第3話 発掘合宿に行こう!《前編》
【主な登場人物】
三好 史寧
光葉大学文学部史学科教授
子供の頃から考古学を愛し、発掘現場近くに住み込むほどの発掘好き
発掘にすべてを捧げすぎて私生活がまるでダメな41歳の男
シャムス・アシャクール
光葉大学文学部史学科1年生
わけあって三好と暮らしている
幻の遊牧民族といわれる《アシャクール族》の18歳の少女
青柳 陽子
光葉大学文学部日本文学科2年生
オープンキャンパスで三好に一目惚れして下心全開で勉強会に入った
可愛いものとおしゃれが好きな、いまどきの大学生
茂木 渉
光葉大学院史学科宗教史専攻2年
三好の人柄に救われたことがあり敬愛している
真面目で控えめな性格だが、神話好きで研究には人一倍情熱がある勉強会リーダー
杉崎 かなめ
光葉大学院史学科日本史学専攻1年
長い黒髪が特徴的なナイスバディな美女
どことなく投げやりなところがあるが、歴史ロマンと三好のことは好きな様子
草壁 明彦
光葉大学政治経済学部国際政治学科2年
大学一偏差値が高い国政学科のエリートで本人もそれを自負している
発する言葉はどこか刺々しく口数も少ないが、それには理由があって……
榎田 想介
光葉大学社会学部社会学科2年
三好の授業がおもしろかったから、という理由だけで勉強会に来た陽キャ
人見知りせず一瞬で仲良くなれるスーパースキルを持っている
朝6時のJR辻堂駅はすでに人の流れがあった。改札を出て駅の高架から下の道路を見下ろすと、サーフボードを引っかけた自転車が海がある南へ向かっていくのが見える。朝から元気だな、とあくびを噛み殺しながら榎田は重い荷物を担ぎ直した。
飛騨高山への発掘合宿は、三好が運転する車で向かうことになっている。待ち合わせ場所はここ、JR辻堂駅だ。勉強会メンバーは埼玉県、東京都、神奈川県と家が散らばっている。電車でのアクセスや岐阜県高山市までのルートを考えるとこの駅が集合場所の最適解だった。
「そっちは南口」
ぼんやりしながら頭を掻いていたところに急に声がかかって榎田はピャッと身を竦めた。小さいが怒気の籠った低い声。恐る恐る振り返ると、そこにはすでに歩き始めている草壁の後ろ姿があった。
「あ、北口だっけ?オレ方向音痴でさ~」
小走りで追いかけながらへらへらと笑ってみせるも、草壁は榎田の方を見ることはなく、真っ直ぐ前だけを見つめて足を動かしている。階段を下って一般車のロータリーに入ると、わナンバーのハイエースが見えた。その隣で三好と茂木が手を振っている。
「おはようございまーす!」
榎田は元気よく声を張って両手をぶんぶんと振った。その横で、声の大きさにギョッとした草壁が顔を顰める。草壁は三好たちの元へ辿り着いてはじめて小さな声で挨拶をした。
「あれ?女子たちはまだですか?」
「もう来てるよ。コンビニに飲み物とかお菓子とか買いに行ってる」
荷物は後ろの方に積んじゃってね、と車を指差すと、三好は茂木と話の続きを始めた。ルートの確認をしているようだ。榎田と草壁は言われた通りに荷物を積む。大した作業でもないのですぐに手持ち無沙汰になった。
「発掘合宿楽しみだな。夏らしく、夜に花火とかしたいよな~」
草壁に話しかけてみるも返答はない。榎田は視線を青空に投げた。押しつぶされそうなくらいの湿気とじわじわと沸き立つ暑さに汗が額に滲む。
(たぶん、いや、絶対に嫌われてるよなぁ)
英語の本を読み始めた草壁を横目で見ながら一生懸命過去の言動を思い返してみる。
(オレなんか嫌われるようなことしたっけ?)
何も思い当たることがない。ぐだぐだ悩んでいる時間がもったいない。そして、面倒臭い。わからないなら聞けばいいのだ。そう思って話しかけようとしたところに女性陣が戻ってきた。
「あ、草壁くんと榎田くん来た。おはよー!」
青柳の手にはパンパンに膨らんだビニール袋が握られている。いつもの可愛らしいふわふわの服装ではなく、Tシャツにナイロンパンツという至ってシンプルなファッションだ。
「ぼーっと見てないで、早く荷物取りに来なさいよ」
ガサガサと音を立ててビニール袋を揺らしているのは杉崎だ。お腹が見えそうなくらい短いタンクトップに、日焼け対策なのかジップパーカーを羽織っている。いつも下ろしている長い黒髪はひとつに括られ、ラフなアップスタイルだ。
「かなめ、わたし全然重くないよ。それも持とうか?」
不思議そうな顔をしてそう言うシャムスもいつもよりラフな格好をしている。ショートパンツから伸びるランニングスパッツに包まれた長い脚が眩しい。バケットハットの隙間から緩く三つ編みにされた髪が覗いている。重くないと言ったが、その手にはペットボトル飲料が大量に入ったエコバッグがすでに3つもあった。
「こういうときは男を頼っていいんだよ、シャムス。ほら!さっさと来る!」
「あっ、はーい!持たせていただきまーす!」
榎田は弾かれたように駆け出して荷物を受け取った。シャムスが持っているエコバッグも受け取ってみたものの、あまりの重さに地面に落とすとシャムスに哀れみにもとれる優しげな視線を向けられた。
「想介の荷物も持とうか?」
「うっ、オレのメンツのためにこれだけは持たして……!」
涙目になりながら持てるだけの荷物を両手いっぱいに掴んで、手ぶらになった杉崎と青柳のあとに続く。荷物の大半はシャムスが持っているが、もうこの際気にしないことにした。
榎田は視線を上げて、自分の前を歩く3人を見つめる。シンプルながら女の子らしさを残した青柳。セクシーな雰囲気の杉崎。健康美が光るシャムス――それぞれをゆっくり眺めてから、榎田はぎゅっと目を閉じる。
(よし、今日も全員かわいい!最高!)
