懐かしき、はかなき――
ずいぶん昔のことだった。
「おまえの目は、気高く燃え上がる炎のようだ」
じいさんは、そう言って微笑んでいた。
血塗られた、呪われたと言われ、蔑まれてきたこの目を見てそう言ったのだ。
「その牙も、神秘的な輝きを放っているな」
人の血を啜ることにしか使わない醜い口元を見て、じいさんは微笑む。少量とはいえ自分の血をも吸った、この人外の証。それを見せられてなお、じいさんは微笑んだのだ。
しかしその温かい目は、牙だけを見ているわけではなかった。
じゃあ、何に対して?
「それに力持ちなのはいいな、材木運びが楽だ。よかったな、おまえにも役に立つことができて」
そのためだけに俺と住んでいるのか。
そんなはずがないことを、自分自身がわかっていた。
そんなことはじいさんを見れば一目瞭然だ。
その、限りなく温かい瞳を見れば。
「おまえは確かに、少しだけ人と違うかもしれんが……ワシにとっては愛しい孫だよ」
「そんなことを言うな。吸い殺すぞ」
「吸えばいいさ。ただ少しは残してくれると助かるな。まだ、おまえに伝えてないこともある」
「……」
「おまえのその力は忌み嫌われるために存在するわけではないだろう?」
一体何だというのか。じいさんは相変わらずにこにこと、微笑んでいる。しかしそこから発せられる真面目な声に、引き込まれてしまう。
「いつか、おまえを見てくれる者が現れるだろう」
「……俺を見た奴は全員逃げ出す」
「吸血鬼としての外見ではない。心のことだよ」
「……心?」
「そうじゃ。おまえの心、内面……」
言った途端、じいさんは激しく咳をした。慌てて近寄って背を擦ると、じいさんは嬉しそうな顔をする。
「おまえは人の痛みがわかっている。それは、とても素晴らしいことだ……」
「そんなこと言ってる場合か。安静にしてろ」
「ほほっ。心配してくれるのか。確かに、通常の依頼ぐらいだったら、おまえでもこなせるからな」
じいさんは加工師としての技術を教えてくれた。俺が……人間として生きていけるように。
じいさんはもう長くない。本来なら死ぬ前にゆっくりして、神のもとへ安らかに帰るための準備をするだろう。しかし、じいさんは必死に生きていた。生きて、すべてを伝えようとしてくる。
じいさんはもう一度ひどい咳をすると、近くの机から寝台に移って、腰掛けた。
「覚えておきなさい」
定型句。じいさんが大事なことを話すための、一言だ。
「神は、すべての生あるものの親だ。そんな神のもとへ帰れることはワシは喜ばしい」
「……」
自らの迫害の際に叫ばれる神の名を聞きながら、じいさんから目を離さない。続きを待った。じいさんはそんな様子を目を細めて見たかと思うと、言ったのだ。
「精一杯生きなさい」
固まってしまった俺に、じいさんはどこまでも優しい声音で続ける。
「どれほど苦しんでも、どれほど悲しくても、どれほど辛くても……人は、支えあって生きるものだ。そうでないと……すごく寂しいぞ」
「寂しい?」
「わからないか。人の輪の中にどうしてもいたくなるということだよ」
それを、鼻で笑う。
「俺が、寂しがる? 冗談じゃない」
「冗談となるさ。それが人間ってものだ」
その言葉に、俺は反論しようと口を開く。
しかし、それは遮られてしまった。
「人間かどうかなど関係ないな。ただ、精一杯生きればいい。そのための手段は結構教えたはずだよ」
じいさんはそう言って、笑った。お人好しで愚かなその笑顔は、なぜだか心を暖かくしてしまったものだ。
俺はそれを、笑えなくて。
いつものように鼻で笑って否定出来ない。
自分が人外の力を少しでも出せば吹き飛んでしまうような命を前にして、それでも俺は何も出来ない。
ただ。
「……精一杯、生きるんだよ」
咳き込み、喀血しながらも俺を慈愛の目で見るじいさんの姿に、
「……うるさい。いいから寝てろ」
自分の視界が滲んだことだけは、忘れられない。




