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パピヨン
蝶は、偶然そこにいたのではない。
55年前の寝室。
ダブルベッドの後ろの壁。
一枚の写真の中で、時は止まっていた。
耳に手をやる女性。
静かな視線。
あぐらを組んだ足の、その中心。
——一匹の蝶。
子どもだった私は、
ただ「不思議だ」と感じていた。
なぜ、そこに蝶がいるのか。
なぜ、その姿が記憶に焼き付いたのか。
大人になっても、忘れなかった。
蝶。
パピヨン。
ひらひらと舞う、儚い命。
だが同時に——
変化と再生の象徴。
そして、もう一つの意味。
フランス語で「蝶ネクタイ」。
首元で結ばれる、小さな蝶。
格式。舞台。演技。
人前に立つ者の印。
記憶の糸が、ゆっくりと結ばれていく。
あの写真の蝶は、
ただの装飾ではなかったのではないか。
幼い私に残された、
未来への暗号。
蝶は、変身の象徴。
さなぎから羽化する存在。
ならば——
あの蝶は「目覚め」を示していたのか。
眠っていた意味。
閉じられていた記憶。
封じられていた自分自身。
羽が開くとき、
点は線になり、
線はやがて、ひとつの姿を形づくる。
パピヨン。
それは写真の中の蝶であり、
記憶の中の違和感であり、
そして——
まだ言葉にならない
“私という存在”の象徴だった。




