分室での問題
月曜日の朝、少し遅めに来たがオフィスにはまだ誰もいなかった。私は屋上へ向かう。今日で二つの成果が分かる。ユキの方は改善だ。同じようなものを何個も見つければ性能は上がっていくが、その改善幅は小さくなり、やがてどこかで頭打ちになる。シオヤの方は作り直しに近く、その分難易度が高い。両方のアプローチをやっていくしかないか。
資料類を読み直しても、もう新たな発見はなさそうだ。あとやっておくべきことはないか。評価システムは完成しているし、二つのチームもちゃんと機能している。私にはまだ目指したいことはあるが、今はそういう状況ではない。ユキたちの常駐プロセス最適化と、シオヤによるID変更の見直しと、二つの進捗次第で私の次の行動は決めよう。
午前十時、進捗会では明暗が分かれていた。まずはユキが進捗を説明する。ユキたちの作業は順調で、常駐プロセスごとの最適化の変更はほぼ終わっていた。報告の最後にユキは性能評価の資料を見せる。
「あくまで途中経過ではありますが、性能については、同じデータセットを登録した時間は10パーセント上がりました。」
「よかったです。よく短い時間でここまで進めてくれました。」
「いえ。」
「ただ、まだ厳しい条件では時間内の登録が出来ないですね。」
それは分かっていたことだ。この修正だけで話が終わるはずはない。
「でも、嬉しい報告でした。ありがとうございました。」
ユキの説明が終わると次はシオヤの番だ。その時になって、私はここまでシオヤから嫌味の一つも出てないのに気づいた。嫌な予感がしたが、まずは状況を聞いてみる。
「では、シオヤさん側、進捗の共有をお願いできますか?」
「そうですな。」
その後のシオヤの説明は歯切れが悪かった。
「結局のところまだ終わらない。時間が足りなすぎるんだ。」
極めて曖昧な説明、まるでシオヤの意図が分からなかった。
「何か問題が発生しているのですか?」
「いや、単純に時間が足らないんだ。もう少しかかる。」
「あとどのくらい?」
「そんなの見通せた頃に終わっている。」
「そうですか・・。」
私はシオヤの思惑を読み取れなかった。その時、静かにナナミが口を挟む。
「今日の全体確認はここまでにしましょうか。」
全てが急にうまくいくはずはないと、達観しているようだ。昔からナナミにはそんな所があったが、年を重ねていよいよ包容力が増したか、常人を超えた境地なのかもしれない。そんなナナミを私は尊敬した。ただ、これで諦めるには早過ぎるので私は声をかける。
「シオヤさん、このあと個別ミーティングで詳しく教えてもらえませんか?」
「いや、説明しようにもまとまってない。申し訳ないがそれも数日待ってもらえないか?」
少なくとも数日かかるのか、私はシオヤの言葉の裏を想像してしまう。
「そうですか。分かりました。」
今は何も聞き出せそうにないので追求するのは止めて、会議はそこで終了となった。
「今日はユキさん達の勝ちでしたな。」
会議が終わり、インフラチームとの映像通信が切られる。皆が席を立ち出した時に、コオオルがユキに話しかけた。
「そんな、別に勝ち負けじゃないですから。」
ユキはそう答えながらも、表情は明るかった。
「そう言ったって、よく嫌味を言われていたじゃないですか。たまには勝ち誇った方がいい。」
コオオルの言葉にシオヤへの悪意は感じられなかった。単にユキに冗談を言いたいだけだろう。
「まあ、こういう時もないと気分が変わりませんから。」
会議室に残っているのはもう数名しかいない。ユキたちの状況をもう少し聞きたかったので、私も話しかける。
「シオヤさんの方は進捗があまりなかったので、ユキさん達から明るい話が聞けて良かったですよ。ありがとうございます。」
「いえ、ミヤマさんの発見があったからですよ。」
「いえいえ。まあ、そちらの進捗は心配なさそうですね。気になるのは改善の度合いですが、あとどのくらい性能が伸びるでしょうか。先ほどの10パーセントは変わらないですか?」
