建設
原発は無事に宇宙に飛ばされ、太陽に落下する軌道に遷移した。究極の焼却処分で廃炉作業を終えた日本は、約束通りオダダに技術者を派遣して、鉄道を建設することになった。
だが日本は法治国家だ。政府といえど法律の裏付けがない行動はとれない。政府は対応の検討を余儀なくされた。そのための閣議が開かれた。
「知っての通り、我が国はオダダに鉄道を建設しなければならない」
最初の閣議で、浜田総理が状況を確認するように、口火を切った。
「だが協会とオダダの存在は、全く予想できなかった。これに対処する法律がない。かつてはハイジャック事件で超法規的措置が採られたが、完全な失敗だった。この事案も急ぐ必要があるが、ハイジャック事件ほどの緊急事態ではない。国会を無視できん」
「世論調査では、鉄道建設に賛成する意見が九十パーセントです。野党も反対しないでしょう」佐薙官房長官は楽観的な見解を示した。
「そこは私も心配していない。問題はスケジュールだ。児島君、法案の作成にはどのくらいかかる?」
「すでに法案の作成を命じましたが、前例がない未決の部分が多く、今のところ見通しは立っていません」児島法務大臣は、悲観的な見解を示した。
「岡本君、協会は何と言っている?」
「協会の深井課長は『可能な限り速やかに』と言って、明確な期限は設けませんでした。しかし成田や普天間の二の舞になれば、協会は問題視するでしょう。別の形で対価を要求されるかもしれません」
「別の形とは、どんなものが考えられる?」
「詳しくは、実務を担当している武内政務官に答えさせます」
浜田総理の質問を、岡本外務大臣は武内に丸投げした。岡本大臣の人となりを知っていた武内は、こうなるだろうと予想していた。
「どのような要求をするか、全く予想できません。協会は今でも未知の存在です。ですから、協会を怒らせることは避けるべきです。彼らは我々の想像もつかない科学技術を持っているのです。魔法もです。どのような報復を受けるか、わかりません」
「例えば原発を元に戻すとか?」
黒田国土交通大臣が質問をしたが、武内は、それを腹の中で笑った。
「その程度ですめば、極めて幸運でしょう」
大臣全員が言葉を失った。すかさず武内は発言を続けた。
「交渉の現場にいる者の立場で言わせてもらえれば、総理の危機感でも不充分です。ここは多少強引でも、先に進めなければなりません」
「強引とは? 私に超法規的措置をしろというのか?」
浜田総理の質問に、武内は練りに練った秘策を披露した。国のためと自分の出世のために、秘策を用意していた。
「そうではありません。オダダを独立国として承認するのです。相手が独立国なら、現在の海外援助の法律が適用できます。人工島は大使館にしてしまえば、日本の主権は及びません。領海侵犯の問題も解決できます」
「では協会はどうするのだ?」
黒田大臣が追求した。
「オダダの依頼で大使館を建設し、廃炉の取引を引き受けた非政府組織です。オダダとの外交の窓口です。例えば台湾の亜東関係協会などと同じにするのです」
「確かに強引だな」
児島大臣の感想に、武内は応酬した。
「では、これより良い案がありますか?」
大臣たちは誰も秘策を用意していなかった。やっぱり官僚がしっかりしないと駄目ね、そう思った武内は、ここぞとばかりに畳みかけた。
「今後もオダダの協力は必要です。いずれ廃炉になる原発はまだあります。高レベルの放射性廃棄物もです。オダダ以外の世界との協力も必要になるかもしれません。協会を敵に回してはいけません。協会は味方につけておくべきです」
そう言われると、誰も反論できなかった。
与党は臨時国会を招集し、オダダを正式な独立国として承認する決議案を国会に提出した。総理と官房長官の予想通り、決議案は衆参両院で大多数の賛成で可決された。国の最高機関である国会のお墨付きをもらった政府は、オダダで鉄道の建設を始めた。
