得られぬ繋がり
「こりゃまた、懐かしい夢を見たな……」
そう言って少年は一人笑う。昨日までその胸に刺さっていた槍も抜かれ、最低限与えられた食事のお陰で傷も塞がっている。血も大分生産できたようで、貧血のような症状もひとまずは収まっていた。
そして同時に、ひどく心も落ち着いていた。
今日の正午。刑が執行される。
聖剣を心臓に刺されれば、さしもの吸血鬼も死んでしまうだろう。やっと死ねるのか。そう思う心の隣に、死にたくないと叫ぶ心もある。
それでもルクスは、この結末にある種の満足感のようなものを感じていた。
上を仰いで呟く。
「じいさん。やっぱり僕は、人が嫌いになれそうにないよ」
そう、一人笑った時だった。
牢の通路にカツっという音がした。
「ん……?」
まだ半分寝ぼけた頭でその音を認識しつつ、その方向になんとなく目をやる。しかしそこから何か人が現れるでもない。しかし、向こうから誰かが言い争っているような声が聞こえていた。
どうかしたのだろうか、と思う。
まさか、公開刑が中止となったのだろうか。そう思ったところであながちありえないことでもないことに気づいた。
吸血状態なら未知の性能を誇る吸血鬼を人前に出す危険を冒さないよう、牢屋内で死刑となるかもしれない。それとも既に牢屋内に放り込まれていた朝食に、毒でも入っていたのかもしれない。
「まぁ、毒じゃ死なないんだけどね」
そう言って嗤ってみせる。自分も牢獄の中で随分笑い上戸になったものだと、ルクスは更におかしくなっていた。
そうしているうちに、牢の入口の言い争いは聞こえなくなっていた。
ルクスは耳を澄ますと、カツ……カツ……と靴音が聞こえてくる。それは公開死刑への連行人にしては早すぎる。やはり民衆の視線に晒す気はなくなったらしい。
「それが、いいや」
自分が王城前で公開死刑されれば、そこには民衆が集まってくる。その中には商店通りのみんなも含まれているのだ。
サラやエンケを始めとした皆から見られるのは、辛い。
自分が心配をかけ、正体を隠していた相手が、自分を化物として見る、あの凍えるような目を見たくない。
足音が近づいてくる。それを理解して、ルクスは顔を上げた。
自分に毒は効かないと、伝えたほうがいいだろうか。
そんなことを考えつつも、暗がりに包まれた牢の格子の向こう側を見やる。
さて、来るのは騎士か、給仕か。それともガルシアが息の根を止めてくれるだろうか。
「なんで、も、いいけど、ね……」
そう、自嘲気味に呟いた時だった。
「なにが、どうでもいいのよ」
「え……!」
ここに響くはずのない声が聞こえる。ルクスは弾かれたように声の方向を向き、そこで絶句した。
視線の先にいる少女は、その美しいラベンダーの髪をかきあげて言った。
「人を見て驚くのはマナー違反よ。それも、女性に対してはね」
そこにいたのは自分が罪を犯した被害者で。
恨まれていてもおかしくない人物で。
今は動けないはずの王女で。
……自分の心を占める少女で。
「ティ……ア……?」
「そうよ」
なんでもないようにそう肯定する彼女を見て、その態度を見て、彼女を知覚した。
ルクスはどうしても意味がわからない。すでに枯れてしまった喉を酷使して、なんとか質問を絞り出す。
「なん、で……?」
「言いたいことがあって、来たの」
瞬間的に真面目な顔に切り替えた彼女は、その真っ直ぐな目をルクスへと向ける。
ルクスはその強い視線から、逃れられない。
しばらくそうして見つめ合った後、ティアはその顔を俯けて、声を絞り出した。
「ごめんなさい……」
「……どうして、謝る、の?」
「私のせいだからよ」
ティアは言う。
ルクスが吸血鬼の性と戦っている時に、自分は気がついてあげられなかったと。
自分が首筋を目の前に見せつけなければ、こんなことにならずに済んだと。
毅然とした王女ではなく、一人の悔やむ少女として、ティアは格子の傍で膝をついて顔を両手で覆った。
