モンキーテスト
分室では結局四日を過ごし、私は週明けから本社へ出勤した。進捗会は本社の会議室からの参加だ。今日はシオヤも本社へ来ていた。久しぶりに顔を合わせたメンバーも多い会議室、皆の表情が今までより明るく感じる。良いことだ。
「あら、シオヤさん。こっちに来てるなんて珍しいですね。」
会議室で最初にシオヤに声をかけたのはユキだった。
「たまには顔ぐらい出すさ。それに先週はミヤマさんが分室に来てくれたからな。少しは顔を立ててやらないと。」
「そんな義理立てする人だったかしら。」
「相変わらず本質が分かってない。」
直接顔を合わせているせいか、シオヤとユキはずいぶんと気安い。
「時間ですので、そろそろ始めますよ。」
頃合いを見計らったナナミがそう言うと、進捗会は始まった。すぐに各所から最新情報が共有される。
ユキたちは常駐プロセスの再整理をほぼ完了していた。今日の進捗会のメインは、シオヤたちの状況確認だ。シオヤは機嫌よく現在の問題とその対応方法を説明して、最後に修正版の処理時間を見せる。データ登録の性能がかなり安定し、性能は50パーセント以上も改善していた。良好だ。ただ、この比較はあくまでシオヤたちによる自己申請である。
「今日から修正版の確認ですね。」
テスト担当のナダイケが言う。分室環境での計測結果をそのまま採用はできない。これからの測定がより正確で総合的なものになるが、性能が大きく上がっているのは間違いない。
「まあ、二つの大きな改善が成功しているわけだし、要件はクリアできそうですな。」
コオオルが言った。先週までのユキたちの作業によって、性能は要件クリアまでだいぶ近づいていた。これにシオヤたちの改善分が加わるのだから、目標が達成できる可能性は高い。
「そうですね。まず最低限は。」
その時を見計らって、私は週末から考えていたことを皆に告げる。
「でも本来はセキュリティIDに依存しないで並行登録したいですよね。いや、設計的な懸念をなくす、そこまでやってリカバー完了ともいえる。」
「ミヤマさん、何を言っているんですか。」
コオオルは笑いながらそう言った。私の言葉を冗談だと思ったのかもしれない。そのコオオルの軽口に、私は慎重に言葉を返す。
「セキュリティIDの割合を一定にさせる機能は外していない。今のところ問題は出ていませんが、原因が分かってないのに外す判断はできないからです。」
「新しい問題はなにも見つかってないだろ。試験でも性能要件をクリアしたことを証明している。」
「あくまで今のところです。」
コオオルの顔から笑みが消える。
「期限が迫っているんだ。起きてもいないのに気にする状況じゃないだろう。」
私はコオオルをしっかりと見た。そして感情を込めないようにして話を続ける。
「まだ大きく作り直す必要があると、私は思っています。そして、皆さんにも今ここで賛同してほしいんです。」
会議室のざわめきが小さくなる。私は皆の反応を待った。その反応によって自分の態度を変える気はない。やがて最初に口を開いたのはナナミだ。
「あの・・、ミヤマさん。新しいものがどこかにあるんですか?」
「いえ、これからです。」
「今日から修正版の確認、最終チェックをやる予定です。今から作り直したものが仮に二週間で出来上がったって、ウィルダイスさんと約束した日に間に合わないんじゃないかしら。そもそも一、二週間で新しいものが完成するとも思えません。」
「そうですよ。今の修正版だってまだ完全じゃないんですよ。」
「まずはリリースを優先させましょう。」
次々とメンバーから拒絶の反応が現れる。思っていた通り、ここから先は簡単にはいかない。
「きちんとした完成、それを目指しましょうよ。」
私が改めてそう宣言し直すと、ユキが口を開いた。
「いえいえ。これ以上は無理でしょう。もう時間がありません。」
ユキはことさら強く否定した。彼女はいつでも締切を気にしている。だから当然の反応だ。それにつられて他のメンバーからも反対の意思表明が始まった。
「むちゃくちゃを言っている。」
「もういいじゃないですか。」
