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第2話 ロマンと現実のはざまで

【主な登場人物】

 三好 史寧

 光葉大学文学部史学科教授

 子供の頃から考古学を愛し、発掘現場近くに住み込むほどの発掘好き

 発掘にすべてを捧げすぎて私生活がまるでダメな41歳の男


 シャムス・アシャクール

 光葉大学文学部史学科1年生

 わけあって三好と暮らしている

 幻の遊牧民族といわれる《アシャクール族》の18歳の少女


 青柳 陽子

 光葉大学文学部日本文学科2年生

 オープンキャンパスで三好に一目惚れして下心全開で勉強会に入った

 可愛いものとおしゃれが好きな、いまどきの大学生


 茂木 渉

 光葉大学院史学科宗教史専攻2年

 三好の人柄に救われたことがあり敬愛している

 真面目で控えめな性格だが、神話好きで研究には人一倍情熱がある勉強会リーダー


 杉崎 かなめ

 光葉大学院史学科日本史学専攻1年

 長い黒髪が特徴的なナイスバディな美女

 どことなく投げやりなところがあるが、歴史ロマンと三好のことは好きな様子


 草壁 明彦

 光葉大学政治経済学部国際政治学科2年

 大学一偏差値が高い国政学科のエリートで本人もそれを自負している

 発する言葉はどこか刺々しく口数も少ないが、それには理由があって……


 榎田 想介

 光葉大学社会学部社会学科2年

 三好の授業がおもしろかったから、という理由だけで勉強会に来た陽キャ

 人見知りせず一瞬で仲良くなれるスーパースキルを持っている




(授業だけだと教授職は意外と暇だ――)


 自身の研究は週末にまとめてやることにしている三好は、平日をもてあましていた。研究に必要な文献の翻訳はあらかた済んでしまったし、次の授業で使う予定の資料の準備も終わってしまった。ベェル・エルの言葉に触れたことで懐かしくなり、アルケーに電話でもしようかと思うも、6時間ほどある時差のために気軽に電話などできない。こちらではまったりと過ごせる午後でも、作業時間が朝夕に限られているあちらでは忙しい時間真っ最中だ。ちなみに、シャムスは他の大学一年生と同じく単位取得に忙しいため、日中はいっしょにいることはない。

 カチコチと進む秒針をぼんやり見ながらここ数週間のことを思い返す。暇をもてあます毎日の中で起きた唯一の変化――勉強会は、三好の中に新鮮な興奮をもたらしてくれていた。


(勉強会、明日だな)


 そう思うと、自然と口元が緩んでしまう。慌てて引き締めようとするが、部屋には自分しかいないということを思い出して、一変、思う存分にんまりした。

 もとから自分を慕ってくれていた茂木と杉崎が入ってくれたことはもちろん嬉しいし、新しく青柳、草壁、榎田と出会えたことも嬉しい。ひとりでも多く遺跡発掘に興味を持ってくれたら、テト煉瓦やアンクレナイ遺跡のことを知ってくれる人が増えたら、それだけで考古学者冥利に尽きるといえよう。

 次の勉強会では何を話そうか――そう考えながら手元に置いていたタンブラーを掴んで唇に当てる。少し傾けたところで、その中身が空であることに気づいた。


「コーヒーもらいにいくか」


 教授棟には共用部分にコーヒーメーカーが置いてある。おいしくないともっぱら評判が悪いが、砂糖とミルクを入れる三好はその悪評が理解できない。いつでも、いくらでも、コーヒーが飲めるその環境に感謝こそすれ不満などない。独り言ちながら椅子から立ち上がり、のそのそと教授室を出た。


「三好、教授会で居心地悪そうだよな」

「仕方ないでしょ。教授たちに歯向かったんだから」


 コーヒーメーカーまであと少しのところでそう話す声が聞こえてきた。三好はぴたっと動きを止めて息を潜める。院生らしきふたりの男子学生がコーヒーメーカーの前で何やら作業をしながら話している。


「ただの客寄せパンダなんだから、大御所に噛みついたらダメだよなぁ」

「ベェル・エルでは有名なのかもしれないけど、日本の学会じゃはっきり言って無名だもんね」


 光葉大学の史学科は、毎週水曜日に教授会という名の会議を行っている。三好はこの教授会が苦手だった。苦手どころではない。できれば仮病でも使って欠席してしまいたいと思うくらいだった。それを思い出すだけでも本当に体調が悪くなってくるというのに、学生たちの棘のある言葉に、体の芯がひやりと冷えていく心地がした。


「趣味でやってる登山家が世界的な地理学者に物申すみたいなもんだろ」

「それくらい畑違いな感じするよな」

「実績があるからって、やっぱり教授としては三流だよ」

「一生都市伝説追ってろって感じ」



 そう言って笑い合い、コーヒーメーカーの中から出涸らしの粉をゴミ袋に詰めていく。少し酸味を帯びたコーヒーの香りがフロアに広がる。


「確か、ここの卒業生なんだろ?」

「学部生までな。ベェル・エル大学の院に進んだらしい。本当に学位があるのか怪しいけど」


 どこぞの政治家みたいに経歴詐称していてもわからない、と笑い声はますます大きくなった。


「あんな乾燥した地域に植物の楽園があったなんて、地質学的にもあり得ないって言われてるのに」

「ロマンがあるほうがメディアも取り上げやすいからな。学会よりSNSで発表したほうが絶対バズる」


 学生は首肯しながら新しいフィルターと粉をセットする。今度は香ばしい豆の匂いが広がった。深呼吸でもして吸い込みたくなるような状況でも、三好の呼吸は完全に浅くなっていた。