「明日にはもう少し正確に出せるとは思いますが、たぶん大きな変化はないかと思います。」
「そうですか。」
「後はシオヤさん達に期待ですな。今日は悔しかっただろうから、明日にも成果が出て威張りだすかもしれない。」
スポーツの試合結果を論評するかのように、気軽にコオオルが言った。
「それならいいんですけど。」
ふっとユキの顔つきが変わった。
「シオヤさん達、たぶん問題が発生しているんだと思います。あの数日待てっていうのは、お手上げな時にシオヤさんがよく言うやつですから。」
「そうなのかい?」
コオオルはそう言って、それから私と顔を見合わせた。少し離れた所にいたナナミは、私たちを見て黙って頷く。知っていたのだ。
「もし本当なら困った事態ですね。」
私が言うと、ユキも困り顔になって答える。
「ええ、残念ながらそうですね。三年ほど私もインフラチームでシオヤさんの部下でしたから、だいたい状況は想像できます。」
「そうですか。深刻な事態でないといいのですが。」
私はそう答えながらも、気になったことを口にする。
「お二人はあまり仲がよくないかと思っていたのですが、付き合いは長いのですね。」
「ええ、まあ。」
「どうでしょう? シオヤさん達は解決できると思います?」
「さあ・・、場合によるかと。なんとも言えないですが、踏ん張っては頂きたいですね。いつもみたいに嫌味がないと、なんだか心配です。」
ユキの言葉に対してのコオオルの反応は、私には意外だった。
「なんだかんだあっても、結局仲いいんだな。」
会議中にシオヤからユキへの小言がよく出るので、二人の仲が良いとは思っていなかった。だが、コオオルは違うようだ。
「別に仲がいいわけじゃないです。たまに、大きなプロジェクトが終わった後に話しこむことがあって、深い付き合いはそれくらい。それ以外、普段の関係は皆さんご存知のとおりです。」
そう言ってユキはまた笑った。そうした会話を聞きながら、シオヤたちがずっと問題を解決できないでいる未来を想像してしまった。何の成果もなく過ぎていく日数、それがもし一週間、いや二週間続いたら。私の中で悲観的な予想が膨らんでいく。
こんな心配をするくらいなら、直接確かめておいた方がいい。そう決めた私は妄想を振り切るように新しく行動を始める。状況を確認しよう。それにはシオヤの元へ向かうのが一番早い。私はその後の自分自身の予定を決めた。
その日の午後、久しぶりに車窓から緑を眺める。長距離移動はこの前の出張以来だ。今回の距離は電車で二時間ほどで、そこまでは遠くない。
海沿いの街、ここに分室があった。もともと本社があった建物で、今もここを何チームかが拠点としていた。シオヤたちインフラチームもそうだ。
しばらくこっちに泊まり込んでもいいな。私は午前のうちに一度自宅に戻って、宿泊の用意を整えていた。分室のある街は緑が多いし、海に近い。観光地でもないから、のんびりした雰囲気があった。
そんなことを考えて歩いていたら、目的地に到着した。私は分室の建物に入ると、受付でまずはシオヤに連絡を入れる。
「こんにちは。リモートばかりもなんなので、伺ってしまいました。」
「ミヤマさん、ですか。今どちらに?」
「一階の受付です。」
「突然ですな。あなたの行動は私にはちょっと予想しにくい。」
「すいません、ここの分室、景色が良さそうだったので、ずっと訪れる機会をうかがってたんです。」
「なるほど、やはりさっぱり分からない。まあ来たのなら仕方ない。ちょっとそこで待ってて下さい。すぐ行きます。」
何時間か待ちぼうけかと心配していたが、シオヤはぼやきながらも私を受け入れてくれた。
受付に現れたシオヤは、私の荷物に気づいてやや驚いたようだ。
「日帰りではないのですか?」
「いえ状況次第なもので、一応泊まれる用意もしてきただけです。」
「それは用意周到なことだ。まあこちらに付き合う気なら、それくらいの方がいいかもしれませんな。」
こころなしかシオヤは嬉しそうだ。そのまま私は会議室に通された。
