ヒューマノイドは春を待てない~宇宙から来た少女は、明日を欲しがった〜
相馬ユウが宇宙から来た少女を拾ったのは、中央アジアの荒野だった。
正確には、拾ったつもりはない。
町を出てから半日。
舗装路はとうに途切れ、乾いた大地の向こうには、低い山並みしか見えない。
夕方までに適当な場所を見つけてテントを張る。
その程度しか予定のない一日だった。
空が光るまでは。
「……ん?」
雲ひとつない空を、白い光が斜めに裂いた。
飛行機にしては速すぎる。
流れ星にしては、近すぎる。
というか。
「いや、こっち来てない?」
数秒後。
地平線の少し向こうへ、何かが落ちた。
轟音。
遅れて地面が揺れ、乾いた土が足元で跳ねた。
鳥の群れが一斉に空へ逃げていく。
ユウはしばらく土煙の柱を眺めた。
一年近く世界をほっつき歩いて培った旅人の勘が、これまでにない強さで告げている。
――関わるな。
「よし、行こう」
何も見なかった。
そういうことにして、バックパックを背負い直す。
「ちょっと待ってくださーい!」
背後から、やけに元気な声が飛んできた。
「そこの現地知的生命体の方ー!」
歩く。
「聞こえてますよねー! さっきから歩く速度が徐々に上がってますよー!」
「そこまで分かるなら逃げてる理由も察してくれない!?」
とうとう振り返った。
土煙の中から、ひとりの少女が這い出してくる。
銀色の髪。
透き通るような青い瞳。
白を基調にした見慣れない服は、盛大に土まみれになっていた。
見た目だけなら十八、九歳くらい。
少女は髪についた砂を払い、何事もなかったようにこちらへ駆けてくる。
「初めまして!」
「……どうも」
「わたし、ミロヒと申します! 恒星間移民船所属、惑星環境および知的生命体交流調査用ヒューマノイドインターフェースです!」
「情報量が多い。もう少し簡潔に頼む」
「はい!」
ミロヒは胸を張った。
「宇宙から来ました!」
「一番聞きたくないところだけ残ったな」
「ご主人たちの新しい入植先を探しています!」
「さらに悪化した」
◆
歩きながら聞いた話によれば、ミロヒの主人たちは母星を失ったらしい。
数百万人が巨大な恒星間移民船の中で眠り、新天地が見つかる日を待っている。
「安心してください!」
ミロヒは妙に楽しそうに言った。
「知的生命体が存在する惑星への無断入植は禁止されています。環境だけでなく、現地文明と共存可能かどうかも重要な調査項目です!」
「つまり、勝手に降りてきて『今日からここ俺ん家な』とはならないわけか」
「ご主人たちは礼儀正しいですから!」
「そこを礼儀正しいで済ませていいのかは微妙だけどな」
そこでユウは気づいた。
「……で、なんでついてくるの?」
「ユウは最初に遭遇した地球人ですので、第一交流対象として登録しました!」
「解除して」
「できません!」
「じゃあ俺が逃げる」
「同行します!」
「解除はできないのに、追いかけてくるのはアリなのかよ!」
「それにユウは旅人なんですよね? さまざまな土地へ行き、いろんな人間と接触する。わたしの調査にこれ以上ないほど適しています!」
「俺としては迷惑なんだけど」
「これはもう運命ですね!」
「俺の野宿場所とお前の墜落地点が重なっただけだろ」
「偶然の運命です!」
「言葉を足せばいいってもんじゃない」
その日の夕方。
なぜかユウは、ミロヒと二人で次の町を目指していた。
◆
ミロヒは、異様なほど人との距離を縮めるのが早かった。
市場へ行けば五分で店主と仲良くなる。
道を聞けば、そのまま相手の家族構成まで聞き出す。
子供には囲まれ、老人からは果物を持たされた。
「ユウ、見てください!」
屋台の前で、ミロヒが串焼きを掲げる。
「おばさまから一本おまけしていただきました!」
「十分前にも別の店で貰ってたよな。俺、一年くらい旅してるけど、お前ほど現地民から餌付けされないぞ」
「交流用インターフェースですから! 人懐っこさにはかなり自信があります!」
「それ自分で言う?」
「ところでもう一本食べてもいいですか?」
「お前、そもそも食事いらないんだろ」
「栄養補給は不要ですが、味覚機能は搭載されています。現地の食文化を理解せずして真の共存などあり得ません!」
