伝説
「私が与えたのは外出許可で、外泊は認めていない」
JICAの君塚総務部長は、益川に言った。益川は事務室で説教を受けていた。
「すみません。時間までに帰るつもりだったんですが、森の中で道に迷ったんです」
益川は嘘の言い訳をした。
「君は未成年だが、社会人だ。その自覚を持ちたまえ。学校じゃあるまいし、私も説教などしたくない。今朝戻らなかったら、捜索隊を出していただろう」
「すみません。俺からも厳しく注意します」
益川の隣にいた小野寺が謝ってくれた。
「君の会社の河合課長は?」
君塚は小野寺に訊いた。
「今、現場で指揮をとっています」
「ほう? 珍しいな。彼はいつも事務所にいて、現場には出たがらなかったのに」
どうやら君塚は河合に好感を持っていないらしい。
「課長も反省して現場に出ることにしたようです」
小野寺が自分を身代わりにした課長をかばった。益川は小野寺に申し訳ないと思った。君塚の方も小野寺に同情したようだ。
「今回は大目に見よう。だが二度目はない。河合課長にもそう伝えたまえ」
そう言うと、君塚は二人を解放した。
「小野寺さん、すみません」
事務所から現場に行く途中で、益川は謝った。
「渡した物はちゃんと使ったか?」
「そんな機会、無かったですよ」
「じゃあ首筋についているキスマークは何だ?」
益川は首筋に手を当てた。そして小野寺の表情を見て気づいた。
「引っ掛けましたね!」
「引っ掛かる方が悪い。もっと用心しろ。でないと日本に強制送還されて、懲戒処分を受けるぞ」
「忠告、ありがとうございます」
これは厭味ではなく、益川の本音だった。それは小野寺にも伝わったらしい。
「俺もいつまでも、おまえをかばえないぞ。悪いことは言わない。あきらめろ。それが二人にとって一番良い選択だ」
「わかりました」
小野寺が本気で忠告してくれていることは、益川にもわかった。だが益川は、すでにオダダに残ることを決めていた。
益川はオダダに残る方法を考えた。赴任の任期が切れたが、鉄道の完成まで延長を希望した。だが工事は順調に進んだ。さすがに妨害するわけにはいかなかった。そんなことをしたら、オダダの人たちを裏切るし、バレたとき、日本に強制的に戻される。二度とオダダに戻って来れないだろう。少数だが鉄道のサポート要員がオダダに残ると聞いて希望したが、益川はゼネコンの社員で、鉄道の専門家ではないので選ばれなかった。ウタタの家の村人たちは協力して匿ってくれると言ってくれたが、迷惑はかけたくなかった。自分を発見するまで、捜索が続くだろう。
日本に帰国するまでの間、益川は外出許可をもらって、ウタタの村に足繁く通った。もちろん時間はちゃんと守った。前世の記憶を取り戻した益川は、前世で身に付けていた能力を取り戻すことにした。
まずは剣術。益川の前世の■■■は、剣の達人だった。ブルーカラーの益川は日本人の中では体力があったが、前世と比べると貧弱だった。筋トレはいつでもできるので、村にいる間は、ひたすら剣を振った。村の達人に胸を借りた。だがすぐに達人を追い越してしまった。後は前世の記憶を元に、一人で修行を繰り返した。
次は魔法。益川の前世の■■■は、偉大な魔法使いだった。これも日本人の前で行うことはできなかった。ウタタの村で行った。こちらは剣術より早く勘を取り戻すことができた。
そして学問。益川の前世の■■■は、高名な賢者だった。こちらは前世の記憶を取り戻したので、問題はなかった。だがそれに満足せず、現世の科学技術の知識を学んだ。月に一回の日本への帰省日を利用して、電子書籍のリーダーと、百科事典や様々な学問と技術解説の電子書籍、充電用の太陽電池、簡単な理科実験用の器具や材料の化学物質を買い集めた。化学物質をオダダに持ち込むときには、言い訳を考えるのに苦労した。読書はどこでもできたが、実験は安全にできる場所を見つけるまでお預けにした。
そんな益川の変化は、周囲も気づいた。暇ができたら筋トレか、ランニングをしながらの読書をするようになった。休みの日は常に一人で外出するようになった。ランニングしながらの読書は危ないと、小野寺はもちろん、彼以外の人たちからも注意された。それに対して益川はこう答えた。
「デュアルタスクの練習です。同時に二つのことができるようになりたいんです。最初は何回かコケましたけど、軽い擦り傷ですみました。自動車の運転だったら、絶対にしませんよ。それに最近はコケなくなりました」
小野寺の場合は、こう言い返した。
「それならランニングでなくてもいいだろう。安全なことに変えろよ」
「いえ、最近は登山を始めたんです。休みの日は必ず行くようになりました。登山は面白いですよ。やっぱり足腰を鍛えないと」
「なるほど、まあ好きにしろ。でも怪我や遭難はするなよ」
益川の前世の■■■は、偉大な勇者だった。平民の出でありながら、その実力と才覚を買われ、王の側近に取り立てられた。幾度もの他国との戦争で武勲を上げた。そればかりか巧みな知恵で、戦後処理を有利に進めた。実はこちらの方が重要だ。
戦争は手段であって、目的ではない。他国との交渉を有利に進めるための実力行使が戦争だ。重要なのは相手からどれだけ譲歩を引き出せるかだ。軍事と外交の両方に長けた■■■は、貴重な存在になった。
