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直談判

 翌週からシオヤは分室に戻ったが、相変わらず様々なテストパターンが送られてきた。ナダイケと私たち三人の作業は変わらない。

 その月曜の午後遅く、私は少しだけ作業を抜け出した。会わなくてはいけない人物がいる。その人物を会社内の喫茶ルームに呼び出していた。

「マヤンさん、ご無沙汰です。」

「やあ、データリンクに今は入ってくれているんだって。頼りにしてるよ。」

 マヤン、この件の営業担当だ。契約締結までは彼が責任を担っていて、その分、顧客側と深く連携している。味方にしておきたい人だ。マヤンの案件を過去に担当したことがあり、私は顔見知りだった。

「もうすぐ納品前の打ち合わせが始まるからね。ちょうど良かった。ウィルダイスさんにはお客さんを不安がらせるなと釘を刺されていたんだが、ボクもそろそろ状況を知りたくてさ。」

「最低限は整いました。性能要件は一応満たしている。ただ、全パターン確認できているわけでないから、納期を遅らせるべきだと私は思っています。」

 途端にマヤンは顔を曇らせた。マヤンが何か口を出す前に、私はしゃべり続ける。

「今のバージョンで段階でお客さんには全部お伝えした上で一旦リリースする。初期リリース版でお客さん側の試験やトレーニングを行えるようにして、最終的なものは二、三か月遅れてのリリースに出来れば。」

「実質、間に合ってませんということ?」

 マヤンのしぶい顔は続く。

「ええ、すいません。見かけ上は問題ないんです。ただ、危ない気がするんですよね。あとで問題が見つかりそうで。」

「気がするなんて、そんなんじゃ話にならない。何か客観的に根拠を言うことは出来るかい?」

「今それを探しています。」

 マヤンは下手な技術屋よりずっと論理的で合理的だ。その点でも私は信用していた。

「それなら単純に遅れていますと正直に伝えるべきだね。遅れているのを、今までお客さんに伝えられなかったのは技術側の見積もり不足、それにウィルダイスさんの独断ってことだ。それでいいだろう。」

 淡々と話すマヤンに、私は考えてきた作戦を実行に移す。

「この仕様書、見て下さい。」

 そう言って私が出した資料を、マヤンは訝しげに見つめた。

「これは、先方が提示してくれた資料だよね。」

「ええ、そうです。」

「これがどうしたんだい?」

「入力経路七つの定義、IDについて書いてあります。文章としては、ここだけですよね。他に口頭で何か聞いていますか?」

 文書だけだとユキたちに裏をとっていたが、念のためマヤンの記憶を探る。

「いや、ないが。」

「経路が異なるのは、このデータフロー図で解説されている。ところが、これはデータ内の実際のIDの定義と一致していません。」

「そうなのか。まだお客さんのデータで試験はしてないだろう。」

 やや不審そうにマヤンが質問する。私の質問の意図を探ろうとしているようだ。

「全体図を見ても間違いはありません。事前にもらった資料は正しくない部分がある。入力側のシステムも収めて納品したのはうちですから。裏はとってあります。」

 その内部資料を地下の資料室で確認済みだ。私はさらにデータの流れを指し示して、具体を説明する。

「例えばこのルートだとネットワークIDが三種類くる。あ、ネットワークIDは私たちの呼び方でした。IDの中で通信経路と記載されているものです。二つの通信経路から来ているデータなのに、実際のID上は三つの通信経路と判断されている。なぜなら通信経路の先にある入力システムの片方が、別経路の入力システムを転用しているからです。」

「入力のシステムは関係ない。今回の契約はそこから出てくるデータに関してだけだ。」

「ええ、もちろんです。でも資料の上では、この経路からは二種類の通信経路からデータが来て、ネットワークのIDは二種類と定義されている。実際には二種類でなく三種類です。」

「入力システムは二つなんだろう?」

「ええ。でも別経路では、データの分類によって二つの経路に別々に送っていました。転用する時に変えたのは送り先だけでした。当時はそれで問題なかったのでネットワークIDは変更されないままになっている。」