心の中で叫びながら、こっそりガッツポーズをした。
榎田がこの合宿への参加を決めたのは、実際に発掘をしてみたいという純粋な動機があったから――なのは間違いないが、もう一つ理由があった。それは、杉崎、青柳、シャムスとお近づきになりたい、というものだ。偶然にしてこの勉強会の女性陣はレベルが高い。3人ともそれぞれ魅力的だ。付き合いたい、なんて贅沢なことは言わない。ただ、おしゃべりをして、目の保養にして、あわよくば仲良くなりたいのだ。そんなことを悶々と考えて、榎田がほくそ笑んでいる間に出発の時刻になった。
「みんな乗ったね?それじゃあいくよ~!」
三好がバックミラーを覗き込んでそう言うと、よろしくお願いします!と皆の声が響いた。
「今回の発掘、実は僕の師匠からの紹介なんだ」
高速道路までの下道を走る間に、三好は今回の発掘合宿に至る経緯を話し始めた。発掘に飢えた三好が思いつきでやろうと言い始めたのではなく、引き合いがあったからこその発掘合宿だった。
「へえ!三好教授の師匠って、それだけですごそうっすね」
最後列に座る榎田が期待に目を輝かせて声を張る。師匠を肯定的に受け止められたことが嬉しくて、三好は、すごい人だよ、と得意げに胸を張った。
「今の時期は暑いしお盆もあるから発掘ボランティアさんがなかなか集まらなくてね。勉強会とみんなのことを話したら、若い力を貸してくれないかって頼まれたんだ」
「ああ、それでこんなにたくさんスポーツドリンク買ったんすね」
持ち上げることを諦めるほどの量が入ったエコバッグに視線を落として、榎田は苦笑いした。発掘をしたことがなくてもわかる。発掘は野外作業だ。暑い中で作業をすることに備えてのスポーツドリンクだったのだ。
「それで足りなかったら困るから粉末タイプも持ってきた」
「作ったスポドリ入れるタンクもあるよ~」
シャムスが指差した先で茂木が粉末の入った箱と折りたたみ式のタンクを掲げている。人数がいるとはいえ用意し過ぎでは、という榎田の心が見えていたかのように三好が口を開いた。
「熱中症との戦いだからね。用心し過ぎて損はないよ。あ、もちろん作業は気温に注意して安全第一でやるから安心してね」
確かに、備えは万全に越したことはない。なるほどね、と納得しながら榎田は己の両腕に残る痕を見た。重い荷物を持ったことでへこんで赤黒くなった皮膚の細胞たちは、未来の自分たちのための犠牲だったのだ。
「三好教授の師匠ってどんな人なんですか?」
「十河さんっていうんだけど、イヨゴテ神話の絵本をくれた人なんだ」
「へえ!ベェル・エルではイヨゴテの話が絵本になって親しまれているんですね!」
うっとりと溜め息を吐きながら、茂木は両手を組んで目を閉じている。
「向こうではおとぎ話のひとつだからね。日本でいうと桃太郎とか……いや、そこまでメジャーじゃないな」
考え込んで視線を上げ慌てて真正面に戻す。好きな話になると我を忘れがちになる自分の欠点を思い出して、三好はハンドルを握り直した。
「そうですね。力太郎とか天狗の羽うちわ、あたりでしょうか?」
「いや、逆にわかりにくいわ」
杉崎に突っ込まれても気にせず、じゃあ鉢担ぎ姫かな、と茂木は楽しそうにしている。大学院生ふたりの慣れ親しんだいつものやりとりを微笑ましく聞いてから三好が口を開く。
「十河さんとは今日会って夕食も一緒に食べる予定だから、気になることがあったらぜひいろいろ聞いてみて。きっとみんな十河さんのこと好きになると思うよ」
「そんなに魅力的な人なんですか?」
「うん。とっても素敵な人だよ」
榎田に問われて三好は自信満々に頷いた。三好がそんな風に語るとは、一体どんな人物なのか――皆それぞれに素敵な人を思い浮かべてみる。その中で、ススッと手が上がった。
「あの……ちなみに……女性だったりします……?」
ふるふると震えながら泣きそうな声で質問したのは青柳だった。三好が素敵な人と言う人物が女性だったらどうしよう、と言いたげなしわくちゃな顔だ。当の三好は、なぜそんな質問をされているのかわからず、バックミラーを見ながら首を傾げている。それに気づいたシャムスが呆れて半目になりながら代わりに口を開いた。
「わたしも会うの初めてだけど、60歳くらいのおじさんのはず。ね、三好」
だから大丈夫、とシャムスが青柳の肩を優しく叩く。いまだによくわかっていない三好は首を傾げたまま元気に頷いた。
「うん!会うのとっても楽しみだなぁ」
呑気に笑う三好を見てから、隣に座る杉崎と後ろの座席の榎田も複雑そうな顔をして青柳の肩にポンと手を置いた。助手席からは茂木が眉尻を下げて微笑んでくる。青柳はものすごく複雑な顔をしていた。
☼ ☼ ☼
「榎田くんと草壁くん、お菓子食べる?」
「飲み物、違うやつあるよ」
しばらく走ったところで二列目に座る青柳とシャムスが最後列を振り返った。出発前に行ったコンビニでお菓子類も大量に買っていたようだ。その手にはスナック菓子や飴、ストローを差すタイプのドリンクがあった。
「え〜!ありがとう♡プリッツと抹茶ラテもらってもいい?」
「はい、どうぞ〜」
笑顔全開で喜んで受け取る榎田とは逆に、草壁はふるふると首を横に振るだけで窓の外に視線を投げてしまった。青柳もシャムスも特段気にすることはなく、そのまま前に向き直って杉崎と3人でどのお菓子を食べるか談義に沸いている。
榎田は少しムッとした。単調な高速道路の旅を彩るお菓子やドリンクを、ただそこにいるだけでもありがたいくらい可愛い女子たちが勧めてくれる。僥倖でしかない状況なのにも関わらず、この反応の薄さは何なのだ、と――
(せめて会話をしろよな、会話を!)
