連行
益川はオダダでの名前を貰った。クイトと名乗ることになった。名前には無頓着だと思っていたオダダ人も、英一という名前には違和感を覚えるようだった。質素ながらも結婚式が行われ、晴れてウタタと結婚した。しばらくはウタタの実家で暮らすことになった。
クイトは村の仕事を手伝った。農地を耕し、狩猟で獲物を仕留め、魔法で病人を治療した。クイトは何でも上手くできた。
更に日本から持ち込んだ知識で、農業改革に乗り出した。オダダにも日本と同じ様に四季があった。冬の季節は作物は育たなかった。そこで夏から秋にかけて穀物を蓄え、冬になる直前に家畜のほとんどを屠殺して、肉を燻製にして、冬を食いつないでいた。クイトは冬の間、野生動物がどうやって生きているか観察した。その結果、人間は食べないが、野生生物が食べている植物を幾つか見つけた。そこで村人を説得して、冬の畑でその植物たちを栽培して、家畜の餌にしてみた。一部の植物は、この試みが上手くいった。また家畜の糞を使って堆肥を作ることも提案した。その結果、穀物の収穫は増え、家畜を増やすことができた。村人の生活は安定した。また堆肥を作るときに出る熱を利用して、温水を作ることも試みた。これも成功し、手軽に温水が使えるようになり、生活は便利になった。クイトは伝説の勇者の生まれ変わりという箔もついて、村人から尊敬を集めるようになった。ウタタと二人で、新居を建てて住むことが許された。評判を聞いて、近くの村々からも見学者が来るようになった。こうして二人は幸福な二年間を過ごすことができた。
だが運命の歯車は動き出した。世界は二人を放置しなかった。
クイトがオダダで結婚三年目の生活を始めたとき、新居を一人の男が訪れた。クイトが叩かれた扉を開いたとき、紫色の髪の男が立っていた。ビジネススーツを着ていた。明らかにオダダ人ではない。
「クイトさん、いや益川英一さんですね。私はこういう者です」
男は名刺を差し出した。クイトが受け取った名刺には、「並列世界相互扶助協会 人類事業部地球部特務課 主任 深井紫音」と書かれていた。クイトは慌てなかった。いずれはこの日が来るのではないかと思っていた。だが予想以上に早かった。
「用件は言わなくてもわかっていますね。私と一緒に来てください」
予想通りの台詞だった。答えも予想できるが、念のため訊いてみた。
「嫌だと言ったら?」
「力ずくということになります。できればそれはしたくありません。益川さん、いや■■■さん。一緒に来てください」
クイトは相手が自分の前世の名前を知っていることに驚いた。
「あなたの前世も並列世界の一つなんです。協会は当然それを知っています。あなたが前世の能力を使えば、私を殺すことができるでしょう。でも私も黙って殺されるつもりはありません。戦闘になれば周囲にも被害が及びます」
クイトは紫音の視線が自分からそれたことに気づいた。その先を見ると、不安な表情のウタタがいた。
「ウタタを人質にとるつもりか」
クイトの言葉には殺意が込められていた。
「ウタタさんにも同行してもらいますが、人質にはしません。ウタタさんに危害を加えるつもりはありません」
「その言葉を無条件に信用できると思うか?」
「私もそこまでは期待していません。一晩考えてください。また明日来ます。ですが、逃げようとしたら力ずくになります。浅はかな真似はしないでください」
紫音はそう言って立ち去った。
その日の夜、長老も交えて家族会議が開かれた。
「婿殿と娘を差し出すなどあり得ん!」
クイナは戦うことを主張した。だがそれは無謀だと、クイトにはわかっていた。
「お義父さん、落ち着いてください。俺の話を聞いてください。協会と戦ったら大惨事になります。俺の世界には大量破壊兵器があったんです」
「大量に破壊する兵器?」
オダダには大量破壊兵器がない。クイナが知らないのは当然だ。
「たった一発で、何千人、何万人も殺せる兵器です」
クイナの表情が微妙に変化した。
「協会は俺の世界より進んだ技術を持っています。協会も大量破壊兵器を持っているかもしれません」
クイナの表情が更に変わった。
「たぶん協会は大量破壊兵器を使わないでしょう。しかし、使う可能性も否定できません。大量破壊兵器を使われたら、この村は全滅します」
クイナは言葉を失った。これならなんとかクイナを説得できるかもしれないと、クイトは思った。
「俺は別の方法で協会と戦うことを提案します。平和的な方法です」
「平和的に戦うなど、できるのですか?」
義母のハトトが訊いた。
「言葉です。説得です。協会が問題にしているのは、俺がオダダに居ることです。だから俺がオダダに残ってもよいということを、証明するんです。そうすれば、協会はこの問題を追求しなくなるはずです」
「どうやって証明するのかね?」
長老が訊いた。
「まだわかりません」クイトは正直に答えた後、発言を続けた。「まずは協会側の言い分を聞きます。その言い分が正しくないことを証明するんです」
「もし正しかったら、どうするのかね?」
長老に痛いところを突かれた。
「俺がオダダに居てはいけない理由があっても、オダダに居るべき理由の方が大きければ、説得できます」
「それは前世の宿命のことかね?」
「はい」
長老の質問に、クイトは即答した。だがクイトはこの線はあきらめていた。協会は自分の前世も知っている。その上で同行を求めたのだ。だがそれをこの場で口にすることはできなかった。
「ふむ」
そう言うと、長老はしばらく考え込んだ。残りの全員が、長老の言葉を待った。おもむろに長老は口を開いた。
「クイナ殿、ここはクイト殿の提案に乗った方が良かろう。話し合いの余地があるのなら、まずそちらを選ぶべきだ。いきなり血を流すなど、愚の骨頂だ。ここはクイト殿を信用しよう。クイト殿が真の勇者なら、この危機を乗り切れるはずだ」
クイナの視線が一瞬ウタタに向けられたことを、クイトは見逃さなかった。
「協会には俺一人で行きます。ウタタはここで保護してください」
クイトには意外だったが、ウタタが反対した。
「駄目よ。協会は私も一緒に連れて行くって言ったのよ。私が行かなかったら、協会はクイトの言葉に耳を貸さないかもしれない」
「いや、駄目だ。ウタタを人質にとる可能性がある」
「だったらなおさらよ。私がここに残ったら、私を人質にとるために、大量破壊兵器というのを使うかもしれないじゃない。村人全員が人質になるのと同じよ。それなら私も行った方がいいわ。私だって協会を説得する力になれるかもしれないわ」
「でも……」
予想外の展開に、クイトは答えをすぐに見つけられなかった。
「もう嫌なの、■■■と離れるのは。私は■■■を失いたくない。最後まで一緒に居たい」
ウタタは取り乱した。全員が伝説を思い出した。●●●が自害したのは、■■■が暗殺された後だ。クイトにはそのときの記憶がない。だがウタタの今の様子を見れば、本当に自害するかもしれないと思った。クイトは腹を決めた。
「お義父さん、お義母さん、ウタタも連れて行くことを許してください。ウタタは絶対に俺が守ります」
クイナは腕組みをして、しばらく考えた。そして結論を出した。
「長老の助言もある。ここは婿殿を信用しよう」
約束通り紫音は翌日やってきた。クイトはウタタも含め、他の人に危害を加えないことを条件に、同行することを伝えた。
「賢明な判断です。ウタタさんには健康診断を受けてもらうだけです。安心してください」
クイトは安心できなかったが、それ以外に選択肢はなかった。