準備
チーターの退治は特務課の仕事だった。クイトは紫音の下で働くことになった。
紫音はクイトを含む部下たちと状況を確認した。部下はおよそ五、六十人。白人と黄色人がほぼ半々。男女比は七対三ぐらい。みんなクイトが居た世界の地球人と変わらない。緑や紫の髪は居なかった。主任でこれだけの数の部下を率いているとは、クイトは予想していなかった。
「残念だが今回はすでに手遅れだ。この世界から火薬をなくすことはできない。次善の策をとるしかない」
紫音の言葉に、クイトは思わず反応してしまった。
「次善の策?」
初心者のクイトには、それがわからなかった。
「力の均衡だ。冷戦だよ。本物の戦争よりは幾分マシだ。革命を起こして政権を倒す。そして奴隷を解放する。解放された人々は、故郷に戻って国を建て直す。そのとき火薬の技術を持たせる。そうすれば力が均衡し、どの国もうかつに戦争ができなくなる。恨み辛みは残るが、時間が解決してくれるのを待つしかない。プロパガンダは裏目に出る方が多い」
異世界人が革命を起こせるわけがない。それは革命ではなく侵略になってしまう。クイトはそう思った。
「どうやって革命を起こすんだ?」
「俺たちが奴隷を煽るんだ。だが革命には指導者が必要だ」
クイトは自分以外の全員が、自分を見ていることに気づいた。
「指導者って、俺か?」
「姉、いや七課の課長が言ってたぞ。おまえが最も得意な職業は勇者だって。すでに話したが、おまえの前世も調べた。全員意見が一致した」
クイトは確かに前世ではそうだったが、現世の倫理観では勇者などになりたくなかった。美登里の部屋で見せられた映像が、まだ頭の中に残っていた。無駄だろうと思ったが、抵抗を試みた。
「本人の意思はどうでもいいのか?」
「ブーブー言うな。嫌ならこの任務から外す。おまえにはチキラーが務まらないと俺が判断する」
またわけがわからない単語が出てきた。
「チキラー?」
「チート野郎を倒す者、チーターキラーの略だ。正式な名前じゃないが、協会ではそう呼ばれている。チキラーになれないのなら、話は反故になる」
勇者は辛い仕事だとクイトは思った。だがここまで来て、逃げ出すわけにはいかない。
「やるよ。でもいつまで勇者を続けなければいけないんだ? まさか一生じゃないだろうな」
「おまえは勇者兼天使だ」
「天使?」
クイトの頭の中に、頭の上に光の輪がある翼が生えた人間像が浮かんだ。だがどう見ても、自分の顔が当てはまりそうになかった。
「神が地上に寄越した使徒だ」
クイトはキリスト教の通俗的な天使像を連想していたことに気づいた。これから行く世界にキリスト教はないだろう。もっと抽象的な意味での天使だと理解した。
「おまえは標的を倒すが殺さない。標的を生きたまま地獄へ送った後、おまえは天に帰る。もちろん実際は協会がおまえと標的を回収する。その後を現地人に任せる。少数だが奴隷制度に反対するグループがあるんだ。そのリーダーに政権を譲る。かつては神殿で神に仕えていた神官で、反政府活動で投獄された経験があり、奴隷からも一定の人望がある。おまえの世界で例えると、ネルソン・マンデラに近いな」
「神殿? 宗教があるのか?」
紫音に訊いてから、クイトは無駄な質問だと気づいた。宗教がなければ天使など居るはずもない。
「人間の世界には必ずと言っていいほどある。この世界ではホルム教という宗教が最も信者が多い。その神官だった人物だ」
「過去形ということは、今は違うのか?」
紫音はその質問に即答せず、宗教の説明から始めた。
「ホルム教は一神教だ。神は唯一にして絶対の存在であると信じられている。おまえの世界だと、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が一神教だ。ホルム教の基本的な教義に『神の前では人は等しい』というのがある。人種や民族に関係なく、神は平等に加護を授けてくれるという意味だ。それを根拠に、差別や迫害は禁じられていると主張する宗派が圧倒的に多い」
一種の博愛主義か。だがそうすると、大きな疑問が残る。
「奴隷はその中に入らないのか?」
「皇帝の力が強すぎるんだ。神殿も見て見ぬふりをしている。だが奴隷制度に真っ向から反対する純真な神官がいた。それがグループの指導者、バージェロという名前の人物だ。神殿の中で浮いた存在になって、反政府活動で投獄されたときに破門にされた。今は出獄している。さすがに元とはいえ神官を投獄するのは、体面が悪いらしい。元神官なので信仰を利用すれば、指導者に担ぎ上げることができる」
クイトは計画の概要を理解できた。だが具体的な手段がまだわからない。
「でもどうやって革命を成功させるんだ? 今の話では、難しいんじゃないか?」
「簡単だ。目には目を。歯には歯を。オーバーテクノロジーにはオーバーテクノロジーを。そしてオーバーマジックだ」
クイトは驚いた。
「俺たちもチートをするのか!」
「それが一番確実なんだ。もちろん俺たちが持ち込んだものは、全て回収して、その世界に残さない。必要悪だ」
