今日も推しが尊いから生きていける
『推し』が尊いと毎日が楽しいと思うんだ。
*
リハビリに書こうとして長くなったのを放置していたのでそれを完結させたものです。
設定ぺらっぺらなのでツッコみは受け付けません。
無駄に長い。
「かあしゃま………」
母を亡くしたその気持ちはどう表現しようもない。私の中身が、心が全て抉り取られたかのように空っぽで考える力もなかった。精神年齢が24歳であってもそれは耐え切れるものではない。
そもそも前世の私は母親という存在に恵まれなかったものだから生まれ変わった今世で優しい母に甘えに甘え、かあさまがいればいつでも幸せだった。けれど突然の喪失。朝起きて屋敷が騒がしいと思ったら母は死んでいた。原因は、分からなかった。
いつもならば忙しくて朝早くに家を出てしまう父が泣き崩れて母に縋っていた。その横で私も母の死を嘆く。―――なんでまた私を置いて行っちゃったの?
それからというもの、私は悲しくて、ただひたすらに悲しくて、腐らないようにと魔法がかけられた母の亡骸の横で毎日涙を流した。21年生きた記憶があるだけに頭では母の死を理解していても、幼い心はそれを納得できない。そんな乖離した思考の中、母にずっと話しかけていた。返事が返ってくるわけでもないのに。
そして幾日か経った頃、正確にどれくらいかは覚えてないけど食事が喉を通らなくて魔法だけでつなぎとめていた命がまだ尽きていない頃、父がとある少年を屋敷に招いた。父の親友の子供で、私よりも少し年齢が上のその少年は母がいればいいと年の近い友達を全くつくらなかった私の気分が少しでも晴れるようにとのことだった。
父からロキュスだと紹介される。母に話しかけていた私はよろしくねという幼い声に反応してだるい頭を動かして後ろにいた彼らを見た。
―――そこで私は衝撃を受けた。
彼の見た目は女の子と見間違うほど可愛らしい顔立ちに綿あめのようなフワフワの銀髪、そしてその名前。まさか、と思った。そして前世の記憶が駆け巡った。
私はしがない一大学生だった。一刻も早く自立するためにバイトに励む毎日。そんな中、私はとあるアプリゲームにハマっていた。大学入学前にリリースされ、3年間ずっと欠かさずにログインしているそれは12の国のある世界のゲームで、美麗のイラストと物語に私はのめり込んだのだ。その中でも私を魅了したのは一部のキャラクターたち――つまりは『推し』だ。私はそれぞれの国に一人はいて、そのキャラたちのグッズをバイト代を貯めて買い漁り、イベントで新しいガチャが出た時は貯金の一部を崩したものだ。『推し』のストーリーイベントの時などは何度もその物語を読み返した。その物語は『推し』の過去の悲しい話であったり、幸せになる今の話であったり、時には『推し』が死ぬ話もあった。そのストーリーを読んだ時は一人で『推し』の通夜をし、そのイベントが終わるまで毎日黒い服で過ごした。それくらい私はそのアプリゲームの『推し』たちに入れ込んでいた。だが、そんな私は虚しいことに死んでしまった。父の再婚相手である義母に刺されて。明日から『推し』の新しいイベントが始まったというのに、この恨み、末代まで祟ってやると死に際に思ったものだ。
そして話を今世に戻そう。私の駆け巡った記憶の中にはもちろん『推し』の姿もある。その一人とは――目の前にいるロキュスである。
「…ロスきゅん?」
前世でのロキュスのあだ名がつい口から飛び出る。
水晶玉をそのまま入れたような綺麗な水色の瞳、そして雨になると困りそうな癖毛の髪。さっきまで母を失った悲しみで動いていないように思えた心臓がとくりと鼓動を打つ。
(生ロスきゅん、やっばあぁぁぁあああぁぁぁっ!!! 可愛すぎ!!! ていうか進化後ショタロスきゅん尊いぃぃぃいいぃぃ!!!!!)
私の頭はその言葉で埋め尽くされ、興奮で突然血が頭に上ったせいかそのまま倒れてしまったのだ。
そして数日後、母に代わって生きる活力を見つけた私に父はまた倒れてしまうからもうロキュスを家に呼ばないと言っていたが、『推し』が同じ世界存在していて近くで観賞しない選択肢はない。じゃあ勝手に会いに行くと馬車に乗り、慌てた父に止められて数日後にまた呼んでもらうことを確約した。
後日、改めて見たロキュスは可愛すぎた。後光が差し、天使がラッパを吹いて周りを舞う。いや天使はここにおわすと、私はそのまま崇めたい気分だった。というか反射的に手を合わせて神よ!! と跪いて叫んでしまった。『推し』が存在してることに感謝して。母が生きていたころから奇行が多かった私に慣れている使用人たちと違ってロキュスは目を見開いて驚いていた。その驚き方も目に涙を溜めてふるふると怯えるものだから可愛すぎて鼻血が出た。決して変態ではありません。
まあそんなこともあったが、一緒に遊ぶうちに子供が仲良くなるのは必然。ロキュスとはその日のうちに打ち解けることができた。ロスきゅんと呼ぶのを許可してもらえなかったのは解せないが。仕方ないから心の内でだけそう呼ぶことにした。
そんなこんなで時は過ぎ、私は『推し』の横で二年も尊い日々を過ごすことができた。ロキュスの父も忙しい人で、自然と私たちは一緒に過ごすことが多かった。忙しい父を持てて本当によかった。そして私は5歳になり、ロキュスは7歳になった。
そんなある日のことである。父がロキュスと婚約しないかと私に話を持ち掛けてきた。二人は仲がいいようだし、父自身もロキュスの素直で真面目な性格が気に入っているそうだ。だからどうだと幼い私に提案する。普通ならこの年齢の幼女は父から決定事項だけ伝えられるものだが、私の場合は生まれてから間もなく言葉を理解し、ハイハイができるころには勝手に魔法を学んで屋敷の屋根を吹き飛ばし、走れるようになってからは勝手に屋敷を抜け出して近くの森で遭難したりと天才児と呼ばれている。相談するのは当たり前だ。―――だが、これはしてはいけない相談だった。ロスきゅんのお相手はもう決まっているのだから。
私は激怒した。ロキュスのお相手はルサールカに決まっている、と。イベントで語られたあの尊くて悲しいエピソードを知らないのかともちろん父は知っているはずもないのに怒鳴る。父は慌てていたが、どうしてもロキュスを婚約者にしたいようで言い争い、いつの間にか今世初の親子喧嘩が始まっていた。父は今住んでいる東の要塞帝国セントヴァリスでも有数の魔導士らしい。そして私はその娘で天才児である。魔法を使ったその争いは壮絶を極め、怪我人はいなかったが屋敷が半壊した。二人して祖母と執事長にこっぴどく怒られた。でもお陰でロキュスが婚約者になることはなかった。
