで、夫婦はこれが最後の米だと言ったと。


 「オラたちはもう、あの世さ行く覚悟はできました。最後に少しでも人の役に立てたなら良いことです」


 それを聞いた山姥は


 「はて、それは気の毒な事をした。お詫びと言ってはなんじゃが、1つ良い事ば教えよう」


 山姥は鬼ヶ淵山の方ば指さして言ったと。


 「あの山の真ん中位に、でかいケヤキの木が有る。それば使って杵と臼ば拵えろ。そうすればきっと良い事が有る」


 そう言って、山姥は山さ帰って行ったと。


 次の日、正直者のお父ちゃんは言われた通り山さ登ったと。

 どんどんどんどん登って行くと、言われた通り大きなケヤキが有ったと。

 お父ちゃんは斧で木を切り倒し、家さ持って帰って早速、杵と臼ば拵えたと。


 「あぁ、やっと出来た。でも肝心の搗く物が何も無ぇべ」


 そう言って何もない臼を杵で搗いたとたん、何と臼の中にたちまち美味しそうな餅が出来たと。


 「こりゃたまげた。搗けば搗くたび餅が溢れてくる」

 「お前様。この餅、今までに食べたことが無いほど美味しくて頬っぺたが落ちそうじゃ」


 夫婦は大層喜び、村の者皆ば呼んで食べさせたと。


 「こりゃ有難てぇ」

 「これで飢饉も乗り越えられそうじゃ」


 村人皆、喜んだと。


 「さぁさ、皆の衆。腹一杯食べてけろ。まだまだ有るからの!」


 さて、その話を聞いて隣に住む意地悪な爺様もやって来たと。


 「はて旦那さん。こった飢饉の時に、どうしてそんなに餅が出せるんだべか」


 正直者の夫婦は隠さず全部話したと。

 それば聞いた爺様。


 「なるほど、さてはその山姥、山の神様だったに違いない。これは早速明日にでもお礼しに行ったほうが良え」


 そう言われた夫婦は、正直にそうする事にしたと。


 さて夜が明けたらその夫婦、言われた通り山さ登って行ったと。

 それば見ていた隣の爺様は


 「しめしめ、今の内にあの杵と臼ば横取りしてやろう。この飢饉の時にあれだけ餅ば売れば大儲け出来るぞ」


 と言って夫婦の家さ忍び込み、臼と杵ば盗んでしまったと。


 「さて、早速作るべ」


 爺様が杵で臼ば搗いてみる。しかし何も起こらなかったと。


 「そんな筈は無ぇべ」


 しかし何回搗いても結果は同じだったと。


 「畜生、さてはあの夫婦に騙されたな!」


 怒った爺様が力任せに臼ば搗いた途端、たちまち中から蜘蛛やら蜂やら百足やらがワラワラと飛び出してきて襲い掛かってきたと。


 「こ、こりゃ溜まらん! 助けてくれー」


 出てきた虫たちに散々刺された爺様の顔は、まるで餅みたいにぷっくり腫れてしまったとさ。


 「――とっちぱれ」


 お婆ちゃんの昔話が終わる。


 「山姥は山の神様だったのか」


 健治が言う。


 「この話が本当かどうかは解らんけど、山の神様は女だと言うね」


 お婆ちゃんははにかみながら答える。


 「じゃあ綾ちゃんは神様の子孫? 凄い!」

 「……だと良いんだけどね」

 「違うの?」

 「……山姥の家系とは聞くけどね」

 「この家はずーっとずーっと昔から此処さ有って、どうしてこんな所に住んでいるのか、何時から居るのか誰も解んね。だから山姥の住む家だと、何年も前から呼ばれでら」

 「じゃあ、もしかして綾ちゃんは山姥じゃないの!?」


 驚愕の事実が三人を襲う。


 「……山姥なのかも知れないし、そうじゃ無いのかも知れない。どちらにせよ、昔話のような凄い力は使えないよ。人間だもの」

 「山の民は肉ば食う。町も遠く、昔は農作物も取れねがったからそれしか無かった。昔、里の民は肉ば食わないのが普通だったから、それが怖い人食い鬼のイメージさなったんでしょう」