「入力システムは二つで、IDは三つか。それにしても、ずいぶん細かい指摘だな。」

「そうですね。ただ、資料では二種類となっているのに実際は三種類です。つまりはこの資料は間違っていると言っても差し支えない。」

 マヤンは少し考えていた。今動いているシステムについて詳しく確認してくるかと思い、私はただマヤンの次の言葉を待つ。しばしの沈黙の後、やっとマヤンは口を開いた。

「ふうん、で、何がいいたい?」

 私の説明をある程度は信じる気になったようだ。そこで、マヤンに向けて用意していた次の説明に入る。

「だから最初にテストした段階で、実際に入力された経路と通信経路のIDが完全に一致しないことが分かったから、その分を追加で改修させてくれと言うんです。お客さんのテスト開始前にそれは終わるってね。」

「・・・」

「なんなら今日にも、うちの技術がそんなことを心配していると、相手に耳打ちしてくれてもいい。」

「まあ、それならつじつまは合うな。ただ、最初の試験中は大丈夫だったのに改修版で問題が発生したらどうする?」

「それはあり得る話ですが、入力経路をきちんと確認しなかったのは相手とうち、どっちの責任ですか?」

「そりゃあ、両方だろう。」

 そうすぐに言えるのはマヤンの優秀さだ。そして、それは私の読み通りだった。

「つまりはそういうことです。それにあの会社はいつも三か月くらいは予備期間を入れていますよね。それを使うだけです。」

 マヤンのしぶい顔が続く。私はさらに彼に聞いた。

「こういうやり方は、あなたの信条に反しますか?」

「別に何が正しいかなんて存在しないさ。ボクはお客さんがハッピーならそれでいい。それに最初の納品でうまくいく可能性だってあるんだろう。」

「ええ。賭けみたいな点があるのは確かです。ただ、進路の先に崖があるのに目をつぶって歩いていく、そんなのは勘弁ですよ。それはお客さんにとってもです。」

「・・まあ、話は分かった。だが、この件はウィルダイスさんを無視しては進められない。」

「分かっています。今日、明日中にウィルダイスさんに同じ話をするつもりです。」

「そうか。ウィルダイスさんが判断するならボクは問題ない。営業の上司にはもちろん事前に話はさせてもらう。」

「ええ、もちろん。」

「分かっているよな。今のメンバーがプロジェクトに参加する日数が増える、つまりは追加の予算だ。まあ、よくあることではあるが、ウィルダイスさんの判断だ。」

「はい、ありがとうございます。」

 そろそろ夕方か、日差しにわずかに翳りが見えた。その斜めに射す光が、マヤンの顔を少しだけ明るく照らした。


 マヤンと話した次の日。朝の屋上の散歩で一日が始まる。今日はウィルダイスと話をする予定だった。私は歩きながら昇ろうとする朝日を感じていた。東の方向、やや離れたビルの間からもうすぐ太陽は顔を出すだろう。太陽の光が横から先に到来した状況、今が一番朝らしい時間だなと私は思った。

 昨日のマヤンの言葉、その時に辿ったであろう彼の思考を、自分の頭の中で組み立て直してみる。大丈夫だ、まずは成功している。あとはウィルダイスの言質が取れれば、このプロジェクトはもう少し粘ることが出来る。それが目的だ。今のまま書類を整えて、目をつぶってプロジェクトを完了させることはもちろん可能だ。だけど私にとって、その道はない。

 『勧善懲悪』、ふとそんな言葉が閃いた。昨日マヤンが言っていた正しさは、コオオルや多くのメンバーの考え方と少し違っていた。そして私の場合もまた違う。やるべきこと、やらないこと、その二つを間違えると大きな災いに見舞われる。たぶん自分はそれを恐れているのだ。

