覚醒
益川は休みの日に、ウタタと一緒にウタタの実家を訪ねた。ウタタの実家は、オダダの世界では中規模な村にあった。村に来た益川を村人たちは好奇の目で見た。お父さんとお母さんに会うのだ。好印象を与えようとして、必死に服を選んだ。だがオダダ人の村では浮きまくった。自分の迂闊さに腹を立てていた。小野寺に相談した方がよかったかもしれない。いや、チャラ男のセンスはオダダ人には通用しないだろう。それ以前に相談なんてできるわけがない。そんなしょうもないことを考えてしまった。
「こっちよ」
益川はウタタに手を引かれて、一件の家に連れて行かれた。村の中でも一番小さそうな家だった。
「ここ。会わせたい人が居るのよ」
もしここがウタタの実家なら、ウタタの家庭は村の中でも貧しいのだろうか? だからウタタは出稼ぎをしているのだろうか? いや、これから会う相手にそんなことを考えるのはよくない。先入観は捨てよう。益川はそう思い、気を引き締めた。
ウタタは扉をノックした。オダダにもノックの習慣があった。だが自分の家にノックをするのはおかしくないか? 益川は、自分は勘違いをしているのかもしれないと思った。
「長老、ウタタです。居ますか?」
益川は気づいた。やはりウタタの実家ではないらしい。
『開いているぞ。入ってきなさい』
扉の向こうから返事が聞こえた。ウタタは扉を開くと、益川をうながして先に家に入れた。
家の中では一人の男性の老人があぐらをかいていた。外見では地球の時間で七、八十歳くらいだ。ウタタの父親にしては歳をとっている。かなりの歳の差婚でもない限り、父親ではない。普通に考えれば祖父かもしれない。だがウタタはこの老人を『おさ』と呼んだ。正確に言えば通訳器はそう通訳した。益川はその意味を考えた。日本語で『おさ』と発音するのなら『長』かもしれない。つまりこの村のリーダーなのか? これは両親より手強いかもしれない。
老人の部屋は見たところ、四畳半ぐらいの広さだった。玄関には三和土があって、サンダルのような履物が置いてある。あぐらをかいた老人は履物を脱いでいる。どうやら室内は土足禁止らしい。益川は靴を脱いで、畳にそっくりな床に上がった。部屋の中央に囲炉裏がある。部屋の奥はカーテンのような物で仕切られている。おそらく部屋の奥に、もう一つ部屋があるのだろう。益川は寝室だろうと思った。
「二人とも、そこに座りなさい」
老人に薦められるまま、二人は座布団に似た物に腰を下ろした。使っていない囲炉裏を挟んで、二人は老人と向かい合った。
「こちらは私の村の長老よ」
益川は通訳器のスイッチを操作して、第二候補の通訳を再生させた。
『こちらは私の村の長老よ』
ビンゴ、村の指導者だ。穏健な表情をしているが、手強いかもしれない。まずは第一印象が大切だ。丁寧に挨拶しよう。
「初めまして。英一です」
「そうか。ウタタから話は聞いている」
「あなたのお名前は?」
老人は少々驚いた顔をした。
「知らんのか?」
これはまずったか? あらかじめウタタに訊いておくべきだったか? そう思ったが、続けるしかなかった。
「いえ、来たばかりですから知りませんよ」
老人は納得した顔をした。
「どうやら誤解を招いたようだな。長老に名前はない。長老となったときに名前は捨てるのだ」
「なぜですか?」
「一つの村に長老は一人しかいないからな」
なんとも無頓着な話だ。オダダ人は名字もない。名前にアイデンティティーを求めないらしい。それでは名前として役に立たないではないか。あるいはオダダには身分制度があって、個人より身分が重視されるのだろうか? 日本の職場では名前ではなく職階で呼ぶことが多いし、家庭でも家族の全員が特定の個人を、お父さんやお母さん、お兄ちゃんなどと呼ぶ。日本人はオダダ人と似ている部分があるかもしれない。益川の頭には、今まで考えたこともない疑問が沸いた。
「長老、お願いします」
「うむ」
ウタタは長老に頼みごとをしていたらしい。長老に会わせたいというのは、当然それに関係があるのだろう。益川はウタタに訊いた。
