ラベンダー色の少女
目立つラベンダーの髪がなびくように動いた。
見覚えのない顔。どこか商店の娘だろうか。そんな事を考えるも、彼女の衣服を見るとそれも違うことが分かった。少女はやや質素ではあるが上質な衣服をまとっている。平民街の人間は、こんな服を着ることはない。
貴族かと納得すると同時、ルクスは不思議に思う。平民街以上に離れた場所であるこの川にどうして貴族の人間がいるのか、ということだ。
じっと見た後に何も話しかけないのもさすがにアレと思い、とりあえずルクスは口を開いた。
「こんにちは。どうしてこんなところにいるの?」
ルクスは無難にそう話す。少女はそれに反応したようにレヴァンの方を見る。聞き逃すことのないよう、ルクスは聴覚に集中する。そして聞こえてきた言葉は、
「そんなの、あなたに関係ないでしょ!」
――拒絶の言葉。
思わず固まってしまったルクスに、なお少女は言葉を続けてかぶせてくる。
「あなたはなに!? 私を殺しても力は手に入らないわよ? こんなところまで来るなんて、そんなに力を欲するの? この、汚らわしい奴!」
突然叫びだしたかと思えば、ルクスは口汚く罵倒された。当然、ルクスには見知らぬ少女に怒鳴られる覚えはない。しかしそれはしばらく続き、少女の方も勢いに乗ったのかやめる様子はなかった。ルクスは呆気にとられる。ただ――
「大体、なんで私を狙うの! そんな卑しい手なんて使わずに、自分で努力しなさいよッ! 自信も何もないんでしょう! この……この……!」
叫ぶ少女の内面は、怒りだけというわけではなさそうだ。ルクスはそんな感情に少し共感した。
と、そのとき、
――ぐぅぅぅぅぅ……。
少女の主張を遮るようにして重低音がその場に響く。その発信源は、
「……なによ! 笑いたければ笑えばいいでしょ!」
少女の腹部からだった。
それを認識したルクスはどうしようかと悩む。とりあえず、手元の缶をフタを開けて差し出した。疑い半分の怪訝そうな顔をする少女に、これあげるよ、と説明を加えた。
「え……? アンタ、私を捕まえに来たんじゃ……」
警戒が一瞬完全に解け、二人称も変わる。可愛らしくきょとんとした表情を浮かべる少女。しかしそれも束の間、再び形の良い眉を吊り上げて、怒りの仮面を付けなおす。
「だ、騙されない! どうせこれに毒が入ってるんでしょう! 私は……」
喜びと猜疑に板挟みになっている様子の少女の言葉を遮るように、ルクスは缶の中のクッキーを一枚取る。それをそのまま自らの口へと持っていく。
サクサクと小気味良い音を鳴らせながら、クッキーを頬張るルクスを見て少女は今度こそポカンとした。今まで信じていたものがスッポ抜けたような表情をしていた。
「おいしいよ?」
ルクスがそう言うと、少女は険しい顔をすることも忘れ、手を中途半端に迷わせてから缶の中へと手を伸ばす。一つをつまむとクッキーのほんの端の部分をかじる。それからしばらく考えるように間をあけた後、そのクッキーを食べ始めた。
話しかけて食べなくなっても困るので、ルクスは静かに少女を見守った。よほど腹が空いていたのか、一つ、また一つとクッキーを手に取っていく。
十数枚のクッキーを全て胃に収めると、少女はぺたんと座り込んでしまった。
「アンタ、アタシになんの用……?」
日が少し傾いたかと思われるほどの静寂の後、少女が発した言葉はこれだった。ルクスはそれにいつもの困ったような笑いをすると、少女に答える。
「いや、別に用っていうのはないんだけど……」
一人で泣いてるみたいだったから。
それを聞いた少女は驚いたように目を見開いた後、
「……ッ!? 泣いてなんかないッ!」
と、訂正の言葉。それに対してルクスは、そっか、としか返せない。少女は顔を不機嫌そうにルクスからそらした。
その拍子に波打つラベンダーの髪が陽光にきらめいた。それに目を奪われながらも、ルクスは少女に優しい笑顔を見せて尋ねた。
「でも、本当に何やってたの?」
あんたには関係ない、と斬って捨てるような言葉にルクスは苦笑を浮かべる。しかし、それで終わることなく、真面目な顔で少女と向き合う。
「もう暗くなるから帰らないと。それに、このあたりには……吸血鬼も出るっていうし」
ルクスの忠告に少女は鼻を鳴らした。
「……吸血鬼なんてただの伝説でしょ? 私を怖がらせようとしても無駄よ」
違うんだけどな、と言うのは機嫌を損なうだろうかと迷うルクス。それを置いて、少女は手元の缶をルクスへと押し付けて踵を返した。
「どこいくの?」
ルクスの問いに少女はキッとルクスを睨む。
「どうでもいいでしょ! 気安く話しかけないで! ……私は騙されたりなんてしないんだから」
そう吐き捨てるように言うと、少女は後ろを顧みないまま走って橋を渡り、貴族区の方へと戻っていった。突然の逃走にルクスはポカンとせずにはいられなかった。
しかし、気を取り直すと、
「……名前、聞いてなかったな」
一人つぶやくと、ルクスは少女が走った方向に背を向け、小屋に続く帰路につく。
最後につぶやいた少女の姿とその悲しげな表情が、まぶたに焼き付いて離れようとしなかった。