数分でインフラチームのメンバーが何名か集まり、シオヤを中心に状況の説明が始まった。
すでにプログラムの書き直しは終わっている。ただし、テストすると性能が出ない。その原因が分からず進捗が止まっている状況だった。ネットミーティングでは黙っていたが、この状況ではシオヤはあっさり白状する。
「単体での試験結果はどれも良好。そして単体で処理したアウトプットと、全体試験でのアウトプットも途中までは完全に一致している。なのに全体試験の環境でだけ処理が止まってしまう、というわけです。」
「全く原因が分からない状況ですか?」
「ま、そうなります。今、全部のソースを見直していまして。粗探しは嫌いじゃないのでね。」
そこに若手が説明を追加する。
「他に手分けして何パターンかテストをやっているのですが、負荷が極端に少ない状況を除いて、ほぼ一定の割合で現れます。」
「ちなみにどんな現象か詳細は分かってますか?」
説明してくれた若手に私は聞いた。
「はい、登録作業が連続すると、急に登録が遅くなり、そこから数十回登録を続けると完全に処理が止まります。ただ何かエラーが出たりプログラムが落ちたりはせず、データシステム側の返答待ちになります。この時データシステム側には途中からなんのログもなく、データを途中から受け取っていないように見えます。」
「片方は返事がないと言い、もう片方はそもそも何も連絡がきてないと。」
「はい、そんな感じです。」
若手はそこから先は自信なさそうに言う。
「内部的にどういう順番で処理されるかをパターン分けしたのが、この資料です。相関は見つかりませんでした。入力するデータ種類でも、IDごとの割合でも割合は一定。原因はかなりベースに近い部分かもしれない、とは思ってますが。」
そう言って提示された資料は、かなり細かなものだった。私が理解できていない部分だ。この資料は後でしっかり見ることにしよう。
「なるほど。不具合箇所の特定が出来ない状態が続いているのですね。」
「これは人を信じられるかって話と同じですな。」
ふいにシオヤは言った。
「どちらを信じるか。私はこういう時、真実の状況証拠が揃っていない方を疑う。決定的な証拠を見つけるために。」
「なるほど。」
「自分で見ないと信じらないという人もいる。でも、南極の氷を実際に見たことがなくとも、地球が球体なのは信じてしまう。分かっているのは、何も信じなければ人の進化は今よりずっと遅い。でも、そういう選択をする場合もある。」
今はそんなことを議論するタイミングなんだろうか、よく分からなかった。
「状況証拠が揃っていてもいなくても、結局は理解する必要はありませんか?」
「いや、それはなんとも言えない。ただね、皆が信じているものは信じる。簡単に利用できるものは信じる。そんな多数決の話から入っても真実に近いとは限らない。」
シオヤがそんな話をしているのは、私を煙に巻こうとしているのかもしれない。
「で、システム的には状況証拠はどこまで揃っているんでしょう?」
「単に説明するのでは面白くない。実際に見てもらうのがいいでしょう。」
そこで会議は終わり、シオヤは私を別のフロアを連れ出した。その大きな画面にログ情報を映し出す。実際にプログラムを動かし、処理を途中で止めて、そこまでのログ情報をシオヤが解説する。それから処理を再開してまたキリの良い所で一時停止、その繰り返しだ。
しばらくして、ようやく問題の箇所に辿り着く。ログ情報ではなんの予兆もなくそこから情報が更新がされなくなる。やり方を変えれば停止する場所は多少変わるものの挙動は同じ。該当のプログラム、その時、保持している情報、なにも問題は見出せなかった。そうしているうちに、プログラムの中身が私にも明確になってくる。だが、それだけだ。原因究明は何も進まないまま、数時間がすぐに経つ。
「データベースのどこかに、極端に速度の遅い部分があるのかもしれない。それがランダムに当たるからこんな変化になる、かな。」
当てずっぽうに私が言った。
