愛しい彼を壊したい
異世界転生・恋愛
*
運命が変わらないのなら、私を殺す愛しい彼を壊してしまおう。
少しでも私の痕を残すために。
随分と前に書ききって眠っていたものです。
設定ゆるゆるポンなので、ツッコみは受け付けません。
運命はきっと決まっている。
それはたぶん神様が定めたもので、私如きに変えられるものでは決して、ない。
生まれてから今の今まで、私はそれをずっとずっと思い知らされてきた。
どう頑張っても、私の未来は僅かにも変わらなかった。
だから私は思った。
将来の不幸が決まっているなら、みんな不幸になればいいと。
私だけなんて不公平だ。
みんなみんな不幸になればいい。
大好きな彼だって、壊れてしまえばいい。
―――運命には逆らえないのだから。
◇ ◇ ◆ ◇ ◇
「ああ゛っ……!」
鞭の音とともに、呻き声とも叫び声ともいえるような声が上がった。
父は今日は機嫌がよかったというのに、彼を見てしまってから怒りが湧き上がって止まらないらしい。見かけただけだというのに、こうして地下室に鎖でつないで鞭を打っている。
「お前がっ!! お前たちが無能なせいで!! ナンナが死んだのはお前たちのせいだ…っ!!」
最近食が細くなったせいで父も体力が衰えたのだろう。まだ始まって半刻しか経っていないというのにはぁはぁと全速力で走った後のように息を切らしている。
父の鞭の手が止まると、静寂とともに、彼の痛みに悶える声もよく聞こえた。
「うぁあ゛……、う……っ」
前回の背中の傷が治って間もないというのにまた新しい傷ができてしまった。
私は地下室の扉の隙間からずっとそれを見つめた。
紅い鮮血。流れるその血はいつか私の毒となるだろう。
「お父様」
地下室に籠ってまだそう時は経っていないが、これ以上続けては父が倒れてしまう。
私はまるで今着たかのようにドアの外から父に呼び掛けた。
「お父様、お母様が今起きたの。お見舞いに行ってあげて」
「おぉ、マリアンヌ、そうかそうか。ナンナは体が弱いからな。私がいなくては」
痩けた頬を上げて浮かべる弱々しいその笑顔にはもう慣れた。昔のような優しさはもう一生見ることは、ない。
子供のようにウキウキと階段を駆けのぼる父を見送ると、私は地下室に足を踏み入れた。血や他の体液の臭いはもうこの場所に沁みついているのだろう。
鎖でつながれ、痛々しい彼のもとへゆっくりと近寄る。
「ユーカリス、今手当てをするわ」
慌てたような声を出して、すぐに捨て置かれている鍵で鎖を外した。壁に腹を付けて張り付けのようになってせいで、手首には真っ黒な痣ができてる。肩手首に関しては痛みに身を捩ったときに肉を抉ったのだろう。血が脇まで流れていた。傷に触れないように壁から離れた体を支えると、近くの椅子に横向きに寝かせた。
「セレス、ティ…ナ?」
絞り出したような声に、私は彼の顔を見る。その口の端からは痛みに叫んだせいで喉が切れたのだろうか、血が伝った跡があった。
「違うわ。私はマリアンヌよ」
私はにこりと優しく笑って答えた。その優しさが彼にとって今だけの希望になるように。
まずは水分補給をさせないと死んでしまう。水次を差し出すと彼は眉をしかめた。だが口元に持っていくと抵抗する気力もないのかゆっくりとそれを飲み込んだ。コクリ、コクリと弱く脈打つ喉につい噛みつきたくなった。しかし、彼は急に冷たい水が喉に障ったのか噎せて吐き出した。ゴホゴホと背中の傷の痛みに悶えながら咳きこむ。
期待通りの反応に口角が上がりそうだ。
「ごめんなさい。冷たいお水ではいけなかったわね。すぐに温めるわ」
私は自分の口に水を含むと、少し時を置いて彼の口に直接流し込んだ。首を上げ、舌を舌で退けて私の唾液とともに送る。
コクリと喉がなった。彼はよっぽど心地が良かったのか、歯を掠めて離れた舌先を名残惜しむように見つめていた。―――けれどもうあげない。