お互い加減はしていたので父も私も大きな怪我をしていないが、見舞いという面目でロキュスが尋ねてきて屋敷の残状にケタケタと腹を抱えて笑っていた。ロスきゅんは何をしても尊い。その鈴のなるような声だけで父の提案で一度すさんだ私の心が洗われた。お陰で決心が、ついた。
前世でロキュスが私の『推し』となったのはゲームを始めてから半年ほど後に彼が新しくガチャに追加された時だった。そのロキュスは多くの壊れた人形の残骸の上で一体のドレスを着た人形を抱いていた。その瞳にハイライトはなく、口が薄く笑みを浮かべている。正直にいうと病んでいる二次元キャラが好きな私にはドストライクゾーンで、ロキュスが出るまで何度もガチャを回したものだ。引き当てた時は声にならない声で狂喜した。そしてその説明文にはこう書かれていた。
『その晩、彼はダンスの苦手な彼女と練習する約束をしていた。
しかし窓を開けて待っていた彼を訪ねたのは彼女の死の知らせ。
絶望する彼の心は崩れていった。
その日から彼の瞳にはもう人形しか映っていない。
死んだ婚約者を模した虚ろの身体を抱き、今日も一人でダンスを踊る。
聞こえない音楽に合わせてステップを踏む。
誰もいないその部屋にはあの夜のように月明かりが差していた。
「―――さあ、次はどのステップを練習しようか?」』
あのゲームは個々のキャラクターの物語重視で最初に読んだときは可哀そうね、くらいの反応だった。正直に言うと病んでるキャラであり顔が好みだったのでまだ公開されていないストーリーにはあまり興味がなかった。だがその半年後にロキュスの過去の物語がイベントで公開された。ロキュスメインのストーリーではなかったのだが、ロキュスの過去も関わってくるのでそこで一緒に語られたのだ。
実はロキュスの婚約者は彼の伯父によって殺されたのだった。ロキュスの家は代々実力主義の魔導士の家系で、伯父は自分の子供に家を継がせたいが非凡なロキュスに我が子が敵わないと悟る。伯父は昔、家督を弟であるロキュスの父に継がれたことを今でも根に持ち、次はその息子であるロキュスが継ぐことがどうしても許せなかった。だがロキュス本人は魔法で守られていて手を出すことができない。だから伯父はロキュスの愛する婚約者を殺したのだった。
彼女を亡くして狂うロキュス。父の研究していた魔法人形で彼女を模したものを作るが、何度作っても違うとそれを破壊する。そしてそれを重ねるうちに彼の心も壊れてしまった。やがてロキュスは一体の人形を抱き、薄っすら口を開いて笑う。あの日できなかったダンスを二人で踊るために。
どうしてロキュスの過去話が必要になったかは置いておいて、公開されたストーリーに私は号泣した。もっとロキュスを好きになり、イベントと同時に進化が解放されたので必死で周回して素材を集めて進化させた。進化後はルサールカと笑うショタロキュスの絵で『推し』の笑顔が尊すぎて心臓が止まるかと思った。
では話を今に戻そう。
ロキュスのこれからを知っている私だが、今までゲームに登場さえしなかった私がストーリーを変えていいのかと思っていた。正直ロキュスの病みバージョンも見てみたいとさえ思っていた。でも、この二年を過ごして私の中でロキュスは『推し』というだけの尊いと崇める存在ではなくなっていた。彼は大切な友人だ。だから未来を変えようと思う。ルサールカにも会ったことがある。あんな優しい彼女が殺されるだなんてあってはならない。踏ん切りがつかなかったのは病みロスきゅんにまだ未練があったクズな私がいたからだ。でも考えてみれば『推し』が存在さえすれば世界は尊いものに変わる。それに前世で何度二人が幸せだったならばと考えたことか。二人が結ばれた二次絵を見つけては速攻で保存していた。今、それが実現できるならば、しない選択肢はない。
「じゃあ行ってくる」
私は笑うロキュスと反省文を書かされている父の横で手を振った。
ロキュスのストーリーを見た時、その年齢は今のロキュスよりも上だった。恐らく12歳くらいだろう。だけど今からだってその原因の排除はできる。
ロスきゅんとルルカの幸せのために!!!
それから私は魔法を使ってロキュスの伯父のもとへ向かい、子供たちが家督を告げるだなんて夢が見れないような思いをさせてあげた。詳細は5禁(5歳児のみ閲覧可)にして伏せておこう。
その後すぐに私は屋敷に帰ったが、どうやら気づかぬうちに一週間ほどたっていたみたいで父に心配したと苦しいくらい抱き締められた。
それから2年後、私は家に置手紙を残して旅に出ることにした。
この世界があのゲームの世界だと知ってからずっと他の『推し』を一目見たくてうずうずしていたからだ。ロキュスが前から片思いしていたルサールカと婚約も結ぶことができたしちょうどいいと思って勝手に家を出た。
向かった先は隣の精霊の国エレメンタル。物語間で時代が飛ぶこのゲームでは『推し』がいつ生まれたか、いつそのストーリーが起こったかその時系列は明記されていない。だからもしかしたら『推し』はまだ生まれてないかもしれないし、もうおじいさんおばあさんかもしれないし、亡くなっていない存在という可能性もあり得る。だが精霊の国にいる『推し』は確実に生きているだろうという確信があった。
この世界の国々は国交はあるが基本的には閉鎖的で交流は少ない。私の住んでいる東の要塞帝国は最近外へ向けて交流を深めようとしているが、精霊の国とはまだうまくいっていないようだ。国境には重厚感のある門があり、閉ざされていたが無視して高い塀を飛び越えて入国する。
わたし、ななしゃいだから、こっきょうとかわかんなーい。
『推し』がいる場所に入るのに手段なんて選んでいられない。生で見たら帰るんで!!
森の中を進み、大きな樹を見つけるとそこに上って洞を探す。そこにきっと『推し』がいるはずだ。
この精霊の国では精霊を祀っている。そして死んだ同胞が精霊の一部になれるようにと精霊の起源といわれる木々の洞に葬る習慣がある。そして私の『推し』は何百年も前に死んで葬られ、そして完全な精霊と成ったキャラクターだ。
いないな、と大樹を見つけては洞を探す。洞がある樹もあったが、彼がいるものではなかった。大きな樹の中で彼は精霊としてその永遠の生を持て余しているはずなのだ。たぶん。
「なにしているの?」
魔法で引き上げた身体能力で木々の上を忍者の如く走っていた私は突然後ろから声をかけられて驚いた。ついでに足を滑らせて上空20メートルから落ちたがそこは天才児の実力で事なきを得た。
「君、すごいね!!」
どうやら私に話しかけた少年も樹の上から後から下りてきたようでまた私に話しかける。―――って、この子は『推し』の相棒じゃないか!!!!
