潜入
クイト達がその世界に移動して三ヶ月が過ぎた。それ以前にも特務課の職員が常に滞在していたが、少人数だった。大勢の職員が来たのはクイトのときが初めてだった。
そのときから特務課は積極的に活動を始めた。奴隷に変装して暴動を起こし、使役人に傷を負わせた。それを何度も繰り返した。奴隷たちは溜飲を下げたが、奴隷への締めつけが酷くなった。それが逆に奴隷たちを怒らせた。
クイトはこのやり方に疑問を感じた。それに対して紫音はこう言った。
「大事の前の小事だ」
クイトはそれに簡単に納得できなかった。皮肉を口にしてみた。
「俺はやらなくていいのか?」
「おまえは指導者だ。今、面が割れたら困る。切り札は最後まで隠しておくものだ。奴隷の不満が最高潮に達したら、働いてもらう」
紫音の答えはクイトの予想通りだった。だがその先は予想していなかった。
「これよりマシな計画があるのなら、聞こう」
「……ない」
クイトは反論できなかった。だが協会は、美登里や紫音は、どこか間違っているのではないかという感覚は消えなかった。
作戦は比較的シンプルだった。皇帝は、ほぼ全ての銃と大砲を自分の宮殿に集めて、チートの独占を維持している。その宮殿を奇襲して占領してしまうというものだった。
「他にやり方はないのかね」
奴隷制度反対グループの指導者、バージェロに会ったとき、彼はそう言った。
「話し合いでは解決できない。それは投獄されたあなたが一番よくわかっているはずですよ」
紫音の言葉に、バージェロは苦渋の表情を浮かべた。
「そうだが、大規模な惨事になる。数千人単位の死傷者が出るだろう」
「この首都だけで、一日に数十人の奴隷が殺されているんです。それを見過ごすのですか? 荒療治が必要です。切開してでも膿は出さなければなりません。病は治りません」
「それはわかっている」
そう言ったものの、バージェロの表情は変わらなかった。
「彼が革命のリーダーを務めます」
紫音はそう言って、クイトを紹介した。
「戦闘は全て彼に任せてください。あなたは手を汚さなくていい。皇帝を倒したら、我々はこの世界を去ります。この世界とこの国の将来は、あなたに任せます」
「私には荷が重すぎる」
バージェロの表情は、いっそう渋くなった。
「それでは自分より適任だと思う人物を紹介してください」
紫音に言われて、バージェロは返事に困った。
「私より適任だと思う人物が見つかったら、その人に譲る。それでいいかな?」
「無論です。あなたが後継者を決めるのですから」
二人のやりとりを見ていたクイトは、不安を感じた。この人物に重責が務まるだろうか?
特務課の準備は順調に進んだ。政府は奴隷の収容所を何カ所も作っていた。だがどの収容所にどの奴隷を収容するかは決めていなかった。その日ごとに適当に割り振った。同じ面子を同じ収容所に入れ続けたら、結託して反乱を起こすかもしれない、そう考えていたのだ。特務課はこれを逆手にとり、クイトを奴隷に変装させて紛れ込ませた。その代わり奴隷を一人、救出した。政府の警備兵は、人数を確認するだけで、いちいち個人の確認をしなかった。奴隷が逃げ出すことには警戒するが、自分から進んで奴隷の中に入る者がいるとは想像していなかった。
だが予想外の事態が起きた。クイトは奴隷たちが収容所に入れられるタイミングで紛れ込んだ。そのとき奴隷を監視する警備兵たちが、奴隷の中から重傷を負った者や、明らかに病人とわかる者を選別した。彼らは集団から引き離された。彼らの運命はそこで終わるのだ。次に男の中から若くて健康そうな者が選ばれた。そこまでは毎日行われていることであり、予想の範囲内だった。
「そうだな。おまえとおまえ、それからおまえだ」
警備兵はクイトを指名した。これは予想外だった。指名される確率は、かなり低いはずだった。だが今は正体がばれてはまずい。クイトはおとなしく、選ばれた他の奴隷たちと一緒に特別な収容所に入った。男性の奴隷たちからは羨望の眼差しが、女性の奴隷たちからは汚いものを見る眼差しが向けられた。
クイトたちは一人ずつ、別の檻に入れられた。その後、女性の奴隷たちが連れてこられた。女性の奴隷は一人ずつ、男性が居る檻に入れられた。クイトの檻にも女性が入れられた。
「奴隷にしておくのはもったいない美人だな。幸運だったな。興奮するだろう。がんばれよ、種馬。後でちゃんと見回りに来るからな」
警備兵は下卑た言葉を残して、隣の檻に移動した。彼らにとって、奴隷は家畜と同じなのだ。この収容所は、繁殖のために作られたのだ。
女性は怯えていた。クイトは慎重に女性に近づいた。安心させようと思って、声をかけた。
「何もしないよ。俺には女房と子供がいるんだ」
ホルム教は一夫一婦制だった。クイトはこれで落ち着くだろうと思ったが、逆に女性にしがみつかれた。
「そんなのだめ、してよ、して!」
クイトは驚いたが、女性の左腕に印があることに気づいた。妊娠に失敗したことを示す印だ。九つあった。クイトは事情が飲み込めた。
女性の奴隷は妊娠に十回連続で失敗すると、石女と見なされる。クイトの世界の中世と同様に、ここは封建的な世界だ。女性の役割は子供を産むこととされている、男尊女卑の社会だ。子供を産めない女性は価値がないと見なされる。異性だけではなく、同性からもだ。奴隷も例外ではない。この女性はその烙印を押されることを恐れている。クイトの言葉は逆効果になった。クイトに子供がいることは、クイトに男性としての生殖能力があるという証拠だ。
クイトはナノマシンの受信機能を残したまま、送信機能をオフにした。これ以上、女性の姿を他人にさらすのは、しのびなかった。
「さっきのは撤回するから、とりあえず落ち着こう」
クイトの言葉を聞いて、女性はしがみつくのを止めて、クイトを見た。美形の条件は民族や地域や時代によって異なる。だが左右対称の整った顔が好まれるのは共通している。この女性はその条件を満たしていた。その顔ゆえ、クイトは女性の不安の原因を察することができた。
この世界では、市民と奴隷の間の壁がかなり高い。市民が奴隷との間に子をもうけることは、固く禁じられていた。市民と奴隷の境界線を曖昧にしないためだ。だから警備兵たちは女性の奴隷に手を出さず、奴隷同士の行為を覗き見して楽しんでいた。だが女性が石女となれば話は別だ。性的虐待の対象にされる。美人ならなおさらだ。もし性的虐待で妊娠したら、口封じのため母子ともに殺されるだろう。そんな危険にさらされるぐらいなら、相手を選ばず、今すぐ妊娠する方が良いに決まっている。
クイトはどうすべきか迷った。革命を起こして皇帝を倒すつもりだが、今この場で話すわけにはいかない。しかし何もしなかったら、女性は取り乱すだろう。ここで騒ぎを起こされては、計画に支障が出かねない。上手い方法がないか考えたが、見つからなかった。クイトはウタタに対する罪悪感を覚えながらも、女性の希望通りにすることにした。クイトが覚えたのは罪悪感だけではなかった。この世界の理不尽と、人の尊厳を奪う奴隷制度と、こんな状況下でも快楽を得る男性の性に、怒りを覚えた。
クイトが種馬として再び指名されることはなかった。