「お願いって何をお願いしたの?」
「神託よ」
「神託?」
占いの類だろうか? いや、廃炉作業では神託が使われたらしい。もっと信憑性が高いものだろう。
「神にお伺いを立てて、予言を授かるのだ。それが長老の役目だ」
そう言った長老は、相撲に使われる軍配に似た物を取りだした。鈴が幾つも付いていて、大きな音が鳴った。
「神託って、何についてですか?」
益川は長老に訊いたつもりだったが、ウタタが答えた。
「エーイチのことに決まっているじゃない」
ウタタは長老に会わせたいと言ったのだ。当然そうだろう。だが益川には心当たりがない。
「俺の何に?」
ウタタは何かを話したが、通訳器は通訳できなかった。
「わしを見なさい」
そう言われて益川は長老の方に向いた。長老は何かを言いながら、軍配を振った。ジャラジャラと大きな音が鳴った。長老の言葉を通訳器は通訳できなかった。
長老は軍配を振るだけで、危害を加えるつもりはなさそうだ。益川はおとなしく待った。二、三分して、長老は軍配を降ろした。
「長老、どうでした?」
ウタタは期待と不安が混じった表情で、長老に訊いた。長老はウタタに答えたが、通訳器は通訳できなかった。だがウタタの顔が喜びで明るくなった。どうやら悪い結果ではなかったようだ。益川はなんとなく安心した。
「ウタタ、何の神託だったんだ?」
ウタタは答えたが、通訳器はまた通訳できなかった。
「ごめん、通訳器が通訳できない。何を言っているのかわからない。壊れているのかな?」
「壊れていないと思うわ。だって■■■の言葉は私にはわかるもの」
「やっぱりわからない。■■■って何?」
ウタタは驚いた。
「まだ思い出せないの!」
「ごめん、思い出せない。最初に出会ったときのことだよね。ヒントとかないかな?」
ウタタの表情は、すぐに元に戻った。
「焦らなくていいわ。必ず思い出すから」
次はウタタの実家に案内された。覚悟していたお父さんとお母さんに会わされた。父親はクイナ、母親はハトト。益川には地球の時間で五十歳前後に見えたが、実年齢は四十歳ぐらいだろう。オダダ人の外見は、日本人より老けるのが早い。益川はそれまでの経験で知っていた。もしオダダに今の日本並みの医療があったら、老ける速度は日本人並みになるかもしれない。そういう話をどこかからか聞いたことがあった。
ウタタの家は三世代同居だった。オダダではこれが当たり前で、四世代、五世代同居の家も珍しくないらしい。ウタタは長女で、二歳年下の妹のハナナ、五歳年下の弟のクウト、まだ二歳の弟のハイトの四人姉弟だった。祖父母は父方の二人、クイラとマナナだ。二人とも外見は八十歳くらい。実年齢は予想できなかった。
益川は大歓迎された。ウタタの両親に品定めをされるのかと思っていたが、二人とも無条件で歓迎してくれた。これは信頼されているのか、それともウタタの相手としては度外視されているのか。益川は悩んだが、それをくよくよ一人で考えても結論は出ない。それはそれで置いといて、厚意に甘えることにした。ちょうど昼食の時間になり、益川はごちそうになった。独り暮らしが長かった益川は最初は戸惑ったが、すぐに馴染んだ。たまにテレビに出てくる大家族も悪くはないと思った。
満腹になった益川は、ふと浮かんだ疑問をクイナに訊いた。
「みなさんは魔法を使えるんですよね」
「個人によって得手不得手はあるが、その通りだ」
「でもみなさんが魔法を使っているところを見たことがありません。やっぱり協会に止められているんですか?」
「うむ、日本人の前では魔法を使わないという約束をした」
「協会は過剰な干渉になると考えているんですね」
オダダ人がどんな魔法を使えるのか知らないが、協会はそれを日本に知られたくないのだろう。魔法を日本で悪用すると大変なことになるのかもしれない。
「オダダ人は約束を守る」
クイナの言葉を聞いて、まるで大昔の『インディアン、嘘つかない』みたいだと益川は思った。その直後、矛盾に気づいた。
