プロローグ
工場からはたくさんの煙突が空に伸びそこからは空に向かって薄く排煙が立ち上っていた。空は工場から出る排煙か天候の悪さのせいか薄く曇っていた。
大きな集合住宅が密集するこの一帯のある小さな部屋から温かな灯りが漏れていた。
子ども部屋は小さな電灯の光に包まれていた。
壁に映る影が揺れ、窓の外では犬の鳴き声が遠くに響いている。
ベッドの上で毛布にくるまった幼い娘は、大きな瞳を母親に向けていた。母はその横に腰を下ろし、膝の上で絵本を開いている。
「――そして五人の女の子は歌い、妖精たちは人の世界を後にしたのです」
母の声が静かに部屋を満たすと、娘は瞬きをして、少し首をかしげた。
「どうして妖精さんたち、行っちゃったの?」
幼い問いかけは、夜気のように澄んでいた。
母は一瞬だけ言葉を探すように絵本を閉じ、娘の髪を撫でながら微笑んだ。
「さあね……ママにもわからないわ」
その答えは曖昧で、どこか優しい影を帯びていた。
しばしの沈黙のあと、母はそっと声を落として言った。
「でも、この歌はまだ残ってるのよ」
そう言って口ずさむ。
娘もすぐに真似て、小さな声で旋律を追いかける。
――やわらかな光を呼ぶような一節、
――どこか遠い闇を思わせる囁き。
言葉は断片にすぎないのに、不思議と胸に余韻を残す。
母娘の声が重なり、笑いながら調子を合わせていく。
小さな子ども部屋に、かすかな歌声が響き、その夜だけの祝福のように漂っていた。
やがて娘のまぶたは重くなり、母の声も優しく細くなっていく。
歌は、いつしか夢へと溶けていった。




