諦観と希望と、絶望と
「あの化物は王女様に牙を剥いた! 直ちに見つけ出し、捕らえよ! 奴は、本物の吸血鬼だ! 心してかかれ!」
騎士団の小隊長たちが大声を張り上げながら、自分たちの隊を統率する。それを全体を見渡して確認しつつ、聖騎士ガルシアはその小隊長に捜索範囲を言い渡し、それぞれに行動をさせる。
すでにルクスが失踪してからそれなりの時間が経っている。関所には通達したが、相手は吸血鬼。当てになるとは思えない。そして逃げ出されるかもしれないため、一刻も早く見つけなくてはならない。一方で、自分の方でも出来ることはないかと、ガルシアは一人、王女の部屋へと訪れていた。
常駐することになった警備兵に通すように言い、そのまま中へ。そこには力なく呆然とした王女が窓際の椅子に座っていた。
「王女様。少しお伺いしたいことがございます」
ガルシアが慇懃に頭を下げながら上目に様子を伺うと、王女はわずかに反応を示すだけで上の空のまま。彼はそれが否定ではないことを確認すると、口を開いた。
「あの男の行き先に、心当たりはございませんか」
ぴくっと反応を示す。ガルシアは続けた。
「ルクスと申す者の居場所を、ご存知ありませんか?」
再び似たような反応を示した後、王女の口がわずかに動いた。
「……知らないわ」
その言葉に内心落胆しながらも、「そうですか」とだけ口にして、ガルシアはその場を後にした。
王女の部屋を出て、そのまま通路を大広間の方へと歩む。今から自分がしようとしていることは王女への裏切り行為ではなかろうか。そんなことを深く思い悩みつつも、王国の騎士として生きてきた身体は、ガルシアにある行動を取らせる。
そして差し掛かった大広間へと続く中央通路、その途中で、
「……そちらに任せよう」
「了解しました」
通路脇に控えていた大臣の側近にそう言った。
◇◆◇◆
この気持ちは、なに……?
ティアは言葉に言い表せないような感情をその胸の内に抱いていた。それは一つの事実から生まれてきている。
ルクスが吸血鬼だったこと。
吸血鬼。
ヴァンパイア。
教会が神の敵として扱っているその存在が、醜く忌々しいものだと、ティアは幼い頃から大人たちに言い聞かされてきた。ただひとり、父である国王は違ったが……。しかし、多くの大人に刷り込まれたその認識は今も強く彼女の中に残っている。
しかし、ルクスを醜いとは思わなかった。
それよりも、自らの周りにいる大臣や貴族共のほうがよっぽどである。ティアはそのことを強く思った。奴らは自分を懐柔しようとあらゆる手を使ってくる。それが嫌で、自分は王城の中は嫌いだったのだ。
そっと、自らの首筋に触れる。既に傷もない柔らかな部分。しかし、そこで感じたむず痒いような感触は鮮明に思い出すことが出来た。
あの時、事態の異様さにルクスを突き飛ばしてしまったが、実のところ嫌悪を抱いたわけではなかった。
ではなにか? それを考えた時、ティアは気づいてしまった。
それは認めたくない感情で。そして同時に納得してしまうもので。
アイツに吸血された時、自分とアイツがつながることに自分がどのような感情を抱いたのかを、理解してしまった。
気づいたときには既に走り出していた。
◇◆◇◆
月もない湖が淡い光を放っている。
湖面に映った星が、ゆらゆらと揺れる。
僅かな音さえも、周りの木々が吸う。
そんな光景を、色の抜け落ちた瞳で見続ける影が一つ。彼は、先程からしばらく思案を続けていた。
「……次は、どこへ行こうか」
正体を知られたらまず考える事。これからの自分のありように嫌気がさしながらも、次も暖かい場所がいいな、と想像をふくらませる。
しばらくあーでもないこーでもないと考え続けた後、ルクスはため息を一つだけ、しかし深く吐いた。
