第05話
「ここに来て予想もしない急展開。ドラマの中だけにしてくれないかしら。
まぁ、最近のは先の展開読めるのばっかりだけどさ」
事務所に戻った八識は椅子に上着をかけて机に腰掛けた。
事務所内に他に人はいない。所員の予定を書いたボードを確認すると全員出ているようだ。
こんな時に新規の客が来るようなら留守番でも置くのだが、ここでは必要ない。
元々、チラシも宣伝もなく、雑居ビルの外に看板すらないのだ。
よって、新規の客が直接事務所に来るような事はない。
藤華興信所の顧客のほとんどは、彼女達の正体の承知有無を別にして何かとワケアリの客ばかりで、新しい顧客も8割方が他の顧客からの紹介という形でなりたってる。
「とはいえ、ここで商談することもあるしね。
やっぱりあっち側の話をするのは問題感じるのよね。一応ここの所長としては」
ため息をついて開いてる椅子に座った。
所長用の席はあるのだが、机が書類で埋まっていて息苦しいのだ。
ポケットから携帯のありきたりな着信音が鳴る。
「どこから?」
眉を潜めて携帯を取り出す。
誰から? でないのは電話帳に登録している場合は、着メロがなるように設定しているからである。
液晶ディスプレイに表示されているのは見たことない電話番号だ。
携帯電話番号ですらない。
「まさかと思うけど」
急いで着信ボタンを押す。
「はい、藤華興信所です」
「あ、えっと、あの」
歯切れの悪い声。
だが、さっき分かれたばかりだったのですぐに分かった。
「健太郎君?」
「はい、そうです」
予感は当たった。
「意外だったわね。電話はしてくれると信じていたけど、もう2~3日かかるかなと思っていたのに」
「もし、無知である事がリスクであるなら、知るのは少しでも早い方がいいと思って」
「智子ちゃんは? 君が電話をする事を承知済み? それとも隣にいるのかな?」
「智子には言わないつもりです。たぶん……反対されるから」
たしかに。
あれは子猫に手を触れようとしたら威嚇する母猫だ。
なにより、智子と健太郎では決定的に違う事。当事者であるか否かだ。
健太郎が本能的に感じとれる危機感は、智子には理解できないだろう。
「ところでこれ、もしかして自宅からかけてる?」
「あ、はい。僕、携帯もってないので」
「あらあら。いまどき珍しい」
「あんまり必要性感じないですし」
まぁ、八識から見ても彼が友達とメール飛ばしあってる姿は想像しずらかった。
「まぁ、それはそれとして。
電話をくれたという事は話を聞いてくれるという事ね」
「はい」
「建設現場でも言ったと思うけど、話が少々長くなると思うから直接会って話したたい所だけど、都合の良い日時とかある」
「明日の午後は大丈夫ですか?」
「こっちは問題ないわ。
ただ、健太郎君は携帯もってないのよね。どこで待ち合わせるかよね」
「あ、そうですね」
「暑い中で待たせるのも可哀想だし……、例の建設現場付近にある地下街でグルメ通りっていうのがあるの知ってる?」
「智子と何度か行った事があります」
「あらそう、なら丁度いいわ。
駅に近い方の端に噴水があるでしょ。猫の石像でいっぱいの」
「ああ、猫噴水ですね」
「あ、そう呼ばれてるのね。じゃぁ、その猫噴水で。
せっかくのグルメ通りだしお昼をそこで食べながら話しましょうか」
2,3確認した後、八識は電話を切った。
「ちょっと、とんとん拍子に話が進みすぎてるなぁ」
こういう場合、なにか当日波乱が待ち受けていそうなものだが。
「まぁ、いいか。斬場に知られなければどうとでもなるでしょ」
「オレがどうかしたか?」
凍りついた八識をすぐ後ろから斬場が暗い目で見つめていた。
*---*
「確かにもっと人をよこしなさいとは言ったものの、まさかあんたが来るとはね、宿木」
「こっちは寝耳に水ですがね。
せっかく、珍しくトラブルに関わらずに済むと思ってましたから」
川を繋ぐ橋の欄干に背を預けて、見下した目で女性は、痩せ型の男性を見る。
宿木と呼ばれた着崩した皺だらけのスーツにネクタイも締めていないとだらしないと思わせる風貌だが、なぜかそれが本人のイメージと重なるのか違和感がない。
「たく、ただでさえグループが弱体化してるこの時に。
あんたがテリトリー離れているだけでも大事なのに、さらに増員要請とはね」
「そんな事より、まさか来たのはあんただけ……なんて事ないでしょうね?」
女性は宿木を見ていない。川に移る夜空を眺めている。だが、レザーのジャケットとズボンに身を包んむ身体から身を切られるような気配が漂い始める。
「まさか、そんな訳ないでしょ。あんた相手に。
ちゃんと離れた場所に待機させてますよ。
とりあえず間違ってもこんなところで炎気漏らさないようにして下さいね」
「なぜ、わざわざ離れた場所に?