私が『推し』の相方を見間違えるわけがない。エルフのような尖った耳と、緑の瞳、そしていたずら好きそうなその笑み。
「……レフィくん?」
「ん? 僕のこと知ってるの?」
つい名前が零れてしまった。小さな声だったのにその尖がり耳は聞き逃さなかったようだ。しょうがない、誤魔化すんだ!!
「知ってるに決まってるじゃん! 見てきたからね!」
「見てきたって、どういうこと?」
「―――だって私は精霊なんだもん!」
精霊は時を経ると人の姿をとることもある、という伝承が精霊の国にはあるらしいが、その真相はかつての彼らの同胞が精霊に完全に適合し、転じた姿だ。少し苦しい言い訳な気もするが、そうでもないと名前を知っている理由が説明できない。『推し』の相方だから知ってましただなんて誰が信じるんだ。
「へー、僕初めて子供の人型精霊見たや。思ったよりも君は人間っぽいんだね?」
「だってずっと人間を見てきたんだもん。当たり前でしょ? ―――って、子供のは初めてってことは大人の人型精霊は見たことあるってこと?」
「うん、あっちの洞に住んでるんだよ?」
私がまだ調べていない方角を差すレフィくん――レフィミーラの言葉に私は絶句した。まさか二人がもう出会ってるならあの尊きストーリーを私が破綻させてしまったのじゃないか!? そんなこと許せない。『推し』の幸せがなくなるなんて絶対にダメだ!!
これ以上ストーリーから外れたことをレフィミーラにさせるわけにはいかない。私は持てる魔法でその場から一瞬で離脱したのだった。
「まさか現在進行形でストーリーが進んでいるとは……」
普通の人間、いや、父以外は追いつけないであろう速度であの場所を離れた私は距離をとると大きくため息をついた。レフィミーラと会うだなんて予想もしていなかったからだ。今の時間軸はストーリー前かストーリー後かのどちらかでストーリーが進行中だとはなぜか思いもしなかった。そもそもこのゲームはストーリーによっては千年近く時間軸が離れているのもあるらしいし、その最古のストーリーの登場人物である私の『推し』の物語が今まさに進んでいるだなんてそんな奇跡があるとは思わないだろう。でも、これはチャンスかもしれない。
「うへ、うへへっ…」
私は喜びのあまり笑ってしまった。こんな笑い方、ロキュスや他の『推し』の前だったら絶対にできないけど、今は幸いなことに一人だ。誰も見ていない。ロキュスの前では私は(ちょっとお転婆な)お嬢さまのようにふるまっている。でも時々ロキュスが残念そうな視線を送っていたのはなんでだろう? ―――と、ロキュスのことは置いておこう。今はきっと愛しのルサールカと幸せな日々を送っているはずだ。
では何がチャンスかというと、『推し』と『推し』の相棒であるレフィミーラの出会いの物語が直接見れるということだ。二人のあんな会話やこんな触れ合いが、うへっへっへっへ……。
おっと、いけない。こうしている間にも二人は話をしているかもしれない。
私は自分に隠ぺいの魔法をかけた。そして先ほどレフィミーラが差した方向へ木々を伝って走る。するとその先に周りにある木とは比べ物にならないほどの大樹があった。その洞の奥に、彼らはいた。
無邪気に笑うレフィミーラと、私の『推し』の一人ケルネールスが。
黒い髪に緑の無機質な瞳。変わらない表情が整った顔立ちを際立てる。レフィミーラの言葉に相槌を打つ時の頷き方が尊い!!!!!
私の中で初めて生ケルネールスを見れたフィーバが始まった。心臓を抑えていないとロキュスの時みたいに倒れそうなくらい頭が沸騰している。今にも喜びで泣きそうだ。この世界の神に感謝の五体投地をせねば。
でもこの世界の神の名前って何だったかなと思ったとき、ハハッと笑うレフィミーラの声が響いた。目の前の光景に目を奪われていて音が耳に入ってきていなかったようで、集中すると段々会話が聞こえてくる。
「そういえばね、さっき変な女の子を見たんだよね!」
「そうか」
「うんうん、なぜか僕の名前を知ってて、理由を聞いたら慌てた様子で自分を妖精だって言い張る馬鹿っぽい子。すぐどこかに消えちゃったんだけどね」
って、ばれとるやーん! 私の必死の言い訳は何だったんだ……。
「消えるのがさ、もうすごい速さだったんだよ!! 僕も村では誰にも負けないくらいだと思っていたけどそんなの比じゃないって!」
「お前が褒めるなら相当なのだろうな」
「もちろん! あ、あとはネルスくらい顔が整ってて可愛かったっけなぁ。それも村の誰も敵わないくらいに!」
「そうか。―――それは、あれのことか?」
「ん?」
あちゃぁ、と頭を抱えていた私は急に指を差されて固まってしまった。
待て待て待て、私は透明人間。あらわれないのが透明人間と一昔前の某ピンク色のレディ方が言っていた。だから大丈夫だ。大丈夫だいじょ……、と言い聞かせていると、ケルネールスと目が合った。
「そこにいるのだろう?」
「ネルス、どこにあの子がいるって言うんだよ? そこにはなにもないんだけど?」
どうやら私が見えているのはケルネールスだけのようだ。それもそのはずこの魔法は父から逃れるために開発したぼやっと覚えている光学迷彩の仕組みを組み込んだ最先端の魔法だ。光を屈折させて感覚で調節するのを練習することによって光を透過するという自分でも原理がよくわかっていない魔法である。だが小さいころから広範囲に逃げ回る私を捕まえてきた使用人たちでも見つけられないという優れもの。東の要塞帝国で指折りの魔導士と言われた父でさえ気づかなかったのだからレフィミーラが気づかなくて当然だ。この魔法のお陰で私は父からバレずに屋敷から出られた。
「そうか、お前には見えないんだな」
「僕が見えないだけで、精霊には見えるものってこと? そんなものがあるなんて聞いたことないけど……」
「俺が見ているのは魔力の流れだ。人の身では見ることは叶わん」
「魔力の流れってことは魔法を使ってるの?」
「そうだ」
「じゃあ、そんな誰も知らないような魔法を使って覗き見してるってこと?」
「そうだな」
ふーん、とレフィミーラは一度何か考える仕草をすると、急に立ち上がって地面を蹴った。向かっている先はまさに私がいる場所で、すぐに逃げようと洞の入り口を目指すがなぜかそこは閉まっていた。そういえばケルネールスは木々を操る能力を持っている。洞の穴をふさぐなんて朝飯前だろう。
「しまった!」
「そこか!」
うっかり声を出してしまうと、たちまちレフィミーラに捕まってしまった。この光学迷彩魔法はなぜか人に触れられると解けてしまう。私の姿はすぐに二人の前に晒されることとなった。俵を担ぐように運ばれた私の心の中ではドナドナと音楽が流れる。レフィミーラの見た目は中学生くらいなのに力持ちだ。いや、七歳児の私が軽いのか。
「ホントにいたね」
「これがさっき言っていた自称精霊か?」
「うん、そう」
ケルネールスのもとへと戻ると、レフィミーラは私を優しく下ろした。急に二人の前に姿を現すこととなった私は居心地の悪い気分だ。さっきまで覗き見してたんだし。それにしても近くで見るケルネールスは眼福だ。私を下ろしたあとレフィミーラも横に並んでてその美麗な一枚絵に今日召されるのじゃないかという気がする。いや、まだ死ねない。『推し』の姿を出来るだけこの目に納めるまではまだ!!