鉄道の建設は政府開発援助で、国際協力機構が主導して行う無償資金協力になった。資金は全て国家予算から捻出しなければならなかった。オダダを独立国として承認しているのは日本だけなのだ。世界銀行やアジア開発銀行などの国際開発金融機関は頼れなかった。協会とオダダの出現への対応で、予備費のほとんどを使い果たしていた政府は、鉄道の建設が終わるまでという時限付きの増税案を臨時国会に提出した。すったもんだしたあげく、なんとか増税が決まった。浜田総理の国会答弁から出た「廃炉税」という言葉が流行った。その年の流行語大賞にノミネートされたが、「並列世界相互扶助協会」が大賞を受賞した。主催者は受賞者を授賞式に招待するか悩んだが、深井の方から先に辞退させてもらうという連絡があった。
通常のODAのルールに従って、オダダへの専門家派遣と、機材の供与が行われた。だが日本への研修員受け入れは協会に拒否された。干渉は必要最小限でなければならない。現地人の研修は、現地で行うのが協会のルールだった。その役割はシニア協力専門家が担った。
JICAの主力である青年海外協力隊だけでは人手が足らず、建設会社に人件費とレンタル料金を払って、ゼネコンの社員と建設機械を事業に参加させた。実は陸上自衛隊の施設科の派遣が最初に検討された。未知の異世界ではどんな危険が潜んでいるかわからない。しかし野党と与党の一部の反対、海外援助という建前、協会が安全を保証するという深井の言葉などで、実現しなかった。
オダダに到着した第一陣は、最初とまどった。武内が見た映像の通り、オダダは日本の里山によく似た場所だった。これが本当に異世界なのか? 本当はオダダなど存在せず、自分たちは担がれていたのではないか? そう思った者は少なくなかった。しかしよく見ると、植生が日本いや地球とは違う。野生動物も地球のそれに似ているものも数多くいたが、地球のものではない。集まってきたオダダ人は日本人そっくりだが、言葉が通じない。夜空を見上げても、見慣れた星座はひとつもない。ここはやはり異世界なのだと納得するしかなかった。
オダダ人を指導しながらの作業は予想より大変だったが、オダダ人の中でも勤勉な者が集められたので、日本人たちはオダダ人に悪い感情を持たなかった。廃炉でオダダに恩を感じている者がほとんどだった。国会で問題になった廃炉税も、廃炉作業を自力で続けた場合と比べれば、はるかに安上がりだということが広く知られるようになったことも影響した。
建設も地球の時間で三年目になると、通訳器がなくても簡単な会話ができるようになり、世界を越えた友情や愛情が生まれた。日本人の中には真剣に移住や結婚を望む者もいたが、協会のルールでそれは許されなかった。干渉は必要最小限でなければならない、それが協会の鉄則だった。
益川英一はオダダに派遣された十九歳のゼネコンの社員だった。新人研修で幾つかの建設機械の運転資格を取った後、オダダに派遣された。益川は最初は気乗りがしなかったが、実際に来てみると、オダダが気に入った。確かに不便な僻地だが、オダダ人は好きになった。日本ではパシリをさせられることが多い新人だが、オダダ人からは歓迎された。人懐っこい彼らとは気が合った。友人が多くできた。日本人よりオダダ人と食事をする方が多かった。
恋人も生まれて初めてできた。ウタタという名のオダダの女性だった。オダダでも力仕事は男が担っていたが、男たちの世話をしたのがウタタだった。ウタタは地球の時間で十六歳、オダダでは立派な結婚適齢期だ。
ウタタと会ったその日、益川はクレーン車の壊れた油圧シリンダーの交換をしていた。朝から昼休みまで時間がかかった。ようやく交換が終わって、路肩に座った。くたくただった。疲れていて、空腹だったが食事のために腰を上げるのも億劫に思えた。それでも昼飯を摂らないと、午後の仕事に耐えられない。ちょっとためらっていたとき、日向にいたはずなのに、周囲が急に暗くなった。顔を上げてみると、オダダ人の少女が目の前に立っていた。少女と視線が合った。少女は明らかに驚いていた。しばらく、二人とも視線が外せなかった。何分経ったかわからなかったが、ようやく益川が口を開いた。