一言物申そうと息を吸い込んだ途端、三好が、あ!と声を出した。
「そういえば、着替えはたくさん持ってきた?洗濯機は借りられることになってるけど、午前と午後で絶対に着替えるから、念のためね」
「一応持ってきてますけど、そんなに着替えるんすか?」
反射的にそう問うた榎田を、ものすごい勢いで振り向いた茂木と杉崎の視線が射抜く。2人のあまりの目力に固まっていると、茂木が地を這うような声を出した。
「それはもう、すんご〜く着替える」
「え……そ、そんなに……?」
顔を引き攣らせる榎田の隣で草壁も驚いているのか、目を見開いて生唾を飲み込む。
「陽子、ちゃんと眉ティント持ってきたわよね?」
「え、はい。言われたとおりに……」
「よかった……これで眉毛だけは守れるから、安心して」
杉崎に鬼気迫る顔で肩を掴まれた青柳も顔を強張らせた。
「え!どういうことなんですか!?怖いんですけど〜!」
そのやりとりを見ながら、ふと視線を横にずらすと、草壁が会話に耳を傾けている様子なのがわかった。今なら話ができるかもしれない。榎田は小さく咳払いをした。
「岐阜県って暑いって有名だし、発掘作業してると相当汗かくんだろうな。草壁はどのくらい持ってきたの?」
「一日二回着替えられる量」
「それじゃ足りなかったらどうする?もしそうなったらオレ結構多めに持ってきたから貸してあげるな」
「洗濯機借りるからいい」
草壁はぼそりとそう答えて、ぷいっと窓の方に向いてしまった。他人の服着るのとか嫌いなタイプ?と顔を覗き込んでみるが、それを拒むように手で制される。車酔いするから寝る、と一言残して、草壁は腕組みをして目を閉じてしまった。
(うーん……何だかなあ……賢そうで物静かで群れなくて、やっぱりオレとは正反対って感じ――)
どうしたものか、と頭をひねるも相手が寝てしまったのでは仕方がない。シートに深く座り、ブリーチした自分の髪と真逆の黒髪を見つめる。
(今までの人生、どんな人が相手でもだいたい仲良くなれたんだよなあ)
榎田は幼少期からの友人遍歴を思い返していた。優等生、スポーツマン、ヤンキー、オタク――同級生だけでなく、先生や顧問、近所のおじちゃんおばちゃん、老若男女様々な人間とすんなり仲良くなることができた。それが自分のスキルなのだと思っていた。新渡戸稲造の伝記を読んだときなんかは、きっと自分はいろんなジャンルの人間の橋渡しをするべく生まれたのだと確信した。
それなのに、草壁だけはどうにもうまくいかない。そもそも仲良くなるきっかけを作るための会話ができない。趣味を聞き出せたら、ある程度なんでも合わせられるのに――
朝が早かったこともあり、そのうち他のメンバーもひとり、またひとりと眠りに落ちていった。振動に身を任せ、静かな車内に響くタイヤが滑る音を聞きながら物思いに耽っていた榎田も、いつの間にか瞼を閉じていた。
☼ ☼ ☼
途中、休憩と遅めの朝食をとるために八ヶ岳パーキングエリアに車を停めた。食堂で蕎麦や豚丼を食べたあと、名物の八ヶ岳高原ミルクソフトを食べることになった。ウッドデッキでわいわいと会話しながら食べる他のメンバーから離れて、草壁はソフトクリームを食べずに八ヶ岳を眺めていた。真夏の八ヶ岳は深い緑に覆われている。
(気持ち悪い……)
車酔いを隠して食べたパンが精一杯で、ソフトクリームを食べる余裕などあるわけがない。車酔いをしたときは遠くを見たほうがいい、と昔誰かに言われたことを思い出して必死に遠くの山並みを見ていた。
「別にソフトクリーム食べなくても空気がおいしいよな~」
山の稜線を目で何度もなぞっているうちに横から声がした。疲れ切った顔でそちらを向くと元気いっぱいな様子の榎田がいた。明るく屈託のない笑顔を浮かべているその男からは後光が差しているようで、草壁はただでさえ疲れてくしゃくしゃな顔をさらにくしゃくしゃにした。
(今はほっといてくれ、陽キャ……!)
自分一人だけソフトクリームを食べていないのを見て、気を使って声をかけてきたことは理解できる。が、今は車酔いが酷くて誰かと向き合う余裕がないのだ。
「都会の喧騒から離れて自然の中にいるの最高だよな。もしかして草壁って山とか自然好きだったりする?」
「いや、別に……」
榎田が一歩詰めてきたと同時に草壁が一歩遠ざかる。
「トイレ寄ってから車に戻る」
そう呟くと、草壁は逃げるようにトイレへ歩いて行ってしまった。取り残された榎田はしばらくぽかんと草壁の後ろ姿を見送ってから深く溜め息を吐いた。
(今は静かに山見てたかったパターンだった……?いやでも、みんなから離れてるのほっとけないしな。仲良くなるのってこんなに難しかったっけ?)