「君は、どこから来たの?」
瞬きをなるべくしないで二人を見つめていると、レフィミーラが尋ねる。ケルネールスのイケメンボイスが聞きたかったのですが、あ、いや、図々しくてごめんなさい。
「私は隣国の要塞帝国に住んでいるんだけど、道に迷ったらこの場所にいたんだ…」
「君がすごく嘘つきってことは分かった。この国は高い塀で囲まれているから迷って辿り着けるはずがないんだよね」
「ちぇっ、やっぱり誤魔化しは通じないか」
「君って見た目は可愛らしいのに結構、いやかなり図太いね?」
「そりゃあ見た目以上に生きてるから。少なくともレフィくんよりも、ね?」
前世を含めればの話だけど。
私の言葉にまさか、とレフィミーラは鼻で笑った。どう見ても精霊ではない普通の幼女にそんなこと言われたら、私だって疑う。
「今のは嘘ではないようだ」
だけど、それをケルネールスが否定した。
精霊という存在は嘘が分かるらしい。木々を操る能力に加えてチートな能力だと思うが、そこはイケメンだから許される。
私はゲームのストーリーのお陰で知っていたが、レフィミーラももちろん知っていたようでふーんとまだ懐疑的ながらも納得した。
「―――で、君は結局なんなの?」
「私? 私はただの傍観者だけど?」
「傍観者って、さっきみたいに覗き見すること?」
「覗き見とは語弊があるよ! 平安時代じゃあるまいし!! 私はただ生暖かく二人の様子を見守ってるの!! ストーリーに干渉しないよ…う、に…?」
―――って、今まさに干渉してるじゃん!! やばい、これじゃああの尊きストーリーが崩れてしまう!! 私みたいな部外者なんて街中でもないこの森の中では絶対に登場するはずがないのに!!
よし、逃げよう。でも森の中でネルスから逃げられるわけがないし、もう仕方がない。ここは正攻法だ。
「あの、覗き…じゃなくて見守っていたのは謝ります。だから今すぐここから立ち去りたいのですが……」
「なんで急に? 何か理由でもあるの?」
レフィミーラに尋ねられて言葉に詰まった。理由なんてただ一つだ。あのストーリーをただただ見守りたい。
ケルネールスはゲームでも最古参のキャラクターの一人だ。私はこの顔が掲載された広告に釣られてあのゲームを始めたといっても過言ではない。一番古い『推し』だ。ケルネールスの絵は木の幹に腰掛け、鳥に手を差し伸べて遠くを眺めているものだった。その表情には何も浮かんでいなくて、深い森の緑であるその瞳に私は吸い込まれた。彼の説明文はこうだった。
『あの約束がいつしたことだったかもう覚えていない。
大切であったはずなのにその約束の内容さえも思い出せない。
過ぎ行く長い時の中に彼の心と記憶は消え去っていた。
しかしあの日の言葉はしっかり耳に残っている。
待っていてくれ、と誰かが言ったただその一言。
彼はそれだけを今でも守っている。
「―――君はいつ来るのだろう」』
まだストーリーが明かされていない状態でこの説明文だから私は最初何が何だか分からなかった。けれど、ゲームリリースから二つ目のストーリーが解放されてそれを知る。
ケルネールスは遠い昔の精霊の国の人だ。精霊の国では今も昔も鎖国的で外の国に出ることはよく思われない。しかしケルネールスの友人は外の世界に憧れを抱く若者だった。時折伝わってくる外の文化に目を輝かせる友人。そんなたった一人の友にケルネールスは呆れながらも毎度付き合っていた。
ところがある日、話をするだけだった友人が突然この国から出て旅をしようとケルネールスに言い出した。だが外の世界は精霊に守られていないため、危険な魔物が跋扈するといわれている。そんなの無理だといったが、友人はケルネールスをしつこく誘った。外の世界の文化を、技術を、景色を、人々を、一緒に見よう、と。―――そしてとうとうケルネールスが折れて二人は旅に出ることになったのだ。出発は明後日。急すぎるとも思ったが、家族のいないケルネールスには別れを告げるものはおらず、準備は容易だった。待ち合わせは村のはずれにある若い精樹の下。ケルネールスは約束通りにその場所にやってきたのだった。だが、―――いつまで待っても友は来なかった。代わりに来たのは見たこともないような獣だった。口から唾液を垂らし、目を血走らせて喉を低く鳴らすその生き物が魔獣だとすぐにわかった。精霊の加護のあるこの森になぜと疑問に思ったが、魔法は当時はほとんど発達してなく、戦う技術のなかったケルネールスは死んでしまった。
死んでしまったというのに、なぜか声がした。頭に響いてくるような声だった。すまない。族長である父に見つかってしまったのだ、と。嘆くそれが反芻する。毎日毎日、誰かはただ謝っていた。
気が付くと、ケルネールスは精霊と成って大樹の幹に座っていた。思い出せるのは自分の名と掠れた記憶だけ。誰かが言ったはずだった。この樹の下で待っていてくれ、と。彼はそれを守ってずっと、ずーっと、何百年も何千年も。そしてケルネールスは出会った。―――レフィミーラに。
レフィミーラと出会ったのは偶然だった。大昔に魔物が出たことがあるからと忌避されている精樹に興味本位で見に来たからだ。レフィミーラは外の世界に憧れる少年だった。一方的に話されるだけだったが、ケルネールスの心に何か揺れるものがあって段々と会話をするようになった。話を重ねるごとに、乾いた心に何かが湧いてくる。長い時で感情を忘れ去ったケルネールスはそのことを疑問に思いながらも少年を拒否することはなかった。
そしてある日、レフィミーラは言った。外の世界に二人で旅をしに行こう、と。精霊が外に出れるわけがないといっても、試してみなければわからないと何度も誘いを受ける。―――そしてしつこい少年にケルネールスは折れたのだった。待ち合わせは明後日と言われた。なぜか頭痛を覚えて顔を顰めたが、それでも了承した。そして迎えたその日、ケルネールスは大樹の幹で待っていた。だが、―――レフィミーラは来なかった。そして代わりに来たのは見覚えのある獣だった。記憶よりも幾分か大きくなっているその魔獣とケルネールスは対峙する。木を操る力を持っているが、それを戦いに使ったことはない。そのことに息を呑みながらも構えた。しかし、獣は襲ってこなかった。それの視線の先は今まさに走って来たであろうレフィミーラがいた。足を動かす。木々を伸ばして獣を止める。そうすればきっと―――