「こんなことを言うのもなんですが、俺がこの家を訪問しているのは、約束を破っていることになるんじゃないですか?」
クイナは不思議そうな表情をした。
「君は当然特別だ。ウタタの夫になるのだから」
益川は焦った。
「ちょっと待ってください。それは話が飛躍しすぎていますよ」
クイナは不機嫌な表情になった。
「何を言う。君は■■■ではないか。当然の宿命だ」
「宿命って……」
クイナは不機嫌から怒りにモードが切り替わった。
「君はどういうつもりだ? ウタタのことをどう考えているのだ?」
益川はタジタジになりそうだった。だが救いの女神が現れた。食器を台所に下げたウタタが戻ってきた。
「待って、お父さん。エーイチはまだ思い出していないの」
ウタタだけでなく、クイナも驚いたようだ。
「思い出していない? それは遅すぎる。人違いではないのか?」
「ううん、長老に神託をもらったわ。エーイチで間違いないの」
クイナは怒りモードから不機嫌モードに戻った。なぜモードが変わったかはわからなかったが、益川は少し安心できた。内容はわからないが、神託は霊験あらたかなものらしい。
「あと時間はどのくらいあるのかね?」
「時間?」
クイナに急に訊ねられた益川は、質問の意味が理解できなかった。
「君がオダダに居られる時間だ」
そう言われて、益川は工事の進捗から、完成までの時間を大雑把に見積もった。それをオダダの時間に換算した。
「早ければ四ハロンぐらい。遅くても六ハロンぐらいです」
クイナは考えた。
「ウタタと付き合いを始めたのが三ハロンほど前だったな。あまり時間はないな。悠長に待つわけにはいかん」
クイナは立ち上がった。
「もう一度一緒に長老のところへ行ってもらう。ウタタもついてきなさい」
益川は長老の家に戻った。クイナが長老と何かを話していたが、通訳器は通訳できなかった。このとき益川の頭に一つの疑念が浮かんだ。通訳器は通訳できないのではなく、あえて通訳しないのではないか? 協会にとって知られたくない話になると、通訳をしないように作られているのではないか?
「なるほど。確かに時間がないな」
クイナは長老を説得できたらしい。
「少々手荒だが、この際、やむを得まい」
長老はそう言うと、カーテンを潜って、部屋の奥に行った。すぐに何かを持って戻ってきた。それを見た益川は驚いた。それは金属製のヘルメットで、いくつかのケーブルが繋がっていた。
「村に代々伝わる宝だ。これを被りなさい」
ヘルメットを渡された益川は、その重さからアルミ製だと見当がついた。だがアルミの精錬には、大電力を使う電気炉が必要だ。発電所がなかったオダダのテクノロジーで作れるものではない。代々というのは何年かわからないが、鉄ほどではないがアルミも酸化して錆びる。長期間原形を保っていたのなら、酸化を防ぐ何らかのコーティングが施されていることになる。ひょっとしたら日本のテクノロジーでも作れないかもしれない。まさに場違いな人工物だ。それとも何かの魔法で作ったものだろうか? ケーブルはカーテンの奥に続いていた。何が繋がっているか、わからない。だが拒める雰囲気ではなかった。益川は未知のヘルメットを被った。
長老が再び軍配を振り始めた。間もなく益川はショックを受けた。頭の中に何かが直接入ってきた。その後、脳の奥底から何かが沸き上がってきた。情報の奔流に、益川は混乱した。
益川は意識を取り戻した。ウタタの膝枕で寝かされていた。ウタタの顔を見たとき、涙が出た。彼は彼女の名を呼んだ。
「●●●」
それを聞いた彼女は答えた。
「■■■、やっと私の所に戻ってきてくれたのね」
彼は上半身を起こすと、自然に彼女と口づけをした。その後、二人は抱き合った。
「もう離れないで」
「ああ、離さない。現世でも君に出会えた。やはりこれは宿命だ」
「そうよ。来世でもきっと逢える」
彼は彼女を離した。正面から向き合った。
「来世より、現世を生きる方法を考えよう」
「そうね」
その日、益川は朝帰りした。