今のシステムはギリギリで動いている。まるで次のつまずき待ち、私はそう感じていた。でも、この場には同じように感じている人はいないのだろうか。
「まだ見つかっていない落とし穴が、あるんじゃないですか。」
私は再び問いを投げかける。すると新たな反応が会議室内から上がった。
「確かに、こんなもの世に出して恥ずかしいとは思うな。」
そう呟いたのはシオヤだ。もともと設計を問題視をしていたから、その発言は浮ついたものでは決してない。
「データ入力をもっと安定させて、高い性能を保つべきだ。」
その発言にコオオルが反応する。話の流れを戻したいのだ。
「シオヤさん、全くその通り。でも、納期とコストが膨らんでしまう話の方がより重要ですよ。」
「まだ新しいバージョンだって納品できる状態じゃないです。今はまず納品の日程を優先すべきだと私も思います。」
ユキもすぐにコオオルに賛同した。そのユキに顔を向けて私は話しかける。
「まあ、その疑問は当然ですよね。」
そう言ってから私はゆっくり息を吸う。なんだか嬉しかったのだ。この場にいる誰もが近い未来を考えている。他人事とは思っていない。
「私が参加した当初は、プロジェクトの終わりが見えない絶望的な状況だった。今は終わらせ方の議論だ。ずいぶんな進歩だと思います。」
それに言葉を被せる者はいなかった。なので、私はさらに話し続ける。
「シオヤさん達の行った変更、これは効果が大きかった。でも、シオヤさんだって満足しているわけじゃない。なぜですか?」
私の問いかけにシオヤはニヤリと笑った。そして、他からは誰からもなんの反応もない。私はシオヤの方へ顔を向ける。
「シオヤさん、今回の処理で例外処理は全部なくなりましたか?」
「いや、そうじゃない。セキュリティIDの処理が存在する以上は必要な所がある。まあ、処理の本当に奥深い部分だけだ。」
やはりそうだ。私の懸念は払拭できていない。それは分室に行った頃から感じていたことだ。
「ですよね。そこには手を出さなかった。」
「そこを修正するならセキュリティIDに関わるものを全て入れ替えて、さらに暗号化の解読方法は全部やり直しが必要だ。厄介なことに、そこに高速化のキモがある。セキュリティIDの変遷を条件に必要な処理を判定しているから、セキュリティIDをその処理を切り離すには、作り直すべき部分があまりに多すぎる。高速化を一からやり直しだ。」
「そんな・・。」
メンバーの何人かから、ため息が漏れた。気まずい沈黙は今は必要ない。私はシオヤの認識を確認する。
「シオヤさん、あなたはセキュリティIDの割合を一定にする機能を外そうとしなかった。その理由はきっと私と同じですよね。」
「まあな。例外処理がある限りは外せない。」
「いや、ちょっと待って下さい。」
私とシオヤの間にユキが割り込んできた。
「例外処理を完全になくすまでは、さすがにやる必要はないんじゃないかしら。」
ユキが言うと、多くの者が無言で頷いた。シオヤはユキに顔を向ける。
「私だってそれをやりたいと言っているわけじゃない。ただ、ミヤマさんが心配しているのに隠しておく必要もないだろう。」
「でも、例外処理があるからと言って、問題があるわけじゃない。そうでしょう?」
今度はコオオルがシオヤに尋ねる。
「ああ、それはそうだ。ただ動けばいいってもんじゃないが、私にも常識はあるからな。例外処理を絶対になくすべきだと主張しているわけじゃない。そこの人と違ってな。」
「珍しいことをおっしゃる。」
ユキが思わず呟いた。『そこの人』と呼ばれた私は、メンバー全員に向かって言う。
「品質をあげて開発コストを下げる、言うのは簡単ですが、そんな魔法は年に何回もない。実際は出来合いのものを組み合わせて使うのが一番な場合が多いです。
でも、それを繰り返しているうちに中身のことを忘れてしまう。だから今回は良くなかったんでしょう。だから今こそ中身を見極める必要があると思うんです。」
「話が感傷的というか抽象的過ぎますな。」
シオヤの嫌味は、画面越しより直接の方が心地良いな、と私は感じた。続いてコオオルも再度口を出す。
「ミヤマさん、あなたがそんなこと言っていたら、本当にこのプロジェクトは崩壊しますよ。」