「あの、俺に何か用?」
少女は更に驚いた。
「覚えてないの?」
「えっ、あの、その、ごめん。どこかであったような気もするけど、思い出せない」
少女は明らかに落胆した表情になった。益川はなぜか罪悪感を感じた。どうやら顔に出たらしい。それを見て少女は立ち直った。
「気にしないで。お昼ご飯まだなんでしょう。これを食べて」
少女は二つ持っていた大小の弁当の大きい方を益川に差し出した。
「いいのかい?」
「まだ一人食堂に来てないから、持ってきたの」
「もう一つは?」
「私の分。一緒に食べていい?」
「えっ! 君がそれでいいのなら」
「もちろんいいわよ」
少女は益川の隣に座った。異性との交際経験が皆無に近い益川はドキドキした。
「それじゃあ、いただき……」
「ちょっと待って。口の周りが汚れているわよ」
「そうかい?」
益川はいつもの癖で、作業服の袖で拭こうとした。
「駄目、それじゃかえって汚れちゃう」
そう言われて、益川は袖を見た。油まみれになっていた。
「これを使って。まず手を拭いて」
少女は真っ白なタオルを差し出した。
「いいのかい? 油で汚れるよ」
「それを洗濯するのが私の仕事よ」
そう言われて益川はタオルを受け取って、手を拭いた。タオルは油を吸収する性質のものだった。タオルは汚れたが、手がきれいになった。
「もういいわよ。洗濯しておくから返して」
「うん」
少女は汚れたタオルを受け取ると、新しいタオルを取り出した。
「こっちを向いて動かないで」
少女はタオルを持った手を、益川の顔に近づけてきた。益川は思わず顔を遠ざけた。
「それじゃあ駄目よ」
「何をするんだい?」
「顔を拭くの」
益川は顔が赤くなるのを感じた。少女にまともに見られるのは恥ずかしがった。
「いいよ、自分でやるよ」
「鏡を持っているの?」
「持ってない」
「私もよ。鏡がなければ自分で拭けないじゃない。私に任せて」
「うん」
益川は赤くなった顔を拭いてもらった。
「綺麗になったわ。そういえば、まだ名前を言ってなかったわね。私はウタタ。あなたは?」
「益川英一」
「『マスカワエーイチ』? どこからが名前なの?」
オダダ人には名字が無いことを、益川は忘れていた。
「英一だよ」
「『エーイチ』ね。名前で呼んでいい?」
「うん。俺の方はなんて呼べばいい?」
「ウタタよ」
二人は並んで食事をした。その間、建設現場の他愛のない世間話をした。もっとも益川の方は緊張して、ぎこちなかった。
「ごちそうさま」
ウタタの言葉を聞いて、益川は自分の弁当箱が空になっているのに気づいた。
「ごちそうさま」
「美味しかった?」
「うん、美味しかった」
実は益川は緊張して、弁当の味など感じていなかった。
「よかった。私、洗濯だけじゃなく、炊事の仕事もしているの」
「そうなんだ」
にこやかな顔のウタタに合わせて、益川も笑顔を浮かべた。内心では味を覚えていないことを悔いていた。
「エーイチ、また一緒に食べてくれない?」
「もちろんいいよ」
この日から益川はウタタと一緒に食事をするようになった。元々オダダ人と食事をすることが多かった。その輪の中にウタタが加わった。他に誰もいなくても、ウタタと必ず食事をした。周囲もそのことに気づいた。益川は言われた。
「益川、いいか」
声をかけたのは、ゼネコンの先輩の小野寺だった。その外見はいかにもチャラ男という感じだったが、意外と後輩の面倒をよくみた。
「小野寺さん、何ですか?」
「おまえ、最近オダダ人の女の子と飯を食ってるな」
「ウタタのことですか?」
「彼女はおまえの何なんだ?」
益川は一瞬言葉に詰まった。
「……友達です」
