第05話
八識の携帯電話に発信元不明の着信が入った。
「いったい、だれ?」
眉を潜めながら着信ボタンを押す。
「……八識さん、僕です」
「健太郎君? いったいどこから」
「学校の公衆電話からかけてます」
「なるほど、どうりで番号でないはずだわ。でも、不便だから携帯ぐらい持ちなさい。なんだったらプレゼントしてあげるわよ」
「そんな事より」
八識はようやく健太郎の様子がおかしい事に気付いた。
「なに? どうしたの?」
「学校の周囲を【燈火】の人達が囲んでますよね」
「あー、ごめんなさい。あなたに伝える方法がなかったから。
今日、学校内で炎気を感じたでしょう?」
「ええ、そして誰か殺されたみたいですね、理由は分かりませんが」
彼女は息を飲んだ。
そこまで事実を把握してるのに、たんたんと感情を込めずに喋る健太郎に違和感を感じずにはいられない。
「健太郎君。あなた、もしかしてそのDFに接触した?」
しかし、健太郎はそれには返答しなかった。
「退いて下さい」
「……え?」
「学校を包囲している人達。
いえ、僕の監視を含めて。【燈火】の人達を遠ざけて下さい」
「ちょ、健太郎君。自分が何を言ってるのか分かってる。
いい? あなたの学校にいるDFは極めて危険――」
「もし、退いて下さらなければ。力づくで対処します」
イマ、ナンテイッタ?
「僕の監視というのも結構です。【燈火】の庇護ももう求めません。だから、退いて下さい。
僕が誰かを手にかける前に」
「……理由を言いなさい」
「言えません。そして、言っても聞いてはもらえないと思います」
あのオドオドとしていた少年と本当に同一人物なのか?
そう思わせるほどの滑らかな声音。
そして、彼が本気である事を八識は感じていた。
「それはもう【燈火】を敵に回す。そうとってもいいのね?」
「敵に回しても何も変わらない。でも、時間はまってくれない」
健太郎の言う意味が理解出来なかった。
ただ、もう彼が後戻りする気がない事は確かだった。
正気なのか、狂気なのか。
「……分かった。でもすぐには無理。理由もなしに撤退なんて本来ありえないんだから。
18時。それまでには退却させるわ」
「はい、それで十分です」
……それで十分。つまり何かが起きるのはそれ以降って事ね。
「では、いままでありがとうございました」
「あ、ちょっと」
電話は切れてしまった。
公衆電話ではこちらからかけるすべはない。
「まったく、何がどうなっているの?」
呟きながら手先は忙しく、携帯を嬲る。
「斬場っ、緊急事態発生よ。篝火を呼んで!」
*---*
暗がりのなか、学校の塀伝いに健太郎は歩いていた。
一度、学校外へ出て時間を無為に潰していたのだ。
どうせ、校内にいても追い出される。
それに、周囲の状況も確認出来る。
【燈火】のDFの炎気は18時を過ぎる少し前に全て消えていた。
本当に全員去ったのかは分からないが、とにかく恵には健太郎一人と思わせればそれでいいのだ。
先の街灯の下、何度か見かけたレザーのジャケットとズボンの女性がいる。
なぜか分かる。炎気が漏れていないのに彼女がDFである事を。
そして、彼女も健太郎の炎気を察知している事も分かっている。
だけど、お互い何もなく、目すらあわせずすれ違った。
恐らくは【紅】。だけどどうでもいい。
もう【燈火】も【紅】もない。
敵はたった一人だ。
校門にたどり着く。
通用口は当然しまっている。
閉じられた門をよじ登り敷地内へ入った。
*---*
「とりあえず、察知はされてないようね」
「これだけの距離で察知されるようでは自信喪失しますよ」
「そうだな、同然の結果だ」
学校から少し離れた道路脇に止めたワンボックスカー内で八識達が待機していた。
「プライドを傷つけたようなら謝るわ。
だけど、かなり炎気に敏感なコなのよ。そもそもそうでもなければあなたを招集したりしないわ」
「まぁ、そうですけどね」
後部座席で見た目、中学生か小学生くらいの少年が首を傾げる。
「わざわざオレの《寸断》の炎術使ってまで監視する意味あるんですか? 八識さん。
【紅】も野良のほうも力づくで取り押さえた方が手っ取りばやいんじゃ」
「そーね。何のリスクもないならそうしたいわ。本当に」
助手席の八識は悩ましそうに額を指で押さえる。
「何だって急に、健太郎君あーなっちゃったんだろ」
「何だ。気付いてなかったのか」
意外そうに運転席の斬場が口を開く。
「嬢ちゃんだろ」
「あ」
「人質にとられたってところだろうな」
「なんって間抜け」
沈痛な面持ちでさらに頭が沈む。
「篝火、どこまでみつからない自信がある?」
「例の野良が今校舎前って所ですか。
位置的には校門前、車が見えるとまずいからその左右ってところですね」
「本当に大丈夫なの?」
「野良が探知タイプの付加型炎術の使い手なら分が悪いですけど、そうじゃなければ、オレの《寸断》の炎術に隔離された空間内は、炎気だろうと炎術だろうと通しませんよ」
見た目は少年だが、篝火の双眸はまるで長年技術を培ってきた職人のように自信と矜持に満ちていた。
「見つからないと仮定して、そこから一気に健太郎君のいる場所までいけるかしら」
「場所次第だな。校舎内だと少々やっかいだが」
「どうやら校舎ではあるけど、校舎内ではないようですよ」
車内3人の視線は屋上に向けられた。
丁度黒い炎に包まれた物体が落下するところだった。