額に手を当てて考え込んでいると背中に視線を感じて振り返る。そこにはゴミを捨てに来たシャムスが立っていた。
「オレ、嫌われてるっぽい?」
榎田がしょんぼりしながら自分自身を指差して尋ねると、シャムスは首を傾げて少し考えてから答えた。
「嫌いというより、話したくないって感じがする」
その返答に榎田はさらに肩を落とす。
「話したくないって、それ絶対嫌われてるじゃ〜ん」
目をしょぼしょぼさせて溜め息を吐くように言葉を漏らした。皆ソフトクリームを食べ終えて車に戻るというので、榎田は落ち込んで前屈みになった重心を一歩一歩前へとずらして歩み始める。見るからにしょんぼりした後ろ姿を見送りながら、シャムスはさらに首を傾げた。
「いや、だから話したくないだけ……日本語って難しいな」
ゴミを捨ててから、ゆっくりと歩く榎田を追いかけて隣に並んだ。
「どうしてそんなに明彦を気にかけるの?」
それを問われるとは心底思っていなかったようで、榎田は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。
「え、いや……馴染めてないのかなって思うと、気にならん?」
確かに、草壁は勉強会が始まってから数ヵ月経っても打ち解けた感じがない。メッセージアプリは交換してくれたものの、食事会に誘っても不参加。学内で会ったときも会話することなく軽い挨拶しかしない。草壁以外のメンバーは、大の仲良しまでいかなくても、ある程度はお互いのことを知っている――草壁だけが、ここに馴染めていなかった。
榎田に言われるまでそこまで気にかけていなかった自分が少し恥ずかしくなって、シャムスは視線を落とした。
(想介は、ひとりぼっちを心配する人なんだ)
いまだに肩を落としている榎田に、シャムスはまっすぐな視線を向ける。その瞳には尊敬に満ちていた。
「想介は優しいんだね」
まさか褒められるとは思っていなかった榎田は驚いたように目を見開く。が、次の瞬間にはデレデレと情けない笑みを浮かべていた。
「え〜?本当?そう思ってもらえて嬉しいな」
こくん、と頷くシャムスを見てさらに照れて頭を掻く。
「まぁ……優しいっていうか、ほっとけないだけなんだよ。チームの中でひとりでも馴染めてないやつがいると、気になっちゃうというか……」
頭を掻いていた手がゆっくりと下りて右腕を擦る。榎田の手が少し震えていることに気づいてシャムスは歩みを緩めた。
「腕、痛いの?」
「へ?」
「さすってるから……痛いんじゃないの?」
「いや……痛くはない、けど」
そう答えた次の瞬間、シャムスの手が伸びてきて榎田の腕にそっと触れた。
「ふぎゃ……ッ!」
変な悲鳴が榎田の口から飛び出る。目の保養にするだけで、自分側に踏み込んでくることはないと完全に油断していた存在にいきなり触られるなんて、とんだラブハプニングだ。肩を竦めてガチガチに固まっている榎田を見て、宝石のような紫色の瞳が優しく細められる。
「痛いときは、手を当てるといいんだよ。三好が昔やってくれた」
体温の高いシャムスの手のひらは、なんだかじんわりと筋肉を解していくような気がする。少しするとシャムスはパッと手を離した。
「痛い痛いの、とんでけ!」
そう言って思い切り振りかぶり、遠くに投げる真似をした。手にボールを持っていたらそれはもう相当な剛速球を投げられただろうフォームに、榎田の感情に浸っていた気持ちもいっしょに飛んでいった。
(なにこのパワー型の痛いの飛んでけ……ブンッて風切る音したんだけど……)
呆然とする榎田の耳に、遠くから青柳が呼ぶ声が聞こえてきた。満足げに投げ飛ばした方を見やってから、シャムスはキリッとした顔を向ける。
「痛いのなくなった?」
「えっ……うん、成層圏抜けて、宇宙行っちゃったと思う……」
その返答にシャムスはフンッと鼻を鳴らして嬉しそうにガッツポーズをした。素直に嬉しそうにしている様子がなんだかおもしろくて、榎田は思わず吹き出して笑った。
「あ、全然痛くないな!シャムスちゃんのおかげですんごく元気出た!」
わざとらしいほどにぶんぶんと腕を回す榎田を見て、シャムスはほっとした様子で肩の力を抜いた。
「想介のそういう優しいところ、いつかきっと明彦に伝わるよ」
ぎこちなく微笑むシャムスに瞠目してから、榎田はシャムスがしたようにガッツポーズをしてみせた。
「ありがとな、シャムス!」
☼ ☼ ☼
高山駅から少し離れたところにある民宿に到着したのは12時過ぎだった。車から荷物をおろして、綺麗に手入れされた庭木と生垣を左右に見ながら石張りの道を進むと、こじんまりした玄関が姿を現した。
「わ~!雰囲気ある!」
フロント前に並ぶ飛騨の調度品に青柳とシャムスが近づく。奥にもまだ空間があることに気づいて榎田が覗き込むとそこには囲炉裏があった。
「すげー!昔話の世界だ」
「そこは休憩室なので後でご自由にお使いくださいね」
ワクワクしながら、使わせていただきます!と元気よく返事をする榎田に、元気なこと、と女将は笑みを深めた。
「ここ、温泉もあるらしいよ」
「荷物置いたらすぐ見に行きましょう!」
杉崎と青柳が興奮気味に話していると、チェックインの手続きを終えた三好が招集をかけた。
予約しているのは3部屋。部屋割りは、杉崎・青柳・シャムスの女性部屋、茂木・草壁・榎田の男性部屋、そして三好の一人部屋だ。各自部屋に荷物を運び、買ってきた軽食を食べて、30分後にまたフロントに集まることになった。
女性陣は部屋に荷物を置くとすぐに温泉を見に行った。夜に入ることを楽しみにしながら戻ってくると座布団に腰を下ろす。
「さっきフロントでパンフいくつかもらってきたんですけど、ここから宮川朝市まで歩いて行けるらしいですよ」
青柳がテーブルの上にパンフレットを何枚か広げ、行く時間あるかな、と呟きながらそのうちの一枚を見せる。
「みやがわあさいち?」
「えーっと、マーケット!朝早くにマーケット見れるんだって」
「行ってみたい」
目をキラキラと輝かせるシャムスに体を寄せて一緒にパンフレットを覗きながら杉崎も同意する。
「いいね。発掘もいいけど、ちょっとは飛騨高山ならではの観光もしたいよね」
「ですよね〜!」
きゃっきゃと楽しく話している女性部屋とは対照的に、隣の男性部屋は少しギクシャクしていた。
(隣はなんか楽しそうにしてるなぁ)
茂木は隣から聞こえてくる会話を小耳に挟みつつ、目の前の光景に苦笑いしていた。部屋の隅に陣取った草壁がこちらに背を向けて黙々と荷物の整理をしている。そんな草壁に榎田が何か言いたげだ。タイミングを見ては一生懸命話しかけているのだが、草壁が短く返してしまうから会話になっていない。
仲良しグループの旅行ではなく、これはあくまで勉学のための合宿なのだから、打ち解けて楽しくやれと言うつもりは茂木にはない。のだが――草壁の無視があまりにも頑ななのと、榎田の感情が全部顔に出てしまうところを第三者として見ているのが大変疲れるのだ。一応人並みに気を使う性格の茂木からすると胃がキリキリしてくる。
「さっき言い忘れちゃったけど、洗面所とトイレは共同だからね」
ひょっこり顔を出した三好を見て、茂木が救いの神だと思ったのは言うまでもない。
(できれば僕、三好教授と同じ部屋がいい――!)
