向き合う心、予期せぬ邂逅
蝋燭の灯が揺らめくだけの暗い空間で、
「……はは」
思わず、笑いが零れた。その振動が手を縛る鎖から全体に渡り、ジャラジャラと音を立てる。その瞬間、両手で吊られた体が痛む。そして、自分を監視している牢屋兵の顔が強張る。それを見て笑いが再びこみ上げてきたが、怖がらせたいわけではないので、こらえる。
警戒されて、笑うことすらできないや。
『そんなことはない。人間、誰だっていつだって笑えるものだよ』
ふと、育ての親の声が聞こえてくる。こんな所にいるはずがない。昔の言葉を思い出したんだろう。そう冷静に判断しながらも、その声に答える。
僕は、人間ですらないんだよ。
『そんな綺麗な瞳をして何を言っておるんだか。おまえは立派に人間だよ』
そんな……瞳だって、感情が高ぶれば赤くなるよ。
『綺麗じゃないか、赤い瞳。よかったの、おまえのアイデンテテーだ』
そんな馬鹿な。しかもアイデンテテーってなんのこと……。本当……馬鹿みたいだ。
『馬鹿でいい』
声が一段と柔らかいものとなり、ルクスはハッとする。その声はふっと微笑むような気配を見せると、続きを紡いだ。
『人間は愚かな生き物だ。もともと自分たちが作った金や権力に目が眩むような、醜い存在だ。……本当にそうか?』
……それは違うよ。人間は……暖かいんだ。
『そうだ』
自分一人じゃ得られない熱を、持ってるんだ。
『そうだ。……後は、もう分かるな?』
……うん、昔言ってた通りだね。加工師の仕事となにも変わらないや。
返事の声は聞こえては来ないが、ルクスは再び「……はは」と笑う。表の番兵の顔が引きつるが、気にしてられない。
目を閉じれば商店通りの賑やかさが浮かび上がった。仕事を手伝ってくれるエンケに、からかってくるけれど優しいサラさん。おまけするのが好きな肉屋の亭主に、笑い上戸な雑貨屋の女将。
そして、綺麗な笑みを浮かべるあの少女。
……ああ、やっぱり僕は人間が――
ルクスが自分の考えを固めていると、ふと、表が何やら騒がしくなっていた。
もはや開けることすら億劫なまぶたを無理やりこじ開け、ルクスは自分が吊られている牢屋の外を見ようとした。鉄格子の向こうでは、今まで自分を油断なく見ていた番兵が何やらかしこまって敬礼をしている。
番兵が敬礼をするその先には、二つの影がある。片方は弱々しい足取り。もう片方がそれを支えているという図式だ。
ルクスは、その支えている側のたくましい身体に見覚えがあった。思わず顔をしかめてしまう。
果たして、その人物は予想通りであり、そして、もう一人は予想だにしない人物だった。
「……久しい、な、ルクス殿……」
弱々しい方の影は国王だった。そしてそれを支えるのは聖騎士ガルシア。彼の目の前で王女の血を吸ったことはルクスの心を重くしていた。
ガルシアの方も言いたいことを堪えているようなムスッとした表情でルクスを睨みつけていると、それを国王に咎められる。
国王は気管の奥から来るひどい咳をしばらく連発した。ルクスはそれに目を見開く。
「……無様な所を見せた。それはさて置き……今、わしが来た理由はわかるな?」
ルクスは黙って俯いた。それを認めて、国王はその視線を厳しくした。
「そなたが王女を殺そうとして血を吸ったというのは本当なのか」
「それ、は! 違い、ます!」
肺から直接空気が抜けて話せないルクスは、それでも一生懸命な声を出して王の言葉を否定した。そして、常とは違う声に疑問を抱いた国王がルクスをよく見て、その顔を強張らせた。
瞬間、その声を張り上げる。
「そなた、槍が刺さったままではないか!」
ヒュー、ヒューと抜ける空気の音を耳にしながら、ルクスは黙る。そんな様子に王が番兵に怒鳴る。
「今すぐ、その者から槍を抜けッ!」
「し、しかし……この者は吸血鬼でして――」
「それがどうした! 人間だろうとなかろうと、このような非人道的な扱い、許されることではないぞ!」
弱っているとは言え、国王。その一喝に震え上がる番兵。彼はすぐさま牢の鍵を開き、ルクスのそばへ警戒しながらも寄った。そしてその身体から槍を一思いに引き抜く。ルクスは苦悶の声を上げた。
「丁重にせんかッ!」
「も、申し訳ありません……っ」
番兵が再度身を縮こまらせて返事をする。
やがてルクスの身体から槍が全て抜き取られる。時間の経過によりもう既に吸血状態から抜けだしていたが、ギリギリといった様子で傷が塞がる。ルクスは内心ほっとした。
そのまま床に下ろされ、手に鎖が付けられたままではあるが、ちゃんと座らせてもらうことが出来た。傭兵は怖がりながらもルクスを牢に再び閉じ込め、職務に戻る。
「心無い者がすまぬ」
「……いえ。僕が怖いのもわかりますから」
ルクスが笑んで見せると、国王はつらそうな顔を見せた。しかしそれもすぐに真剣な顔に上書きされる。
「それでは、聞かせてもらおうか。王女を襲ったわけではないんだな?」
国王といえど、一人の親。人間らしい心配の表情を浮かべた国王に、ルクスは頷いて口を開いた。
「……なるほど」
言葉とは裏腹に全く納得していなさそうな表情。それを感じてルクスも曖昧に笑った。血が足りなくて、頭がふらふらしていた。
ルクスが本当のことを全て話すが、いかんせん吸血鬼の性のせいで罪を消すことはできない。なにか齟齬があるならそこから罪を軽くすることも出来たのだが、それを上回る吸血鬼という存在。
国王は辛そうに言った。
「そなたは十中八九、『神の導き』となるだろう」
『神の導き』。刑の一種で、その内容は至極簡潔だ。
聖剣を心臓に刺す。
聖剣は神の敵にしか作用しない。しかし実質それは、まごうことなき……死刑。
まして聖剣は、神の敵を滅ぼす武器とされている。吸血鬼がどうなるかは、言わずもがなだ。前例がないために、確実性はない。半死半生の吸血鬼が本当に死ぬのか。それとも他になにか効果が現れるのか。
それは全く予測がつかない。
でも。おそらく。
「助かる見込みは……ない。なにか、言い残したいことはあるか?」
僕は、死ぬ……。気味悪がられても回復した肉体が、温かみを諦められなかった惨めな精神が、死ぬ。
それは、ひどく実感が湧かないもので。
それは、ひどく怖くて。
ルクスは一度下を向いて、そして。
それを、受け入れた。
「言い残すことは、ありません」