「そうです、私たちはどうしたらいいでしょう?」
「性能アップの要望が来てからの話ですよ。」
「そう、そうですよ。」
メンバーから様々な声が上がる。それでいいと私は思った。
「このままプロジェクトを終了すれば、これだけの体制は作れない。何かを開発しようにも人の順番待ちになります。でもですね。たぶん、このような危ない作りだと問題がどこかで発生すると思うんです。今つぶしておかないと。」
「完成度をどこまでかって話だが、納期との兼ね合いもある。」
コオオルはそう話を遮るが、私はすぐに言葉を返した。
「完成度の前に、最低限の保証の段階だと思っています。その担保を先延ばしにするのはよくない。未来の自分たちのためですね。将来はさらに時間に制限がある状態での対応になる。そんな中に放り込まれる人たち、たぶん今ここに揃っているメンバーの何人かでしょう。その人たちが気の毒です。たぶん私も含めて。」
「ほとんど予言だな。プロジェクトリーダーの言うことか。」
コオオルの声はだんだんと大きくなってきた。
「分かりづらい言い方ばかりになってすいません、でも、私は設計をもう少し見直すべきだと思うんです。その理由を頑張って言語化しようとしているだけです。」
「言語化して論理的になっていないなら、その話は破綻しているんじゃないか。システム開発においてはコストを誰が出すかだ。そして仕様を満たす。それだけで語るべきだろ。仕様以上のものは逆に問題が発生する場合もある。」
「仕様を満たす、つまりは障害の予見は諦めている前提ですよね。今回は性能を満たす要件に曖昧さがあると私は思っています。」
「発注者が求めているのは結果だけだ。必要以上の考慮は害にもなり得る。ミヤマさんの話にはそれが抜けている。」
やっぱりコオオルは少し感情的になっていた。珍しいことだ。それだけ私の意見に反対であって、それは至極当然のことだ。
「利用技術が間に合ってない状況、まだ未完成だと私は思っています。最終的にはこっちが近道かもしれない。」
「そういう議論じゃないでしょ。」
ダメな理由ばかりが上がり、何も議論が変わらない。結局は押し問答だ。しゃべり過ぎて冷静さが戻ったのか、コオオルはわずかな沈黙の後に言った。
「なんだかどっちが正義でどっちが悪かを議論しているみたいだな。たぶん終わりはない。ただなあ、ミヤマさん、それがあんたの正義なのか。」
「そういうことではないです。ただ、しっぺ返しが怖いだけなんですよ。」
コオオルの捉え方はこの業界では健全な考えだ。いや健全すぎる。一方で私は何を正しいと思っているか、ここにいるメンバーに説明できないでいた。
「ミヤマさん、ちょっとよく分からないんですが。」
そう言って立ち上がったのはナダイケだ。いつも通りの落ち着いた声で話を続ける。
「決まっている仕様よりも性能を上げたいという話なら、それは今言う話じゃないと思います。でも、今ミヤマさんが言いたいのは違うようだ。
例外処理をなくすべきか、それがアウトプットとどう連動するかまだ分からない。中身がいい悪いだと、シオヤさんの言う通り、非常に抽象的だ。中身の何がダメなのかを教えてほしいです。設計がスマートじゃなくても性能が満たされていれば、市場に出していい立派な商品のはずです。」
「分かりづらくてすいません。もう少し説明させて下さい。」
まず私はうまく説明できていないことを謝った。
「ぜひお願いします。先ほどの『性能を満たす要件の曖昧さ』ってなんのことですか?」
ナダイケがすぐに具体の質問をする。
「はい、内部的に非常に複雑になっていて、特定の入力条件で私たちが想定外のこと、つまり今の試験項目にはないけど、利用条件に存在するものが性能を大きく低下させたりする、そういうことが起こるだろうと思っています。」
「つまりは重大な事故が発生する、そういうことですね。約束にない使い方でなく、通常の利用で問題が発生すると?」
「ええ、その通りです。」
ナダイケは会議でよく話すタイプではない。言葉を選んで、短く発言するのを好んでいるようだ。そのナダイケがやや早口に発言を続けているせいか、他から声が上がらなかった。私とナダイケだけの会話になる。