すっくと立ち上がり、競歩気味に茂木は三好に近づいた。
「三好教授はお隣の部屋なんですか?」
いつもの糸目がギラリと光ったような気がして、三好は謎の悪寒に襲われながら頭の上に疑問符をポコポコ浮かべる。
「うん。僕の部屋は一番狭い部屋で」
そこまで言ったところで駆け寄ってきた榎田に言葉を遮られた。
「一人部屋、ずるくないすか!」
長身というだけでも威圧感がある榎田の勢いに押されて、三好は後退る。
「僕と同じ部屋だとみんな気が抜けないでしょ?だから」
「そんなことないですけどね」
間髪入れずに聞こえてきた茂木の言葉に三好は、聞き間違いかな、という顔をした。気を取り直して口を開く。
「え、いや、年齢離れてるし、一応僕、教授だから……」
「全然気抜けますけどね」
また間髪入れずに返答した茂木を見て一拍。先ほどの言葉は聞き間違いではなかったのだと理解して、三好は焦りながら両手を顔の前で左右に振った。
「え?それは、それでどうかと思うけど!」
「もうこっちで一緒に雑魚寝しましょうや~!」
榎田にガッと肩を組まれ、グイグイと部屋の中に引き摺り込まれる。体格差と年齢差のせいで必死に抵抗しないと簡単に体を持っていかれそうだった。
「や、遠慮します!遠慮します……ッ!」
必死に抵抗する三好の声が響く部屋の中では、その騒がしさを完全に無視して草壁が黙々と自分のスペースを作っていた。
☼ ☼ ☼
「どうのうえいせき?」
建てられた石碑に書かれている文字を見て、榎田が声に出して読み上げる。歴史を感じさせる石碑の向こうには、一見何もない広い空間が広がっていた。
「これで、どうのそらって読むんだ」
三好が笑いながら訂正すると榎田から抗議にも似た、読めね〜という悔しそうな言葉が返ってきた。
一行は民宿を後にして堂之上遺跡の見学にやってきていた。広い公園のような空間には、よく見ると立札があちこちに建てられており、奥の方には教科書で見るような竪穴式住居が鎮座している。
遺跡がよく見える位置まで進むと、三好はくるりと振り向いて展示されている遺構を背に両手を広げた。
「この堂之上遺跡はとってもおもしろい特徴があるんだ。ここにある遺構を見て、何か気づくことはあるかい?」
「このだだっ広いところに、おもしろい特徴が……?」
「陽子、心の声出てるわよ」
セリフとは違い、案外一生懸命特徴を探そうとしている青柳を先頭に、もっとよく見てみようとメンバーは遺跡の傍に近づいていく。
「形、ですかね」
ポツリと草壁が呟いたのを三好は聞き逃さなかった。
「えっ!草壁くん、何て!?」
「……この、石が並べてある遺構の形が、いろんな形をしています」
「本当だ〜!こっちは丸だけど、あっちは五角形みたいな形してる!」
草壁が指差す石の形に青柳が感嘆の声を上げる。辺りを見回してみると、確かに石で作られた様々な形の輪のようなものが点在していた。
「大正解!これは住居の土台跡なんだけど、堂之上遺跡はいろんな形の住居跡が見られるっていうおもしろい特徴があるんだ」
「昔の人も自分なりに個性的な家作りたかったんすかね?」
「そういう人もいたかもしれないけど、この形の違いは時代の違いや伝承経路の違いもあるんだよ」
堂之上遺跡には合計43棟の竪穴式住居跡が確認されている。土台跡が方形、円形、楕円形、五角形などの様々な形を成しているのは、時代だけでなく、その建設方法の伝承元が違う、という理由があった。違いがあるのは住居跡だけではない。煮炊きするために重要な炉や、出土した土器にも大きな特徴がある、と三好が続ける。
「伝承経路の違い?」
「技術の伝達があったってことですね」
首を傾げる榎田の隣で、顎に手をやって感慨深そうに茂木が頷く。
「そうなんだ。初期の住居には地面に直接作った炉、地床炉が多いんだけど、中期になると複式炉や石囲炉が出てくる。地床炉は信州方面でよく見られる炉で、複式炉や石囲炉は北陸や関西方面の炉なんだ」
「この場所に、いろんな地方の知識が集まってきてた、ってことですか?」
青柳の言葉に、メンバーの目が輝くのを感じて、三好もまた目を輝かせて頷いた。
「その通り!土器も、関東の押型文土器、北陸の葉脈状文土器、信州の神之木式土器、関西の里木Ⅱ式土器が出土しているんだよ」
土器は後で見に行けるからね、という三好の補足を聞きながら、メンバーは考え込み始めた。
「どうしてここにいろんな知識が集まったんだろう……」
「知識が集まるってことは、ここが昔の首都みたいな感じだった、とか?」
青柳と榎田が自分の中にある知恵を搾り出そうと首を捻る。
「いやいや、縄文とか弥生時代に首都を築くほどの国意識があったとは思えないけど」
「でも集落は作ってましたよね?」
杉崎の冷めた見解に茂木がにこにこと意見を挟む。
「いいね。古のことを考える、まさに考古学だ」
ただの平地を前に、若者たちが真剣な顔で意見を交換しあっている。今の時代、判明している正解は調べればいくらでも出てくるものだ。それでも、目で見て肌で感じて、自分ごととして考えてみることこそが考古学の醍醐味だと三好は考えている。だからこそ、目の前でそれを実践している学生たちの姿が愛しくて仕方なかった。
「日本を、半分に折る」
今まで黙って考えていたシャムスが突拍子もないことを言い始めた。メンバーたちの視線が一斉に集まる。
「え?どういうこと……?」
「だから、日本をこう、半分に折る」
訝しむ青柳の前で、シャムスは何度も本を閉じるようなジェスチャーをしてみせた。
「……あ!そういうこと!」
それを見て杉崎がポンと手を打った。
「地理的に見て、ここは日本のほぼ中央。だから、文化交流のハブ地になった」
「あとは、これも影響してるんじゃないかな?」