 「鬼が住む山……鬼ヶ内。それがいつしか鬼ヶ淵。昔、里とはお互いに避けて暮らしていたそうだけど、時代は変わったね。私は町からお嫁に来たし、町で仕事もしてる。友達も沢山いる。綾だって麓の小学校に通ってるしね」


 お母さんは綾の頭を愛おしそうに撫でる。


 「皆、綾のこと怖がらないで仲良くしてあげてね」

 「もう友達になったよ?」 

 「そうだね」

 「だな」


 夕方までとは違い、迷いのない答え。

 綾は嬉しそうに照れた表情を浮かべる。


 「ありがとう」


 お婆ちゃんも嬉しそうに笑う。


 「さぁ、良い子はもう寝る時間だよ! 明日は早いから、寝坊は駄目だからね」


 お母さんがパンパンと手を叩く。


 「はーい」

 「……むう」


 子供たちは嫌々ながら目を閉じる。


 「ふふ、おやすみなさい」

 「おやすみなさい!」

 「おやすみ」


 お母さんとお婆ちゃんは電気を消し、居間の襖を閉めて出て行った。

 シーンとした部屋。台風もだいぶ小康状態となり、時折風が窓を叩くだけだ。


 「でもよぉ」

 「寝れないじゃんね」

 「綾ちゃんのお母さんたちは何してるのかな」

 「……たぶん今頃、皆を食べるために包丁研いでる」

 「も、もう騙されないし!」

 「……ふふふ」

 「あはは」

 「ひひひ」


 コチコチと古い時計が時を刻む。


 「……雨、止んだね」

 「あぁ」

 「そうだね」


 コチコチと針は進み続ける。しばしの無言ののち、綾が口を開く。


 「……ねぇ咲ちゃん?」

 「ん?」

 

