【短編】I love this/dis world
アイセルセカイト、アイセナイセカイ。
――せっかくの清々しい休日の朝は、何のデリカシーもない奴によって見事にぶち壊しにされてしまった。
「ほら、起きてクリア。たぶん朝だと思うよ?」
「……なんでお前の方が曖昧なんだよ」
窓から差し込む微かな光が目を突き刺す。少し冷えかけの部屋のさっぱりした空気から察するに、今の時間は十時から十一時ぐらいのもんだろう。起きたばかりの意識と体が、なぜか異様に痒い。
目の前には、リルエの無邪気な笑顔がゆらゆらと浮かんでいる。楽しそうに、嬉しそうに。
幽霊みたいだ、と思った。
「うーい、うーい、起きてよー」
俺の腹の上に乗っかったまま寝起きの頬をずしずしとつついてくるリルエに、俺は正直辟易してしまっていた。別に痛くはないが、はっきり言って、うぜぇ。
「こら、やめろ、つつくな!」あとそこどけ! 邪魔!
「うん! リルエはいい子だからやめるよ?」
「いい子はそもそもこんなことしねーよ!」
寝起きを好き勝手いじられて結構イライラしていたのだが、ようやく体の上から下りてくれたリルエの頭を撫でながらぼんやりとしていると、そんな憂鬱な気分もすぐにどこかへ飛んで行ってしまっていた。
空が明るい。曇り空だと、いいんだけどな。
「ごはん! ごはん食べよう? クリア」
「おう……ああ、ちょっと先にリビング行ってろ。着替えてから行く」
「今着替えたら?」
「……なんでわざわざ、お前のいる場所で着替えなきゃならねぇんだよ」
成人したてぐらいの男と、小学生レベルに背の低い女子。
傍から見たら、いろいろと問題だっつうの。
*****
いつも通り、我が家の冷蔵庫には大したものは入っていない。……しいて言うなら、つい昨日郊外のコンビニで拾ってきた缶詰ぐらいか。
絶品というには程遠い食材だらけだが、今の俺らにとっては満足するかしないかなんてどうでもいいから問題はない。
ただとにかく腹を満たせればいい。食欲中枢なんぞ、勝手に死んでろってんだ。
「クリアー。目玉焼き、出来たよ?」
「おう、サンキュ。テーブルに持ってっといてくれ。あ、ついでにこれもな」
魚の缶詰を二つリルエに渡してから、俺はトースターに入ったままの食パンを皿に乗せる。きつね色の二枚のトーストから、香ばしい香りが漂ってきた。
なんだかんだ言って、やっぱり日常が一番なんだろうな。
久々の朝らしい時間を過ごしながら、俺はそう考えてみる。
「ねーねー、早く食べよう?」
「おう。それじゃ……いただきますっ」
「いただきますっむぐっ」
「コラ」
頭下げた勢いでパンくわえてんじゃねぇよ。
あわてて食べるリルエをたしなめて、出来たての目玉焼きを切り分けて口に入れる。……ん、美味い。
家の中には、俺とリルエ、二人の食事する音しか響かない。うちにはテレビもパソコンもエアコンすらもないし、耳障りな音を出すような家電製品もほとんどない。カチャカチャと皿とフォークの当たる音だけが、小気味よく壁に跳ね返って反響している。
透明の窓から外を見る。空は晴れていた。
いつまで経っても、静寂の限り。
悔しさを交えて、俺はもう一口パンをかじった。
「美味いか? リルエ」
「おいしい?」
「おう、そうか」
適当で軽はずみな会話が、今は胸の底から心地いい。
――なんだかんだ言って、やっぱり日常が一番なんだろうな。
絶えない想いを反芻しながら、朝の穏やかな食卓は風のように過ぎ去っていった。
*****
ドアから外に出ると、そこは最早異世界のような場所になる。
「クリアー。今日はどこ探す?」
やんわりとした表情のリルエが、頭を後ろに倒しながら俺を見上げてくる。俺は周りを見渡して、「向こうだな」と、曖昧に指をさす。リルエは俺の指の先を目で追って、たたたたと子供らしく駆けていく。
走っているとはいえ、歩幅は小さい。早歩き程度に、後ろから追うことにした。
たどり着いたのは、見るも無残な瓦礫の山。
誰もいない。かつてはいたのかもしれないが、興味はまったくない。
「うし、手分けして探すぞ」
「おー?」
天然キャラのようにぼーっとしながら、リルエは豪快にガッツポーズを天に掲げる。なんとなく真似してみると、鼻で笑うように「はっ」と言って、離れたところの瓦礫まで向かっていった。……んがー、なぁんか腹立つな。
白いコンクリートの山は、見た目以上に重量感がある。俺はできるだけ丁寧にそれを持ち上げて、近くの地面に置きなおす。ひび割れのように、ぎざぎざとした暗い窪みが姿を現した。
「……さて……誰かいますかー、っと……」
腰につけたバッグの中から、小型の懐中電灯を取り出して窪みの中を照らし出す。自由に舞う砂埃と空気の層が、ぼやけて不確定になった像をさらに見づらく演出している。
右へ、左へ、上へ、下へ。
縦横無尽に光源を動かしてみるが、これといって特別なものは見当たらないようだ。