いつかの情景が頭に蘇った。自分は魔獣に睨まれていて、足は震えて動かすことができなかった。その禍々しい姿に助かることはできないと悟った。だが、誰かに名前を呼ばれて獣の視線はそちらへ移った。そこには待っていた友人の姿があった。獣は唸り、たった一人の友に狙いを定めた。恐怖が闇に染まるように体の内を侵食していく。相変わらず膝は笑っていた。動かそうとしても、今にも崩れそうだった。だが、それでも身体を叱咤して動かした。前へ、前へ、友人を守るために。
目を覚ますと、レフィミーラが泣いていた。すまなかった、と。族長の父に引き止められて遅れてしまったのだと。背後に見える魔物は槍のように伸びた木々が貫いてその息の根を止めていた。レフィミーラが過去のあの友人と少しだけ似てると思った。彼はきっと族長を継いだであろうからレフィミーラはきっと遠い子孫ではあるだろう。性格もそっくりなのだから似ていて当然な気がした。謝るレフィミーラにケルネールスは笑った。精霊と成って初めて表情筋を機能させたと思う。そして言った。―――待つのはもうこりごりだ。旅に出よう、と。
精霊の国の話はいつも素朴だが心温まる。私はそれが好きだった。
今の時点で二人は仲良くなっている段階だと思う。もうそろそろレフィミーラは族長である父親に次期族長の話をされて旅に出ようとケルネールスに提案するのだ。―――そして魔物の事件が起きる。この魔獣が精霊の国に現れた理由はまた別のストーリーではっきりとわかるのだが今は置いておこう。なぜ私がここにいたくないかというと、その素朴なストーリーが私という異物によって変わってしまっているかもしれないからだ。もしかしたら魔物が来ないかもしれないし、そうしたらケルネールスが過去の記憶も思い出さないかもしれない。欲に負けてこの場に来たが、やっぱりストーリーに関わるべきじゃなかった。
「私、二人の未来に迷惑をかけたくないの」
「未来? 君は僕の名前を知っていたりと不思議だと思ってたんだけど、未来が見えるの?」
「―――いや、その、……わかるかもしれない、だけ、かな。………それでね、その幸せな未来に私はいないの。だから、これ以上関われば二人の未来が変わってしまうかもしれない」
何秒も悩んだ末につまみだけ話した。これで二人とはもうおさらばだ。生『推し』が見れたのは嬉しかったけど、もうストーリーが見れないかと思うとやっぱり残念だ。
「だから、行くね」
洞の入り口を塞いでいる太い蔦を魔法で刻んで道を作る。そして二人の間を通り抜けようとすると、腕を引かれた。
「ここにいればいい」
それはケルネールスだった。精霊だからなのか、私が子供体温だからなのか、私の腕を掴むその手は少しひんやりしていた。私を引き止めるその表情に変わりはなかったけれど、その瞳には強い意志があった。
あ、と声が漏れる。
ケルネールスは過去に家族と何かあったらしい。はっきりとは明かされていないけれど、こうして怪しい私を引き止めてくれるのはそれが起因している気がした。
『推し』に見つめられて従わない私はそこにはいなかった。うん、と勝手に口が返事をして、その場にすとんと座り込んだ。
その日はその洞に泊めてもらった。
子供の目覚めは早い。数日の旅に加え、昨日いろいろとあって夜になると瞬く間に寝てしまった私は蔦で作ったハンモックのような場所で目を覚ました。まだ朝日が昇っていないのか洞の中は薄暗かった。少し冷える森の空気から私を守ってくれているマントをかけてくれたのはきっとレフィミーラだろう。ほんわかに花の香りが漂って口元がつい緩む。レフィミーラはどこを寄り道したのだろうか。
それにしてもこれからどうしようか。私はマントに蹲ってゆっくり目を閉じた。私がいたらケルネールスは記憶が戻らないかもしれないし、二人は旅に出ないかもしれない。
「……それは嫌だなぁ」
「何がだ?」
「ふぇっ、あぎゃっ!?」
突然上から声が降ってきて思わず変な声を上げてしまった。勢いよく起き上がったらハンモックがひっくり返って地面にべしょりと打ち付けられる。鼻を思いっきりぶつけて痛い。
「落ち着きのない奴だ」
「うへへ、驚いちゃって…」
イケメンに呆れられながらそんなこと言われるとドジした自分が恥ずかしくなって上を向けなかった。
「大丈夫か?」
手を差し伸べられる。それは子供の私の手を簡単に包み込めてしまう男の人らしい大きな手だった。だけど、生前は弓職人だっただけに骨ばった指は細くて器用に何でもやってのけそうだ。
そういえば、彼はどうしたいのだろうか? ふと、そう思った。
考えてみれば今まで私は自分の望むようなことしかしていない。ロキュスの時もそうだが、自分が望む結果を自分の為に手に入れただけだ。もしかしたらロキュスに聞いたら私と婚約したかったかも……、ていうのは絶対ないか。ルサールカにべた惚れだし。私もヤンデレは第三者視点から見るのが好きなのであって当事者には絶対なりたくないからお断りだけど。ルサールカ頑張れ。――ともかく、ロキュスの意思を一度も確認していない。未来のことを知っているからどうしたいと聞かなくても、ロキュスの望むことを少しでも聞けばよかったのにそうしなかった。……私はこの世界の神になった気分だったのだろうか? ロキュスの場合は悲劇が待ち受けていたからそれを未然に防げてよかったといえる。けれど、悲劇が待っているわけでもないケルネールスはどうしたいのだろうか。それを、私が勝手に決めてもいいわけがない。
「ねぇ、ネルスはどうしたいの?」
昨日あれから打ち解けて愛称で呼ぶようになった私の言葉にケルネールスはなんのことだ、と淡々とした声で応えた。
「だって今までずっとずーっとこの場所で待ち続けて、これからもそうするんでしょ?」
「そのつもりだ」
「でも誰も来ないって分かってるんでしょ? 人はそんなに長く生きられないんだよ? レフィ君も私も老いて死ぬ。それでも待ち続けるの? この場所に何があるというの?」
「………お前は俺を見透かしたように話す。それが未来が見えるということか?」
「未来が見えるわけじゃない。分かるかもしれないだけだよ。レフィ君と、ネルスのこと」
