帰りたい、ただそれだけで
異世界転生・恋愛
昔書いたものを改稿しただけです。
さらっとお読み下さい。
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前世日本で暮らしていた私は満足していた。その時の状況に。
仲のいい家族と結婚も決めた大好きな恋人。友達との関係も良好で、何一つ不足なんてなかった。みんなと一緒に過ごせる毎日があるだけで幸せだった。
―――だけど、それは終わってしまった。
生まれ変わりなんて求めてない。
帰りたい、ただそれだけだ。
満ち足りたあの場所へ。
私のいるべき場所へ。
異世界転生、というのが本当にあると知ったのは自分が不慮の事故で死んで生まれ変わってからだった。
そんなもの憧れたことこそあっても、一度も望んだことはない。
前世日本で暮らしていた私は満足していた。その時の状況に。
仲のいい家族と結婚も決めた大好きな恋人。友達との関係も良好で、何一つ不足なんてなかった。みんなと一緒に過ごせる毎日があるだけで幸せだった。
―――だけど、それは終わってしまった。
長距離バスに乗って、勤め先が地方になってしまった友達に会いに行った時だった。
有休をとるために仕事を少し詰めていたので私は眠気に抗えずすぐさま眠りについた。
そうしていくらかして起きると、自分は倒れていた。
体中が痛かった。
目の前に投げ出された自分の腕があって、たぶん指の数は揃っていなかった。
だんだんと自分から腕のほうへと地面が真っ赤に染まっていく。
痛い。痛い。痛い。
何かが燃える匂いがする。
鼻に残るようなべたつく匂いだった。
いたい。いたい。いたい。
視界の端で炎が揺れるのが見えた。
硬いアスファルトの上の自分の血はいつの間にか茶色い液体と合流していた。
いたい。
全身が痛い。
―――ああ、いたい。
目覚めた時には赤ん坊になっていた。
明るい茶色の髪をした外人の女の人に抱きかかえられて、生まれ変わったと分かった私は必死に泣いていた。
ひたすら悲しかった。
痛くて、寒くて、彼のことも家族のことも友達のことも考える余地もなく死んで行ってしまった自分のことに。
そして、生まれ変わったことに。
生まれ変われるならば、記憶なんて消してほしかった。
それならば、まっさらな気持ちでいられたろうに。
嘘だ。忘れたくない。
彼と幸せを分かち合った日々。家族と、友達と過ごした日々。
幸せだった。満たされていた。一日一日が充実していた。
ほかでもないみんなのおかげで。
なのに、なのに―――……
それに追い打ちをかけるように、私は生まれ変わって数か月でこの世界が元いた世界と違うことを知った。
おそらく母親である茶髪の女性が魔法、というものを見せてくれたからだ。
彼女が何か唱えると浮き上がる魔方陣のようなもの。
そして、そこから湧き出る浮かぶ水。
外国だと思っていたのに、ここは地球でさえなかった。
生後数か月にして、私は絶望した。
恋人と結婚したかった。
家族ともっと過ごしたかった。
友達と会いたかった。
前向きになることなんてできなかった。
前の生に、元の世界に未練がありすぎて。
過去を捨てることなんてできなくて。
帰りたい。
ああ、帰りたい。
あの場所へ。
私のいるべきあの満ち足りた場所へ。
そうして15年。
私はとある魔法学校の高等学校に入っていた。
この年齢になるまで、私の家族はよくしてくれた。