 「この二人、どっちが咲ちゃんのカレシなの?」


 「「「はぁ!?」」」


 突然、驚愕の質問が飛び出した。


 「ば……お前、何言ってんだよ! 馬鹿じゃねーの!? あり得ねーって!」

 「そ、そうだよ! 咲ちゃんなんかのカレシな訳無いだろ!」

 「はぁ! 何それ!? 超デリカシー無いんですけど!」


 冷め始めていた空間が一瞬で戦場と化す。


 「……違うの? 私はてっきり」

 「わ、私がコイツ達なんかと吊り合う訳無いじゃん!」

 「な、かかか勘違いすんなよブース!」

 「ぼぼぼ僕だってもっと大人しい子が好みだし!?」

 「はぁ!? ゴリラとネズミのくせに鏡見て言えって感じ!」

 「……ゴリ……ネズミ!」


 綾がブフォッと噴き出す。


 「はぁ!? うるせぇサール! このまま山に帰りやがれ! こ、この山じゃモテモテになれるかもな!」

 「超ムカツクー!!」


 咲は自分の枕を目いっぱいの力で健治に投げつけた。


 「ブフゥ! 何しやがる!」

 「あぁー! 健治君ったら枕なんかとキスしてるぅー! 恥ずかしぃー」

 「この野郎!」


 健治が枕を投げ返す。高速で飛んだ枕は見事に咲の顔にクリーンヒットした。


 「ぎゃあ!」

 「へへーん! どうだ! お前だって枕とチ、チューしてるじゃんかよ」

 「……枕関節キスだね。おめでとう」


 「「はぁ!?」」


 揃って全力否定。暗くて解らないが、きっと二人は真っ赤な顔をしているだろう。


 「信じられない!」


 咲が再び枕を投げ返す。


 「うわっ!」


 今度は巧みによける健治。しかし外れた枕はそのまま淳也にめり込んだ。


 「ぐぇえ!」

 「あっ……」

 「――っやったなぁ!」


 淳也は力いっぱい咲に投げ返した。


 「ちょっ! 危ないし!」


 今度は咲が避ける。そうすると後ろにいるのはやはり――


 「……ぎゃー」


 枕はボフウといい音を立てながら、綾の顔に吸い込まれていった。


 「綾ちゃぁあああああん!!」

 「……ふ、ふふふ。この家の掟ではね、やられたら百倍返しと決まってるんだよ」

 「何だって!?」

 「……そう今、私が決め・た!」


 そう言いながら淳也に投げ返す。

 しかし、力がなく受け止められてしまう。


 「へへーん!」

 「……むぅ。無念の極み」

 「お返しだよ!」


 唐突に始まった枕投げ大会。ドスンドスンと大きな音を立てながら大声で相手を煽りまくる。当然、家中聞こえないはずも無く――


 スパーンと大きな音を立てて居間の襖が開けられた。


 「あっ……」


 硬直する4人。其処には恐ろしい山姥……もといお母さんが立っていた。風呂上りなのか髪がボサボサで恐怖倍増である。


 「……」

 「……」

 「寝るのよ?」

 「「「「はい……」」」」


 お母さんは不気味に笑いながら、静かに襖を閉めて出て行った。


 「…………」

 「…………」

 「…………」

 「…………」


 しばし見つめ合い、またプッと笑い出す。

 

 「もう、綾ちゃんが変な事言うから!」

 「……ごめん」

 「まったく吃驚したぜ」

 「ははは」


 四人で大人しく布団に戻る。

 再び静まり返る室内。


 「静かだね」

 「……そうだね」

 「なんかいつもベッドで寝てるから、布団ってなんか新鮮」

 「婆ちゃんの家の匂いがする」

 「そう、線香の匂い」

 「こんな古いとお化けも出そうじゃん」

 「咲、お前って本当にデリカシー無いよな」

 「健治君に言われたく無いですー」

 「……まぁ出るよ」


 「出るの!?」


 再び飛び起きた三人。慌てて口を押える。


 「ま、またー。私を驚かせる気でしょ! もうその手には乗らないし!」

 「……本当だよ。昔から何人もこの家で生まれて、何人も死んでいったからね」


 ぞーと悪寒が走る。


 「……覚えてないけど昔ね。私が小さい頃、よく誰もいない方向を指さしてね、知らない人をよく呼んでたらしいよ」

 「ちょ、ちょっと……止めよう?」


 咲が強引に幕引きにかかるが、止まらない。


 「……この居間の縁側に出るとね、目の前のお庭に大きな古いケヤキの木が有るの。其処を指さしてね、『……おばちゃん! おばちゃんが居るよ!』って、呼んでたって」

 「べ、別に大したことねーな。ははは……」


 健治が強がるが、微妙に呂律が回ってない。


 「……最初はね、ずっと木の所に居るって言ってたんだけどね。ある日、言ったんだって。『……あっ! おばちゃんがこっち来るよ!』って」

 「や、止めてよ!」


 咲は枕で耳を塞ぐ。


 「お婆ちゃんにもお母さんにも見えなかったけど、私はおばちゃんに『……こっちだよー』ってしきりに呼んでたんだって。お婆ちゃん達が怖くなって、私を家の中に戻して障子を閉めた。そして『もう知らないおばちゃんを呼んじゃダメ!』って叱ったんだけど……私はこう言ったらしいよ」


 「な、なんて?」


 「『……もう、家の中に居るよ?』って……」


 ゴクリと唾を飲む音が暗い室内に響く。


 「……そう、だいたい今、咲ちゃん、が居る……そのあたりに!」


 「ぎゃぁあああああああああ!!」


 咲は素っ頓狂な声を出して飛び上がってしまった。


 「どうしたの!?」


 慌ててお母さんが飛び込んでくる。

 