水次を温めておいたので必要ない。
水次を差し出すと、どこか残念そうにしながらも彼はそれを嚥下した。
「手当てをするわね」
「世話を、かける」
「いいのよ。私の味方は貴方だけだもの」
手馴れた手つきで彼の傷を消毒し、包帯で巻いた。何年か前につけられた傷が残っていて指先で触れるとがさがさと荒れていた。きっといまこれを爪で抉っても彼は他の痛みで気づかないだろう。私の痕が残っても。そう考えると嬉しくなってつい手に力が籠った。
「っ…!」
彼が呻き声をあげる。
「ごめんなさい! 痛かったかしら?」
「……いや」
奥歯を噛みしめながら大丈夫だと笑う彼の背中に、新しい小さな傷ができたのがなんとも高揚感があった。
今日はもう体を休めて、というと彼は大人しくそれに従った。肩を貸して私の部屋に連れて行き、ベッドの隣の彼のソファに寝かせる。
「俺の味方は、君だけだ」
「ええ、そうよ。ユーカリスには私だけなの」
そう言って頬にキスをすると、彼はすぐに寝てしまった。
寝息を立てていることを確かめると、私はすぐに父のもとへ向かった。あれから一刻経っているが、父は大人しくしているだろうか。
部屋を出ると、父の執事が待ち構えていてそんなことはありえないとすぐに悟った。
「ここには近寄らないでと言ったでしょう」
彼と私の二人の部屋だというのに。
視線で執事を咎める。
「申し訳ございません。しかし、旦那様が部屋から出てきて下さらなくて……」
仕事になりません、と彼は眉尻を下げた。
大方父がアレのもとから離れなかったのだろう。見当がつく。
私はすぐに父のもとへと向かった。そこはもともと母が使っていた部屋で、今は誰も使っていない場所だ。
父はベッドのわきに座って本をアレに向かって音読していた。
「お父様」
声をかけると嬉しそうに顔を上げ、私を手招いた。
「今ナンナに絵本を読んでいるんだ。マリアンヌも一緒に聞いて行くといい」
「ありがとう。けれど、お母様はもう寝てしまっているわ。お父様、この間にお仕事をしないとお母様とご夕食を一緒にできないわよ」
「うーむ、そうだな……。ナンナ、続きはどうする?」
「こーらっ! お母様起きちゃうでしょ!」
私は盛り上がるベッドのわきに座り、そこを撫でる仕草をした。
「ほら、お母様は体が弱いんだから」
小声で父を叱ると、うーんと一度悩んだが観念したようだ。また来るからと言って父は部屋から出ていった。
そしてそこには私だけになった。
布団をめくると、確か玄関にあったであろう壺がベッドに寝そべっていた。これが母だというのか。今すぐ叩き割ってしまいたい。
母の部屋を出ると、私は自分の書斎に向かった。空き部屋を勝手に書斎にしたものだ。そこで、新聞を広げる。
『ハザージャ陛下の威光を他国へ』
そんな見出しとともに進軍について書かれていた。この国の国力は段々と落ちているというのに、他国に攻め入るなんて愚の骨頂。一蹴するネタだが、私にとっては物語が着々と進んでいる証拠であった。
私――マリアンヌは日本からこの国の伯爵家に生まれ変わった。
5歳までは穏やかな日々を送っていたが、ある日この世界が前世でプレイした乙女ゲームの世界だと気付いた。自分のフルネームであるマリアンヌ・クィ・ナキアキア・ルアールという名前にはなんとなく聞き覚えがある気はしていた。だがまさか乙女ゲームの世界だとは思いもしなかった。
ゲームのタイトルは『カルキルス王国物語』。
乙女ゲームに似つかわぬ堅苦しい名前だ。それまで乙女ゲームなんかやったこともない前世の私もてっきりRPGだと思って買ったものだった。
その内容は叔父によって国を乗っ取られた王女である主人公が、荒れてしまった国を立て直すべく仲間を探し、国王を討つまでの話だ。その間に仲間になった攻略対象者と仲を深めてゴールイン。ゲームの進行自体はRPGとほとんど変わらず、その中で選んだ攻略対象者と恋に落ちる一見恋愛ものではないゲームだった。