「データ集積側にどんな問題があれば、そういう動きになりますかね?」
「そんなの、分かったもんじゃない。」
シオヤが独り言のような返事をした後、考え直したように発言を修正をする。
「電子的にどこに格納されるかなんて、今のプログラムで制御できませんな。」
一応はプロジェクトリーダーの私に気を使ったのかもしれない。私は続けて質問をする。
「この環境は何か特別なんですか?」
「独自で構築したもんだからね。そこいらにはないよ。」
そこでなぜだかシオヤは胸を張った。原理を知らずに道具を使う、それを嫌う技術者は一定数いる。おそらくシオヤはそれが極端で、彼の場合は自分でも作れるものでないと使いたくないのだろう。そこまでくるとレベルの高い技術者のこだわりか、単に厄介な性格なのか、判別が難しい。
気がつけば、すっかり夜になっていた。今夜はこの街に泊まって、明日も分室に来よう。今から宿探しだ。その日はそこまでで、私は分室を後にした。
翌朝、まずは散歩を楽しんだ。宿から分室まで二十分もかからないので、あえて遠回りをする。かすかに潮の匂いがした。風向きのせいだろう。海岸に平行に伸びている道を歩いて距離を稼ぐ。緑が多く、太陽の光が波のさざめきを丁寧に演出している。悪くない散歩道だ。
私は歩きながら昨日分かった状況、シオヤたちの言葉を順に思い出していった。
・・全体試験の環境でだけ処理が止まってしまうんだ。
・・データシステム側の返答待ちになります。
彼らが行なっていたログによる調査、原因の手がかりは何も見つからなかった。最初の環境ではシステムは問題なく動いている。違いはなんだろう。元から正しく動いていないのに、その時に気づかなかった可能性がある。環境がどう変わっているか、そのあたりは、まだ詳しく聞いていなかったな。
気分のいい所を歩きながら考え事をするのが、私は好きだった。深刻なことでも、なぜか楽しい気分になってしまう。初めて歩く散歩道を十分に楽しむと、私は分室の建物に入った。
その日の調べごとをやっていると、やがてインフラチームのメンバーが出社してきた。ユキたちのチームより出社する時間が早いようだ。でも、コオオルがいないせいか、朝の動き出しが静かに感じる。
午前中にネットミーティングを開く。参加するのはコオオルとナナミ、それに私だけだ。
「すいませんが、今日もインフラチームにいるのでリンク側の進捗会はお願いします。」
「ああ問題ない、軽いもんさ。それよりそっちの状況はどうだい?」
コオオルはやや声をひそめて、探るように聞く。
「いや、まだ分かりません。」
現段階での正直な感想を、私は口にした。
「そうか・・、難航してそうだな。」
「まだ私も来たばかりで十分に把握していないかもしれませんが、状況はよくないです。」
「まあ、状況はずっとよくない。そういう意味では変わらんさ。」
コオオルらしい物言いに、私は少しだけ救われた気分になる。
「ところで、ユキさん達は順調ですか?」
私の方は明るい報告がないので、リンクチームの状況を聞いてみる。
「おそらくな。半日やそこいらしか経ってないのに、新しい話はないさ。ユキさんたちは作りに集中しているから、その邪魔をしないことが俺の仕事だ。」
そう言ってコオオルが笑う。その言葉に続けて、ナナミは真面目な顔で話してくれた。
「リンクチームでは、常駐プロセスとネットワークIDの相関をさらに深く調べています。しらみつぶしですね。ソースから辿るのはやっぱり難しくて、結局、端から値を計測してます。」
「どのくらいの時間がかかりそうですか?」
「たぶん二日くらいかと。計測だけに頼ってはいけないですが。」
そこでナナミが言葉を切る。意見を待たれているようだったので、私は思ったことを口にした。
「そのレベルなら端から計測するでいいと思います。ソース調査はあっさり三日以上になってもおかしくないので。」
「合理的な考え方だ、シオヤさんとは違いますな。」
コオオルが言う。どちらかといえば関心した口ぶりだった。