まっすぐと整った顔を見つめる。森を閉じ込めたように深い緑色のその瞳は私の自分の思い通りにしたいと思っていた浅ましさを見透かしたようで少し恥ずかしくなった。サッと目を逸らそうとしたが、薄い唇がそっと開いてケルネールスの顔に釘付けになった。だって、小さく笑っていたから。
「……俺はこの数ヶ月、お前が来た昨日も含めて、楽しかった、のだと思う」
私はケルネールスのその言葉と表情にポカンとだらしなく口を開けた。
「俺はこの場所で誰ともわからない人をずっと待ち続けた。それが俺の覚えている唯一の記憶で、精霊と成った俺の全てだったからだ。だが、お前たちが来て変わった。俺は俺自身が何も変えようとしていなかったことに気づいた。いつだって受け身だった。永遠とも思える長い時を退屈に身を沈めながらアイツが来てくれさえすればと思った。アイツが、もういないと分かっていても」
その饒舌な語りはケルネールスとは思えないほどだった。洞の奥の森を眺め、小さく眉を顰めて言葉を紡ぎだす。悔しそうにも、悲しそうにも見えた。
「アイツって、まさか覚えているの?」
「いいや、はっきりとは分からない。だが、レフィミーラが来てから不思議と夢を見る。おそらくあれはいつかあったかもしれないことだ」
「じゃあ、昨日も見たの?」
「精霊と成ってから睡眠なんて必要としなかったというのにお前が眠ると俺もいつの間にか寝ていた。その時に見た。俺は誰かと話していた。呆れながらも外の世界の話をする誰かと。その気持ちは、楽しい、だったと思う」
「ネルス…………」
「だから今までレフィミーラやお前といるときに分からなかったこの胸の中の違和感が分かった」
ケルネールスは記憶を完全に思い出してはいない。けれど、感情は少しずつ取り戻してきているのだ。あの魔物が来なくても、二人は旅に出ることができるのではないだろうか。
「楽しいって、心が震えるの。嬉しいって、心が温まる。幸せは、心が満たされる。ネルスはもともとそれを知っていた。けれど長い時間の中で忘れてしまっただけだと思う。それを今、取り戻してきているんだよ」
「そうか。ならば俺がどうしたいかは決まった」
「ああ、そういう話だったね。ネルスが笑うから忘れてたよ」
「ふっ、お前は本当に不思議なやつだ。俺は―――」
「ネルス!!」
大声がケルネールスの言葉を遮った。私の髪はケルネールスの指に絡められていて一瞬口説かれているんじゃないかと幻想を抱いてしまったから心臓が噴火寸前の私にはちょっと助かった。
慌てた様子で入ってきたのはレフィミーラだった。レフィミーラには珍しく息を切らしている。
「今すぐ旅に出よう」
「レフィ君?」
「二人と、僕とで。きっととても楽しい旅になる。外の世界は未知であふれている。きっとここでは見られない人々や生活、文化、人種が見られるんだ!僕らでそれを回ったなら、きっと毎日飽きないよ。 魔物がいたって大丈夫さ! 戦えるネルスもいるし、僕らだって逃げ足は誰にも負けないくらい早い。だから、―――行こう?」
息切れした声は少し弱々しくて尋ねる言葉は何かに怯えているようにも思えた。
早く、と強引に手を引かれるが、レフィミーラの体格ではケルネールスの身体を引いてもびくともしなかった。両手で引こうと思ったのか小さな私を肩車するとまた引く。けれどケルネールスの足は地面に縫いけられたように動かなかった。
「落ち着け、何があった?」
「何がって、ああ、何もないよ。でも今までだってずっと外の世界に憧れていた。それが今決心できただけだ」
「そんなはずはない。お前は俺が嘘を見抜けると誰よりも知っているだろう?」
無理矢理ケルネールスを引こうと攻防を繰り返したが、ケルネールスの言葉を聞いてレフィミーラの引く力は止まった。私を肩に乗せたままグスリと体を揺らす。だって、と言い訳を述べるように始まったその言葉は鼻声で、泣いていることが私にはすぐにわかった。
「だって、村に、僕の村に、……恐ろしい魔物が向かっているのが見えたんだ」
「魔物?」
「どんな図鑑でも見たことがない、恐ろしい獣だった。あんなの勝てっこない。だから、逃げなきゃ……」
「お前の村はどうする?」
「あの魔物を見た時、僕は心の隅で思ったんだ。これで父さんに、うるさく言われなくて済むって。ネルス達さえいてくれれば僕は―――……」
「聞け、レフィミーラ!」
レフィミーラの言葉を遮ったケルネールスの声は大きくて、怒鳴っているようにも聞こえた。
「失ったものは帰らない」
「……え?」
「お前の父親も、家族も、村人たちも、故郷もすべて、失ったら戻っては来ない」
「分かってるよ! だから、二人だけでもって!」
「お前は分かっていない。失うことがどれだけ辛いか。俺たちといればそれがなくなる? そんなはずはない。お前はずっと自分を責め続ける。どんなにあいつらに謝ろうと思ってもそれもできなくて苦しみ続ける」
どれだけ重い言葉に聞こえただろうか。昔のことを知っているゆえに私はケルネールスの心の声に思えて、胸が痛くなった。
レフィミーラはグスリとまた肩を揺らすと、縋るようにケルネールスの手を取った。
「あの恐ろしい魔物にネルスが勝てるとは思えない。でも、助けてって言ってもいいのかな? こんな僕でも、みんなを助けてって……」
ぐずぐずに泣くレフィミーラにケルネールスは、「当たり前」だと不敵に笑った。
「じゃあ、私も行く!」
「は? お前たちは逃げろ」
「何言ってるの、ネルス? 確かにレフィ君は戦力外だけど、私は別だよ? これでも一人でこの場所に隣国から来れるくらいには戦闘能力はあるんだから!」
唖然とする二人に私は揚々と笑う。正直に言うと森じゃなければケルネールスより強いし。ぴょんと私は華麗にレフィミーラの肩から降りた。
大切なひとを失うのは辛い。私も母を亡くした時は身を引き裂かれる思いだった。あの時、心の支えがなければ生きていけないほどに。今それで生きていけるのは母の死因に私が関わっていなかったからかもしれない。レフィミーラみたいに自分の責任で、とかだったら絶対に後追いしている。そんな気持ちを私だってレフィミーラに味合わせたくない。
「私は東の要塞帝国セントヴァリスで齢七つにして『天災の天才』の二つ名がつく魔導士。それに加えてケルネールスもいるんだから負けなしだって!」
トン、とない胸を叩く。でもなくてもしょうがない。ななしゃいなんだから。かあさまはおっきかったから将来おっきくなる予定だし!!!
