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ホーム・アゲイン

作者: つちふる
掲載日:2015/05/03

 


 バックパックを地面に下ろし、なめらかな岩に腰を下ろす。

 炎天下の空の下。流れる汗をぬぐいながらかじる、溶けかけのチョコレート。

 昨日、知りあいの渡り鳥が遠く離れた故郷の話をしてくれた。

 リズウェンは、冬のただ中だったよ。

 男たちは女に尻を叩かれて、屋根に降り積もった雪を落としていた。合間に歌をうたったり、できの悪い蒸留酒を胃に流し込みながら。

 子供たちは尽きることのない雪で、古い遊びや新しい遊びをしてはしゃぎ回っていた。 そうそう。君の幼なじみのカイナとウォルが結婚するそうだよ。ようやくね。

 そんな余計な情報まで教えてくれる。

「まったく、何年かかってるんだか」

 僕は呆れながらも、二人への祝福の言葉を手紙に書いた。冬へと渡る鳥に出会ったら届けてもらおう。

 胸によぎった少し苦めの気分は、甘すぎるチョコレートにちょうど良かった。

 水筒の水を半分ほど飲み、残りの半分は道わきに転がる旅人の骨にかけてやる。歯が一本も残っていないのは、皆がお守りとして持っていってしまったからだろう。

 僕の歯も、いつかは誰かのお守りになる。

 それは、素敵なことだ。

「のんびり一人旅かい?」

 からかいまじりの声に顔をあげると、風力バイクに乗った男が目の前を通り過ぎていった。

 言い返そうとしても、その背中はもう遙か道の向こう。

 仕方なく、僕はうしろから来た女性ライダーに向かって叫ぶ。

「これでも焦ってるんだって伝えてくれ!」

 彼女はひらひらと手を振って走り去っていった。

 再び訪れた静けさの中、雲に手を伸ばすように伸びをする。

 もう少し休んでいたかったけれど、焦っていると言ったからには焦ったふりぐらいはしないといけない。

 僕はバックパックを背負って立ち上がった。

 いつだって、一歩目が大変なのだ。

 一歩目の足さえ出れば、二歩三歩と進んでいける。

 五十歩目までに歩幅にあう歌を見つけられれば、もう大丈夫。

 あとは疲れ果てるまで、あるいは分かれ道に辿り着くまで、歩き続けることができる。

 幸い、歩幅にあう歌はすぐに見つかった。


          ※


 二日ほど歩いたところで、道は十二の方角に分かれていた。

 道の真ん中に打ち付けられた路標はそれぞれの行きつく先を示していたはずなのだけど、今は落書きで埋め尽くされていて何がなんだかわからない。

『この先、キケン』

『夢がかなう方向』

『正解!』

『黄金郷へ』

『僕たちの永遠がある』

『行き止まり』

『地雷原あり』

『天国へつづく道』

『目を閉じて十七回まわった正面が、あなたの進むべき道』

『風の目指す道』

『この道だけは選ぶな』

『底なしの絶望と、底抜けの幸福が待つ』

 好き勝手に書かれた落書きを読むの楽しいけれど、何のあてにもならない。

 先ほどの風力バイクは、どうやら北を選んだらしい。

 出来たての二つの轍が遙か先へと延びている。

 どうしたものかと途方に暮れていると、後からやってきた古びたオープンカーが僕の横に止まった。

「乗ってく?」

 ハンドルを握る女性は日に焼けていて、カラメルのような肌をしていた。