「それは勘で言っているのですか?」
「いえ、経験からの統計的な予測とでも言うでしょうか。設計の完成度によって、後々起こる問題をある程度パターン化して予測したら、今回は重大な問題が起こるという結果になると考えています。」
「経験からそういう予想が立てられる、というのは分かります。では、その確証は何かありますか?」
ナダイケは論理的で現実的だった。それに、こんな場面でも困ったような顔をして話をする。私はその問いかけに丁寧に答えようと心がけた。
「過去の障害事例をいくつかお話しすることは出来ますが、確かな証拠はないです。ただ言えるのは、本質であるデータの入力で問題を残したまま、周辺の機能で性能を上げていること、それに処理条件が複雑である、この二点ですね。」
「それだと単純に心配性なだけにも聞こえますね。」
「ええ、でも今回で分かってきた限界が最初から見えていたら、違う道を進んでいたかもしれません。開発の最終段階で分かったから、私たちはこうして抜け道を探してきた。」
それに対するナダイケの答えは、私の想像と違うものだった。
「では、これから試験を集中的にやって合格すれば納得してもらえますか?」
「そうですね・・。試験の内容によるかと思います。試験をがんばるのと設計を見直すの両方やった方がいいと思っています。」
「そういう話なら分かります。」
ナダイケがそう言い終わった所で、今度はシオヤがしゃべり出した。
「少なくともブラックボックスを何も理解せずに使うのは恐怖だろうさ。分からないものの役割を、勝手にデータベースに押し付けていただけ。不安にならない方がどうかしている。」
きっと彼の中には自分の思う正しさがあるはずだ。だから、どういう意見なのかとても興味があった。しゃべり出したシオヤの口調、今はたぶん機嫌がいい。そして彼は思いつきを口にした。
「このシステム、モンキーテストしないか?」
「なんの意味が?」
コオオルは呆れ声だ。モンキーテストとは操作マニュアルや利用範囲を無視して、行き当たりばったりでシステムを動かすことだ。利用者が操作方法を間違えた時に重大な問題にならないか確認する意味はある。ただ、シオヤの提案している内容は違う。
「今まで想定していないテストパターンを思いつく限り試す、ミヤマさんの言うしっぺ返しが見つかるか、のテストさ。そうすることで設計で見直したい所も明確になったりするからな。」
「シオヤさん、あなたはとても論理的な方なのに、なんでそんなことを言い出すんですか?」
コオオルの呆れ声は嘆き声に変わってきた。一方のシオヤは不敵な笑みを浮かべる。どこか楽しんでいるようだった。
「まあ、まだすこしは時間があるんだ。他のメンバーは延命処理で手いっぱいだろう。ミヤマさんと私は手が空くからそれでやろう。」
するとテスト担当のナダイケが手を挙げた。
「待って下さい。それ、僕もやりますよ。検証用のツールはもう完成していて僕も動ける時間はある。」
議論の推移を見守っていたナナミが、ここで声を上げる。
「そうねえ。検証だけなら確かに全員でやる必要はないですから、二グループに分けて今週の計画を立ててみましょうか。たぶん計画上は破綻はしませんので。」
ナナミは微笑みながら言った。しばらく彼女は発言していなかったが、頭の中で人の割り振りを練っていたのかもしれない。ナナミの案は私を含め全メンバーに受け入れられて、新たな取り組みは始まった。
シオヤとナダイケ、そして私。その日の午後からモンキーテストは開始した。まずはシオヤと私でテスト用の入力データのパターンを考える。それをナダイケがどんどんと試験にかけていくやり方だ。
「ずいぶんとアクロバティックですな。」
私が作ったテストパターンを見たシオヤの第一声だ。私のはネットワークIDの変化が多彩になるよう考えたものだ。
「いや、シオヤさんのだってずいぶんと指定が細かいじゃないですか。入力順序の指定まで凝らなくてもいいんじゃないですか。」