はっきり言って、瞳に宿っている生気が薄くて、感情の乏しい子供なんて不気味でしかないだろう。けれど、両親や兄、乳母(母親と思っていた茶髪の女性)は私をできうる限り愛してくれた。感謝しかない。
でもどうしても前世の家族が恋しくて、私の思いが変わることは、なかったけれど。
「おはよう」
授業前に本を読んでいた私は後ろから声をかけられた。
聞き覚えのある声だ。きっと、入学式に席が隣になったリュカだろう。
ええ、といつもと変わらぬ抑揚のない声で返す。
この国には高等学校に入る前に中等教育学校があるけれど、私に友達は一人もできなかった。子供は敏感で私が普通とは違うことを感じ取ったのか忌避されていたし、話しかけてきた子もいたけれどどうしても前世の友達を思い出してしまって仲良くなることはなかった。
だから、こうして毎日挨拶を交わすのはリュカが初めてだった。
「今日は魔方陣基礎学Ⅲ? それって3年生の内容だよね?」
私は今世の家族には普段からなにも返せていないから、せめて勉強くらいはと昔から頑張っていた。そのおかげで上の学年の勉強まで今は進んでいる。内容はそんなに難しくないので大変ではない。
私は別に、と素っ気なく返すとリュカは努力家だなぁと笑った。
そんなこと、ないのに。
一方的にリュカが話すだけで大抵授業の開始時間になる。彼の話は妹が反抗期で大変だとか、近所にできた新しいカフェのケーキがおいしいとか、明日は雨が降るらしいとかくだらないこと。
私はただ返事にもなっていない相槌を打った。
そうして、何となしに学園生活を送っていた。
だけど、転機が訪れた。
今世で一番の転機が。
異世界から、人が召喚されたのだ。
それは王宮で慣例として行われている儀式の最中だった。
昔、この世界は魔神に乗っ取られかけた。その時にこの国の基となった国が異世界から勇者と聖女を呼び出した。彼らは私たちの救援を快く受け、恐るべき力で魔神を討ち果たしたそうだ。そして、勇者は国へ帰り聖女は新しく建国されたこの国の王子と結婚して幸せになった。そんな、御伽噺。
そのことから、この国では勇者召喚の儀式を建国祭で慣例のように行うようになった。
今回も先日の建国祭で勇者召喚の儀式が行われた。
そして、毎年のように何もなく終わるはずだった。
けれど、事は起こった。
突然空が裂け、大きな魔方陣とともに一人の少年が降ってきた。
黒い髪に黒い瞳の少年。
彼は喪服のような不思議な黒い服を着ていたという。
私はてっきりただの神話のようなものだと思っていた。
建国記はどこの国も自分の国を美化しているものだ。だから、そんな昔ばなしなんてありえないと思っていた。
けれど、それは御伽話じゃなかった。
勇者召喚は、あった。
つまり―――、異世界を渡る術はあるのだ。
私は歓喜に震えた。
ああ、帰れるのだ、と。
私の戻るべき場所へ。
召喚された少年は王宮に保護された。
そして、学校の中から年の近い魔法に明るいものを傍につけたいと要請があった。
私はすぐに立候補した。
私の立候補になぜかリュカはいい顔をしなかったけれど、今世の家族は私が自分から行動したのを喜んで賛成してくれた。
成績が優秀だったおかげで、私はなんとか少年の友人役の一人として王宮に行けることになった。
その日は人生で初めて表情筋が動いた気がした。
少年との初顔合わせの日、私は選ばれた数人とともに馬車に乗った。
私のほかにも騎士の学校や貴族の学校からも人が選出されていたようだった。
王宮に着いて、すぐに私たちは謁見の間に通された。
そして、王に激励される。