 いや、なにも大袈裟に考える必要はないんだ。与えられた仕事をこなすだけでもいい。ただ、中途半端に終わらせるのがひどく苦手だ。それは私の感情だけかもしれない。好きも嫌いも感情。意思やルールよりも変わっていく。今回は自分が理解した範囲で見えてきたものがあって、それに対応する必要があるだけだ。自分で決めたルールでいい。


 ウィルダイスと話ができるよう、昼前のスケジュールに入れておいた。会議終わりの時間をおさえたのだ。私は予定時間より早めにウィルダイスのデスクの前で待機した。

 会議は予定より早く終わったようで、足早にウィルダイスが現れる。私を見ると少しだけ意外そうな顔をしてから、軽く手をあげた。

「よう、ずいぶんと早いな。」

「お忙しいところすいません。ウィルダイスさん。」

「いやいや、まあ座れ。」

 私はわきの椅子を動かして、ウィルダイスのデスクと向き合うに座る。そうして話し合いは始まった。ウィルダイスはすぐに本題に入る。私も雑談を最初に挟むつもりはなかったので、こういう所はなんだか気が合う。

「データリンクだな、出来上がったシステムは要件をクリアしたそうじゃないか。」

 たぶんナナミから報告を受けているのだろう。私がさらなる改良を狙っていることも認識済みかもしれない。

「一応はクリアはしましたが、まだ十分ではありません。」

「そろそろ新しい仕事を、きみに頼むつもりだ。」

「まだやり残しがあるんです。やらせてもらえませんか?」

「無理だ。」

 ウィルダイスは即答する。これは想定していたことだ。だが、その否定のニュアンスに私は可能性を感じた。

「遅らせましょう。じつはマヤンさんに話してあります。」

「その話は私も昨日聞いたが、冗談だろうって言っておいた。もともと遅らせないために、きみが入ったはずだ。」

 時間はかかるが、よりいいものが出来る。そんな単純な理屈には耳も貸さない相手だ。

「仕様をクリアするだけなら納品は可能でしょう。でも、ボトルネックがすでに見えていて、この先に問題になる可能性があります。」

「それは新規案件になる話だな。」

「まだ二か月、いや一か月は契約的にも粘ることは出来ます。その時間を使わせてもらえませんか?」

「初期リリースをして契約は果たす。もう少し性能アップで予算をとってもらえないか、そうマヤン達にアドバイスしてやれ。」

「ウィルダイスさん。」

「やる気は買ってやりたい。だが、お客次第だ。追加費用など出てこないだろう。もちろんうちの会社の持ち出しでやるなど、誰も認めんさ。」

 特にあなたがですよね、と思いながらも探りを入れる。

「私はやろうと思います。ウィルダイスさんから一度は任された以上は、です。」

「あのな、他のプロジェクトに影響を出さない方法を考えてくれ。その前提を忘れてなければ、あきらめもつくだろう。」

「私のあきらめの問題ではないと思いますが。」

「納品したら、すぐに別の仕事だ。それにまだ計画では一か月くらいは残っているだろう。」

「はい、それを一か月か二か月、できれば二か月延ばしたいんです。」

「納期はずらせないから、あとはかける人数を倍にするしかないな。まあ私には当てはないが、予算内でミヤマくんが誰か見つければいい話だ。」

 理路整然と言うのはずるいなと思った。ロジックは明快で、それは現実的には不可能という意味になる。ウィルダイスは納期と工数は同じだと気づかないふりをしてよく話すが、今回は正しく工数を指摘してきた。予算も納期も今の中でやりくりしろという指示、ウィルダイスはいつだって自分の言いように話を単純にする。

「まあ性能改善の新規案件になったら担当すればいい。どっちにしろ受注できたら考えればいい話だ。それが正しいだろう?」

「問題が発生した時の緊急対応を考えると、最終的な開発コストや利用者メリットが上がる話だと思うんです。」

「納品するのに問題がない性能なんだろう。」

「今、テストしている条件ではの話です。」

「まあ新規依頼に期待だな。」

「いや、すんなり新規依頼になるとは思えません。むしろ大きな問題になる可能性があります。追加対応で確認がやり直しになったら、それは体制を整えることから始まるでしょう。でも、延長した一か月の間に改修できれば、リスクは回避できます。そのための延長です。」