シオヤが用意したテストパターンは、入力のタイミングが時系列で決められていて、その単位はミリ秒だった。
「いや、内部の処理でね。ぶつかったら待ち合わせに入るタイミングを狙っているんです。最初にこの三十六種類で試して、一番成績が悪い入力の時間間隔が分かったら、その数字を使って、こっちの三つの試験をやる。」
つまりは処理に時間がかかるパターンを競わせて、より処理が難しくなるテストパターンを見つけ出すつもりだ。
「なるほど。内部までよく知っているから考え方がいやらしいですね。いや、素晴らしい。」
「ははは。」
久しぶりに本社に来たせいだろうか、今日のシオヤはずっと機嫌がいい。
「でも、それ全然モンキーテストじゃないですよ。」
ナダイケの指摘は冷静だ。モンキーテストなら、全く知識のない者がわけも分からずに操作しても、問題が生じないのを確認する。つまり、狙いがあって作られたなら、モンキーテストじゃないと言いたいのだろう。
「猿の神さまみたいなテストパターンができそうですね。」
私は思わずつぶやいた。思ったことを言っただけなのに、それは冗談に聞こえたようだ。シオヤは上機嫌のままに私たちに言った。
「ははは。それは気にする所じゃない。ようはデータシステムが不安定になる急所を見つけるんだ。」
「ええ、そうですね。でも、ナダイケさん、こんな複雑な試験、大丈夫ですか。」
「やってみます。」
自信なさげな返信だったが、そこからナダイケが試験の準備を終えるのに時間はかからなかった。私のパターンはものの一時間、シオヤのパターンも夕方には試験結果が出る。もっともその頃には、シオヤは新たに四つのテストパターンをナダイケに渡していた。
気がつくと、すっかり夜になっていた。シオヤもまだ帰る様子はない。二、三日はこの周辺に宿を確保したそうだ。私たち三人は、いくつものテストを効率良く続ける。
「シオヤさんもナダイケさんも全く物好きですね。こんなことにずっと付き合ってくれて。」
感謝半分、呆れ半分で私が言うとシオヤは笑いながら答えた。
「こういう仕事も嫌いじゃない。」
その答えの後に続いて、ナダイケはため息を少しだけついた。
「僕の場合はですね。なんか罪滅ぼしみたいな気持ちにもなっているんです。もっと最初の頃から問題を見つけていれば良かったって。」
「何言っているんですか?」
そんな考え方では、いつか疲れて果ててしまうだろう。私は少し心配になった。
「いや、最初の頃に動きが怪しいと思ったことがあったんです。でも、別のプロジェクトも掛け持ちしてて、評価は後半から本腰入れればいいと思ってたもんですから。どうも、それが引っかかってまして。」
「しょうがないことですよね。やらなきゃいけないことが溜まっていたんでしょう。」
「でも、ですね。ナギさんが身体を壊したことに、多少なりとも責任がある気がしてまして・・。」
「しばらくはしっかり休んでもらってますから、もうすぐ復帰しますよ、きっと。」
実際のところ、ナギの現場に復帰はいつからだろう。以前と同じ状態で復帰できるんだろうか、私の中にそんな疑問がふとよぎった。
「なにしても考えすぎですよ。ナダイケさん。」
「そうですかね。」
「成功した時、自分の力を過信する人は多い。でももう一方で考えた方がいいのはね、失敗した時に自分の影響を大きく見積もり過ぎてないかってことです。一人が完全なら成り立つプロジェクトなんて、集団でやる必要はないものですから。」
ナダイケは少し驚いたように私を見る。いつも一言多いはずのシオヤは、こんな時にだけは何も言わずにいた。
それからも私たち三人の作業は延々と続く。シオヤが新たなデータセットを用意して、ナダイケが粛々とテストプログラムを合わせ込む。実際に処理を走らせて終了までの時間を測定する。その繰り返しが数日続いた。しかしシステムを作り直す理由は見つからなかった。
その週末、私はナギを訪ねた。元のデータリンクのリーダーだ。ナギの住まいは海の近くだった。最寄りの駅からナギの家までゆっくりと歩いて、この街の空気を楽しむ。
海か、いいな。心の休まらないことばかりだが、今、私は美しい場所にいる。美しい景色、今日は美しい天気だ。