私は泣き崩れるレフィミーラに大丈夫だと肩を叩くとケルネールスに目配せをした。レフィミーラの目撃からもう時間が経っている。うかうかしていられない。
「ネルスはこの森なら瞬間移動できるでしょ?」
「なぜそれを知っているかという問いは今はしないでおこう」
「そうして。私はネルスが状況を把握する間にはそっちにつくから!」
「……二人とも、村のみんなを、弟を、父さんを頼む…」
「「いってくる(きます)!」」
私は一呼吸する間に現地についた。移動中になんで魔物が村に向かってるんだとか、ストーリーの相違とかいろいろ考えたけど今は頭の隅に追いやる。周りを見回すと、ケルネールスはもう状況を把握して加勢しているようだ。
村は酷いありさまだった。恐らく村人の非難は済ませてるけど、家は殆どが倒壊している。その中でケルネールスと数十人の大人たちが必死で戦っていた。恐らく村の戦士たちであろう。非戦闘員を逃がして、食い止めていたのだろうが、ケルネールスが参戦してやっと互角になったくらいだ。もうみんなボロボロできっと一生戦えない傷を負っている人もいる。それでも必死なのは大切なひとを守るため。
「お待たせ!」
木を操って戦士たちを守りつつ、わずかながら癒し、攻撃を加えるケルネールスの器用さに驚きながらも加勢する。戦士たちも誰かわからないと思いつつも自分たちが信仰している精霊ということは感じ取れているようで、ケルネールスがいることに何か言うものはなかった。
「精霊さま、そちらは?」
「俺の友だ。頼りになる」
ケルネールスに頼られていることが分かってどんなに嬉しいか。私の心は浮き立つ。本気見せるっきゃないでしょ!
私は魔物と戦った。戦士たちは一人以外ほとんど使い物にならなくて、ケルネールスに守られている。きっと最後の一人はレフィミーラの父だ。瞳の色がそっくりだ。満身創痍なのに、村長だという責任を背負うがためにまだ立ち上がる。そんな彼を素晴らしいと思うが、今は戦闘の足手まといだった。
「あんた、もう休んで」
「そんなわけにはいかぬ。俺には村を守る責がある!」
「そんなもの今だけあの犬みたいな魔物に食わせておきなさい! あんたの今の役割は生きてレフィ君に外の世界を見て見解を深めて来いって命令すること! 死んだら困るの!」
「あやつの友か何かか?」
「そうよ! 文句ある?」
「ふふっ、いや、外の世界には奇怪な子供もいるもんだ」
「うっさいわね! 私はお淑やかなんだから!」
そう叫んでケルネールスにその戦士を投げ飛ばした。そしてケルネールスに戦士たちの治癒に専念してと頼む。そうすると加勢できないがと言われたが、こんな魔物、私一人で十分!
魔物と改めて向き合う。ベースは犬。大きさはビルの5階くらいはあるのかもしれない。その形相はブルドッグのように潰れていて大きな牙がのぞいている。滴る涎と、纏う異臭、そしてその雰囲気が恐怖を煽る。きっとその爪で私の身体なんて一瞬で引き裂かれてしまうだろう。きっと鞭のようにしなる尾で地面にたたつけられたらすぐにこの身体なんて潰れてしまう。そんな想像は容易だった。でも大丈夫。そんな根拠のない確信があった。
「かかって来なさいよ、わんこ」
「グルルルゥゥゥッッ!!」
こうして三日三晩、というのは嘘で、私たちは三十分ほど戦った。もちろん私の方が上手だった。小ささと俊敏性を生かし、ワン公のヘイトを溜め、少しずつ攻撃して体力をそぎ落とす。私の体力もないとやっていられない戦法だが、強力な魔法は制御が難しくて被害が半径数キロ単位と大きくなるからこれが一番確実だった。
魔物はキュゥンと、高い鳴き声を出すと足を崩した。私はホッとして、その時尻尾が動いているのに気づくのが一瞬遅れた。鞭のような尾が私の右半身に叩きつけられ、後ろの木に背中から打ち付けられる。灰の空気が全部出て行って、息がままならない。魔物のその攻撃は最後の悪あがきだったのだろう。それからの動きはなかった。でも私の被害は酷いものだ。首から下の右半身は全てが青あざのように真っ青になっている。きっとほとんどの骨が折れているし、内臓の損傷も酷い。ケルネールスがすぐに駆け寄って回復魔法をかけてくれる。本来ならば自分の魔法で治るが、今は呪文を唱える余裕もなかった。
「ヘレナ………」
誰かが私の名前を呼んだ。母の名前と同じの、その名を。
私は誰かに抱き締められている状態で起きた。そこはとても落ち着く場所だった。この体格、もしやケルネールス!? と思ったが、彼はこんなにあったかいはずがない。でも心があったまるからぎゅっと首元に回されていた手の力を強めた。
「起きたかい?」
聞き覚えの声がして私の身体が強張った。まさか、この人だとは思いもしなかった。すぐに身体を離して自分で立ち、その人を見上げる。私の、父を。
「お父様」
「久しいね、ヘレナ……」
悲しそうに父は眉を寄せていた。けれど、私は何も言う言葉が出なくて口を開けないでいた。
だって、私は父親という存在が苦手だからだ。前世の父親は私のことを溺愛していたけれど、それは決して嬉しいものじゃなかった。きっとあの父は私をお人形としてしか見ていなかった。服を着せ可愛がり、自分の好みに仕立て上げる。そのくせ仕事人間だから仕事にのめりこむと私のことなど忘れる。だからたまに思い出して父の望むようなお人形になることが私の役目だった。父が再婚を繰り返したのは父がそれだけの財力を持ち、思い出したときにお人形さんを面倒見る人が必要だと思って結婚したに過ぎない。私の為であったことは一度もない。私が一度でも私の意思を示すと、それをすべて否定して自分の望む形に私を当てはめる、そんな人だった。私は父が大嫌いだった。
だから、今世の父も怖い。可愛がり方は不思議だけれど、その愛がどう私に向くかわからないから。
「怪我をさせちゃってすまない。本当はわたしが援護するつもりだったんだけどヘレナが余裕で討伐できただろう? だから遅れてしまったんだ」
「えっ?」
「ああ、気づいていなかったのかい? 君の魔法をまねて隠れてみていたんだよ」
「私を? ……何のために?」
「心配だからさ」
「心配? それは、母に似ている私がいなくなるのが?」