そのゲームの中で私――マリアンヌ・クィ・ナキアキア・ルアールは、悪役だった。
王女には一人の腹違いの兄――ユーカリスがいる。ゲーム中盤で合流し、大きな戦力となってくれるその兄をとらえているのがこの私だ。つまりは中ボスといったところだ。
このゲームは一度コンプリートすると登場人物たちの特別ストーリ―が開かれる仕様となっている。もちろんマリアンヌもその一人で、一度やり始めたものをやり遂げる主義だった前世の私はもちろんそれもプレイした。そして、知った。マリアンヌの過去を。
流行り病で母を亡くし、優しかった父は母を亡くしたショックで狂い、重税をかけるようになったせいで領民からも冷遇される。その結果幼いマリアンヌは性格を歪め、鬱憤を父が匿った王女の兄に当たり始める。奴隷の首輪をつけ、鞭で打ち、身体を弄ぶ。そんな少女になってしまった。
平和な日本に暮らしてきた私にとっては壮絶な過去だった。
それを思い出した私は絶望しかけた。けれどマリアンヌの不幸の発端は母の死からだった。だから大好きな母を助ければそのサイクルはなくなるのではないかと思った。
4歳にして私は書庫を漁り、流行り病の原因を調べた。ゲームで描写されていた母の症状から必死に探し出す。きっと周りからは奇妙な目で見られたと思う。でも、母を何としても助けたかった。マリアンヌの将来が不幸になるからではなくて、大好きな母だったから。
頑張ったおかげか病気はちゃんと特定できた。父におねだりしてその特効薬の薬草も取りそろえた。準備は万端だった。なのに、母は死んだ。―――私の知らないところでもう物語は進んでいた。
特定薬物に指定されていたその薬草を輸入する時に、もちろん律儀な父は国へ報告した。しかしそれが仇になった。病が流行りだし途端、その薬物を国がすべて徴収したのだ。ひとつ残らず。私たちはそれで薬を作っていたが、それさえも取り上げられた。父は家族のために一つくらいはと嘆願したが、聞き入れられなかった。
この流行り病の対策だが、実は王が王弟に任命したものだった。王弟は昔から王の座を狙っており、今回の流行り病に乗じて玉座を乗っ取りを画策した。そしてそれは成された。王弟は自らが集めた薬によって助かったが、王はなくなったのだった。
そして母も病にかかり、死んでしまった。
それから父は狂ってしまった。母を深く愛していただけに、母の死を受け入れられなかった。
毎日のように母を探して回った。ナンナナンナナンナとこの屋敷には四六時中父の声が響いた。けれど、ある日その声は止んだ。そして父は穏やかな顔で母のベッドに寄り添っていた。そこには母の大事なドレスだけがあった。ドレスならまだいい。定期的に父は母が消えたと言い放ち、母だと思っていたものを放置して母を探した。ナンナナンナナンナ、と。そして新しい母を見つける。枕、絵画、壺、本、そして死体。後妻を狙って父に迫った使用人を父が殺してそれを母だといった。綺麗な金色だった使用人の髪は母と同じく赤くなっていて、父は笑ってその髪にキスをした。
その時やっと私は気づいた。どうやっても運命を覆すことはできないのだと。
私は彼に殺されることを。
それはきっと起こるだろう。彼に恨まれて殺されるのだ。私は。
「そんなこと、どうでもいいけれど」
王女と私は同じ年のはずだ。ユーカリスを助けたのは16歳の時。つまりは来年には私は殺される。
けれど、これから起きることなんでどうでもいい。
今の私は、誰よりも何よりもマリアンヌよりも彼を壊したい。
この場所には誰も味方がいないのだと身体に教え込んで、依存させて、私だけのモノにしたい。
きっと彼は物語通りそうならないのだろうけれど、それでいい。少しの間だけ、私のモノであれば。私の存在が彼に刻まれるならば。
部屋に戻って、彼の髪をそっと撫でる。少し毛先がパサついている。