「ご無沙汰しております。」
「ああ、ミヤマさん、ずいぶんと久しぶりだ。」
ナギが病院から自宅へ移ったのを知って連絡を入れた。そしてナギは、私の訪問を快く受け入れてくれたのだ。
「自宅療養は先月からですよね。」
「自宅療養というか、しばらく有給で休んでいるんです。身体はほとんど回復しているんですが、まだ自分の中では少し不安でして。」
ナギは物静かな男だ。シーズンオフの海が似合っている、顔を見て改めて私は思った。
「でも、思っていたよりお元気そうで良かったです。こちら、つまらないものですが。」
用意してきた見舞いの品を渡す。ナギは大事そうにそれを受け取った。
「ミヤマさんには、ご迷惑をかけてすいませんでした。データリンク、あのプロジェクトを担当しているそうで。」
「いえいえ。そちらの方はあまりご心配なく。」
病み上がりの人だ、面倒な話はなるべくしないと私は決めていた。ただ、彼に聞いておきたいことが一つだけあった。
この一週間の私たちのテストでは、何も新しい発見はない。私は自分なりに終わらせ方の整理をしておく必要があった。
自分はもっと前に進むべきか、今までに抱え込んだものだけで終わらせ方を決めるべきか。これ以上は、まわりにさらに大きな迷惑をかけるかもしれない。だけど、今のままではいけないという確信がなぜか私の中にはあった。
違う視線だったら、どう思うだろう、それで浮かんだ人物がナギだった。ナギもこのプロジェクトをやり抜こうとしたが、どこかでバランスを崩してしまった。もしナギならどういう判断をしたんだろう。私は何かヒントでも得たいと思っていた。少しでもいい、ナギの心の負担にならないようにうまく聞こう。
海が見える窓辺に通されて、そこで落ち着いて話を始めた。
「それにしても、よくおいで下さった。プロジェクトの話なら、もうリモートで対応できるくらいにはなっているのに。」
「ええ、最初に私が連絡した時もナギさんはそうおっしゃっていた。」
「会社に迷惑かけてしまって、さらにこんな所まで見舞いにこさせては、本当に申し訳なさすぎます。」
「実はこの街に前から来たかったんですよ。ナギさんが今、ここにいらっしゃるのを聞いて、まあ口実にさせてもらいました。あとで海沿いを散歩するつもりです。それが楽しみでして。」
「そうですか。それならいいんですが。」
今のプロジェクトの話をするのは、ナギに要らぬ心労をもたらすかもしれない。私たちはそれからしばらく昔話に花を咲かせた。ナギが入社したのは私の一年後で、共有する記憶が結構多い。
「若い頃のナギさんは、とてもよく笑っていましたね。」
「ええ、そうだったかもしれません。入社して数年は屈託がなかった。」
「最近は物静かな人という印象でした。」
「じつはね、笑わなくなったというか、笑えなくなったというか、理由はあるんです。」
「初耳ですね。どんな理由です?」
「仕事をたくさん任されるようになってからは、あまり笑わなくなった。笑ったら、笑った分だけ仕事がどんどん来ましたから。」
「どういうことです?」
「ライさんっていたでしょ。」
「ええ。覚えています。豪快な人だった。」
それはずいぶん前に引退した会社の大先輩だ。強引で、ウィルダイスとちょっと似た所があった。
「あの人に話しかけられた時に笑っていると、どんどん仕事を振られるんです。まだ余裕があるんだなって。それに気づいたのがきっかけです。」
そういえばライは、長い間ナギの上役だった。ナギは穏やかな口調で話を続ける。
「自分が悪いのか、いや自分のせいだけど悪いわけじゃない、なんて思うじゃないですか。では仕組みのせいなのか。他人のせいだけどその人が悪いわけじゃない、結局何が問題なのか分からなくなる、そんな感じでした。」
その気持ちはなんとなく分かった。日々穏やかに仕事をしたいだけなのに出来ない。解決するための特効薬などない。ではどうしたらいいんだろう。
そんな状態の人が身近にいたとしても、私は何も出来ることがない。こんな時に自分の無力さを感じる。せいぜいが人のために時間を使うことしか出来ないのだから。