「どちらがいい、悪いはないですよ。役割的に私ならそうすると。ナギさんも似たような判断するでしょうが、偏り過ぎないようにバランスを取るのが難しいんでしょうね。」
「そうだな。なんにしても間に合わなければ意味がない。」
「そうですね。」
私は小さく頷いた。ネットミーティングを終えると窓の外を見る。この分室は本社より窓が小さいが、海が見えるのがいい、ぼんやりとそんなことを考えていた。
それから夕方まで、私はほぼ無言で過ごした。必要な調査はシオヤたちによって進行中だ。調査が終わるのを待つか、考慮漏れを探すか、私の出来ることはそれくらいだ。なので、調査しても何も出てこなかった場合に備えて作戦を練ることにした。
昨日得られた新しい情報を使って、もう少し深く考える。使える部分だけを残して既存システムを大胆に捨てる方法、その取捨選択と実現可能性についてだ。
夕方まで検討を続けたが、何も良い見通しが見つからない。高性能なデータ格納を実現している部分を切り離せないのだ。暗号翻訳の性能とリンクしていて、セキュリティIDの処理とどこかで結びついている。不可能ではないが、簡単に一か月くらいはかかってしまいそうだ。
私が考えあぐねていると、シオヤが会議に私を誘った。分室のインフラチームでは、毎日この時間に、各自の進捗報告をするのだそうだ。
会議を進行するのは若手だ。私はシオヤの横で黙って皆からの報告を聞く。
「今日も進捗なしか。残念だな。」
二班に分かれて実施していた調査結果が終わった後、シオヤはそうつぶやく。皆の視線がシオヤに向いた。
「ソースからの調査はどうだ? 私は何も掴めていないが、なにか分かったことはあるかい。」
「・・・いえ。」
「こちらも特にありません。」
プログラムを解読して原因を究明する班も別にあるが、誰からも反応はない。そしてそれと別に独立してシオヤが調査している。分室で今動いている全てだった。
「全く困ったものだ。ただ私もその困った集団の一人だからな。すっきりした頭で考えるのが一番大事だ。それで事態が好転することに期待しよう。」
シオヤの発言で察したのか、司会役の若手は議題を切り上げ、会議は終わりに向かう。
「それでは、あとは明日の予定だけ確認しておきましょう。」
ぽつぽつと各班から翌日の調査について報告がなされた。その間も、シオヤが何一つ嫌味を言わないのを私は不思議に思っていた。この分室はシオヤに近いメンバーだけなので、普段からそういうものだろうか。
「ここのメンバーにはあまり厳しく言わないんですね。」
シオヤだけに聞こえるような声で尋ねる。
「厳しく言えば成果が上がるわけじゃない。」
「それはそうでしょうね。」
「かと言って、優しく励ますのがいいわけでもないしな。」
「気のせいかユキさん達に接する時より優しい気がします。彼女にも同じようにしてやれば、きっと好かれますよ。」
以前からユキに対してシオヤは厳し過ぎる気がしていたので、私はそう言ってみた。
「ユキか。あいつも二年前までここにいた。本社に行ったんだから、あんまり優しくはしてやれない。彼女にとって、もう私たちは厳しい外海だからな。」
それはユキに対しての本音なのだろう。私がいることに慣れてきたせいか、シオヤから敬語はすっかりなくなっていた。
「この前、ユキさんからも聞きました。親心なんですね。」
「そんな上等なもんじゃない。遠慮がなくなっただけさ。」
「そういうものなんですか。」
やはり私は人間関係は苦手だ。こうした人情の機微は私には分からない。シオヤの心情を単純に理解しようとした私は配慮が足りないのだろう。だから、これ以上は二人の関係に触れるのは止めておく。
「何にせよ。事態はやっぱり深刻なままですね。」
「ああ、だいたいスタートが他のシステムを持ってきた組み合わせ。つぎはぎのシステムで、うまく行くはずないのさ。」
シオヤにいつもの毒舌が戻る。私には、そんなシオヤの方が心地良い。