 「……あ」


 飛び上がって怯える咲と、それをなだめようとする三人。可笑しなオブジェのような様で固まっていた。


 「綾?」

 「……ごめんなさい」

 「つ・ぎ・は無いからね?」


 お母さんに睨まれて、綾は急激に委縮してしまった。

 今度は強めに襖を閉められ、スゴスゴと布団に戻る。


 「……ごめんね咲ちゃん。もう言わないよ」

 

 頭をよしよししながら、綾は咲をなだめ続ける。


 「ぐすっ。ぐすっ」

 「綾って、怖い女子だよな」

 「……うぅ。やりすぎてしまった」


 今度ばかりは綾も反省した模様である。


 「グスッ……じゃあお化けは嘘なのね?」

 「……い、いや本当は本当……だけど」

 「ちょっとおお!」


 三人でシーッと咲を落ち着かせる。


 「もう布団変わって!」

 「……うん」


 咲が一番奥に代わる。


 「ぐすっ」

 「……まぁ、この何年も見てないから多分大丈夫じゃないかな」

 「おいおい勘弁してくれよぉ」


 健治が情けない声を出す。


 「……そろそろ本当に寝る?」

 「だな」

 「うん」

 「グスッ……」


 三度静まり返る。

 シーンとした室内。雨の止んだ庭に、鈴虫の声が聞こえる。


 「…………」

 「…………」

 「…………」

 「クー……」

 「ぐー……」

 「……フー」


 どのくらい経ったのか、寝息が聞こえ始めた。

 散々色々な目にあって疲れていたのだろう。

 皆、深い眠りに就いたようである。


 約一名を除いては。


 「う……」


 咲だ。


 先程の一件で完全に目が覚めてしまった。

 寝ようにも怖くて眠れない。しかも


 「(トイレ行きたいよぅ!)」


 だがトイレは例の縁側に出て突き当りである。


 「ううう」


 我慢する。しかし朝まで耐えられるだろうか。誰か付いて来てほしい。しかし三人とも気持ちよく寝ているようである。

 少し前までは微かに大人たちの話し声も聞こえ、光も漏れていたが今はそれも無い。


 完全にこの家は寝静まっている。


 「(今、起きてるの咲だけなんですけどぉ!)」


 何度も寝返りを打つ。しかし尿意は誤魔化せない。


 「(誰か助けてぇ!)」

 

そう祈った時だった。


 突如、庭でバキィ! という音が鳴る。


 「ひっ!」


 危うく漏らしかけたが何とか抑えた。

 バキィ、バキィと何度も草木を踏むような音が鳴る。どうやら何者かが庭を歩いているようである。


 「冗談……でしょ?」


 耳を澄ます。いや、聞きたくはないが深夜の静寂でどうしても聞こえてしまう。

 あの怪談話が頭を過った。


 『フーフー』


 時折、吐息のような音が聞こえる。


 「(どうじよう……本当にお化け来ちゃったぁ!)」


 もう咲は怖いやらトイレ行きたいやら八方塞がりである。


 『フーフー』


 外では吐息が近づいたり離れたりしている。


 「(ナンマイダナンマイダナンマイダ……)」


 心の中で何遍もお経を唱える。そんな中で外の相手は突然『グワァオン!』と叫んだ。


 ビクゥッ! と咲が体を震わせる。

 もう限界だ。精神も膀胱も。

 咲は申し訳なく思いながらも綾の体を揺らす。


 「あ、綾ちゃん……綾ちゃぁん!」

 「……ん」


 外にいる何かは、絶えず『グワァオン!』と泣いている。

 