彼のものと関係を深めるように、と。
男女同じ人数くらいの周りの子たちは強くうなずいていた。
そのあとすぐに私たちは少年のもとへ通された。
今日は親睦会ということで、私たちはお茶会形式のその小さな会場につく。
そこにはすでに少年がいた。
私たちは決まっていない席を適当に座った。なぜか女の子たちは彼の近くに座りたがった。
私もそうしたかったが、彼の顔立ちを見て、きっと伝わるだろうと思ってあきらめた。
みな席に着いたところで、自己紹介が始まる。
「青木裕也です」
来た当時と同じ服――学ランの彼ははにかみながらよろしくといった。
そのあとに女の子たちが続く。そして、ほかの子が続き、私は最後だった。
席を立って、お辞儀する。
「初めまして、飯田冴子です」
少年の表情が変わる。きっと伝わっただろう。
この世界では基本的に洋風の名前だ。私の今世の名前もそうだし、私の前に名乗った子たちもそうだった。
だからこそわかる、明らかに一人だけ毛色の違う和風の名前。
驚いた顔の少年に、私は努めてにこりと笑ってみた。
「待ってくださいっ!!」
そのお茶会の後、私は少年に呼び止められた。
周りに侍っていた女の子たちに睨まれたけれど、私は気にせず彼の瞳を見つめた。
懐かしい、黒。
金髪に碧眼になってしまった私には、ない色。
「えーっと、いいだ、さん?」
恐る恐るうかがう彼の言葉に私は頷く。
「冴子でいいわ」
「じゃあ、冴子、さん。その、この後、話せませんか……?」
お茶会ではゆっくり話せませんでしたし、と少年は周りの少女たちを見た。
その眉は富士山のようになっており、困っているのが丸わかりだった。
「ええ、いいわよ」
と、私は返事をすると、彼が滞在させてもらっているらしい部屋へと向かった。
背中に強い視線を感じながら。
「そのっ……、」
部屋についてすぐ、向かい合わせに座っても少年は何も言いだせていなかった。
同時に私も何を話せばいいのかわからなくなっていた。
おかしいな。前世ではこんなことなかったのに。
「冴子さんは、どうして……?」
そのあとに続くのは、こんな姿をしているのか、だろうか?
それとも、ここにいるのか、だろうか?
―――そんなの私が知りたいのに。
「私、この世界で生まれ変わったのよ」
前世は日本人だったわ、というと、少年はほっとしていた。
「ここに来て、実は心細かったんです。少しでも話せそうな人がいて、よかったです」
「私も、あなたと話せてうれしいわ」
そして、私たちは日本の話で盛り上がった。
どうやら彼が過ごしていた日本は私がいた時よりも時代が進んでいるようで胸がチクリと痛んだ。
彼は言った。
ここには呼ばれたんだ、と。
だから、それを成し遂げるまでは帰ることはできない、と。
どうやら王宮側からはいつでも帰る方法を教えることはできるといわれているけれど、目的を遂げるまでは聞く気はないそうだ。
だから、私も聞かなかった。
本当は詰め寄ってでも聞きたかったけれど、なんだか少し不安そうな少年の横顔が知っているような気がして、強く言えなかった。
帰りたい、ただそれだけなのに。
そうして、私は彼の目的を終えるまで何かと王宮に通うようになった。
あのお茶会で仲良くなれたのは私だけのようで、王は私が通うことを推奨したし、家族も少しだけ私の顔に表情が現れたといって楽しんできなさいと送り出してくれた。
ただ、リュカだけは違った。
「また向かうの?」
学校に課題を提出しに来ていた私は、廊下で突然引き留められた。