「ところでナギさん、一つだけ聞いていいですか?」
「はい、なんです?」
「システム開発における成功ってなんだと思います?」
私はナギに聞いた。ここ数日、自分の中だけでは結論が出なかった。今の性能でプロジェクトを終わらせて良いか分からない。かといって今のナギに、込み入った内容まで話すわけにもいかないから、私はそんな聞き方をした。
「成功ですか?」
「ええ。」
「まあ、お金を出す人の利益をコストの範囲で最大化することだと思ってますよ。」
「それは真実でしょうが・・」
私が満足してないのを察してか、ナギはさらに話し続ける。
「もちろん作り方の話がありますね。効果を最大化だけを追求するか、使い回しが効くように作っておくか。後者でどこまで作り込むか、それにコストは見る必要があります。そうして作り込むのが正しいのであって、それを怠ったら悪なのかもしれませんね。でも、コストとのバランスは簡単じゃないから、白黒つくものじゃないと、システムを作る時にそんなことを考えていました。」
「なるほど。」
それも考え方の一つ、コオオルと似ているなと思った。他の人はどうだろうか。ふと頭の中でシオヤの声がした。
「私の定義は簡単だ。理解した上で作る。原理も理解しないで使うってのは論外だ。」
続いて別の声が頭の中で再生される。
「きちんと納期を守るのが絶対です。不完全であっても納得感のあるよう説明して、なんらかの代替案を出す。そういうことです。」
これはユキだろうか。もっといろんな人がいろんなことを言いそうだ。いろんな答えの一つ、それを私も持っている。私の責任、それだけのこと。だけど、それは私たちの責任とは限らない。私の心配が私たちの心配でないのと同じことだ。付き合わされる方はたまらない、かもしれない。全員が同じ勘違いをするとも限らない。
頭の中の声たちを遮るように、私は目の前のナギにまた話しかけた。
「ありがとうございました。もう少し考えてみますよ。」
まだ性能が上げられるし、上げるべきだ。私はその時、そう決心していた。
「そうでしたか。しっかり考えられたらいい。でも悩みすぎはよくないですよ。」
「はは、そうですね。でもナギさんは他人の心配よりはご自分の身体を気づかって下さい。そういえばナダイケさんが随分と心配してました。だいぶ元気だったと伝えておきます。」
ナダイケの名を聞いて、ナギの頬が緩んだように私には見えた。
「そうですか。私はもう大丈夫だと伝えておいて下さい。彼は心配性ですからね。」
「ええ、それにとても優秀なテスト担当です。」
「ええ、生真面目ですが、なのに優しすぎる所もある。何度も測定結果を私に見せて、細かく説明してくれてたんですが、それが私を精神的に追い込んだんじゃないかって気にしてたみたいです。」
「そうなんですか。」
「ユキさん達が気を使って、私を安心させるような連絡を定期的にくれてましてね。一度、病院からリモートで話したこともあるんです。その時ですね。ナダイケさんは自分が見えたら逆効果だ、顔を出さない方がいい、と言っていたそうです。ナダイケさんは正しい数字を教えてくれただけで、私の入院とは関係ないと伝言は頼んでおきましたがね。」
「それでですか。たぶんまだ気にしているんでしょう。」
「ええ、ミヤマさんからも伝えて下さい。測定結果がよくなかったのはナダイケさんのせいじゃないとね。むしろ丁寧に数字を扱ってくれていたので助かっていた。たまに感情丸出しのテスト担当に当たりますが、その時は厄介です。感情を込めて数字を説明されると、参ってしまうのが早くなる。」
「なるほど。」
「まあ、ナダイケさんには本人が負担に思わないように伝えて下さい。」
「はい、承知しました。」
そんなやりとりをした後で、私はナギの家を後にした。門を出ると潮風が私を包む。午後になって風が強まったようだ。駅に向かう道、私は海沿いに歩いて遠回りをする。海風を感じながら、私は次の行動について検討を始めた。
直訴してみるか。そう決めた後、私はこれからの手はずを頭の中で整理する。しなくてはいけないこと、その順序。ナギの家からの帰り道、私の考え事は続いた。