「まあ、ここは踏ん張るしかないですから。つぎはぎシステムでも、それで成功したことだって、たくさんありますからね。」
「そりゃあそうだが、入り方を変えない限りは似たようなことは、何度も起こる。」
「その度に、この分室にお邪魔できるなら悪くはないですね。この辺は朝の散歩にちょうどいいですから。」
「まあ、いくらでも散歩してくれたらいい。」
そう言って私とシオヤは笑う。その夜、私が帰る時もシオヤは一人で分室に残っていた。
翌日も朝早くに宿を出た。分室の建物までたいした距離はなく、散歩を楽しむなら昨日のように回り道した方が良い。でも、その日は私はまっすぐに分室に向かうことにした。今朝は館内を回ってみようと思ったのだ。
建物に入ると、最初に最上階を目指す。中に入ってしまえば、ここはセキュリティが甘かった。この時間は屋上が閉鎖されていたので、私はそのまま最上階から順番に下ることにした。廊下と階段をあてもなく進む。
分室と言っても元は本社機能があった建物だ。今も大規模な設備を伴う開発はこちらがメインになっている。執務スペースに休憩所、工作室と実験室。昔とあまり変わっていないようだ。各フロアの配置図を見て、部屋ごとの機能を想像する。私はしばらく館内を彷徨った。
ふと壁に無造作に貼られた標識に目がいく。データセンターへの案内版だ。この建物の半分ほどはデータセンター、コンピューター類の機材が集積されて効率よく格納されているエリアになる。最近は、初期開発や研究名目では独自のデータセンターは縮小傾向だ。だがここは時代の流れに逆らって、まだそれなりの規模が現役のはずだ。私はそのままデータセンターへ歩を進める。おおよそデータセンターは出入りが何重にもブロックされているものだが、ここの場合は横開きのドアのロック一つだけだった。昨日シオヤからもらったカードで、あっさり入ることが出来た。
ラックによって形づくられた通路、なんのためのマシンか察しがつくものもある。右奥側の空きが多い一帯は、きっとシオヤたちのエリアだ。ラックの正面に貼ってあるマシンの名称から推定できる。そのあたりを私はゆっくりと眺めた。昨日動きを確認したマシンを何台か見つけた。
ラックの格納のされかたは一定のルールがある。重たいものは下側で、最下部は電源に関連したユニットにする。だが、そのあたりのラックは違った。おそらくシオヤたちが設置したのであろう。並び方に統一感がない。上から順にラック正面を眺めていく。そして一番下のマシンに、小さな赤ランプがついているのに気づいた。
「エラー表示はこまめに確認すべきです。」
誰もいないデータセンターで私はそうつぶやく。通路のわきによけてあったモニタとキーボードをエラーランプが光っているマシンに繋げて、異常ランプの原因を詳しく調べる。おそらくメモリ異常を示すランプで、マシンの内部から詳しく確認できるはずだ。
問題のあるメモリを調べながら、私はその影響に想像を巡らす。アクセスしたプログラムはなんの前触れもなく異常終了する。プログラムの問題ではないから、原因の追跡は厄介だ。そして、シオヤたちのプログラムも、この問題に巻き込まれている。プログラムを調べているだけでは見つからない問題、それが目の前にある。私はこの朝の幸運に感謝した。
「当然ミヤマさんもご存知だとは思うが、故障には三種類ある。『初期』『摩耗』、それに『偶発』。」
「ええ。」
シオヤが講釈を始めたのは、私の指摘したハード故障が間違いないことを確認した直後だった。
「『初期』は購入段階で発生する問題、『摩耗』は何年も使っているうちに起こっている問題だ。今回はどちらでもない『偶発』というやつだろう。つまりは不可抗力。」
なにかを誤魔化しているのかと思ったが、どうもシオヤはそんな様子ではない。この状況が楽しくてしかたない。だから、どうしても解説をしたい、そんな印象だった。分室に来てからシオヤのおかしな話に付き合うことが多いが、シオヤは本質的にそういう思考の持ち主だと、私もそろそろ理解してきた。