 「お願い……起きて。助けて!」

 「……ん。んん? 何?」


 綾が眠そうな声で答えてくれた。


 「外に! 外に何かいるし! お化け!?」

 「……はぁ?」


 綾は面倒臭そうに上体を起こし、耳を澄ませる。


 『グワァオン! フーフーグワァオン!』


 ぼ~っとしながらも少しだけ聞いて、咲は冷静に答えた。


 「……あぁ。あれはお化けじゃないよ」

 「じゃ、じゃあ何?」

 「……あの声は熊さんです」

 「熊ぁ!?」


 思わず大声を上げそうになるも、綾に「シー」と制止される。


 「……問題ない。餌を探しているだけだよ。家の中までは来ない。お爺ちゃんが捕り損ねたヤツかもね」

 「で、でも」

 「……放って置けば時期に居なくなるよ。ふぁ~。じゃあ、お休み……」


 綾が再び布団に入り込む。


 「ま、待って! 一人にしないでぇ」

 「……もう、気にしないで寝ればいいよぉ」

 「トイレ! トイレ行きたいの!」

 「……トイレは縁側に出て……」

 「今、行ける訳ないじゃん!」


 素人にこの環境下でトイレに行けと言うのは中々に酷な話だ。


 「お願い! 付いて来て!」

 「……えー」

 「綾ちゃん、今日は私を散々揶揄ったでしょ! 責任取って!」

 「……仕方ないなぁ……はぁ」


 綾は怠そうに体を起こし、立ち上がる。そして障子に耳を近づけて外の様子を伺う。

 暫く黙って聞いていたが、やがて口を開いた。


 「……ふぅ」

 「ど、どう!?」

 「……声は聞こえない。山に帰ったのか、裏手に回ったのか。どちらにせよ今がチャンス」

 「よ、よし! 行こう」


 そろそろと障子を開け、確認する。熊の姿は見えない。


 「……GO!」


 綾が兵士みたいにクイクイと指で合図する。

 瞬間、咲が飛び出しトイレに直行した。


 「ひゃあ!」


 古い木製の床をトタトタ駆け、これまた古い木製のトイレのドアを勢いよく開ける。豆電球一つの明かりを頼りに用を足す。


 「ね、ねえ綾ちゃん! ドアの前に居てくれてるよね? ……ねぇ!」

 「……居ないよー」

 「居るじゃんバカァ!」


 震えながらも急いで用を足し、トイレから出でる。


 「あぁ……死ぬかと思った」

 「……いっぱい出たぁ?」

 「へ、変な事聞かないで!」


 「もう」と咲が悪態をついて何気なく窓の外を見た。


 途端、その眼は釘付けとなった。


 「わぁ……」


 外にあったもの。それは真っ暗な空に明るく輝く星の数々だった。


 「キレイ……宝石みたい」


 大きな山や木々の上空に、虫達やカエルの鳴き声をオーケストラにして、満点の星空が三六〇度に広がる光景。付近には街灯も無いのに、月と星の明かりで雨粒や水たまりがキラキラと輝いている。


 こんな美しい空を、咲は知らない。


 「……奇麗だね」

 「うん!」


 暫くの間2人で見つめる。


 「何してるの?」

 「ふぁー夜中に騒ぐなよな」


 いつの間にやら淳也と健治も起きていた。

 二人は無言で笑って、それから窓の外を指さす。


 「おぉ」

 「すごい」


 男子二人も感動の声を漏らす。

 今この天然のプラネタリウムは、今日不思議な縁で結ばれた子供たち四人だけの物だ。


 「……そういえば咲ちゃん、誕生日おめでとう」

 「え?」


 時計を見れば、ゆうに二十四時を越えていた。


 「あ、ありがとう」

 「……でもあげられるような良いものは……すぐに思いつかない」

 「いいよ。気にしないで」

 「……ううん、なんか探すよ」

 「じゃあさ、写真撮ろう!」

 「……写真?」

 「そう!」


 咲は自分の携帯を取り出し、カメラを起動する。最高の星空をバックに、四人で写真を撮った。

 驚いたり、泣いたり、騒がしい一日だったが、咲にとってはこの上ない誕生日となっただろう。


 「プッ! 健治君変な顔じゃん!」

 「し、仕方ねーだろ! 寝起きなんだから!」

 「……淳也君も寝ぐせ凄い」

 「綾ちゃんだって!」


 写真を見ながら楽しく笑う。


 「……なんか、寂しいね。せっかく会えたのにお別れなんて」

 「会えるさ。隣町なんだから」

 「中学校からは一緒だしな」

 「……それまで私のこと、忘れないでね」


 綾は切ない顔で微笑む。

 

