出世の依頼?
「隊長!」
「騒がしいな、どうした?」
場所は深夜の王城の中庭にて。中に金属を仕込んだ木刀での素振りを中断して、駆け寄ってきた部下の方を向いた。その髪先から汗が滴る。
毎日欠かさない鍛錬の間は立ち入る許可を与えていない。必然的に優先度の高い話ということなのだろう。聖騎士と呼ばれる青年――ガルシア・ブランカフォルトは意識を切り替えた。しかし、報告された言葉は、その予想を上回るものだった。
「ば、吸血鬼です!」
「……なんだと?」
吸血鬼。ヴァンパイア。呼び名は複数あるが、それは全て人々が忌避する存在を示す。人の血を啜り、永遠の命を得るという生物だ。
詳しく聞くところによると、夜、都市外周の荒野で凄まじい速度で走る人影があると通報されたそうだ。特徴は少年らしい肉体と、夜間でも見えるほどにぎらついた犬歯――吸血鬼の牙、とのこと。
「話はわかった。では、とりあえず――」
「聞かせてもらいましたぞ、聖騎士殿」
ガルシアは口をつぐむと、後ろを振り返った。そこには気にくわない外務大臣がいた。その傍らにはお抱えの側近を連れている。
それを見て、思わずガルシアは眉をひそめる。
「大臣、それにどうなさったのですか。時は深夜。出歩かれるのは危険ですよ」
「私にはこの男がついている。平気ですぞ」
そう言って大臣は側近を示しながら、笑う。質問には答えようとはしない大臣に、聖騎士は反応を堪えた。「夜の散歩はお気をつけて」とだけ口にしておいた。
「お気遣い痛み入る。それよりも先ほどのことを。吸血鬼が出たとか?」
このタヌキジジイ……と言いたくなるのを我慢し、ガルシアは肯定してみせた。すると大臣は、いけませんなぁと聖騎士を咎める。
「神の敵を排してこその聖騎士。それを間違えてもらってはいけませんぞ」
そう、聖騎士は、国王を守り神の敵を討つことを仕事にしていると言われている。実際に聖剣を渡された時、大臣からそう命じられていた。
「はい、わかっております。ただ、話の真偽を確かめないことには……」
「……なるほど。ただの噂話で聖騎士殿が出ていくわけにはまいりませんな」
何やら納得した様子の大臣を丁重に送り出した後、ガルシアはしばらく考えを巡らせていた。いや、物思いにふけっていた。
「……隊長? どうかされましたか」
「……いや、なんでもない。もう戻ってくれていい。通報のあったという場所に騎士を数名派遣しておけ」
はっきりとした良い返事を返して駆け足で戻っていく騎士団員をやはりぼんやりと見ながら、ガルシアは再び考え始めた。
神の敵とは? 実際にヴァンパイアがいたとして、その者は本当に神の敵などという大層なものなのだろうか。
しばらく考えたものの、自らの中に答えがあるわけでもない。ガルシアは手に持つ木刀に力を込めた。
「考える必要はない。俺は剣。王国の、剣だ」
きっと答えは聖剣が出してくれるだろう。それが出来なくてはなんのための聖剣か。
ガルシアは再び木刀を構え直すと、ブン、ブン、と風を切る音を響かせながら、素振りを始めたのだった。
◇◆◇
清々しいほど晴れ渡った空。
ルクスはそんな中荒野を渡り、商店通りや貴族区を抜け、王城へと向かっていた。そのせいですでにかなり疲弊している。
どうやら国王はルクスに直接の依頼があるようで、謁見の間に来るようにと司祭から言われていた。貴族の屋敷街を歩き、いい趣味している庭を眺めながら、ルクスは王城へとたどり着いた。
門番に話しかけ、扉を開けてもらう。そのまま中に踏み込む。
「あ、涼しい」
冷房が効いていて、程よい温度になっている城内を見回していったいどれだけの人がこの冷気を作り出すのに専念しているだろうかと、ルクスは思った。
この冷房は魔術が使われているのだ。
「王国の魔術師は優秀だなぁ……」
ルクスが感心したようにそう口にすると、そのまま足を動かす。謁見の間へ向かった。
近衛兵に挨拶をして、その場で身だしなみを整える。すると、近衛兵からついてくるようにと言われた。
ルクスは首をかしげつつも大人しくする。近衛兵は番を他の者に頼むと、ルクスを連れて王城の更に奥へと進んでいった。ルクスも遅れないようについていく。
連れてこられた先は、謁見の間ほどではないが立派な扉の前。あまり装飾のされていないその扉は、公式で使われるものでないことだけはなんとなくわかった。近衛兵が中に向かってノックと声をかける。
すると、扉がゆっくりと開き、近衛兵が視線で促す。ルクスは礼を言ってから、中に踏み込んだ。なんとか堂々と入れたかな、と自己評価してみる。
視線の先には、大きな天蓋付きベッドに横たわる国王がいた。その横に豪華な甲冑を身にまとった青年が一人。その二人だけしかいなかった。
「……おお、ルクス殿。待っていたぞ」