「本当に……ごめんなさい……ごめんなさ……私……あたし――」
「気にしなくていいよ」
そっとルクスの手が、ティアの頬に触れる。涙が流れたままの顔を上げると、ルクスが、彼女を優しく見つめていた。
「で、でも、アタシ……」
「僕はね……感謝してるよ」
ルクスが指でティアの涙をすくいとる。彼女は呆けたような表情をしていた。
「感謝……? 貴方は、なんで……」
「人が、好きなんだ」
ルクスは言う。優しい表情で、言う。
「人間は脆い。優しい。欲深い。明るい……そして、強い」
「そんなの、吸血鬼のほうが」
「心のことだよ。人間は、強い。そしてそこから生み出される営みは、とても眩しいんだ」
「眩しい?」
そこで、ティアは涙を袖で拭い、強い語調で口にした。
「人間は汚いわ。平気で人を利用しようとするし、自分のことしか考えてない」
「だからこそ、だよ」
金、名誉、地位。その欲は人間の目をくらませる。……それでも、
だからこそ、人間は優しくなれる。
だからこそ、人間は強くもなれる。
欲に埋もれない強さもまた、存在する。
「僕はね……これでもかなり人間の暗いところは見てきたよ。彼らは自分たちとは違う僕のことを見ると、途端に排除しようと動く。保身のためにね」
人間たちは怖がりなのだ。怖がりゆえに、未知の存在には厳しく、自らを守るために牙を剥く。
だがそれでも、人間の営みは温かいもので。
それは、一人ぼっちでは決して成し得ないもので。
「ティアも見たよね。商店街の人達」
「……そうね」
そう、彼女は渋々ながらも頷く。そして、思い出したかのようにふっと優しい表情を見せる。
彼女もまた、認めていたのだ。
人間の温かさを。
彼女は、納得してしまっていた。
それを見て、ルクスは少し苦しそうな顔をすると、「でもね」と話を続けた。
「あの人達も、自分とはあまりに違う脅威の存在を目の前にしたら、多分、排除しようとするよ」
「そんなこと……!」
しかし、ティアは最後まで続けられない。
自分を道具のように扱っていた貴族たちも全員が醜いとは限らないからだ。商店街の人々が常に善良なままかと言われると、自信がないのだ。
そして、同時に思う。常に善人など、人間ではないのだと。
自らが手にしたものを失いたくない。そう思うことは当然のことなのだ。
「その営みに入れなかったのは、正直すごく残念だよ。でも、僕は人間を嫌いになったりなんてしない」
「なんでっ。どうしてそうまでして貴方は――!」
意味がわからないというような彼女を優しい目で見て、ルクスは口唇を綻ばした。
「だって、君みたいな綺麗な心の人もいるから」
「あ……」
「もう戻ったほうがいいよ、ティア」
ルクスは優しく押し出す。力の抜けたティアは押し出されたままに牢の入り口へと寄った。その目に宿る、縋るような思いを、ルクスは断ち切るように力を込めて言った。
「――クリスティアナ王女。貴女は強い人だ。こんなところで躓くのではなく、人として、暖かく、明るく生きてください。それが、僕の望むことです」
「ルクス……」
「名前で呼んでくれたね。うれしいよ」
そう言って笑うと、ルクスは少女に背を向ける。そのまま格子から離れていく。二人の間のつながりを切るように。
それを少女は悲しそうに見ていたが、やがて決意したような顔で頷いた。
「私を誰と思っているのですか。王女クリスティアナです。私は強く、生きます。自分のために」
毅然とした態度でそう言い切る彼女には、以前にはなかった芯の強さが伺えた。強く、気高い、そんな美しい王女の姿が、そこにはあった。
それを感じて、ルクスは人知れず笑う。嬉しそうに、笑う。
そして呟く。
ありがとう、と。
その言葉はもう一人に届くことはなかったけれども。
少女の呟いた同じ言葉と混じり合って、溶けていったのだった。