「そんなわけない。娘のヘレナが心配だからだよ」
意味が、わからない。仕事ばかりで私とほとんどかかわりのなかった人だ。そんな人がなぜ私を心配するというのだろう。そう疑問に思ったとき、父の腰元に仮面がかけられているのが見えた。それは、わたしの見覚えがあるものだった。
「ハルメトロヤ……?」
「ヘレナっ!? 何処でその名を!?」
ぽつりと出た言葉に反応した父に、確信を得た。父は、父の偽名ハルメトロヤは、私の『推し』の一人であったと。それも彼が死んだストーリーで一ヵ月喪に服すほど好きだったキャラクターだ。誰も正体の知らない仮面を纏った『紅流星の魔導士ハルメトロヤ』。彼がメインのストーリーは前世の私が死んだ次の日に公開される予定で、他のストーリーですでに亡くなっている。その時に妻と娘を自分のせいで亡くしたと語られていたが、まさかその娘が私だとは……。
『あの日、確かにその手は伸ばせたはずだった。
死にゆく大切なひとたち。彼の嘆きは誰にも届くことはなかった。
仮面を付けて、復讐を成す。
手をどれだけ紅く染めても自分の罪は消えてはくれない。
今日も彼は幸せだったころの、大切なひととの思い出を夢見る。
流す涙は仮面の中で消えていた。
「―――この罪は決して許されない」』
顔で『推し』を選ぶ私にしては珍しく、たまたまガチャで当てて性能の良さで後から『推し』になったキャラクターだった。
「お父様がハルメトロヤなんだ……」
「お、やっと起きたんだ!」
驚きを噛みしめていると、レフィミーラがずかずかと部屋に入ってきた。部屋と言っても布で作った仮設テントのような場所であるようだ。背の高いケルネールスは膝を曲げている。
「ミナミ、本当にありがとう! 君のお陰で村人はみんな救われたよ!!」
「レフィ君がお礼を言うことないよ。私がやりたくてやったんだから」
「ううん、それでも助けてくれたんだからお礼を言わせて!」
「礼くらい言わせてやれ。それで何もできなかったと泣くのを回避できる」
「泣かないし!」
ケルネールスはあの後記憶を大幅に思い出したようで、まだ虫食いだが、感情は分かるようになってきたそうだ。レフィミーラとじゃれ合っていてつい笑いが込み上げる。それからレフィミーラは村長に外の世界を見聞して来いと命令を出されたらしい。まさかと驚いたみたいだが、今はこれからのことにワクワクしているようだ。
「それでなんだけど、ミナミも来ない?」
「お前がいると、レフィが戦えない分助かる」
「僕だって少しくらいは戦えるからね!」
お誘いは嬉しい。二人と世界を旅したらきっと楽しいだろう。でも―――……
「家に一回帰らないと」
きっとロキュスとルサールカに顔を出さないと心配かけるなと怒られるし、メイドたちにはこっぴどく叱られるし、執事長と祖母は阿吽像の顔となって当分は家から出してくれないだろうけど、それでも一回帰りたい。あれ? 私、怒られる案件しかないじゃん。まあ、そういうわけでもない、かな?
レフィミーラとケルネールスは納得して、いつか尋ねるといってテントから出ていった。
「何個か訊ねても?」
きっと聞きたいことがあるだろうと思った。ずっと見守っていた父は静かな声だった。私が頷くと設置されているベッドに二人とも座る。
「ここに来た理由はなんだい?」
「ケルネールスとレフィミーラと会いたかったから」
「じゃあその二人の誘いを断ったのは?」
「帰りたかった、からかな」
「………そう。では最後に、ミナミとは?」
「私のこと。ヘレナとして生まれる前の、私の名前」
信じてもらえるかわからなかったけれど、私は他の場所で生きた記憶があると父に話した。なぜ話そうと思ったかわからない。けれど父がハルメトロヤだと知って、信じられると思ったから。前の父と重ねてはいけないのだと思ったから。
「そうなんだね。けれど、わたしの娘であることには変わりないよ」
父は恐る恐る私を抱き締めようとして、それをやめて私の頭を撫でた。たぶん私が父に抱き締められるのが好きじゃないと知っているから。いつも拒絶するし、ほとんど動けなかった新生児の時でさえいやいやとなるべく避けてきた。
「私の前の生の父はいい人ではなかった。お父様がそうであるかもしれなかった。だから私はお父様がずっと怖かったの」
『推し』キャラクターだと知ったから気づかされたというのはおかしな話だが、彼のストーリーでもないのにハルメトロヤの人情深さが染み渡るくらいわかる彼ならば信じられると思えた。それくらい私は父親という存在に疑心暗鬼だった。でももしかして、今の父はあの父とは違うのかもしれない、ハルメトロヤならば……。そんな気持ちが初めて芽生えた。
「正直な気持ち、まだあの父のようになるのではないかと怖い。だけど、ちょっとだけハルメトロヤを信じてみようと思う」
「ヘレナの中でどう感情が渦巻いているか、今は詳しく聞かないよ。けれど、私は決してその父のようにはならないと約束するよ。わたしはヘレナを尊重するし、前の生があったとしても愛しているよ」
「………ありがとう」
それから私はレフィミーラとケルネールスと別れて国に帰った。
国に戻ってから早数か月、私は置手紙をして屋敷を出た。
『推し』がいるかもしれない他の国に出かけるためだ。大人しくしてみたが、私には忍耐力がないようだ。
だが、屋敷を出て次の日に仮面の男が私の旅に同行したいとついてきた。言わずもがな父である。
「……お父様?」
「だって、ヘレナがまた勝手に出て言っちゃって心配で!!」
仕事は叔父にすべて任せてきたそうだ。
叔父さまごめーん。でもね、とっても嬉しい。
前世の父の影は消えないけれど、今の父の愛はくすぐったくて嬉しい。
それから父と私の旅は続いた。
『推し』たちの事件に巻き込まれたり、思えば強化されていた精霊の国のあの魔物の事件に巻き込まれたり、それを解決したり大事にしたりするけど、私は面白楽しくこの世界で生きていくのだ。
だって、『推し』さえいれば世界は輝くのだから。
実はお母さんは呪いで死んじゃってとか、5禁は言うほど(肉体的には)残酷なものじゃなくてとか、仮面男子もいいよねとかいろいろ裏設定を考えては見ましたがごちゃごちゃするので割愛。