そう言って茂木がスマホの画面を皆に見せる。そこには高山市周辺の地図が映し出されていた。堂之上遺跡がある土地を挟むようにして、東に飛騨川、西に八尺川が流れている。
「人類は、川の近くで発展する」
草壁が納得したように呟いたのを聞いて茂木は満足げに頷く。
「そう。世界中の多くの文明が川の近くで発展してきた。東西南北に流れるこの川沿いに人の流れがあったとしたら……」
「知識や技術、文化がここに集まってもおかしくない……!」
青柳が興奮気味に茂木を指差す。それに合わせて茂木も青柳を指差してニッコリ笑った。
「初期、中期で違う知識が伝わってきたってところもおもしろいわよね。きっと知識の有用性や人口の多い少ないが影響してるはず」
「トレンドの入れ替わり、激しかったりしそうっすね」
杉崎の言葉を聞いて榎田が笑いながら言ったことがあまりにも現代人で三好もつられて笑ってしまった。
「日本の縄文時代と400年代の西アジアは時代も場所も離れているけど、交通の要所という点ではアンクレナイ遺跡とも共通するところがあると思ってるんだ。今少し触れてみただけでも、考古学ってやっぱりおもしろいでしょう?」
遺跡公園内を散策してから、出土したものが展示されているという久々野歴史民俗資料館へと移動した。人気のない館内で展示物を見ていると、よく響く太い声が聞こえてきた。
「おう、よく来たな!」
近づいてきたのは年配ながらも熊のようなどっしりとした体躯を持った男だった。髪からもみあげ、顎髭が一体になった立派な髭面で、山男のような風体だ。年齢は60代前半といったところだろうか――
「十河さん!お久し振りです!」
三好が嬉しそうに歩み寄ったその人こそ、三好の師匠である十河孝範だった。学芸員として長らく様々な公的機関で活躍していた考古学者だ。現在は第一線を退いているが、高山市から依頼されて発掘調査に協力している。
「十河さんはアルケーの前身の青年ボランティア団体にいた方で、僕にアルケーの代表を紹介してくれた人でもあるんだ」
「そもそもはフミがガキだった頃、近所に住んでたことが縁でな。俺が考古学の道に引きずり込んだと言っても過言じゃあない」
「そのときにイヨゴテの神話の絵本をプレゼントしてくれたんだよ」
絵本のエピソードは聞いていたが、本人を前にするとこの豪快な熊男と絵本がどうにも結びつかない。皆それを顔に出していたようで、それに気づいた十河はガハハと笑った。
「絵本を買ってきそうなやつには見えないもんな!」
十河の人となりがなんとなくわかったところで、皆それぞれ軽く自己紹介と挨拶を済ませた。
「今回手伝ってほしい発掘現場は山を越えた高山駅の方なんだ。宿も高山駅の方だっけか。明日からどっぷり発掘になるし、今日は観光地に行っておいたらどうだ?」
観光地と聞いて青柳の耳がぴくりと動いた。
「観光地!十河さんのおすすめの観光地ありますか!?」
「ダメです」
顔を輝かせて十河に迫る青柳の言葉を遮るように三好がピシャリと言い放った。発掘は明日からだ。まだ昼過ぎの今の時間からなら少しくらい観光地を巡っても問題はないはず――そう思っていた2年生組が目をぱちくりさせる。
「十河さん並みの体力があるならいいけど、この時間から観光地回ってたら明日体力持たないから、ダメです」
「ああ、発掘初体験が3人もいるんだったな。じゃあ、今日はこの資料館だけで我慢してくれ」
その口ぶりから発掘がいかに舐めてかかってはいけない作業なのかが伝わってくる。発掘経験者の茂木と杉崎がその通りといった顔をしているのを見て、2年生組はその過酷さを理解した。
十河が申し訳なさそうに頭を掻きながら資料館の中を案内し始めた。土器が並ぶゾーンに差し掛かると十河は少年のようなワクワクした顔をして振り向いた。
「さて諸君、土器を作るのに必要なものは何かわかるか?」
突然質問されたこともそうだが、質問するまでもない内容に大学生たちは顔を見合わせる。
「土器だから、やっぱり土ですよね?」
「そうだな。まずは粘土が必要だ。そのあとは?」
「え、そのあと……?」
シャムスが知っている知識をそのまま答えるも、次いで新たな質問が降ってきた。土器は粘土で作られた素焼きの器だ。粘土を用意したあとは焼くことになる。その流れを頭の中でなぞっていたのか、焼くことに行き着いただろう榎田がバッと手をあげた。
「あ!焼くために木とか燃料が必要です!」
「そう!このあたりは山に囲まれていて木が豊富にとれたはずだ。集落を作るにも土器を作るにもちょうどいい場所だったってことだな」
小学生レベルのことを聞いて悪かったな、と十河が笑う。
「じゃあこの土器たちは、あの山に生えていた木があったおかげで生まれてきたんですね。なんだかちょっと身近に感じるかも」
そう言いながら土器を眺めていた青柳がふっと顔を上げて別の土器を見つめる。何度か見比べて眉間に皺を寄せた。
「嬢ちゃん、何か気になることがあるのか?」
「いえ……こっちの土器とあっちの土器、黒くなってるところが違うなぁと思って」
大したことじゃないかもしれないんですけど、と苦笑する青柳の肩を十河はバチーンと叩いた。
「着眼点が素晴らしい!嬢ちゃん、考古学のセンスがあるぞお!」
想像以上の力に声が出ないまましゃがみ込む青柳に、シャムスと茂木が慌てて駆け寄る。そんなことはお構いなしに十河は楽しげに話し出した。
「これは焼き方が違うんだ。さっきも言った通り、土器を焼くには木が必要だ。でも、人口が増えて土器がたくさん必要になったらどうなる!草壁!」
「っ!……木が、足りなくなります」
質問の終わりにいきなり指を差された草壁がビクリと肩を揺らして答える。
「そう。そこで古代人は考えた。木が少なくても土器を焼ける方法はないか……」
