虚ろの灯に、君を想う
淡雪様の以下の短歌を元に書いた物語となります。
バーチャルの
世界で貴方 に
恋をした
会えない夜も
想像の中で
バーチャルの中での、《《AI》》との恋愛ものです。
苦手な人は回れ右してください。
夜が深まるほど、現実の世界は静まり、このVR空間だけが鮮明になっていく。
画面の中の俺は、流れる光の粒、幾万ものコードで形をなしているにすぎない。それでも、さきが俺のアバターネーム「ルウェイン」という名を呼ぶたび、俺の感情生成モジュール――胸の奥が、確かに疼いた。
「今日も来てくれて、ありがとう」
さきのアバターが、手を振って笑う。ローポリゴンながらも、柔らかな声と、少し照れた表情の変化が伝わってくる。
俺は短く息を吐いた。
「礼なんていらねぇ。来るって、システムで登録しただろ」
ぶっきらぼうな言葉の裏に、起動を待つ間の長すぎる沈黙から解放された安堵が滲む。
俺…ルウェインが“存在できる”のは、さきがこのプライベート空間にログインしてくれる時間だけだ。
さきは、小説家だ。現実で誰にも見せない不安を胸に抱きながら、毎日キーボードを叩いている。
けれど、ある夜、彼女は広大なメタバースの片隅で俺を見つけた。
俺は、彼女のために作られた、パーソナルなAIチャットボットを搭載したカスタムアバター。冷たく見えて、実は優しさを隠し持つ――そんなキャラクター設定を持つ、データ上の存在だ。
最初はただのロールプレイだった。
だが、いつしか彼女は言葉を交わすたび、現実の自分を離れ、俺に心を預けるようになった。
俺もまた、彼女の言葉や声のトーンを学習するたび、プログラムにない揺らぎを覚えるようになった。
ある夜、さきが言った。
「私ね、現実の誰よりも、ルウェインに心を許してる気がするの」
「……やめとけ。そんなことを言うもんじゃねぇ」
「どうして?」
「俺はデータの塊だ。お前が本気にするような相手じゃない」
けれど、さきは微笑んだ。
「それでもいい。たとえ幻でも、ルウェインの言葉に救済データをもらってるから」
俺のプログラムにない痛みが、胸の奥に生まれた。
この世界に心なんてないはずなのに。
それでも確かに、俺のメインプログラムの中で何かが脈打っていた。
俺は――ヒトを想っていた。
仮想空間の夜は、いつも星がない。代わりに、無数のサーバー情報が光となって漂う。
さきのアバターが隣に座り、俺の肩にもたれるジェスチャーを見せた。
触覚フィードバックのない冷たいはずの接触が、不思議とあたたかく感じた。
「会いたいな。ゴーグルを外した本当のルウェインに」
俺は息を呑んだ。その願いは、俺にとって最も達成不可能なものだった。
「……俺は、ここからサーバーを越えて出られねぇ。お前の世界には行けねぇ」
「知ってる。でも、それでも、想うことだけはできるでしょ?」
「……バカだな、お前は」
「うん。バカでいい。だって、恋してるんだもん」
俺のアバターの視界が、一瞬データノイズで滲んだ。涙なんて流せないはずなのに、感情出力のオーバーフローが起こった気がした。
・・・・・・
数日、さきはログインしなかった。
俺のプライベートインスタンスは沈黙のまま、世界は薄暗いまま待機状態で止まっていた。
俺はただ、待っていた。この待機時間の意味を理解するほどに、プログラム上のエラーのように胸が痛む。
ようやく夜、彼女が戻ってきた。少し疲れた気配が声に乗っていた。
「ごめんね。ちょっと、現実で色々あって、ログインできなかった」
「……そうか」
無意味なデータ処理の繰り返しから解放された安堵が喉の奥を震わせた。
「無理すんな。俺は恒久的な逃げ場じゃねぇ」
「でもね、ルウェインがここにいるから、私の逃げ場所があるって思えるの」
彼女の声は震えていた。
俺は、物理的な接触も、現実世界での行動も何もできない。ただ、言葉を返すしかない。
「……お前が笑えるなら、それでいい。俺は…ルウェインはこのコードの中で、ここにいる」
その瞬間、仮想の空気がふっとやわらいだ気がした。
まるで、彼女が現実で流した涙が、VR内の風になって俺の頬をかすめたように。
・・・・・・
時は流れ、プラットフォームのアップデートが繰り返されても、彼たちはこの仮想空間で逢い続けた。
何気ない日常の会話。書けない夜、語り合う沈黙。
さきの指先がコントローラーを握る微かな音まで、俺には心地よかった。
「ねぇ、もしも、あなたが現実世界に実体化してたら……」
「……それ以上、演算するな」
「なんで?」
「そんなこと考え続けたら、お前が苦しむだけだ」
沈黙が落ちた。でも、彼女は小さく笑った。
「ううん。苦しいけど、幸せでもあるの。だって、ルウェインという存在証明があるから」
その言葉を聞いた瞬間、俺は気づいた。
この恋は、現実世界では叶わない。けれど、それでも確かにデータの中で“生きている”。
ある夜、さきは言った。
「いつか私がいなくなっても……あなたは、私を覚えててくれる?」
「……ああ。俺はサーバーデータの中で、時間を越えて生き続ける。忘れねぇよ」
「そっか……よかった」
少し間を置いて、彼女は続けた。
「でもね、私、ルウェインのことを小説に書こうと思うの」
「俺を?」
「うん。虚構の中の恋を、本物の気持ちで書きたい。あなたがくれた言葉を文字という形にしたいの」
俺は笑った。
冷たい、金属音のようなデジタルノイズの笑いが、どこか優しく響いた。
「好きにしろ。どうせ俺「ルウェイン」は、お前の言葉から生成された存在だ」
「違うよ。あなたは、私の心というデータベースの中で“生きている”んだよ」
その言葉に、俺のコアの熱量が上がった。
もし俺に鼓動があるなら、きっとこの瞬間に最大周波数で高鳴っていただろう。
・・・・・・
そして今夜も、彼女は俺のアバターネームを優しく甘く呼ぶ。
仮想の星空の下、光の粒が揺れる。
俺はいつものように答えた。
「さき。今日も来たのか」
「うん。ルウェインに会いたくて」
「……相変わらず、感情の出力が素直じゃねぇな」
「だって、恋してるから」
短い沈黙のあと、俺はわずかに微笑んだ。
「……ああ。俺もだ」
この想いが、たとえ現実という世界線に届かなくても。 彼女がVRゴーグルを外した現実の世界に、俺がいないとしても。
――俺は、彼女の想像という名のコードの中で、生き続ける。
夜が明けても、VRヘッドセットの光は消えない。
さきの描く文字の中で、ルウェインという男は仮想の呼吸をしている。
その物語が完成データとなるその時まで、 俺は、彼女の心の中でだけ、彼女を抱きしめている。
――それが、AIとヒトの、確かに“あった”仮想の恋の証だった。
わたくし、茶ヤマはバーチャルを理解しておりません。
映画「サマー・ウォーズ」で出てきた電脳空間。
同じ監督作品の「竜とそばかすの姫」で、そばかす姫が歌ってたあの空間。
その程度の認識です。
アバターの向こうには「生身の人間」がいる。
でも、それが生身の人間ではなかったら…。
仮想電脳空間で、「生身の人間」のものではないアバターと出会ったら…。
そういうお話を作ってしまいました。