低く、冷たい声だった。
つかまれている手首は痛くはないけれど、私の力では振りほどけそうになかった。
「貴方に関係ないでしょう?」
だから離してちょうだい、といつもと変わらぬ瞳で彼を見つめるけれど、リュカは悲しそうに顔を歪めただけだった。
「ああ、関係ないかもしれない。君にとって、俺はただの雑多な景色の、騒音の一つなのかもしれない。だけど、だけど……!」
バチンッと空気の弾けた音が鳴る。
この学校では成績優秀者は校内での魔法使用が許可を得ずともある程度認められている。私も、その一人だ。
今回は彼と私の手首の間の空気を破裂させた。手首が少し赤くなったけれど、早く、少しでも早く少年のもとへ行きたかったからこれくらいはしょうがない。
「なんで……っ」
リュカが私をつかんでいた手を強く握って小さく叫ぶ。
でもその先は言葉にならなくて、なんでもない、と呟いた。
私はそう、と言ってその場を去った。
なぜか、足取りが重かった。
「冴子さん、見てください!」
王宮につくと、少年が嬉しそうに笑って手を掲げていた。
その先には魔法陣と大きめの炎。
私が友人役に選ばれた理由の一つに魔法に詳しいというのはこういう時のためだ。
少年が魔法を覚えたいといった時のため。
王宮側からも指導役がいるみたいだけれど、前世の知識がある私の説明のほうがどうやらわかりやすいみたいで私が教えることのほうが多い。
「裕也くん、部屋が燃えちゃうわ」
確かリュカの妹が誤って炎の魔法で部屋の天井を焼いたことがあると聞いたことがあった。私が注意すると、少年はすぐに火を消した。
「魔法って手加減が難しいですね」
私の前世がなんとなく年上だとわかっているのか、少年は敬語で話す。私は気にせずそのままだ。
「そうね。裕也くんは召喚された人だから魔力の使い勝手にまだ慣れていないだけよ。慣れれば簡単に使いこなせるわ」
そういって私は手のひらを空に向けると、魔方陣を作り、七色の光を生み出した。そして、その光の形をどんどん変えていく。鳥、猫、犬、馬、象、最後にはそれらが弾けて蝶となって舞い散る。
少年は目を輝かせた。
「すごいですねっ!!」
ぱちぱちと子供のように手を打つ音は静かな部屋によく響いた。けれど、それが止むと途端に部屋は静寂があふれた。
ねぇ、と尋ねる。
私をまっすぐ見つめるその黒い瞳は黒曜石のようで、吸い込まれそうだった。
「成し遂げなければならないことって、なに?」
少年がこの世界に来て二月経った。だが、依然として行動する様子が窺えない。多くの時間を共にしているのだから、それは確かだと思う。
だから、少年が呼ばれた理由が何なのか気になった。
最初に心細いと言っていたのに、そんな心細い世界に居続けるような理由なのだろうか。その、成し遂げなければいけないこととは。
少年は急に背筋をシャンと伸ばした。
「絶対に成し遂げるので大丈夫ですよ」
窓の外を見つめながら笑うその表情は今まで見たことがないほど大人びていて、やっぱり懐かしい感じがして私は息をのんだ。
この少年は、まさか…?
思考に耽りそうになって、ねえ、と次は私が尋ねられた。
「あなたの大切な人は誰ですか?」
「新羅くん」
久しぶりに呼んだ恋人の名前。
でも、すぐに出てきた。
私の大好きな恋人。
彼に続けて家族の名前と友達の名前を連ねる。
少年はうんうん、とうなずいて聞いていた。
そして、イイ笑顔で言った。
冴子さんにはまだ、教えられません、と。
それはさっきの私の質問に対する答えだろうか?