 「綾ちゃんみたいな強烈な子、忘れろったって無理だし!」

 「……むぅ酷い」

 「それにアレ、まだ見せてもらってないしね」

 「ん? アレって何だ?」


 健治が疑問を呈す。


 「そうだね。僕もアレ貰わないと」

 「だからアレって何だ!?」

 「……あぁ、アレとアレね。いいよ」

 

 一人だけ置いてけぼりの健治。無理矢理、会話へ割り込む。


 「だ、だったら俺もアレ! アレ欲しい!」

 「……アレって何?」

 「――っ」


 言葉に窮する健治。それを見てまた、皆で笑った。


 夜が明けて朝が来る。差し込む日差しが眩しく家を照らす。

 あの後も取り留めない会話が続き、暫くしてやっと眠りに就けた子供たちだったが、実質睡眠時間は五時間未満である。


 「さぁ子供たち! 起きる時間だよ!」


 そんな中、お母さんの元気な声が無慈悲に木霊した。


 「う~ん」

 「眠い……」

 「……ご勘弁を」

 「だから早く寝なさいって言ったのに!」


 お母さんは容赦なく子供達を布団から引きずり出し、主の居なくなった布団を片付けていく。


 「もう少しで朝ごはん出来るから、顔洗ってきなさい」


 「はぁい」

 「ふぁぁあ」


 台所で顔を洗う。

 最初は眠かったが少しづつ目が冴えてきた。

 朝食のフワンと良い香りが漂ってくる。


 「頂きます」

 「いただきまーす」


 昨日の夕食は囲炉裏部屋で食べたが、朝食は居間で頂く。

 ご飯に納豆、ベーコンエッグに昨日の残りを数皿。味噌汁は豆腐とほうれん草だ。


 「あれ? 私たちだけ?」


 朝食の席へは、子供たち四人しか居ない。


 「お爺ちゃんとお婆ちゃんは先に食べちゃったよ。あの二人は早起きだから。お父さんも仕事に行ったよ」

 「……お母さんは?」

 「お母さんも仕事だよ。だから早く食べちゃってね」


 慌ててかき込む子供たち。


 「いや、其処まで急がなくても良いけどね」


 笑いながらお母さんは洗濯物を持って庭に出る。


 「いい天気だねぇ」


 スズメやキジバトの爽やかな鳴き声が聞こえてくる。

 今日は快晴だ。


 来た当初は恐ろしかった山姥の家。

 しかし今はもう、この落ち着いた雰囲気を持つ家に安心感すら覚える。名残惜しい気持ちが大きい。


 「……忘れ物は無い?」


 着替えて玄関に集まる。


 「うん……大丈夫!」


 元気に答えるが、心は少し寂しい。


 「…………」

 「…………」


 無言で靴を履き、入り口の扉を開ける。

 昨日は台風や夜の闇で解らなかったが、外の景色は雄大だった。


 「うわぁ」

 「スゲェ……」


 木々の向こうには町の景色が広がり、奥には何処までも山々が連なっている。山の緑は太陽に照らされ、美しい事この上ない。昨夜の星空も素晴らしいが、昼に見る景色もまた格別だ。