「最初は正常だったし、他に異常はない。これはどう考えても偶発的故障と言える。プログラム的に問題はなかった。ハードの故障をソフト面で検知できる場合もある、今回はそこにひっかかっていない。このハードは定期的な動作確認をオフ設定にしている。性能にムラが出る方が問題だったからね。」
「そうなんですか。そういう設定をする場合はありますよね。」
この設定はシオヤの作った環境だ。なんでも自分でやりたがるのが発見の遅れた原因とも言える。ただ、そうしないとシオヤは気持ちが入らないのだろう。人それぞれではあるが、今回は悪い方に影響が出てしまった。
「誰も知り得ないものをミヤマさんが偶然に、いや人並み外れた洞察力を持って見つけてくれたわけだ。」
つまりは偶発的だからしかたない、とシオヤの頭の中では完結したようだ。でもハードメーカーが推奨する設定をしておけば、大概のハードの問題は検知され通知される。その設定を変更したのなら、その担保はソフト側ですべきだろうと私は思ったが、その指摘はやめておく。それよりもプロジェクトを進めるのが先だ。
「それより直りますかね。ハードチェックに時間がかかるなら、とりあえず問題あるメモリだけ抜いてしまいましょうよ。」
「まあそうですな。再測定を急ぐとしよう。」
「原因不明の速度不足、これだといいんですが。」
「ハード不良が原因なら、私の頭の中と全てのつじつまが合う。まず間違いない。」
それからのシオヤの動きは早かった。予備のハードをどこから用意してデータセンターに設置、すぐに同じ実験を始めた。
その日の午後、私たちは昨日と同じ会議室に集合した。再測定の結果が早くも出たのだ。
「再測定の結果は良好ですね。やはりメモリ不良が原因か。」
私はシオヤが共有してくれた数字を確認しながら言う。
「スピードが一気に上がった。だがまあ、やることはまだある。壊れているマシンのメモリ交換もしなくてはならない。」
「もう試験環境に時間を使うのはやめましょうよ。シオヤさん達にはソフトをもっと極めてもらいたいですから。他に任せられる部分は任せましょう。」
「いやいや、それは難しい問題だ。サーバを自分で設定することになった時どうする? 誰も作れない。その原理も知らないんじゃは話にならない。」
こうした論争に興味はなかったが、一応言っておく。
「処理が増えたと思ったらバグは増えるもの。成長過程で出るものだから、止めたら意味がない。でも故障は話が違います。」
「それはそうですな。でも正しく使う前に、正しく理解しないといけないと私は思いますよ。」
私が明確に意見したせいか、久しぶりにシオヤの口調に敬語に戻った。
「まあブラックボックスが増えるのが嫌なのは分かりますが。今回は故障ですからね。まさかハード故障の検知もご自分で作る予定でしたか。」
「やってみたいとは前から思ってましたよ。」
「まさか。」
理解できないものは使わない、それがシオヤの考えのベースにある。そこで大きく作業効率が落ちているのは間違いなかった。
「全部で自分が最先端で一流でいられないでしょう。その人の能力の問題じゃなく効率が悪すぎる。ですから世の中に出ているもののレベルを見極めて、うまく使うしかないと思います。」
シオヤはやや驚いたように私の顔を見る。
「その見極めはしたつもりだったですがね。」
やや弱気にそう言ったので、私は慌てて自分の言葉を足す。
「何も信用できなくなって、身動きとれなくなるっていうのも困りますからね。確かに難しい問題です。」
「まあ、そうですな。」
たぶん余計なことを言ったのだろう。私は空気を変えようと前向きに話を続ける。
「なんにしても良かったですよ。問題がクリアできそうで。」
「ああ、ミヤマさんもここに来た意味があったと?」
「はは、そうですね。」
穏やかな空気が戻る。これで性能向上の上乗せが期待できるだろう。それにシオヤの思考、仲間に対する考え方が分かったのも良かった。何より単純に議論を楽しみたがるクセは、しっかり理解しておく必要がある。




