幻の時計
【4】
決して円満な家庭に育ったわけでも、裕福な家庭でもなかった。
父と母は、今で言う共働き。
全力で働き、父はさまざまな付き合いで飲み歩く日が多く、母はキャリアウーマンを地で行く生き方を貫いていた。
朝、私の役割はカツオ節を削ること。
毎日おいしい味噌汁を飲むための、大切な仕事だった。
父は家にいないことが多く、午前様で帰ってきては土産をくれた。大好きな天津甘栗。
当時いつも持ち歩いていた、赤と白のスカートをはいたチンパンジーのぬいぐるみ。そのぬいぐるみが大好きだった私に、父は本物のポケットモンキーを買ってきたこともある。
勉強は母が見てくれた。
私はクラスのなかでも上位の方の成績だった。
昼は、いつも天やもん。
風呂は、酔った父と入ることが多かった。熱い湯に肩まで浸からされ、九九を何度も暗唱させられた。小学校三年生の頃だった。
次に父に風呂へ誘われたら、それを最後にしよう――幼いながら、そんなことを考えていた。
父は飲み屋へ行っては、クラブやラウンジの女性に気前よく金を渡した。家計が落ち着くはずもない。
私は習いたかった油絵をあきらめた。
家族の一番の思い出は、万国博覧会。
私がまだ幼稚園で、七歳上の姉が小学校高学年の頃だった。
インド館で、鏡がたくさん縫い込まれた小さなインド象の置物を買い、大切にしていた。
父からの誕生日プレゼントは、象牙の大きなオルゴール。バレリーナがくるくる回る美しいものだった。
中学校入学の時にはセイコーの腕時計も用意してくれていた。でも、その時計を腕にはめることはなかった。
父は新聞社の編集長、母は元税務署職員。
ある朝、父が弁当を作ってくれた。
銀のアルミ弁当箱に白いご飯をぎゅっと詰め、真ん中に梅干しを一粒。いわゆる日の丸弁当だった。
小学校四年生、反抗期のまっただ中。
新聞紙に包まれたその弁当が恥ずかしくて、私は父の手を払いのけ、弁当をひっくり返してしまった。