「それはダメだ。無理だよ。」

 即座にウィルダイスから却下の声が上がる。

「誰がどの範囲で考えるかで、可能性はすぐに変わります。もちろん0からでも。」

「きみだって考えればすぐ分かるだろう。これはうちの会社のビジネスだ。」

「ええ、もちろん。ビジネス上で大きなリスクです。私たちの試験でまだ気づいていない重大な問題があって、たぶん、それが発生すると思うんです。」

「そんな話を単純に信じるわけはないだろう。」

「もし発生したら、今の作りだと対応できないのは分かっています。確かに起きるかは確率の話かもしれませんが。」

「まあ、きみの勘を信じないわけじゃないけどな。」

 そう言うと、ウィルダイスはしばらく黙った。その間、何かを思い出していたのだろうか。そしてウィルダイスは再び口を開いた。

「・・わかった。」 

「はい?」

「やってみろ、一か月だけだぞ。」

 ウィルダイスからの譲歩、それを示す言葉に間違いなかった。私はすぐに言葉を返す。

「ありがとうございます。ウィルダイスさんがプロジェクトの一か月延長を認めて下さった。」

 発言したことをウィルダイスが忘れないように、私は復唱した。

「顧客への説明は私は知らん。悪知恵を働かしてマヤン達に作戦を伝えたんだろう。それは、きみの判断でやったことだ。」

「ええ、承知しています。」

 そこでこじれたら、それは私だけの責任ということだ。それはまあ仕方ない。それより私は、ウィルダイスが何か別の罠を仕掛けていないかの方が気になった。

「でも、どういうお考えで判断されたんですか?」

 真意を探るため慎重に私はウィルダイスに聞いた。

「なんだ? まだ不服なのか?」

「いえ、ウィルダイスさんのお考えを正しく理解しておきたいだけです。」

「そんなことを気にする人間だとは思ってなかったな。」

 ウィルダイスは、意外そうに私の顔を見つめ直した。そして言葉を続ける。

「きみの状況判断に納得したからだ。それでいいだろう。」

「なにか理由があるのでしょう。それを知っておかないと安心できません。」

 ウィルダイスは無理難題は言うが、決して気まぐれではない。私は今までの付き合いで知っていた。

「まあ、熱意にほだされたと言っても信用しないだろうな。そんな感情とビジネスの話はちゃんと棲み分けしなきゃいけない。きみだって、そんな話はしたくないだろう。」

 ウィルダイスは笑って、それから少しだけ真顔になった。

「簡単だ。一番成果が出る方法だからさ。きみは気分屋だからな。自分が気が済む前に仕事から剥がすとしばらくアウトプットが落ちる。こそこそ二つの仕事をやるから、どっちも能率がひどく悪い。」

 見てないようで見ているのか、というように私は理解した。

「細かく問い詰めて追い込むと、へそを曲げて頑固になる、そういう面倒もあるからな。」

「私はいつでもウィルダイスさんに恭順だと思っていましたが。」

「まあ、表向きはそうだろう。ただ昔の人事資料とか私の交友関係で話を聞いている。有能な人物の噂を拾ってくるのが私は昔から好きなんだよ。」

「・・ありがとうございます。」

 初めて聞く話だ。なんと言っていいか分からず私は曖昧に返答した。

「なんにしても、あとプラス一か月で日付は決まった。」

「はい、お客さん側の受入試験が終わったら、納品、そして延々試験が続いて半年後にリリース、もうスケジュールをどうこう出来るタイミングでなくなります。確かにあと一か月ですね。」

「その日付を、きみはきっと守るだろう。これ以上、性能が上げられても上げられなくてもだ。だから私の心は静穏だろうさ。」

 ウィルダイスの真意を確認したのはそこまでだった。そして私は、次の行動を始めなくてはならない。やるべきことはもう決まっている。いかに成功させるか、これからは、それだけに集中するのだ。

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