「ほわー昔の人も結構サステナブルなこと考えてたんすねぇ」
十河は古代人になりきっているのか、大袈裟に腕組みをして考え込んでみせる。榎田も感心しながら隣で腕組みをした。
「木がなくなっちまったら死活問題だからな」
そういった背景もあり、薪を焚べてその中で焼く野焼きという方法から、薪の上に藁や粘土を被せて焼く覆い焼きという方法に変化していった。全体的に火が当たる野焼きでは全体的に焦げ目がつき、局所的に火が強くなる覆い焼きでは一部に焦げ目がつくのだ。青柳が気になった違いは、人類の進化の証だった。
青柳は誇らしい気持ちになりつつも、頭の中に浮かんだ純粋な疑問を口にする。
「へえ……でも、そういうのってどうやってわかるんですか?遺跡から出てきたものを見てるだけじゃわかりませんよね?」
「実際にやってみたのさ。古代人の気持ちになってな」
至極当たり前といった風な十河の言葉に皆、目を見張る。
「やってみた?」
「そう、実際にやってみる。それが俺が力を入れてやってきた実験考古学だ」
ちょっと待ってな、と言って十河は関係者以外立ち入り禁止のドアの奥へ消えていった。しばらくして戻ってくると、その手にはスクラップブックが抱えられていた。
「これが実際に土器を焼いてみた実験の様子だ」
開かれたページには、組んだ薪がキャンプファイヤーのように燃えている写真や焼き上がり並べられている土器の写真が貼られ、焼き時間やその温度のメモがびっしり書かれている。
「十河さん、土器作ったんですか!?」
「おうよ。これでも手先が器用なんだぜ」
意外です、と皆に笑われて口を尖らせる十河を見て、三好は嬉しそうに微笑んでいた。
――きっとみんな十河さんのこと好きになると思うよ。
(やっぱり、みんな十河さんのこと好きになってる。十河さんは何歳になっても、本当にかっこいい考古学者だ)
「実験考古学すごいおもしろいじゃないですか!なんでもっと有名にならないんですかね」
スクラップブックを真剣に見ていた榎田ががっかりした声を出す。他の面々もその意見に賛成のようで各々頷いている。
「おもしろいだろ!でもなあ、必ずしも過去と今が同じ条件や状況じゃねえから、実験が成功しても絶対の証明にはならないんだよ」
「可能性の域からいつまでも出られないんですね……」
茂木が眉尻を下げて心底残念そうな顔をする。十河も寂しそうな顔で笑っていた。可能性の域を出ないとしても、当時の人に心を寄せる血の通った学びであることに変わりない。まったく思い入れのなかった自分もこんなにワクワクしたのだ、と青柳は握り拳を作った。
「それでも、昔の人と同じ気持ちになれて楽しそうです!」
「おお、嬢ちゃん!うれしいこと言ってくれるなあ!夜にもっとたくさん話聞かせてやるからな!」
「ウ……ッ!」
先ほど叩かれたところを再度思い切り叩かれ、青柳は床に崩れ落ちた。
☼ ☼ ☼
夜は民宿の食事処で交流会という名の飲み会が開かれた。勉強会メンバーと十河の他に、十河の発掘を補佐している高山市職員の久慈直生が参加することになっていた。
十河さんの知り合いなんだったら、と民宿の料理人が腕によりをかけた料理が並ぶ。飛騨牛のステーキや焼き鮎、豚肉の朴葉味噌焼きに加えて地酒も振る舞われた。三好はアルコールがあまり得意ではないようで、久慈に勧められるままに飲んだものの、顔を真っ赤にしてグラグラしている。対して、パカパカとグラスを空けているのは茂木だ。酒豪の十河も驚くほどの飲みっぷりだった。
「宗教には食べたらいけないものとかあるけど、シャムスはなんでも食べてるよね?牛も豚も大丈夫なの?」
口いっぱいに料理を詰め込んでもぐもぐ食べているシャムスを見て、青柳がふと思いついて疑問を投げかける。
「アシャクールには食べたらいけないものないの」
「谷には入ったらいけないって厳しいのにね」
「意外と緩いんだなあ」
杉崎と榎田にそう言われて、シャムスは食べる手を止めて少し考え込む素振りを見せた。
「……やっぱり、そう思うのか」
シャムスが小さく零した言葉は誰に届くこともなく、声を張り上げた久慈の言葉に掻き消された。
「私は!十河先生のことを、心から尊敬しております!いつも本当に、ありがとうございます!」
かなり酔っているようで、久慈も三好に負けず劣らず真っ赤な顔だ。フラフラになりながら敬礼している久慈をどうにか座らせようと十河がその両肩を押さえつけている。
「わかったって久慈くん!声がでけえんだよ、お前は!」
「十河さんも声大きいです。でも、尊敬する気持ち、僕もわかりますよ〜」
同じく酔っ払いの三好がへらへらと笑いながら同意すると、久慈はワッと泣き出した。
「明日から手伝っていただく発掘現場は、新しい防災倉庫の建設予定地だったんですう」
ぐずぐず泣きながら椅子に腰を下ろす。手元にあった割り箸の袋で周りの人を指しながら斜めにズレた眼鏡も気にせず語り出した。
「私だってせっかくなら現状保存をしたいところなんです!でも、防災倉庫って性格上、市民の皆さんのためにも着工を遅らせるわけにはいかなくて……ッ、それなのに!お盆の時期でボランティアスタッフが集まらなくて困ってたんですよお〜」
話しながらまた感極まってきたのか時折鼻を啜り、言葉に詰まる。見るに見かねて女将さんが箱ティッシュを持ってきてくれた。
「そんなときに、十河先生の教え子さんたちが来てくれるっていうじゃないですかあ!もう、少しでも早く発掘作業を終えられたら、万々歳なんです!本当にありがとうございます!皆さん、過酷かと思いますが……頑張って……!」
大袈裟ですよ、と笑っている青柳と榎田、そして若干酔っ払いに引いて蔑むような目をしている草壁を見ながら、十河、三好、茂木、杉崎はにこにこしていた。皆の心はひとつだ。