「お待たせしてすいません」
以前聞いた国王のものとは思えないほど弱々しい声を聞いて、ルクスは一瞬目の前の人がわからなくなった。顔色がすこぶる悪く、生気が抜けているような顔つきが気になった。顔、そして首元を見つめた。
「その首飾り……」
「……どうかしたのか?」
ジロジロと見過ぎたのか、傍に控える若い騎士がルクスに厳しい視線を送る。その視線に身を竦ませた。それを見て国王は「気にせずとも良い」と苦笑した。
無理ですよ……と泣きが入ろうとした所でルクスは本題を思い出して、それを尋ねる。国王はうむ、と一つ頷くと、口を開いた。
「王女の話し相手になってもらえまいか」
突然に過ぎるその言葉を、ルクスは理解に数秒の時間を要した。傍らの騎士からも抗議の声。
「陛下。この者は平民。王女と言葉を交わすなど……」
「それがどうした。神の下、皆同じ人間だろう? 聖騎士ともあろうものが、らしくないぞ」
国王が言うのかというような台詞を何でもないことのように吐く。それを聞いて、ルクスは再度国王の凄さを思い知った。そして、驚愕する。この若い騎士が、あの聖騎士だというのか。
その聖騎士が口をつぐみ静寂が訪れる中、ルクスはおずおずと口を開いた。
「その……なんで僕なんかにそんなお役目を?」
すると、国王はふっと笑う。ずいぶんと弱っている顔に浮かべた笑みには、悲しみが混じっているようにルクスには見えた。
「……恥ずかしい話なのだが、私はいままでろくに娘に構ってやっていないのだ。年の近い侍女をつけてはいるのだが……それだけだ」
そのくせ王女という立場上ほいほい外に出かけさせるわけにもいかない。結果として、王女は部屋から出なくなってしまったのだ、と国王は言った。
抜け出して街に出てますよ、とは言い難い流れだった。
「それで……どうだ? この依頼、受けてはくれないか」
依頼、と強調した国王の言葉に、ルクスはしばらく戸惑うような表情を浮かべた後、
「わかりました。お受け致します。ただ、報酬はいりません」
ルクスは頷いてそう言った。
それから退室し、聖騎士に連れられて王女の部屋へ向かう。王城の端、その最上階にある巨大な部屋は、見渡すほどに広い。
しかし、部屋の主の趣向か、華美な装飾が無い内装にはルクスも感嘆の声を漏らすほどに素晴らしいものだった。
扉を開いた音に反応したのか、奥で何かがひょこっと反応した。おそらく少女の頭だろう。
「あの方がクリスティアナ王女だ。ご無礼のないように」
健闘を祈る、と聖騎士――いや、青年が気安げな笑みを浮かべる。それに緊張を解いたルクスは口を開いていた。
「僕はルクスです。あなたは?」
「ガルシアだ。まぁ、あまり会うことはないと思うが……よろしく」
そう言って握手を二人で交わした所で、奥の少女がこちらに近づいてくる。聖騎士は、再び威厳に満ちた表情に改めると、
「それでは」
と言ってその部屋を出た。といっても王女と平民を二人きりにするわけにもいかないだろうから、おそらく扉の外で待機しているのだろう。
そこまで考えて、ルクスは顔を上げた。そこにはラベンダー色の髪を揺らした少女が立っていた。
「アンタ……なんでここにいるの?」
「なんだか出世しちゃって。王女様の話し相手になれっていう依頼なんだ」
簡単に説明をすると一瞬ぽかんとした表情を見せたものの、納得いかないながらも理解はしたのか、ふうんとつぶやいた。
「アンタ、出世とか興味あるの?」
ティアが何故か少し伺うような表情をして尋ねてくる。え、なんでと理由を尋ねたが答えてはもらえない。ルクスは仕方なく、自分が唯一できること、正直に話すことをした。
「出世……はしなくていいかな。あの下町、僕は好きだし」
それに、住んでる小屋はじいさんとの思い出だしね、とそう言った直後、ティアはえ、と口に出した。
「おじいさん?」
「育ての親のこと。一人だった僕を拾って、育ててくれたんだよ。少し前に死んじゃったけど」
そう……と元気を無くすティアに驚き、ルクスは慌てふためいた。そんなルクスを見て、ティアは不機嫌そうな顔を作って睨みつけた。
「……なによ。アタシが落ち込むのはおかしいって言いたいわけ?」
「ち、違うよ……多分」
ローキック。ルクスは向こう脛をおさえてうずくまった。ふんっとラベンダーの髪を舞わせて身体の向きを変え、部屋の奥へと向かうティア。ルクスは慌ててそれに追いかけるようにしながら、しかし反論の言葉を放った。
「でも、ティアには落ち込んで欲しくないや」
ピタっとティアの動きが一瞬止まり、すぐに再び動き出す。「ティア?」と呼びかけるものの、ルクスの方を向こうとはしなかった。
その耳が赤く染まっていることには触れないほうがいいんだろうなと、心のなかで思った。