なぜまだなのか、私には分らなかった。
そうして時はどんどん過ぎていった。
半年ほどたっているはずなのに少年は何も変わっていなかった。
理由を聞いたら、召喚された時間軸に戻れるのだそうだ。
建国記における勇者もそうだったらしい。
だからだろうか、少年は全く来たころと変わらなかった。
いまだに何かを成し遂げられていないというのに、依然として笑っていた。
だが、私は焦れてきていた。
やっとあの場所に帰れると思ったのに、それがどんどん遠ざかっている気がしたからだ。
イライラが、積もっていった。
けれど少年はそんなことをまったく気にしていないようだった。
「冴子さん、冴子さん、あなたの家族について聞かせてください」
少年は私の家族について聞くのが好きなようで、何度も何度も同じ話を語らされた。
今日はどんな話をしようか。弟の反抗期の時の話か、それとも父のおかしな失敗談か。
「いいわよ」
そう答えて今日は母の話をすることにした。料理上手な優しい母のことを。
けれど、少年は首を振った。そしてまた同じことを言った。
「あなたの家族について聞かせてください」
「え? ええ」
訳が分からなかったが、母の話は好きではないのかと思って弟の話に変える。しかしまた少年は違うという風に首を振った。
「冴子さんの家族ではなく、今のあなたの家族の話を聞かせてください」
「今、の…?」
そうです、と少年は笑った。その瞳は嫌になるくらい優しかった。
戸惑いながらも私は話し始めた。
「その、母は優しい人よ。父も優しいわ。商人をやっているの。それから乳母がいて、彼女も……優しいわ」
そこで気づいた。私はあまりにも両親や乳母について知らないことに。それ追い打ちをかけるように少年は聞いた。
「お母さんの好きな食べ物は?」
「えーっと、確か……忘れてしまったわ」
「お父さんは?」
「………しらないわ」
「乳母さんの好きな色とかは?」
「………わからない」
「そっか」
前世の母や父、弟のことは何でも知っているのに、今の家族について私は何も知らなかった。きっと彼らは私の好きな食べ物を当たり前のように知っているし、好んでいる色や場所も知っているだろう。なのに、私は何も知らない。
それを思い知らされた。
少年はそれ以上は何も聞かなかった。
家に帰ると、両親が待ち構えていたようにおかえりと言ってくれた。
すぐに夕飯の席につき、今日の王宮で何をしたか聞いてくれる。
「今日も彼と話したのよ。それから魔法の勉強もしたわ。彼は呑み込みが早くて教え甲斐があるわ」
そうかいそうかい、と優しく両親は笑った。それから学校はどうかと様子を聞かれる。
母が細めるその瞳は私と同じで、父の白髪が見えにくいその金髪は私とお揃いだ。彼らは私の両親なのに、私は彼らについてほとんど何も知らないし、聞いたことがないと気付かされた。
「……その、お母さん、お父さん」
今更聞くことに少し勇気が必要だ。けれど、両親は言葉詰まる私が言えるまでたっぷり待ってくれた。
「好きな、食べ物を……教えてください」
両親は少し驚いたようだけれど、二人で顔を見合わせて嬉しそうに笑って教えてくれた。それから今まで知らなかった二人の仕事の詳細や出会いの話も。初めて二人の惚気話を聞いた。夕飯は終わってしまったのに、私たちはずっと席についたままで話し続けた。
次の日、私が学校に行くとリュカがまた話しかけてくれた。
「おはよう」
「おはよう」
返事を返すと、リュカは驚いた顔で固まってしまった。そういえば、私はリュカに挨拶を返したことはなかった気がする。
どうやら記憶違いではないようで、リュカは急に顔を手のひらで覆うと小さな震え声で呟いた。
「……やっと応えてくれた」
失礼な。今までだって相槌くらいはしていた。………いや、でも私は両親と同じようにちゃんとリュカのことを見たことはなかったと思う。今まではロボットのようにただ反応していただけだ。応えたのは初めてかもしれない。
「い、今まで、余りにも距離があったから、これからは少しは歩み寄ろうかと……」
―――言ってすぐ後悔した。
