僕の煙が
きっと僕は幸せだったのです
気が付かないだけで 僕のことを無条件に愛してくれる人はたくさんたくさんいました
けれどその人たちは 僕の見えないところで余裕を奪われるから
僕と顔を合わせる時には すっかり愛の言葉など忘れてしまって
それが罵倒と 僕の死を望む声になりました
きっと僕は幸せだったのです
僕は何かができるわけではないから
それでも生きていて 一人で施設のベッドで微睡む間 誰の責めも負わなくていいのは
きっとみんなが優しいからなのです
けれども今は だんだんみんなにも余裕がなくなってきて
僕もたくさんのことを望まれるようになりました
ごめんなさい 求められるものをこなしきれなくてごめんなさい
いつかこの世の多くの人が
お前を生かすのはもう 大変すぎてできないのだと言う時
迷いなくみんなを楽にしてあげたいと そう思います
僕の煙が天にのぼって それは狼煙になるでしょうか
みんな僕のお世話から解放されたんだってしるしに そう伝えられたら
きっとみんなの顔にも少し 笑顔が戻るような気がします
厳密にはこの詩はオリジナルではない。障害者施設に行ったとき、そこの入所者さんが書いた作文にインスピレーションを受けたもの。
彼らも何も考え無しで生きているわけではないし、何ものも生み出さない現状にうっすらと、であれば本来死を望まれる存在なのだという施設の外の現状もなんとなく感づいてはいる。
実際その作文を書いた人は、両親亡きあと親戚に泣きながら死を請われたという。理想論では何とでも言えるくせに、実際に向き合うと消費される労力に音を上げてしまうのはまあ、人間としてはよくあることだ。
私たちはそれを視界の端にとらえながら、見ないふりだけは実に上手だ。私は意地が悪いから、それをたまにたくさんの人の目の前に突きつけてやりたくなるのである。