――突如吹いてきた、砂を運ぶ風の多大な猛攻に、俺は思わず目を覆った。
「けほっ、えほっ……! ……あぁ、ちくしょう」
めげずにもう一度、深めの窪みの中を見渡す。
土。土。土。土。
どこまで行っても、焦げた不格好な茶色しか見えない。……やっぱり、ここにもいないか。
期待を捨てて、顔を上げてリルエの姿を探す。ちょうど真正面の向こう側のところで、一生懸命に瓦礫をどかしているリルエの後ろ姿が見えた。
「リルエー! いたかー?」
ほんの少しだけ遅れて、俺の声が届いたようだ。リルエは持っていた瓦礫を地面に置いてから、大声で返事を返してきた。
「誰もいないよー?」
……やっぱりか。
本日もまた収穫なし――ってことになりそうだな……。
あーあ、馬鹿らしい。
*****
「今日も、誰も、見つからなかったね?」
日が暮れていく。地平線にそって繊細に切り取られた半分の太陽は、オレンジ色に染まりながら広大な大地を潤していく。
綺麗だ。素直に、そう思う。
「……そうだな。まあ、仕方ないさ……いずれ見つかるだろ、一人ぐらいは、な」
口の端に晩飯のカレーを付けたままのリルエは、
「そうだよね!」
と元気よく言ってから、満面の笑みを見せてくる。あまりの輝きのせいか、俺は無意識に目をそらしてしまっていた。
熱々のカレーがやけに辛い。スパイスでも入れすぎたか? まったく、市販の完成された調味料は味の配分が適当で困る。心の中で文句をたれながら、リルエのために小さく切ったじゃがいもをルゥと一緒に口に含む。
悪くない。こんなでたらめな味でも。
鉄の味は、もうこりごりだ。
「――クリア?」
「ん……どうした?」
「なんで、泣いてるの?」
「――はっ?」
驚いて、目元を指先で拭ってみる。……ほんとだ。じんわりと広がった涙の跡が、複雑な指紋の上に点々と染み込んでいる。
俺、泣いてる……のか?
こんなの初めてだ。気づかずに泣いてる、なんて。
「……さびしい?」
リルエは心配そうに、俺の顔を上目に見上げてくる。俺はすぐさま涙を無理やり拭いて、ぎこちない作り笑いをしっかりと向けてみせた。
「おう、大丈夫だ……お前がいるから、さびしくなんてねえよ」
じっと見つめる両目が、少しずつ緊張をといていく。
……沈黙。不思議と、重くはない。
「…………」
「…………」
「……ぷっ」
「……くくっ」
「ぷっ、あはははっ!」
「はははは、あーっはっはっはっは!」
そして最後には、必ず二人で一緒に笑いあう。
……ああ、ははは、可笑しい。もう、可笑しくてたまらない。
こんな世界、おかしくてたまらない。
だからさ、さっさと終わってくれよ。お願い、だからさ。
*****
「がっ、ぐっ!」
「――――」
「ぐあ、げほっ! げほっ……うあ……うぅ……」
「――――」
「や、め……えぐっ、やめ、て……く、り、あぁ……」
「――――」
「おね、が、い……ごほっ、ごほっ! がっ……が……」
「――――」
「…………」
「――――」
「…………」
「――――」
「…………」
「目、覚めた?」
「……あぁ」
嘘、ついてた。
ほんとはさびしかった。死ぬほど。
お前がいてもあんまり変わらなかった。
いるに越したことはないけど、でも結局はその程度だった。
誰もいないから、誰かを求めてた。
お前以外の、誰かを求めてた。
でも誰もいないし、誰も見つからない。
逃げたかった。
こんな世界から、さっさと消えていなくなりたかった。
×にたかった。
さっさと×んで、適当な別れの言葉でも言いたかった。
でも、そうさせてくれなかった。
お前が、俺を引き留めてた。
この腐った世界に縛り付けてた。
お前がいたから、俺も生きざるを得なくなった。
お前のせいだ。何もかも、全部。
違うか?
「ううん、あってる」
そうだよな。
俺はリルエの首にかけていた両手を離して、今度はゆっくりとその腕をリルエの背中に持っていく。出来るだけ優しく、愛しさとともに抱擁する。
――歯車の音。
きっとリルエは、これからもずっと稼働していく。俺なんかよりも、長く長く。
「泣かないで?」
頭に乗せられた弱い手が、なぜだか俺を安心させる。
抱擁する力は、俺の意識を無視してだんだんと強くなっていく。今はただ、リルエにすべてを任せることにした。
ああ、胸がいてぇよ。死ぬほど痛くてたまらねぇよ。
どうしたらいいんだよ、俺?
――今はただ、心臓の音が耳障りだ。
「……なぁ、リルエ」
矮小な躯を抱きしめながら、俺はゆっくりと問いかける。
「うん?」
「――俺の首、絞めてくれないか」
精一杯の力で、どうか。
いっそ×んでしまうぐらいに強く。
どうか。
「……やだ?」
リルエは、そんな俺に首を振る。
「そうか……残念だな」
俺はさらに強い力で、リルエの体を抱きしめる。
今だけは、まだもう少しだけ。
この肌の冷たさに浸っていたいと、そう思った。