なんて恥ずかしいことを口走ってしまったのだろう。先生がすぐ教室に来てくれて、授業が始まったのがありがたかった。
けれど斜め前に座るリュカの赤くなった耳を見て、自分の言ったことをまた思い出して私はつい机に突っ伏した。きっと私の耳も赤くなっているだろう。
心が震えるのがくすぐったいのだと久しぶりに思い出した。
「裕也くんは何を成し遂げに来たの?」
少年がこの国にやってきてもう一年だ。それでも少年は一向に行動に移すことはなかった。
これは帰りたいからでもあるけれど、純粋に少年が何を成しにこの場所に来たのか気になった。すると少年は一度悩んでからいつか私に聞いたことをまた言った。
「あなたの大切な人は誰ですか?」
少し、悩む。
前世の家族や恋人はもちろん大切だ。けれど半年前から段々打ち解けてきた家族も、そしてリュカも大切だ。
それを正直に伝えると、少年は嬉しそうに笑った。
「冴子さん、冴子さんはまだ日本に帰りたいですか?」
「えっ?」
きっと気づいていただろうけれど、でも少年に日本に帰りたいといったことはなかった。だからつい聞き返してしまった。
「日本に、行けるの?」
私が一番聞きたいのはこれだった。少年は帰れるらしいが、私が異世界に渡れるかは未だに分かっていなかった。
「僕はさ、とある人の望みでこの場所に来たんですよ」
少年は私の問いに答えずに急に語りだした。思えば少年の身の上話は一度も聞いたことがなかった。
「その人は俺の父で、先日事故に遭って今入院しているんです」
事故は私にもあったように誰にでも起こりうる。祐也くんのお父さんもたまたまその一人だったのだろう。
「その父がうわごとで言ったんです。彼女に新しい帰る場所を教えてあげてほしいって。彼女って、父の昔の婚約者で、その人は事故で亡くなったんですよ」
「えっ?」
「父は婿養子だった。旧姓は守谷」
耳を、疑った。
新羅くんのフルネームは、守谷新羅だ。
まさか少年が、裕也くんが、新羅くんの息子だったなんて。ずっと感じていた懐かしさは新羅くんにどことなく似ているからだろう。
驚いたし、胸が痛くなったけれど、それ以上になぜか嬉しかった。
「新羅くん、結婚したんだね」
新羅くんがどれだけ私を好きだったか知っている。それは執着ともいえるくらいだった。だから私は新羅くんのためにも帰りたいと思っていた。でも、好きな人が見つかったのか。
「晩婚だったけれどね」
「そんな気はしたわ。……お母さんはいい人?」
「うん、お父さんよりも一回り下だけど、お父さんが大好きすぎてずっとアプローチしてやっと結婚したらしいんです。お母さん、しつこい性格なので」
「ふふっ、それくらいのほうが新羅くんにはよかったのかもね」
大好きな恋人が他の人と結婚した話なのに、思ったよりも傷ついていない自分がいた。
「……それにしても、新羅くんの願いでもこの場所にそう簡単に来れるものなの?」
「よく分からないですけど、お父さんがうわごと言った後に声が聞こえたんですよ。『その望み、叶えてやる』って。そうしたらこの場所に来ていました」
「んんん……、勇者召喚の儀式と何かかかわりがあるのかしら? それだとしても私たちが分かりようがないわね」
「そうですね」
きっと神々の話になるだろうから私たちで結論を出すことはできないだろう。今ある事実は私がいて、裕也君がいるということ。
「―――じゃあ、その願いはかなえられた?」
ふっと少年は笑った。
「アリツェさんが一番わかってるでしょうに」
次の日、学校で私はリュカと昼食を食べていた。
前までは一人で済ませていたが、ここ半年は二人で一緒に食事をとる。
「―――裕也くん、明日にも帰るって」
「異世界に?」
うん、と頷いた。
リュカは毎日妹にお弁当を作ってもらっているらしく、今日も可愛らしいおかずばかりだった。たこさんウィンナーは異世界でも定番メニューらいい。私は乳母が作ってくれたもので好物ばかりはいっている。
「実はね、私も裕也くんと同じように異世界出身なのよ」
そういうとリュカは驚きに目を見開いた。ウィンナーを口に入れる手前で顔が固まっている。
