謎の女
いつもより深い平日の夜。
静寂の中、ひとりの女が家にやってきた。
年齢はそれほど高くないはずなのに、
生活の所作はまるで祖母のようにきちんとしていて、
自立した大人の女性だった。
けれど――
なぜか近寄りがたい空気をまとっていた。
背筋は曲がっていないのに、子どもを寄せ付けない圧がある。
年齢の印象がつかめない。
ただ「不気味な女」という言葉だけが浮かぶ存在だった。
母が静かに言った。
「大人の話があるの」
言葉少なに、姉の部屋の隣にある会議室へ通される。
母がドアを開け、入るよう促した。
女の風呂敷から、レコーダーがうっすら覗いている。
椅子を引く音。
腰を下ろす。
その瞬間、部屋の空気が重く沈んだ。
父、母、そして私。
三人で縦に並んで座る。
私は10歳だった。
「何をしに来たのか、聞かせてもらおう」
しかし女は話さなかった。
代わりにレコーダーを取り出し、
詩吟歌い始めた。
まるで昔の童話で見た、
異国の路上で蛇を操る蛇使いのようだった。
――呪いだ。
幼いながら、そう感じた。
しばらくして、私は悟る。
パパもママも、
“ゲームに負けた”のだと。
頭の中に浮かんだのは、
「負けた」の三文字。
悪夢のような時間だった。
それは
《空想ゲーム・カタレプシー》と呼ばれるもの
世間話のように始まりながら、
決して笑える空気ではなかった。
一年後。
5月5日。
父はこの世を去った。
深い喪失の中、
あの女は何事もなかったかのように
闇へと消えていった。
カタレプシーという“空想ゲーム”。
日本語では統合失調症を生み出す存在とも噂され、
年に一度、祭りのように現れる“タブ”が関わっている。
そこには奇妙な共通ルールがあった。
・正座をする
・背筋を伸ばし、正面を見る
・何も触れない
・足を組まない(足裏も重ねない)
・時計をどこかに置く
・目も体も動かさない
・心の中で時間を測る
そして――
祈る時間が決まっている。
•4分30秒〜4分59秒
•9分30秒〜9分59秒で始まる
“5分前の30秒間”に願いをかける。
お金の願いは“タラップ〃と呼ばれる禁忌。
あの女は、願いを“取った”側の人間だった。
何も知らなかった私は、
通学路の空気の違和感から少しずつ察していく。
大人の真似をしながら、
断片的な情報をつなぎ合わせる日々。
やがて――
“ドラキュラの箱”が開くような出来事。
もしそんな時、
みんなならどうする?
「ニンニクだ」
「朝日を浴びろ」
子どもなりに、
全身で立ち向かっていた。
案外、いい線までいっていたと思う。
あの女が来るまでは。
まるで
ドラキュラとあの女だけが喜ぶ闇の世界。
呪文のような時間を残して、
女は消えた。
私は泣きつかなかった。
「怖い」とも言わなかった。
ただ現実を受け入れた。
受け入れなければならなかった。
幼いのに、妙に肝が据わっていた。
本当に無口な子どもだった。