「一人旅でしょ? 席、あいてるわよ」

 親指で示した助手席には、男物の衣服が無造作に置かれている。

「誰か乗ってたみたいだけど」

「ええ。途中でケンカ別れしたの。あんまり腹が立ったから、身ぐるみ剥いで突き落としてやったわ」

「酷いことをする」

「喜んでるわよ。きっと。…で、どうするの?」

「乗ったら、僕も同じ目にあわされそうだ」

「そう。じゃ、お先に」

「まった!」

 僕は慌てて助手席のドアを開ける。疲れた身体を休めるためには、やはり車が最適だ。助手席となれば、なおのこと。

 男物の衣服を道端へ放り投げ、名ばかりの後部座席にバックパックを押し込み、固いシートへ身を沈める。

「よし、行こうか」

 調子の良く声をあげる僕に女性は呆れたような微笑を浮かべて、助手席の前に取り付けられているグローブボックスを指さした。 

「そこを開けなければ何もしないわ」

 ボックスは真ん中のタブを引くだけで簡単に開く仕組みになっている。

「何が入ってるの?」

「車検証と海の見える家」

「自宅?」

「別荘」

 それは、ちょっと見てみたい。

「人は?」

「いるわよ。今のところ一人だけど」

 うっすら笑う彼女を見て、ふいに気づく。

「ひょっとして、ケンカ別れした彼?」

「突き落としてやったの」

「なるほど」

 無人の海なら衣服がなくても関係ない。開き直ることができれば、バカンスを楽しめそうだ。

「進む方角は私が決めていい?」

「どうぞどうぞ」

 女性は落書きだらけの路標をしばらく眺めたのち、何を思ったのか車を降りてその場をくるくるとまわりだした。

 目を閉じて十七回。

 再び運転席に乗り込み、アクセルを踏む。

「決めたわ」

 車は西へと走り出した。

 スムーズなシフトチェンジで時速は160㎞を越える。

 何かから逃げているというよりも、何かを追いかけているような、そんな前向きで爽快なスピード。

 延々と続く単調な景色は、早送りのように後ろへと流されていく。

 アップテンポなメロディが彼女の口から紡がれ、僕は即興の歌詞をのせて歌い出す。

「良い曲だね」

「ひどい歌詞だわ」

 彼女は笑い、僕はふてくされ、シフトがまた一つ上がる。

「私たち、どこまで一緒に行けるかしら」

 コーディアル・ライムを飲みながら、彼女がつぶやく。

「君がうんざりするまで」

「それなら、もう降りて」

「じゃあ、僕がうんざりするまで」

「もうしばらくは一緒みたいね」

 手渡されたコーディアル・ライムを一口飲む。刺々しい甘さが喉にからみついて僕はむせてしまう。

 雨が降ってきても幌を出すなんてことはしない。ずぶ濡れになって、ますます陽気になる僕たちだ。

 夜になればシートを倒し、お互いの肌を絡ませる。長い月の光が汗と雨に濡れた身体を溶かしていく。

 カラメル色の彼女の肌は、カラメルのように甘くて苦い。


            ※


「一生を費やして歩き続けても、たどり着けない場所へと運んでくれる。これってすごく素敵なことだと思わない?」

 だから彼女は車で旅をするのだと言う。

「でも、こんなに急いで走ったら景色を楽しめないよ」

「景色なんて、行きつくところまでいってから楽しめばいいのよ。たどり着いた果てにはきっと、たどり着いた人にしか見ることのできない、誰にも伝えられない、素敵な景色が広がってるはずだわ」