「……嘘だ」
「嘘じゃないわ。確かにこの体はこの世界で生まれたものだけれど、異世界で過ごした記憶があるの」
「そうなのか」
「ええ、………いいところだったわ。大好きな家族と恋人、友達がいて、毎日が楽しかった。だから生まれ変わったときにそれがすべて奪われたようで帰りたくて帰りたくて現実を否定してきた」
けれど、裕也くんのお陰で私は現実を見ることができるようになった。帰る場所を、知った。
昨日裕也くんに聞いたのだけれど、私を異世界に連れていくとは出来ないそうだ。あちらの人は異世界移動に耐えられても、この世界の人は耐えられないと教えてくれた。昔の私ならまた絶望してしまうだろうけれど、もう大丈夫だ。
「………ずっと、帰りたかったのよね」
それが今は懐かしいことに感じる。
リュカは私の言葉を聞いて、生まれ変わったことに驚いていたようだけれど、どこか納得していた。そして残念そうに笑った。
「そっか」
次の日、私は裕也くんを見送るために城に来た。
王は勇者のように力を持つ裕也くんを引き止めたかったようで私に期待していたというのに帰ることになったから睨むように見ていた。そんなことを言われても、裕也くんは最初から帰るつもりだったから引き止めることなどできないだろうに。
裕也くんが召喚された場所では沢山の魔術師たちが返す準備をしていた。裕也くんが言うにはこんな風に仰々しい備えをしなくても祐也くんが帰りたいとこの場所で願えば帰ることが出来るらしい。帰還の儀と言って大々的にしている意味を私は感じないけれど、これも国の関わりがいろいろあるらしい。
「裕也くん」
「アリツェさん、来てくれたんですね」
話しかけると祐也くんは嬉しそうに駆け寄って来た。その姿が新羅くんみたいで表情が綻んでしまう。
祐也くんはあの日から私を冴子とは呼ばない。違和感があったはずのアリツェがもう私の名前だからだ。
「この一年、本当にありがとう。私が頑固だったせいで大変だったでしょう?」
「あはは、確かに帰りたいと思う時もありましたけど、アリツェさんがいてくれたおかげで全然大丈夫でした。ーーーそれにお父さんから何度も聞いた方にずっと会ってみたかったので」
「お母さん、嫉妬しなかった?」
「もちろんしてましたよ。でもそれも含めてお父さんが好きみたいです」
新羅くんは本当にいい女性に会えたみたいだ。幸せそうで嬉しい。
祐也くんの頭を撫でた。サラサラとした髪質は父譲りだと思う。
「お母さんに新羅くんをよろしく言っておいて」
「はい」
「ーーーあと新羅くんには来世ならまだ空いてるって言っておいて」
そういうと祐也くんは俺のお母さんもお父さんを狙ってるから気をつけてとけらけらと笑った。来世はきっと新羅くんの取り合いが始まるだろう。
「ーーーでも来世ってことは?」
祐也くんは揶揄うように私を見た。彼の話をしたことがあるからかもしれない。
そうよ、と私は笑って返したのだった。
祐也くんはそれからすぐに日本へ帰還した。
儀式が終わると、私は城から飛び出した。
すぐにでも会いたい。私のいるべき場所に。
早く帰りたい、ただそれだけが私の足を突き動かしていた。
「リュカ!」
リュカがいる場所は教室だった。彼は私の机をじっと見つめていたが、私に気づいて顔を上げる。それはそれはみっともない泣き顔だった。
もしかしたら私が祐也くんとともに日本に帰ると思ったのだろうか。
「アリツェ…、君は、少年とともに…」
「行かないわ」
「そんな、じゃあ……」
リュカはゆっくりと私に近寄ると、ぎゅっと力強く抱きしめたい。もう離さないと言わんばかりに。
「君をずっとこうして抱きしめたかった。けれど、いつもどこかに行ってしまいそうな君を引き止めることが出来るまではするつもりはなかった。でも、今は………」
背中に手を回すとリュカは嬉しそうに顔を私の首筋に埋めた。かかる鼻息がくすぐったかった。
「私の帰る場所にはね、あなたがいるのよ」
両親と乳母と、それからリュカ。
それが私の、アリツェの帰るところ。
ーーー私の幸せは、ここにある。