「ティア……」
意識せず口から出た言葉に、ルクスは驚いた。自分はそんなにもティアに心を占められているのだと。
彼女に嫌われた。
よりによって彼女の血を啜ってしまった。
ゴッ。ルクスは自らの拳を地面に叩きつけた。すりむけた皮も、すぐに修復されていく。鮮血を摂取したため、回復が早い。
今、彼は完全に人外の化物だった。
王都の方は今頃騒がしくなっているだろう。指名手配された自分を探し、懸賞金を狙う者もいるはずだ。これで何度目だろう。ルクスは小さく笑った。悲しい、笑みだった。
そっと湖の水を掬って飲んだ。それだけで、いまだ続いている吸血衝動が少しおとなしくなる。
聖地の力。それは吸血鬼の機能を打ち消しているのか、それともただ浄化しているのか。それはわからないが、この湖を見つけた時、自分は思ったのだ。
この場所さえあれば、自分は人間として生きていけるのではないか。
そして、失敗した。彼の性に阻まれた。
大切だと思える人間の血をより吸いたがる。その結論に達した時、彼は自嘲の笑みを漏らす。そのまま湖面を眺める。湖面を映す彼の瞳は絶望に染まっていた。
その目から温い水が流れた。激情もない悲しみもない、ただ諦めの感情が、頬を流れ落ちていく。
このまま湖に入っていこうか。
じっとしていても辛くて、そんなことを思うルクスの耳に、草をかき分けるような音が聞こえてきたのはそのときだった。ほとんど条件反射で振り向く。
そこには、
「……ティ、ア?」
ラベンダー色の少女が、聖地に足を踏み入れていた。
上等な素材の衣服に傷を多く付けて、足元は土塗れとしたまま、乱れた髪を手櫛でもとに戻すその姿は、間違いなくその少女で。
「どうして……」
ルクスはそう呟いていた。それを耳にした少女は普段通りの不機嫌そうな顔をしてルクスを睨みつけた。
「アタシの血を吸っておいて、そのまま逃げられると思わないで」
強く睨みつけられる。その状況は、これまでも限りなく繰り返したものであるのにもかかわらず、ルクスは何故か恐怖しなかった。代わりに心が震えた。視線を上げることができず、俯いたまま謝罪を述べる。今まで聞き入れられることのなかった、謝罪を口にした。
「ご、ごめん……僕はなにをして償えば……この生命を絶てるならそうしても――」
「アタシのそばで一生償って」
ルクスの言葉を最後まで聞くことなく、ティアが要求を言う。え、とティアの方を見るルクスの視線と合わないよう視線を逸らして、彼女は続けた。
「あ、アタシの血が吸いたいなら……ちゃんとそう言ってからにして。じゃないと許さないから」
ルクスは目を見開く。
いま、彼女は、なんて言った?
ルクスが反応を返せずにいると、その時間に比例して、ティアの顔が朱に染まっていく。そして、突然ルクスに掴みかかった。
「なによっ! アタシの血が嫌だっていうの!?」
「逆ギレっ!? えっと……」
事態を把握しきれていないルクス。行き場を失くした視線は、自然と目の前の視線とぶつかる。それを見て、ルクスは口を動かしていた。
「……僕が怖くないの?」
「ただの弱虫じゃない。全く怖くない」
「……吸血鬼だけど」
「そうみたいね。でも心は綺麗なものよ」
「……神の敵、らしいよ」
「そんなの、教会が言ってるだけじゃない」
えーと、あとは……と悩むルクスの口を、ティアは人差し指で押さえた。
「王女命令。アタシに一生ついて来なさい」
……そんなの、せこいよ。そんな彼女とは思えないようなまっすぐな物言いに、ルクスは、
「……ありが」
溢れる想いを伝えようとした。しかし、出来なかった。
ルクスの胸から、剣が突き出ていた。
言いたい言葉の代わりに零れ落ちたのは、赤い、赤い、鮮血だった。