食事は食べさせているが、すぐに傷を作って寝込むせいで栄養がいきわたっている気はしない。
ん、とユーカリスが声を上げて、瞼を持ち上げた。その綺麗な瞳に最後に映したのが私になるように抉りとってしまいたい。
「マリアンヌ…?」
「もっと寝ていいのよ」
「マリアンヌは…?」
「私はずっとここにいるわ。お父様の仕事が終わるまで」
ピクリ、と耳が動いたのを私は見逃さなかった。
父が彼を鞭打ちするのは王家への恨み。彼がそれに罪悪感を覚えるのは王弟を止められなかった悔い。
優しい、人だから。
「マリアンヌ」
彼は私の名を呼ぶのが好きだ。まるで甘えているよう。私よりも年上だというのに。
「なぁに」
「マリアンヌも俺を恨んでいるか?」
「いいえ、私にはユーカリスだけなの。恨まないわ」
ぎゅっと手を握ると、強く握り返してくれた。
「マリアンヌ」
「なぁに」
「ずっと一緒にいてくれるか?」
「ええ、生きている限りは、ずっと」
私の返事にホッとして、ユーカリスはまた眠りについた。
父が彼を屋敷に招いたのは三年ほど前。父はそれまで王家の親交が厚かったため、王弟の手から逃れるために匿ってもらおうと来たのだろう。父はそれを快く受け入れた。
だが、彼らにとって失策だったのは父がすでに狂っていたこと。
王家に恨みを積もらせた父は、彼に辛く当たった。
食事を抜き、鞭で打ち、監禁する。
そんなことが当たり前のように行われた。
だが、狂った父はアレを見つけると、彼のことなど忘れたように放置する。その時に私は彼を拾って部屋に連れこみ、傷の手当てをした。その間に何度も何度も言い聞かせるのだ。
『貴方には私しかいないのよ。貴方の家族のせいで私には貴方しかいないのよ』
まるで呪詛のような言葉だろう。でも、事実だ。
父が鞭。私が飴。
そんな状態が三年も続けば彼も心が壊れるというもの。たとえ演技だとしても、私のモノである気がして嬉しい。
けれど足りない。
「……セレスティナ」
彼が寝言で王女の名前を呼ぶ。
今だけは彼は頭のてっぺんから足先まで私のモノだというのに、彼は妹を未だに忘れない。忌々しい。
だから彼の体に私を刻み込みたい。噛みついて傷つけて貴方の体には私がいるのと教え込みたい。
本当はできないのだけれど、ね。
一年の時が過ぎて、王女が各地で出没して民を助けているらしいという噂が入ってくるようになった。
彼の心はもう壊れていればよかったのだけれど、王女の名前を聞いてその瞳には日に日に光が戻っていった。
きっと近いうちに王女が来て、彼をかっさらっていくのだ。彼は腹違いであれど実兄で攻略対象者じゃないけれど、でも、彼の心は王女のものだ。
私なんてすぐに忘れられてしまう。
そしてその時はきた。
彼は屋敷に押し入った王女の手を取り、父を殺して、私の首に手を当てている。
少しでも力を入れれば私の細い首は折れる。
でも―――彼は私を殺さなかった。
私はその日からどこか知らない場所に幽閉された。
そこに来るのは彼だけで、彼は私に言った。
『君には俺しかいない。父親の死んだ君には俺だけなんだ』
それは呪詛のように毎日唱えられた。
そんなこと言わなくても、私はもう壊れて、彼に依存しているというのに。
彼がいなくなるから死んでもいいと思った。
一目惚れだった。
前世でも、今世でも。
前世では攻略できない彼にお金と時間をつぎ込んだ。
今世では絶対に届かないと思っていた彼に触れられることを知ってしまった。
でも私はマリアンヌだった。運命を変えられないマリアンヌができることなんて一つしかなかった。
彼の心にどんな形であっても自分を刻み込むこと。
それは、出来たのだろうか。
私は運命を覆せたのだろうか。
彼は毎晩帰ってきては私に君だけだと呪詛を刻む。
身体にも刻み込まれた。
彼につけられた傷は自分では数えきれない。
何処で運命が変わったかわからない。
けれど、これでいいと思った。