 私は、それを楽しむの。

「たどり着いた人だけが見る景色?」

「たどり着いた人だけが見る景色」

「その隣には僕がいるかな?」

「いないわ」

「だろうね」

 五年目の三叉路で、僕たちはそれぞれの道を選ぶことにした。

 彼女は進路を変えずに真っ直ぐ進む。僕は海を越えていく長い長い橋を渡る。

「君が行く、この道の先には何があるんだろう」

「あなたが渡る、この橋の向こうには何があるのかしら」

 お互い、知ることのない問いかけをする。

「僕との旅はどうだった?」

 彼女は笑い、手にした瓶をこちらに向かって放ってよこした。

「思ったよりもずっと楽しくて、思ったよりもずっと窮屈だったわ」

 二人で飲んだコーディアル・ライム。

 底に残された最後の一口が白く濁って揺れている。

 クラクション。

 僕が顔を上げたときにはもう、彼女の姿はない。


              ※


 橋はサインカーブのように大きな起伏を繰り返し、太陽へ近づくたびに僕の皮膚を焼き、海へ沈むたびに僕の衣服を濡らした。

 こんなに焼けただれた肌では、故郷に帰っても僕だと気づいてもらえないだろう。彼らの肌は雪で作られていて、僕もかつてはそうだった。今ではもう、見る影もないけれど。

 橋の上で翼を休めているのは、冬へと向かう渡り鳥たち。

 二人の幼なじみに宛てた手紙を届けてもらおうとしたら、頼まれごと好きな彼らは手紙を取り合って争い、びりびりに破いてしまった。

 仕方がないので、僕は書き直した手紙を飲み干したコーディアル・ライムの瓶に詰めて海へ流すことにした。

 波に揺られるその瓶を、海面を滑る一羽の鳥が拾い上げて空へと舞い上がる。抜け駆けに怒った残りの鳥たちが、抗議の声をあげて後を追う。

 僕は呆れてその光景を眺めていたけれど、やがて彼らは隊列を作って整然と飛び始めた。

 どうやら、持ち回りで手紙入りの瓶を運ぶことにしたらしい。

 あれなら各々が満足感を得られるし、負担も軽減できる。うまい解決策だ。

 渡り鳥たちは完璧なV字を維持しつつ、夕雲に溶けていく。

 手紙はきっと届くだろう。

 僕は安心して、また橋の上を歩き始めた。


             ※


 幾度もの季節が巡り、僕は歩き、幾度もの季節を、僕は歩いた。

 そして今、歩みを止める。

 空と海。二つの青のただなかで。

 ぐるりと周りを見渡しても、遙か先に目を向けても、交わらない二つの青が広がっているだけ。

 ブルー。

 オール・ブルー。

 フイルムに写しとろうとしても、カンバスに表現しようとしても、データに変換したとしても、言葉の限りを尽くしたとしても、きっと何も、誰にも伝えられない。

 いつかの彼女の言葉を思い出す。

「景色なんて、行きつくところまでいってから楽しめばいいのよ。たどり着いた果てにはきっと、たどり着いた人にしか見ることのできない、誰にも伝えられない、素敵な景色が広がってるはずだわ」

 彼女は正しかった。

 僕は橋の終わりに立ち、まさにそれを見ている。

 たどり着いたのだ。

 ここが果て。

 ここが旅の終わり。

 僕は役目を終えた靴を脱ぎ、バックパックを背負ったまま腰を下ろす。

 途端、これまで押し込めていた疲労が溢れ出し、これまで支え続けてきた力が溶けだしていく。

 もう、立ち上がることはできそうにない。

 もう、その必要もない。

 ここは果て。

 ここは旅の終わり。

 両手をついて、目を閉じる。

 深呼吸。二つの青を、痛んだ肺に満たしていく。

 ふと、右手の指先に何かが触れた。

 僕は重いまぶたをどうにか押し上げて、触れた物を見る。

 それは、一足の古びた靴だった。

 橋の終わりよりもほんのわずか手前に、丁寧にそろえて置かれている。

「ああ… そうか」

 その意味を、僕はすぐに理解した。

 かつては、その場所こそが橋の終わりだったのだ。

 靴は、確かに橋の終わりに置かれていたのだ。

 しかし、橋は延びた。

 ほんのわずかに、一人の旅人の分だけ、橋が作られたのだ。

 そういうことだろう。

 僕は、橋の終わりよりもほんのわずか手前にある旅人の靴を手にとり、海へと投げ入れ、かわりに脱いだ自分の靴を橋の終わりへと置いた。

 次の誰かがここへたどり着いたときには、僕の靴は橋の終わりよりもほんのわずか手前に置かれていることだろう。

 旅人はそして、僕よりもほんの少し先で腰を下ろすのだ。

 そういうことだ。

 きっと、ずいぶんと前からこんなことが繰り返されてきた。

 きっと、ずいぶん後になってもこんなことが繰り返されているのだろう。

 いつか、橋が見知らぬ地へと渡される日まで。

 まぶたの重さに耐えきれず、また目を閉じる。

 僕であるための感覚が、少しずつ溶け出していく。

 あの風力バイクは、目指す場所へとたどり着けただろうか。風まかせの旅は自由なようでいて、何よりも縛られている。

 カラメル色の彼女は、今でも走り続けているだろうか。ひどく甘いコーディアル・ライムと、グローブボックスの中の恋人と。

 故郷のリズウェンは、今年も雪に埋もれているだろう。

 子供たちのはしゃぐ声。スコップを握る男たちのやけくそ気味な歌声。その尻を蹴飛ばす女たちの笑い声。

 溶けていく感覚の中で、僕はいつしか記憶の中の故郷へと帰っていた。

 出迎えてくれたのは、おせっかいな二人の幼なじみ。

「いったい、どこをほっつき歩いていたのよ!」

 幼なじみの彼女は、少し怒ったように僕をにらむ。

「まあまあ、いいじゃないか。無事に帰ってきたんだからさ」

 幼なじみの彼は息巻く彼女をなだめつつ、子供のように目を輝かせて僕を見た。

「それよりほら、旅の話を聞かせくれよ。楽しみにしてたんだ。ずっと」

 もちろん、そのつもりだ。

 僕は柔らかなソファに身体を沈めて、屋根から滑り落ちる雪の音を聞く。

 懐かしい、故郷の音。

 話すことは、たくさんある。

 長い旅路。旅人の骨。風力バイク。分かれ道。カラメル色の彼女。コーディアル・ライム。長い、長い橋。その果ての、二つの青。

 話したいことが、たくさんあるんだ。


 溶けていく感覚。

 おだやかな喪失。

 僕は静かに、深く、息をはきだす。

 

 それから、ゆっくりと、もう思い出すことのできない二人の顔を見あげて――

 

 もう届くことのない物語を紡ぎ始める。


               了


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