そもそも本来の集合地点で合流のはずでしょ」
「なぜって……、せっかく連れてきたのをキズモノにされても困るんでね。
出来れば私も待機組みに混ざりたいくらいでしたよ。上からお前が増員を率いろなんて釘刺されてなければね」
「あら、アタクシも信用をなくしたものね」
「信用も何も、テリトリーにいた時から気分一つで何人再起不能にしたんですか。
【紅】だったのとあんたでなきゃ、とっくに処分されてますよ」
「ふん、どいつもこいつも使えない奴じゃない。
【紅】は力量至上じゃなかったの?」
「将来性っていうものがあるんですがね。
まぁ、いいや。それともう一つの質問の答えですが、定時連絡もなく定時集合地点にも姿を現さないメンバーがいるって事を聞きましたが」
「ええ。だからこその増員要請よ。
恐らく【燈火】の連中にやられたんだろうけど、まさかそこまで使えない奴だとはね。
あんたが連れてきた連中は大丈夫でしょうね?」
「その【燈火】にやられたってのが問題でしてね」
「どういう意味?」
「ご存知かとは思いますが【燈火】はそのポリシーからどことも同盟を組めない異端のグループ。
戦闘力も総合的には低いと言われているものの、どこにも吸収も乗っ取られる事もなく、現状のテリトリーを維持している」
「だから? なんなの? まどろっこしいのはキライなのはあなたも良く知っているでしょ?」
「ふぅ、じゃぁ結論から言いましょう。
いままで【燈火】に倒された連中がもっていた情報は全て向こうにわたってますよ、恐らく」
「なぜ? まさか裏切ったとでも?」
「違いますよ。
どうやら【燈火】の昇華しているのに、敵の情報を読み取る奴がいるらしいんですよ。
どこまでかは分かりませんが集合地点や侵入しているメンバー規模、行動予定くらいは把握されていると考えるのが懸命でしょうね」
「初耳だわ、そんなの」
「まぁ、【紅】は極端ですが、戦闘力がDFの格を決めるグループがほとんどですからね。情報力で防衛してるようなグループなんて、発想すら出来ないでしょ。
まぁ、だからこそ私に白羽の矢がたったんでしょうけどね」
「ああ、そういう事?」
女性は納得したように頷いた。
この宿木という男は昇華こそしているものの、【紅】では末席に近い位置にいる。それは昇華の型が戦闘向きでなく、下手をすれば昇華すらしていないメンバーの方が戦闘力が高いくらいだ。
ただ、だからこそこの男は自分の昇華の型をほとんど周りに知られないようにしている。
知っているのは一部の幹部と、力づくで昇華の型を使わせた彼女とその場にいたもう一人。
下手をすると彼が連れてきた連中も宿木の昇華の型を知らないのかも知れない。
「で、ゼロからになるわけ? とりあえず私達はどうすればいいわけ?」
「ご心配なく、複数のウィークリーマンションを借りましたから、お好きな所にどうぞ。
それとこれは私が連れてきた連中のリスト。番号は携帯に登録しといてくださいね」
「手際が良いわね」
「まどろっこしいの、嫌いなんでしょ」
何枚もの折り紙サイズの紙片を手渡す。
「じゃ、私はこれで」
「合流するんじゃなかったの?」
「まず待たせてる連中を連れてきますよ。
無事帰ってこられるか賭けの対象になってましてね。ぜひ大穴にしたくてね」
「あいかわらず、下の連中に舐められてるのね。
ちなみにあんた自身は賭けてるの」
「五体満足の大穴に」
軽く片手を上げて宿木が橋を渡ってすぐの大通りにごった返す人ごみに消えていく。
「ふん、道化め」
軽蔑の舌打ちをしながらも、宿木が渡したメモに目を通す。
炎術も性格も姑息だが、抜け目がない男だ。確保したウィークリーマンションとやらも、恐らく燈火に見つかり辛いような場所をセレクトしているのだろう。
彼女は携帯を取り出し、残っている部下にメモを見ながら移動を指示し始めた。