「そのご大層な台詞、十一本目の串持ちながら言われても説得力ないな」
「十二本目です!」
「増えてるじゃねえか」
宿でもそうだった。
「ユウ、朗報です! 二人部屋が一つだけ空いていました!」
「お、助かる」
「しかもベッドがすごく大きいです!」
「……一個?」
「はい! 成人二名が睡眠時に必要とする面積は十分――」
「問題はそこじゃない」
「何が問題なんです?」
「なんで俺が、宇宙から来た女の子と人生初のダブルベッドなんだよ」
ミロヒの目がきらりと光った。
「人生初なんですか?」
「そこ拾うな」
「では恋愛経験も?」
「掘るな!」
「興味深い個体情報ですね。記録します!」
「今すぐ消せ!」
「嫌です!」
「なんで!?」
結局ユウは床で寝た。
翌朝目を覚ますと、睡眠不要と言っていたミロヒがベッドの中央で大の字になっている。
「……お前、寝なくていいんじゃなかった?」
「地球人の睡眠というものを体験してみました!」
「人を床へ追いやって?」
「交流調査です!」
「その言葉、本当に便利だな!」
そんな日々が続いた。
一人なら通り過ぎていた町で、ミロヒが祭りの音を聞きつけて立ち止まった。
一人なら食べなかった得体の知れない料理を、一緒になって食べた。
一人なら挨拶だけで終わった相手と、気づけば夜まで話していた。
ミロヒは何にでも興味を示した。
夕焼けにも。
路地裏の猫にも。
名前も知らない花にも。
雨上がりの匂いにさえ、
「地球は面白いですね」
と笑った。
ユウにとって何度も見てきた旅先の景色が、彼女が隣にいるだけで少し違って見えた。
気づけば写真を撮る時には、画面のどこかに銀色の髪を探すようになっていた。
◆
旅を始めて三週間ほど経った頃だった。
海沿いの安食堂。
窓の外には灰色がかった海が広がり、古びた扇風機が天井でゆっくり回っている。
向かいの席で、ミロヒが必要もないスープを楽しそうに飲んでいた。
ユウはふと思った。
「そういや、お前いつまで地球にいるんだ?」
「入植可否の判断が終わって、母船へ最終報告を送信するまでです」
「その後は?」
「停止します」
あまりにも軽い口調だったので、一瞬意味を取り損ねた。
「……停止?」
「はい。搭載電力を使い切ります。その後の再起動は想定されていません」
ユウのスプーンが止まる。
「じゃあ充電すればいいだろ。宇宙まで来られる文明なんだから、なんかすごい充電器くらいあるだろ」
「ありません。完全密閉式ですから」
「電池交換」
「できません!」
「太陽光発電」
「百年以上必要です!」
「役に立たねえな宇宙技術!」
「失礼ですね! 必要な期間はちゃんと動くように作られてるんです!」
「予定終わったら死ぬだろ!」
「ですから、ヒューマノイドに死という概念を適用するのは――」
「今、何パーセント?」
「五十一パーセントです!」
「半分じゃねえか!」
「予定通りです!」
「なんでそんな嬉しそうなんだよ!」
「順調ですから!」
そう言って、ミロヒはいつも通り笑っていた。
冗談でも、強がりでもない。
本当に、何でもないことのように。
だから、その時のユウも笑った。
笑えてしまった。
◆
それから、妙に残量が気になるようになった。
「ミロヒ、走るな。電気使うだろ」
「この程度の運動消費は誤差です。それよりユウ、あそこでお祭りをやっています!」
「また寄り道かよ」
「現地文化調査です!」
「その言葉を使えば何でも許されると思ってるだろ」
「そういえば昨日、恋愛映画を四本ほど見ました!」
「嫌な話題転換だな」
祭りの灯りの中を歩きながら、ミロヒが一歩近づいてくる。
「大変興味深かったです。地球人の恋愛関係では、かなり頻繁に手を繋ぐようですね」
「へえ」
「というわけで実地調査を行います。ユウ、右手を出してください」
「市場の兄ちゃんにでも頼め」
「嫌です」
即答だった。
「……調査じゃなかったの?」
「調査です!」
「今の『嫌です』、完全に私情だったぞ」
「気のせいです。ほら、早くしてください。調査が進みません」
ミロヒがユウの手を取った。
しかも指まで絡ませてくる。
「それ、普通の手繋ぎじゃなくて恋人繋ぎ」
「映画で学びました!」
「変なところだけ吸収が早いな」
「……離しますか?」