(大袈裟では、ないんだよな――)
「もし着工日に間に合わなかったら、遺跡ってどうなっちゃうんですか?」
酔ったことと泣いたことで眠ってしまった久慈にブランケットをかけてから戻ってきた青柳が疑問を口にする。先ほど久慈が言っていたことが気になっていた。
「業者によっては黙って埋め戻されちまうこともあるな。土器が出てきてもザクザク壊して土に混ぜて、そのまま基礎工事だ」
昼間に資料館で見た土器たちが心なく壊されていく様子が思い浮かんで青柳は胸が苦しくなった。古代人たちが悲しんでいるような気さえした。
「僕ら考古学をやってる人間からしたら、わぁ!出た!だけど、建設会社の人からしたら、うわぁ出ちゃった……なんですよね」
「そんな……歴史的に大切なものなのに」
「まあ、建設会社の人たちも生活かかってるからね。過去より今が大事なこともあるよ」
茂木が話す現実に青柳は悲しげな声を上げた。そこに少しむすっとした杉崎の声が重なる。茂木が肩を竦めて苦笑いをした。
「日本は山岳が多いし、今の人が住もうと思う場所は大体昔の人が住んでいたところだからね。それを避けて、なんてことはできない」
難しい問題だね、と呟くとグラスを煽って酒を飲み干す。顔色ひとつ変えない茂木の足元には何本も一升瓶が並んでいた。
食事も落ち着いてそれぞれが話し込んでいる中、トイレから戻ってきた三好は草壁がひとりでスマホをいじっていることに気づいた。
(草壁くん、物静かな子なんだと思ってたけど、馴染めてないだけなのかな……)
下を向いてスマホをスワイプしている姿が、幼い頃の自分と重なって見えた。小学校二年生の三好は転校生だったこともあり、友達ができずひとりぼっちだった。遊び相手がいなかったため、いつも家の前の道路で蟻を眺めたり、地面に枝で絵を描いたりして過ごしていたものだ。
――――――
「絵描くの、楽しいか?」
描いていた絵に影が落ちる。誰かと話すこと自体が久し振りだった三好は、話しかけられたことに気づくまで少し時間がかかった。顔を上げてみるも逆光で相手がよく見えない。
「……だれ?」
「近所に住んでる十河さんだ」
そごう、という響きを聞いたことがなかった。三好は眉を顰めて警戒心満々で見つめ返す。
「知らない人とは口きいたらいけないっていわれてるので」
「おいおい、今の子供はかわいげがないな」
無視を決め込み、描いていた絵の続きを描き始める。十河はしばらく三好のやっていることを眺めてからもう一度話しかけた。
「暇そうだな?じいさんとばあさんは?」
「今日はおじいちゃんの病院」
知らない人とは口をきいたらいけない、と言いつつもしっかり答えてくれる三好に十河はニヤッと笑った。年齢より少し大人びた印象で受け答えもしっかりしているが、その姿が少し無理をしているように十河の目には映っていた。いつも見るたびにひとりきりで家の周りをうろうろしている子供だった。家の中にもいられないし、かといって友達と遊ぶこともできないようだった。
「じゃあ、おじさんが絵本をやろう」
「知らない人から物をもらったらいけないんだよ」
「いいからもらっとけよ」
渋々受け取った本は三好が見たことのない文字が並んでいた。
「なにこれ、読めない」
「日本語じゃないからな。おじさんも今勉強中なんだ」
知らない人からもらった本が読めない言語だったことに加えて、渡してきた本人も勉強中とは――三好は心底がっかりした顔をした。が、目線を合わせてきた十河があまりに明るく楽しそうに笑うので絵本を突っ返すことができなくなった。
「読めるようになるまで、これから毎日おじさんと勉強しようぜ!」
これから、毎日――無意味に蟻を見ることも、描き飽きた絵を描くこともしなくていい。これから毎日やるべきことができたのだ。
三好は小さな両手で絵本をぎゅっと抱き締めた。構ってもらえたことが嬉しかった。誰かが自分を見ているという事実が嬉しかった。
放っておかれるよりも、気にかけてもらえる方がいい。たとえ、それがおせっかいだってーー
――――――
「草壁くん、ごはんたくさん食べれた?」
草壁の隣に椅子を運ぶと三好は無遠慮にそこに座った。
「え、あ、はい……」
心底驚いたようで、草壁はビクビクしながら探るように三好を見つめている。テーブルの上を見る限り、草壁自身の食事は綺麗に平らげてあった。
(パーキングエリアでも遺跡に行く前もちょっとしか食べてなかったけど、食欲あるみたいでよかった……)
「よかった!明日からの発掘で体力使うからね。発掘、何か心配なこととかある?聞きたいことあったらなんでも聞いてね」
そう言って三好は静かに草壁を見つめた。少し待ってみると草壁がおずおずと口を開く。
「……あの、三好教授」
ん?と小首を傾げると、俯いていた草壁は唇をもごもごと動かしてから顔を上げた。
「アルケーの話を、聞きたいです」
初めて草壁の方から目を合わせてくれたことが嬉しくて三好は目を輝かせた。
(十河さんも、僕と初めて目が合ったとき、同じような気持ちだったのかもしれない)
見つめ合ったまま答えが返ってこないことで不安になったのか、草壁の眼球が揺らいでいた。視線から逃げてしまう前に、と三好は笑顔を向ける。
「草壁くんは、アルケーに興味があるんだね!どんな話が聞きたい?」
「どんな雰囲気なのか、とか、自分も関われるのか、とか」
「僕でわかることなら喜んで!」
草壁の目が、絵本を抱き締めた幼少期の自分と同じように輝いた気がした。
最後まで読んでくださってありがとうございます!
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