王女な少女
「丈夫な糸を。あ、それと木箱を三つほどください」
「…………銀貨三枚」
「はい、いつもお疲れ様です」
「…………お互いに」
ちょっとした雑貨を買ったルクスは帰路をたどる。その途中でエンケの手伝いをしたり、サラにちょっかいを掛けられたりとなんやかんやで時間を消費しながらも、ルクスは笑顔で帰路を歩んでいた。すでに日も暮れて、夜道となっている。
商店街を抜け、荒野を歩く。そして橋に差し掛かった所で、見覚えのある影を見つけ、ルクスはそこへ小走りへ向かった。
たどり着くと、少女は膝を抱えて座ったまま、川へ小さな石を投げているようだった。その姿にどこか違和感を感じたものの、すぐにその正体を悟った。
「こんばんは。さっきぶりだね」
「…………そうね」
少女はちらりとルクスを見ると、すぐに川へ視線を向ける。ルクスは軽く微笑んで、少女ティアの隣にそっと腰を下ろした。
「なんか今日はいつもとは違うね」
「…………どこがよ?」
「いつもはどこか悲しそうな顔をしてるから。今日はそんなことなくてよかった」
心底安心したように言うルクスにティアは視線をルクスに送ったり外したりしながら、口を開いた。
「今日は……ごめんなさい」
え、なにが? と首をひねる少年をじれったそうに見ながら、ティアは追加で説明を加える。
「だから! 平民だからとか、そんな事言ってごめんなさいって言ってるのっ!」
そう言ってふんっと顔を膝頭に埋める少女。
それって、最後のあの言葉のことかな、とルクスはそんなことを思いながら、微笑んでみせた。いや、大丈夫だよ。そんなこと心では思ってないって分かってたから。
ティアは目を丸くしてルクスをじぃっと見つめると、突然はぁっとため息をついた。
「…………一体なんのためにきたの、アタシ……」
「ん?」
聞き取れなかった言葉を聞くための質問に、なんでもないわよと強く返され、ルクスは口をつぐむ。
少しの静寂を挟んだ後、珍しいことにティアの方から口を開いた。
「アタシが王族なの、わかったでしょ。怖くないの?」
「なんで?」
ルクスが真顔で尋ねると、ティアは呆れた顔をした。あのねぇ、とダメな生徒を相手にする教師のようにゆっくりと語りかける。
「アタシの一存でアンタの命もふっと消えたりすんのよ? アタシ自身の力じゃないけど、そういうこともできたりするから、怖くないわけ――」
「え、でもティアはそんなことしないでしょ?」
純粋にそう聞くルクスを、少し朱が差した顔でティアが見つめる。そして再びため息を吐いた。それからまたムスッとした表情を作ると、
「……アンタ、ほんと、おかしな奴ね」
そう言って更に深いため息をつく少女に、ルクスは尋ねた。
「それよりも、これからもティアでいい? それとも王女様って呼んだほうが――」
「……王女なんて呼んだらその顔を爪で削る」
「わ、わかったよ。ティア」
ふん、とそっぽを向くその姿に、ルクスは自分の胸中の変化を自覚した。心が高鳴るような感触に幸せな気持ちになる。
だけど、どうしてこんなことを言ってしまったのか、自分でも分からなかった。
「今からいい場所を見せてあげるよ」
「…………そんな暇は……きゃっ」
眉をひそめる少女の手を引き、ルクスは半ば強引に自らの小屋。そしてその先、魔の森の方へと向かった。
「ちょっアンタ! そっちは魔の森! 何してんのよ! 馬鹿!? 馬鹿なの!?」
「ひどいなぁ……」
構わず罵倒し続ける王女のはずのその少女を連れて、ルクスはすでに暗くなりつつある魔の森へと入っていった。
罵倒を我慢して連れてきた場所。そこは、ルクスがいつも神木を採りに来る場所だった。
森の中に開けた湖。
そこは、聖域だ。
「……綺麗」
今の今まで罵倒の嵐を放っていたティアも静かになる。それだけ目の前の光景に心を奪われていた。
月は出ていないが、なぜだか神聖な光が灯っているように湖がよく見える。そしてその場所に生える草花も、まるで自ら光を放っているように煌めいていた。
ティアはその景色に見とれて、ゆっくりと湖岸へと近づいていく。岸に座り湖にそっと素足を浸ける。冷たいが、過度の刺激を与えない感触に、ティアの口からふと音が漏れ出した。