いつもの勢いが少しだけ弱くなった。
絡んだ指が、わずかに緩む。
「……別に。そのままでいい」
ミロヒがこちらを見る。
すぐに満面の笑顔になった。
「では調査続行ですね!」
「そういうことにしとけ」
祭りの喧騒の中。
今度はユウの方から、少しだけその手を握り返した。
◆
山間の小さな村を訪れた時だった。
冬を前にした木々は葉を落とし、道の両脇には細い枝だけが並んでいた。
村の老婆が、
「春になれば、ここは全部桃色になるよ」
と写真を見せてくれた。
帰り道。
ミロヒは裸の並木を見上げながら歩いていた。
「ユウ、春にはこの道が全部花で埋まるそうですよ」
「聞いてた」
「写真もすごかったですね。四か月後、また来ましょう! 今度はおばあさんに、あのお菓子の作り方も――」
「ミロヒ」
「はい?」
「四か月後、お前まだ動いてる?」
ミロヒの足が止まった。
「……あ」
裸の枝を見上げる。
四か月後には、この道いっぱいに花が咲く。
その景色を、自分は見ることができない。
しばらくして、ミロヒは笑った。
「そうでしたね」
いつもの笑顔にはならなかった。
「……残念です」
冷たい風が、銀色の髪を揺らした。
その日から、ミロヒは「今度」や「いつか」をほとんど口にしなくなった。
◆
やがて、地球の調査は終わった。
環境条件。
生態系。
文明。
人類との共存可能性。
ミロヒが出した結論は、
――入植候補地として適格。
残る仕事は一つ。
母船へ、その結果を送ること。
「最終報告を送ったら、残量は?」
ユウの問いに、ミロヒは少し間を置いた。
「推定〇・七パーセントです。数分程度なら会話もできますよ」
「送るな」
「ユウ?」
「送らなきゃ、あとどれくらい動ける?」
「節約すれば……二か月ほどでしょうか」
「十分だ」
ユウは即答した。
「その間に電源をどうにかできる奴を探す。地球に何十億人いると思ってる。一人くらい宇宙製ヒューマノイドを見たら、仕事も家庭も投げ捨てて解析始める変態がいる」
「技術力より変態への信頼が高すぎません?」
「可能性の話だ!」
「でも、ご主人たちはどうするんですか!」
ミロヒが、初めて声を荒らげた。
「ずっと待ってるんです! わたしが、ご主人たちの新しい居場所を見つけるのを!」
「だからって、お前が消えていい理由にはならないだろ!」
「わたしはそのために作られました!」
「それは作った側の理屈だ!」
ユウも声を張り上げた。
「お前はどうしたいんだよ!」
ミロヒが黙った。
風だけが、二人の間を抜けていく。
長い沈黙のあと。
「……生きたいです」
声は、驚くほど小さかった。
「春の花も見たいです。まだ知らない料理も食べたい。行ってない町も、いっぱいあります」
唇が震える。
「それに……ユウと、もう少し一緒に旅したいです」
「だったら――」
「でも、送ります」
涙が一粒、頬を伝った。
ミロヒは、それを少し不思議そうに見た。
「地球は、いいところです」
「……うん」
「最初は、ただの入植候補地でした。大気があって、水があって、ご主人たちが生きられる。それが分かれば十分だと思ってたんです」
ひとつ、息を吸う。
「でも、ごはんがおいしかったです」
少し笑った。
「知らない人が話しかけてくれました。お祭りも楽しかったです。海も、山も、あの村も好きです。もう一度行きたい場所も、いっぱいできました」
「ミロヒ」
「楽しかったです。本当に」
そこで、とうとう笑顔が崩れた。
「……ユウがいてくれたから」
ユウは何も言えなかった。
「だから、ご主人たちにも、この星で暮らしてほしいんです」
ミロヒは涙を拭わないまま、空を見上げた。
「わたしが楽しかったこの星で、ご主人たちにも笑ってほしい。ここなら大丈夫だって、ちゃんと伝えたいんです」
そして、こちらを見る。
「命令だからじゃありません」
泣きながら、それでも笑った。
「今は、わたしがそうしたいんです」
ユウは口を開きかけて、やめた。
「……分かった」
「はい」
「最後までいるよ」
ミロヒの笑顔が、少しだけ柔らかくなった。
「……ありがとうございます、ユウ」
◆
送信は三分で終わった。
空へ伸びていた淡い光が消える。
ミロヒの身体が、ほんのわずかにユウの方へ傾いた。
