人嫌い
今回は少し長めです。
「明日か。足りないものあったっけ?」
そうつぶやく帰り道。オレンジ色の平民街も後にし、荒野を歩いている。台詞がつぶやかれたのは六度目だった。
依頼である冠。王からの依頼で王女が身につけるものであれば、最高級の素材を使うのが当たり前だろう。起こす火も神木を使い、薬品はもちろん使わない。それほどの素材を用意すると費用が大きくなりそうだった。
「まあ、依頼ってことは報酬が出るんだろうし……」
あとは、冠が採用されるよう力を込めるだけ。そうはわかっていても絶好の機会に不安を抱えているのも事実。
「じいさん。僕……頑張るから」
そうつぶやくと頬を何度か強めに叩く。よし、と気合を入れ直し、改めて前を見る。
すると、そこはすでに橋のところだった。そして川岸には見覚えのある姿が。
ルクスはそれを認めるとそちらへと向かう。向かった先には、
「今日もどうしたの?」
「……関係ない」
膝を抱えた少女が一人、座っていた。
ルクスが側に来ても、動く様子はない。ずっと見下ろすのはどうかと思ったので、ルクスは少女の隣へ腰を落とした。少女がキッと睨んできたが、ルクスは見ていないふりをした。
しばらく沈黙が続く。気まずいわけではなかったが、ずっとこのままなのも進展がないので、口を開く。
「ここの景色、きれいだよね」
「…………そうでもない」
返事が来たことに安堵しながらも、ルクスは続けた。
「夕方はいつも来るの?」
「……」
少女が聞いてることを確認してから、ルクスは言う。
「君、家の人が心配するよ。貴族の人なんだよね?」
「……アンタ、私の名前知らないの?」
驚いたように聞いてくる少女。ラベンダーの髪が緩やかに揺れるのを見ながら、ルクスは「ごめん」と謝った。
私の名前知らないの、という質問は自意識過剰にも聞こえるが、貴族ではそんなことがない。むしろ当然の反応と言えた。
しばらくの間、まじまじとルクスを見た後、
「……そう」
そうつぶやいて、視線を川の方へと戻した。
ルクスは前回に比べちゃんとした会話になったことを嬉しく感じていた。
だから、この嬉しさのまま話しかけることにした。
「名前は?」
「……え……」
「名前、教えてくれない? この前聞きそびれちゃって」
あ、僕はルクス、と笑顔で聞いてみるルクスだった。が、
「なんでアンタにそんなこと教えなくちゃいけないのよッ!」
突然の大声に驚きながらも、ルクスは少女から目を離さない。しかし、少し困ったような表情になる。
「え、っと……僕が知りたいからっていうのは……だめかな?」
少女は今度こそ驚きで絶句すると、俯いてしまう。そして、
「……わかってるんだから。どうせそうやって私に取り入って、私を利用する気、なんだ……」
とつぶやく。何のことを言っているかわからないルクスは、なんて言えばいいかわからない。しかし、このままにしておくことも出来なかった。
「……君が言っていることはよくわからないけど――」
そうして、少女の隣に座りなおしてルクスは川を見ながら言った。
「――泣きたいなら、泣いていいよ」
少女の肩がビクっと震える。それからしばらく時間が経つが、少女が顔を上げる様子はなかった。ルクスはひたすら波打つ川面を見つめ続けた。
「……ティア」
「え?」
突然の少女の発言に聞き返すルクス。それに、少女は思い切り立ち上がってからルクスに向かって言った。
「私の名前! この前のクッキーのお礼に教えてあげたの! 勘違いすんな!」
それだけ言うとティアと名乗った少女は背を向けた。
「え、えーっと……」
歩き去ろうとするティアになにか声をかけようとするルクス。しかしなにか言う前に、ティアが、それと、と口を開いた。
ティアがルクスの方を見る。先ほどと打って変わって自信を伴った行動。
「私、人が大嫌いだから」
「え……?」
僕は君と仲良くなりたいんだけど。
そう思ったルクス。直後、ティアの顔が赤く染まり、自分の本音が漏れていたことを知る。
しまった、と思い、慌てて弁明をしようとするルクスを、
「……ふ、ふん!」
といってティアが駆け足でその場をあとにしたことで何も言えなくなってしまう。
慌てて足を踏み出すルクスだったが、追いついて何をするのかと自問して足をとめた。少女が去っていく。その後姿を見ながらルクスは今の言葉を思い返していた。
人が嫌い。そんな感情を持ったことのないルクスには、彼女の気持ちがわからない。でも、自分は人が大好きだった。きっと人のことを教えることができれば、ティアとも仲良く出来るはずだ。そうルクスは思った。
「ティア……か」
自分の中で新たな課題が出来上がるのを感じて、ほのかな笑みを浮かべる。しかしまずは目下の依頼を終わらせるべく、ルクスは自らの小屋へと戻った。
◆◆◆
息が苦しい。走って逃げ出してからしばらく時間が経っているというのに、そう感じたままだった。
汗をかいたせいで、自らの一族を表すラベンダーの髪が頬に張り付いている。
「なんなの、あいつ……」
苦し紛れにつぶやく言葉は受け取る者もなく、そのまま消えていく。しかし、常日頃少女の口から紡がれる罵倒の響きはその言葉には含まれていなかった。
「人なんてみんな、汚いはずなのに……」
アイツ――ルクスからはそれが感じられなかった。少女が意図せず身につけた、相手の内心を考察するという技能も全く役に立たなかった。こんな人間は初めてのことだ。
大体、自分の名前も知らずにこの王都に生活しているとは。その場ではすぐに流したが、ティアは驚いていた。自分の周りの奴らはあんなに――
思わず立ち止まる。強烈な吐き気。しかし、もう貴族街に入ってしまっている。吐くわけにはいかず、呼吸を整え抑える。吐き気がなくなってきたところで再び歩き出し、ティアは自らの「寝る場所」へと向かった。
◆◆◆