小野寺は吹き出した。
「何ですか、それ?」
「おまえ、古い。クラシック過ぎる。逆に笑える」
小野寺は笑うのをやめて、言った。
「最初は誰でも友達なんだ。だが友達の一線を越えるな。俺たちはここに居続けられないし、あの娘は日本に連れて行けない。いずれは必ず別れるんだ」
「それぐらいわかっています」
「俺から見れば、おまえはわかっていない。おまえ、女には耐性が無さそうだし」
益川は反論したかったが、できなかった。実際、耐性が無かった。チャラ男には到底勝てない。
「でも好きになっちまったら、簡単には止められない。『恋は盲目』なんて言うが、今のおまえは周囲が見えていない。だから俺がこうやって注意をしているわけだ。でも嫌いになれというのも無理な話だ。最悪の場合はこれを使え」
小野寺は小さな箱を、益川に渡した。
「男としての最低限の責任だ」
箱を見た益川は、顔が赤くなった。
「なんだ、まだ一度も使ったことがないのか? 説明書は箱の中に入っているぞ」
「あ、ありますよ! 知ってます!」
その日の夜、益川は誰にも見られないように、布団の中で避妊具の説明書をペンライトで読んだ。小野寺はなぜこれを持っていたのか? 益川には疑問に気づく余裕は無かった。
水力発電所と、十キロの線路が完成した。日本で開発をしていた燃料電池列車の量産前試作品もできた。水力による発電と、電気による水の分解に成功し、水素を取り出すことができた。水素を使って、日本から搬入した車両の試運転にも成功した。世界の違いを問わず、建設に従事した人間全員が、一緒に成功を祝った。
そこから先は加速度的に建設のピッチが上がった。レールの施設に必要な建材を列車で運ぶことができた。作業者のための水や食事、建設機械を動かす燃料も運べた。もちろん作業者の送り迎えにも使えた。オダダ人は列車の能力に驚いた。実は、自分が何を作っているか理解できていなかったオダダ人がほとんどだったが、彼らも理解した。列車による大量輸送がどれほど生活を便利にするか、容易に想像できた。
益川も作業者として喜んではいたが、小野寺に指摘されたように、ウタタと分かれる日が近づいてきたことを感じて、複雑な心境だった。
ウタタとの関係は上手くいっていた。なぜ困るのかは理解してもらえなかったが、目立つのは困るので、目立たないようにウタタと会っていた。お互いに、普通なら他人には話せないようなプライベートな話をするほど、親密になっていた。もっとも、どちらも相手の話の三分の一は理解できなかった。やはり世界の違いを感じた。
そんなある日、益川は深い考えもなしに言った。
「ウタタの家ってどんなところだろう? ウタタはどんな所で生まれて、どんなふうに暮らしていたんだろう? 見てみたいな」
それを聞いたウタタは、パッと顔が明るくなった。
「じゃあ来て。今度の休みの日に来て。会わせたい人がいるのよ」
その言葉に、益川はタジタジになった。状況を考えれば、会わせたい相手は両親だろう。お父さんとお母さん? まだその覚悟ができていなかった。恋愛経験が乏しい益川は、中学生並みの臆病者だった。
「いや、簡単には現場を離れられないよ。そういうルールなんだ」
「でも許可をもらえばできるんでしょう。他の人はそうしているわよ」
益川の言い訳を、ウタタは簡単に論破した。
「外出許可のこと? でもオダダの街に行くことはできないよ。接触は最小限が協会のルールなんだ」
益川は更に言い訳を続けた。だがウタタを止めることはできなかった。
「一人じゃ外出できないの?」
「いや、一人でも外出できる」
「それなら問題ないじゃない」
益川はウタタが言外に言っていることに気づいた。
「いや、それはよくないよ」
「日本人はやっぱり真面目ね。でもルールと私、どっちが大切?」
「いや、そういう比較はできないよ。今の質問はフェアじゃない」
「ねぇ、どっち?」
女に耐性がない益川は降伏した。