「残量〇・九パーセントです。いやあ、予定より余りましたね!」
「そこで得したみたいに言うな」
「〇・六です。……あれ。思ったより速いですね」
「実況しなくていい」
「だって」
ミロヒが笑う。
「静かにしたら、怖いじゃないですか」
その言葉だけは、冗談ではなかった。
ユウは隣に座った。
「じゃあ喋ろう」
「はい」
「次、どこ行きたかった?」
ミロヒは少し考えた。
「春の村」
「うん」
「海も。砂漠も。あと昨日の串焼きのお店にも」
「最後まで食い物入ってくるんだな」
「人生には重要です」
「機械のくせに」
ミロヒが少しだけ眉を寄せた。
「……もう、その言い方は嫌いです」
ユウは言葉に詰まった。
「悪かった」
「はい。今のうちに反省してください」
「最後まで偉そうだな」
「交流用インターフェースですから」
「関係あるか?」
二人で笑った。
その声は、すぐ風へ消えた。
ミロヒの動きが、少しずつ遅くなっている。
指先から力が抜けていく。
ユウが手を差し出すと、ミロヒは弱々しく握り返した。
あの祭りの日とは逆だった。
今度はユウの方から、彼女の指へ絡める。
ミロヒが、そっとユウの肩へ頭を預けた。
「ユウ」
「ん?」
「次に会ったら、全部連れていってください」
「ああ」
「春の村も、海も、砂漠も。まだ知らないところも全部」
「分かった」
「約束ですよ」
「約束する」
「約束、記録しましたからね。今度は消してって言われても消しませんよ」
「今度は消せなんて言わねえよ」
「……よかった」
ミロヒの胸が、小さく上下した。
「それじゃあ」
声が、かすかになる。
「また、あとで」
握っていた指から、力が抜けた。
ユウはしばらく、その手を離せなかった。
◆
半年後。
ユウは南米の一本道を、一人で歩いていた。
旅は続けていた。
海にも行った。
砂漠にも行った。
屋台で串焼きを見かければ、つい一本多く買った。
写真を撮ろうとするたび。
面白いものを見つけるたび。
無意識に隣を見てしまう。
そこに銀色の髪はない。
「……あいつなら絶対食うな、これ」
独り言だけが増えた。
その日の空は、やけに青かった。
ふと。
一筋の白い光が走る。
ユウは立ち止まった。
「……まさか」
光が近づく。
轟音。
土煙。
遠くで鳥が一斉に飛び立った。
次の瞬間には走っていた。
バックパックが背中で暴れる。
息が切れる。
それでも走る。
クレーターの縁へ飛び込み、土煙の向こうを覗く。
「いったぁぁぁぁい!」
聞き覚えのある声。
「着陸方式、絶対これ設計ミスです!」
ユウの足が止まった。
「……そこ、直してから来いよ」
「え?」
銀髪の少女が顔を上げた。
「ユウ?」
一瞬。
ミロヒの顔がくしゃりと崩れた。
「ユウーーーー!」
「うわっ!」
飛びつかれた。
二人まとめて地面を転がる。
「ぐえっ! 重い! 再会一発目に肋骨折る気か!」
「失礼ですね! 以前と重量は同じです!」
「お前……」
ユウは起き上がり、その肩を掴んだ。
「電池は?」
「はい?」
「電池! どうした!」
「ああ!」
ミロヒは得意げに胸を張った。
「最終報告を受けたご主人たちが、わたしを回収してくれました! 長期活動用電源へ交換済みです! ついでに正式な地球交流担当にも任命されました!」
「……どれくらい持つ?」
「約二百年です!」
「長っ!」
「二百年は電池切れの心配ありません!」
「今度は俺が先に事切れるわ!」
「安心してください。その時はちゃんと看取ります!」
「何一つ安心できねえ!」
笑った。
ユウも。
ミロヒも。
以前と何も変わらないように。
けれどユウは、しばらく彼女の手を離さなかった。
もうそこにいると、確かめるように。
ミロヒも何も言わず、握り返した。
やがて彼女が、にっと笑う。
「それでユウ」
「ん?」
「約束、覚えてますか?」
「ああ」
「では、最初はどこへ?」
ユウは立ち上がった。
土を払い、バックパックを背負い直す。
まだ一つ、行かなければならない場所がある。
「春の村」
ミロヒは目を丸くした。
そして、顔いっぱいに笑った。
「はい!」
今までで一番うるさい返事だった。
二人は歩き出した。
まだ花のない道を。
花が咲く未来へ向かって。