それはメロディだった。
いや、ごくかすかだが歌詞が織り込まれている歌だ。物悲しく、そして美しい歌。それはときたま王城から聞こえてくるというあの歌そのものだった。
聞く者の心を震わせてしまうようなその歌は、大きな声で歌われているわけでもないのに湖の端まで響き渡った。それを、草花がうっとりと聞いているようで、かすかにその輝きが増しているようだ。
しかし、そんな幻想のような光景もやがて終わりを迎える。
最後の歌詞をその口で紡いでから、しばし余韻を味わうようにティアは目を閉じていた。そしてそれもしばらくして開かれる。
「……ねぇ、ここはいったい――」
そう言って振り返ったが、しかしルクスの姿がない。
突然いなくなった少年を探すようにして周囲を見渡すも、その成果はない。ティアは急に不安になった。
「な、なによ……吸血鬼も出るから危ないって言ったのはルクスでしょ……」
そうつぶやきつつも膨らむ不安に胸が潰れそうになった時、聞きたい声が聞こえた。
「あ、ティア、どうかした? ……痛っ」
思わずといった様子で、ティアはルクスに蹴りをかました。
「いたた……まったく、王女様とは思えな……はい、王女なんて言ってすみません」
ルクスは二度目に蹴られた腹部をさすって痛みを訴えるものの、ティアはシカト。その理由を考え、やがて行き着いたルクスは申し訳なさそうな顔をした。
「一人で残してごめん。少し家に戻ってたんだ」
「……べ、別に残されたからってわけじゃない」
可愛らしく唇を尖らして否定するティアに微笑むと、
「これを受け取ってくれないかな」
そう言って、手に持っていたものをティアに差し出す。ティアはそれをしばらくまじまじと見ると、首をかしげた。
「これは?」
「ネックレス。貴族用の華美な奴じゃなくて、こうやって小さな細工一つを紐に通すんだ。こうすれば、あまり邪魔にはならないでしょ?」
ティアが再びルクスの手の上のものを観察する。そこには確かに紐につながれた一つの金属細工がある。それは硬貨ほどの大きさで精密な作りの六芒星のような細工で、湖や草花と同じようにキラキラと光っているようだった。
「一応、太陽をモチーフに作ったけど……ごめん。あまり高価な素材は用意できなくて」
少し照れてそんな事を言うルクスを気にした様子もなく、ティアはそっとつぶやいた。
「……可愛い」
「え?」
「っ。な、なんでもないっ!」
大きな声を張り上げて誤魔化すティアは、ルクスの手の上のネックレスを手に取る。
「し、仕方ないわね。どうしてもって言うならもらってあげる……」
そんなことを言いながらも、ネックレスを扱う仕草はとても丁寧だ。ルクスは嬉しくなった。
ルクスがもう一度ネックレスを手に取ると、ティアの首へとつけてあげる。ティアは顔を赤くしつつも、そんなの自分でできると憎まれ口を叩いた。
「ところでどうしてこれをアタシに?」
気になったことは明らかにしないと気が済まないタイプなのか、最近は何でも聞いてくるティア。ルクスは恥ずかしそうに頬を掻いてから、答えた。
「それはもっと後であげるつもりだったんだ。でもティア……誕生日近いんでしょ? 今日、王女の生誕記念品を依頼の品として献上してきたから。でもそっちのネックレスの方を大事にしてくれると嬉しい」
そんな言葉にティアは言葉をつまらせると、ふんっとそっぽを向いて、
「王女の品より大事にしなさいって言うのはどうなのかしら」
と、王城で見せたようなはっきりとした物言いでそう答えた。そして、
「でも……一応、感謝するわ。こんな景色も見られたから」
そう言ってふんっと視線をそらす様子は、ルクスから見てとても美しいものだった。
その後、ネックレスの取り扱いについての説明をしつつ、魔の森を抜ける。そして貴族区まで送り届けるのだが、どうやら彼女は部屋を抜けだしているらしく、こっそりと見つからないように移動した。
貴族区の中へ去っていくその後ろ姿を見て、
「人間嫌い……治ってくれるかな」
ルクスはそうつぶやき、同じ道を引き返していった。