そこまで話した紫音は、部下の一人に訊いた。
「装備の準備は?」
「すでに終えています。倉庫に揃えています」
「よし。全員で確認するぞ」
倉庫に入ったクイトは、最大の物体に驚いた。
「これは……」
絶句するクイトに、紫音が説明した。
「陸上自衛隊の七四式戦車だ。陸自が処分するものを、博物館に展示すると言って、協会が四両譲り受けた。戦闘には使えない状態だったが、協会がレストアした。チートは黒色火薬で、プラスチック爆薬が必要な成型炸薬弾は作れない。チョバム・アーマーは不要だと判断した」
「中世にこんな物を持ち込むのか! とんでもない惨事になるぞ!」
「そうなるだろうな。だが血を流さずに革命ができる状態じゃない。奴隷制度を一刻でも早く終わらせる方が被害が少なくてすむ。必要悪だよ」
必要悪か、便利な言葉だ。クイトはそう思った。それまで戦車を見ながら話していた紫音は、クイトを見た。
「納得できないのなら、降りてもいいぞ」
惨事を思い浮かべたクイトは一瞬ためらった。
「いや、降りない」
「覚悟はできたのか? それならナノマシンをインプラントする」
「ナノマシン?」
聞いたような気もするが、意味が思い出せない単語だった。
「聞いたことがないか。一億分の一メートル位のサイズの機械だ。それを体に埋め込む。と言っても注射だ。体の中に入ったナノマシンは、人体の機能を拡張する。短距離なら通信ができる。通話以外にも色々できる。地図や建物の情報があれば、自分や味方がどこにいるかわかるし、誰かが発見した敵も見える。通信相手が見ているものが見れる。戦場の状況が手に取るようにわかる。指揮官はそれを見て、最適な指揮が行える」
クイトは注射は苦手ではなかったが、体の中に異物を入れられるのには抵抗感があった。
「そういう装備は、協会ならナノマシン以外にもあるんじゃないか?」
「それを異世界に残したら、オーバーテクノロジーを与えることになる。体内に埋め込む方が安全だ。副作用はないが、体を改造されるのは嫌か? やっぱり止めるか?」
「いや、やる」
ここまで来て、引き返せるわけがない。
「そうか。後で医務室に行け。次はオーバーマジックだ」
紫音はテーブルに置かれていた、一振りの刀を取り上げた。それをクイトに渡した。
「皇帝と戦うための刀だ。抜いてみろ」
クイトは刀を鞘から抜いた。刀身は真っ黒だった。光沢がない。見ていると吸い込まれそうな気がする。
「あらゆる魔力を吸収する性質を持っている。それの近くでは、一切の魔法の効果が消える。対魔法使い用の刀だ。皇帝はその世界でも屈指の魔剣を持っている」
クイトは違和感を覚えた。
「魔剣? 銃じゃなくて?」
「標的が持ち込んだチートは、先込め式の銃だ。おまえの世界で言うと火縄銃だ。一発撃ったら銃口から火薬と弾を詰めなければならない。薬莢を使った銃のような連射ができないんだ。だが魔剣の方は振るだけで魔弾を連射できる。その魔剣と魔弾に対抗するための刀だ。だが自分も魔法を使えなくなる。そのときが来るまで鞘から抜くな」
クイトは刀を鞘に収めた。
「そいつは青銅どころか鋳鉄も斬れる。剣を斬れる刀だ。おまえの世界で言うと、ザ……」
紫音はつっかえた。
「斬鉄剣?」
クイトは冗談のつもりで言った。
「そう、それだ。そいつに対抗できるのは、叩いて鍛えた鋼鉄の剣だけだ。そいつはこれから行く世界にはない、オーバーテクノロジー兼オーバーマジックだ。絶対に失くすな」
クイトは冗談が現実だと知って、あぜんとした。
その次の物は魔法とは無縁に見えた。まるで薬局にある血圧計みたいだった。
「利き腕の手首を入れろ」
クイトは紫音の指示通り、右手の手首を入れた。ちょっと痛かったが、すぐに感覚がなくなった。しばらくすると、LEDらしい物が点滅した。
「もういいぞ」
紫音に言われて、クイトは右手を抜いた。右手首に入れ墨が彫ってあった。
「これから行く世界の魔法だ。普段はこれを着けておけ」
紫音はリストバンドを投げてよこした。それを受け取ったクイトは、右手首に着けてみた。リストバンドは透明になり見えなくなった。入れ墨も見えなくなった。
「リストバンドを着けていても魔法が使える。これが説明書だ。わざわざ日本語に翻訳したんだ」
クイトは三~四十ページの本を手渡された。
「自習してくれ。忙しくて、そこまで面倒みられない」
わざわざ日本語に翻訳するより、直接教えた方が簡単ではないかとクイトは思った。
その他にも細々とした装備があった。発射後に分解が始まる対地対空兼用ミサイルランチャー、金属並みの硬度がある生分解性プラスチック製の弾丸と銃、時間が経つと消えるインクで書かれた呪符など、すぐに消滅するものばかりだった。クイトはその徹底ぶりに感心した。
「感想があるのか?」
紫音に訊かれて、クイトは答えた。
「ああ、戦車とこの刀は別だが、短期間で消滅するものばかりだ。徹底しているな」
紫音はこう答えた。
「俺たちがチーターにならないためだ」