 「帰るのか?」


 お爺ちゃんに声をかけられた。箒を持ち、どうやら庭で台風の後片付けをしているようだ。


 「気を付けて帰りへ」


 お婆ちゃんは縁側のガラス戸を開け、日差しを浴びながら山菜の仕込みをしている。


 「うん。バイバイ」

 「またな!」

 「じゃあ……」


 名残惜しく挨拶を交わし、車へ乗り込む。


 「……咲ちゃん」


 後部座席ののスライドドアを閉めようとするタイミングで綾に呼び止められた。


 「綾ちゃん。どうしたの?」

 「……これ」


 綾は咲に、奇麗にラッピングされた袋を渡す。


 「これは?」


 「……誕生日プレゼント」


 少し伏し目がちに、照れながら答える。


 「あり……がとう」


 我慢していた感情があふれ出す。咲は静かに涙を流した。

 寂しがり屋の咲にとって、友との別れはこの上なく悲しい。たった一日だけの関係。されどこの濃密な時間は深く思い出として心に刻まれた。

 

 そんな咲の体を綾はギュッと抱きしめ、優しく背中をポンポン叩く。


 「……また来てね」

 「また……来るから。来るがらぁ」


 とめどない涙が流れる。綾も少し目を潤ませながら、静かに背中をさする。


 「し、仕方ねーから俺もまた来てやるからな!」

「僕もまた来ていいかな?」

 「……うん。待ってる」


 男子たちがグッと親指を立てる。綾も同じポーズで返す。


 車が走り出した。綾とお爺ちゃん、お婆ちゃんが手を振って見送る。


 「……っまたねー!」

 「何時でも来いへー!」

 「へばよ」


 車の窓を開け、三人も手を振って答える。

 家からどんどん離れて行き、やがて家も綾たちも見えなくなった。


 「どのくらいで着くんだ?」

 「んー二十分位かな?」

 助手席に座る健治とお母さんの会話が続く。


 「ねぇ、咲ちゃん。何貰ったの?」

 「ぐすっ……何だろ?」


 淳也に促されて咲が袋を開ける。


 「うわぁ! 可愛い!」


 中には一本の枝から彫られた、可愛らしい熊の彫刻が入っていた。

 

 「それは綾が彫ったやつだね」

 「凄い!」

 「あいつ器用だな」


 三人は感心して眺める。


 「あれ?」


 他にも何か入っている。メッセージカードだった。

 中を開くと、そこに書かれているのはハッピーバースディの文字と一言だけ。


 『ヤマンバに会うためのヒミツの呪文』


 そして添えられていたのは数字の羅列。間違いない。これは電話番号だろう。四人の関係はこうして途切れず繋がったのである。



 車は林道を抜けて町へ出る。

 見慣れた風景が近づいてくる。

 子供たちのちょっとした異世界での体験はこうして終わりを迎えた。

 いや、『始まり』かも知れない。

 咲の携帯。その壁紙には昨日の写真がしっかりと映し出されている。


 「ふふ」


 思わず笑みがこぼれる。

 流れゆく景色を眺めながら、さてどのようにして次回、綾の家に乗り込んでやろうかと咲は考えを巡らしていた。





 






 最後まで読んでいただき有難うございます。初投稿で拙い部分が多いかと思いますが精進してまいりますので何卒よろしくお願いいたします。


 作品の舞台は北東北のイメージです。作中の田舎言葉は津軽弁をマイルドにした感じです。本場の津軽弁は外国語です。津軽生まれ津軽育ちの自分でさえ年配の言葉は難しくてたまに解りません。


 綾の家のイメージは遠野市の、あるアニメの舞台にもなった古民家そのままです。ただ屋内は現代人があのまま住んでたらどういう家になってるだろうか? と妄想して弄っています。現代的キッチンとか風呂とかトイレとか。


 南部曲がり屋に津軽弁っぽい言葉を話すマタギが住んでいる……何県だよ!

 という事で舞台は北東北のどこかという事で……。

 

 参考にマタギや山暮らしの本や動画、博物館等を数多く見ましたが、殆ど反映出来なかったので……。面白そうなエピソードは沢山浮かんだのですが……。気が向いたら続編も書くかもしれません。

 

 これからも様々なジャンルの小説を書いていきたいです。何卒、宜しくお願いいたします。


 



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