行政でも大きな成果を上げた。平民でも才覚のある者を要職に抜擢し、産業に革命を起こして成長させて、国の発展に貢献した。
最大の功績は、魔族との戦争だった。幾つもの国を破って、破竹の勢いで襲ってきた魔族の軍勢を、智略を使って罠にはめ、即座に陣頭で指揮をとって反撃を行った。人間を侮っていた魔族の陣は脆くも崩れた。最後は剣術と魔法を駆使して、敵将の魔王を討ち取った。指揮官を失った魔族は戦意を喪失し、次々と逃走した。この戦争で■■■は自国だけでなく、他国の国民からも英雄と讃えられるようになった。
この功績に報いるため、王は■■■を第一王女の●●●と結婚させると発表した。王に王子はいなかった。次の世代では、第一王女の●●●が女王となる。事実上、■■■を次の王に指名したのだ。実は王の側近に取り立てられたとき、■■■は初めで見た●●●に心を奪われた。一方●●●の方も初めて■■■に会ったときに、惹かれるものがあった。だが所詮は身分が違いすぎる。叶わぬ恋だと二人とも思った。だがそれは実現した。二人は幸福の絶頂にいた。
だが全ての人間が■■■を称賛したわけではなかった。■■■を妬む者や逆恨みを持つ者がいた。何の実力もないのに、貴族だという理由で、■■■に地位や名誉を不当に奪われた思う者は、王宮の中にたくさんいた。
彼らは唯一の才能である奸智を巡らし、■■■を毒で暗殺した。戦場では一度も倒れなかった■■■は、味方によって殺された。■■■の死を嘆き悲しんだ●●●は、彼を追うように自害した。
それゆえ、その国と世界がどうなったか、二人とも知らないし、知る術もない。
この話は、オダダに伝わる伝説だった。だがウタタが産まれたとき、ウタタが●●●の生まれ変わりだという神託が出た。同時に■■■の生まれ変わりが、他の世界から訪れるとも告げられた。
ウタタの家族はこのことをウタタに隠し、ウタタを普通の少女として育てた。だが日本という世界から人が来ると知ったとき、ウタタを建設現場で働かせるようにした。
そうとは知らず、建設現場で働いていたとき、ウタタは益川に会った。そのとき、ウタタは前世の記憶を取り戻した。だが益川の方は気づいた様子がない。ひょっとしたら自分の勘違いかもしれない。そう思いながらも、ウタタは益川にアタックした。益川とはすぐに恋人になった。そして実家に誘い、長老に会わせ、神託を仰いだ。
こうして二人は再会した。
四十キロの鉄道が完成した。二つの(オダダの基準では)大都市を結ぶ鉄道が完成した。今までは徒歩なら一日かかっていた移動が、一時間足らずで可能になった。多くの貨物も運べるようになった。大都市の交流が活発になり、経済成長が始まった。
勤勉なオダダ人たちは、自力で線路を施設できるだけの技術力を身につけていた。彼らはすでに自分で線路を施設する計画を考え始めていた。日本は協会の許可を得て、レールや車両などのストックを日本から運び込んで、オダダに残しておくことにした。
それを見届けた日本人たちは、達成感を得て、名残惜しいが、日本への帰り支度を始めた。
益川は決断した。自分は事故死したことにして、オダダに残ることにした。ウタタとその家族、そして長老をはじめとする村人たちと相談して決めた作戦を実行した。
異世界門は協会が必要と判断したときだけ開放された。過剰な干渉を防ぐためだった。警備の都合上、異世界門は建設現場や宿舎とは離れた場所に作られた。その途中に山腹にある道路があった。大型車両一台が通れる幅しかなく、協会の同意を得て、ガードレールが作られていた。
宿舎を畳んだ日本人たちは、それらと一緒にトラックの荷台に乗って移動した。益川もそうだった。作戦で予定の場所に来たとき、益川は立ち上がった。
「おい、危ないぞ」
益川の隣にいた小野寺が注意した。
「いや、ポケットに入れた物が取り出しにくくて」
そう言いながら益川はズボンのポケットに両手を入れた。それが合図だった。この様子を上から隠れて見ていた村人たちが協力して、魔法を使って益川が乗ったトラックを崖の方に傾けた。一人だけ立っていた益川が荷台から転落した。
「益川!」
小野寺が益川に手を差し延べたが、益川は両手をポケットに入れたまま、谷底に転落した。
益川は転落しながら、オダダの魔法の呪文を唱えた。空を飛ぶ魔法だった。本当に空を飛べるわけではないが、落下にブレーキをかけることはできた。谷底では村人たちが漁網を張って待ち構えていた。益川は落下のコースを調整して、漁網の中央に軟着陸することができた。
「みなさん、ありがとう」
前世の記憶を取り戻した益川は、少々たどたどしいが、オダダ語が喋れるようになっていた。流暢な発音ができるほど、舌や口の筋肉がまだ慣れていなかった。
「俺を捜索するために、ここに人が降りてくるはずです。急いで移動してください」
益川と村人たちは、捜索隊が降りてくる前に、谷底から脱出した。
益川の捜索は一ヶ月に渡って続けられた。日本人だけでなく、事情を知らないオダダ人も捜索に加わった。ついに益川を発見できず、日本とオダダの合同で葬儀が行われた。そのことを知った益川は罪悪感を覚えたが、後悔はしなかった。