「来年には辞めちゃうんじゃね?」

「あーあ、1年目、三好の下につくんじゃなかったなぁ。無駄にしたわ」

「ご愁傷さま」


 その言葉に三好は身を竦めた。以前、ゼミ生として面倒を見たことがある子だったのだ。コーヒーメーカーの入れ直しが終わったようで、学生たちは近くのごみ箱に豆かすを入れた袋を乱雑に放って去っていった。ごみ箱のフタが軋む音が虚しく響く。

 とぽとぽとコーヒーが落ち始めれば、淹れたてのコーヒーの香りがふわっと立った。その芳醇な香りの中で、三好は呆然としていた。先ほどの会話が頭の中をぐるぐると回る。お前はこのコーヒーを飲んではいけない。そう言われている気さえした。タンブラーを持つ手に徐々に力が入っていく。


「……イヨゴテの神話は、史実だ。テト煉瓦がそう言ってるんだ」


 そう独り言ちて、三好は唇を噛んだ。




 ☼ ☼ ☼




 三好が光葉大学で働くことになった経緯は実にシンプルだった。話題性があるから、だ。

 アルケーは広報の一環でWorldTubeのチャンネルを持っていた。支援者向けにラバフの社会や難民の生活、発掘現場の様子などを配信しており、三好は発掘現場の説明を担当していた。いちNGO団体のチャンネルはそこまで注目を集めることはない。加えて、主に英語とエール語で配信していたため、日本での知名度はほとんどないに等しかった。

 そんなチャンネルが脚光を浴びたきっかけは、日本のとある都市伝説系配信者だった。

 前年に投稿していたテト煉瓦についての動画を見て、オーパーツなのではないかと言い出したのが4年前のこと。オーパーツとしてのテト煉瓦がどんな用途のものなのかなどの肝心なところは突拍子もない説ばかりだったものの、宝石でできた煉瓦というキャッチーさも相俟って一時期大変話題になった。1年前に投稿した動画の再生数が突然伸び始めたことで、三好はもちろん、アルケーの面々も腰を抜かしたものだ。あくまで装飾品や宗教用品ではないかという予想をしていた三好にとって、その突拍子もない説は青天の霹靂だった。

 成分分析をしてみて、もしかして――と思った。


(イヨゴテの神話は、史実かもしれない!)


 光葉大学は、「テト煉瓦の発見者」として有名になった三好に目をつけた。大学側の予想は見事的中して、入学志願者は例年の1.5倍になった。授業もゼミも順調で、全カリは抽選になったこともあった。人気にあやかる代わりに、光葉大学は理学部が持っている成分分析機を三好に提供した。おかげで新しくわかったこともあり、三好にとっても光葉大学で働くことに、十分な価値を見出していた。

 そんな順風満帆な三好にトラブルが起きたのは、2年前のことだった――


「おとぎ話の中に歴史を探す?そんなことはファンタジー作家のやることだ」


 そう言い放ったのは松永久志特別教授だった。

 国立大学の最高峰である帝都大学出身で考古学界の重鎮――縄文時代の遺跡を中心に30年以上この世界で研究を続けてきた、いわば伝説の人だ。学部長ではないにも関わらず、その影響力は絶大だった。

 教室の空気を揺らしたその声は松永の経歴を表すように荘厳で、緩い雰囲気で講座を受けていた学生たちも緊張の面持ちになった。コツコツと鳴る靴の音の合間に、杖が床を突く音が響く。脚の手術で静養していた間に三好が入ってきたため、それが三好と松永の初対面だった。


「三好くん、君が言う植物の楽園とやらはオカルトと変わらない」


 静寂に包まれた教室の中で、コツコツ、コン、という音が迫ってくる。


「考古学者が予測を立てるのは当然のことだ。しかしながら、実体のないたらればで話すのは予測とは違う」


 教壇上で呆然とする三好と、舞台下から睨みつけるような松永の視線がぶつかった。


「君のは考古学じゃない。ロマン商売だ」


 すっかり静かになってしまっていた教室がにわかに騒めき出す。松永のことを知っている学科生たちはこそこそと話しながら怯え、別学科の学生は突然乱入してきた松永に、老害だ、とそこそこの音量で文句を言った。

 こういったトラブルが何事もなく終わるわけもなく、大学内やSNSで広まり、ちょっとした騒ぎになってしまった。三好を応援する学生と松永擁護派の間で罵詈雑言が飛び交い、しまいには松永の個人情報が流出する事態になった。


 この件は当然教授会で取り上げられることになる。そもそもいきなり踏み込んできた松永が悪いのだが、それを差し引いても個人情報の流出という現実世界での問題になってしまったからには取り上げざるを得なかった。

 光葉大学の史学科は、他の考古学関係機関と同様にかなり保守的な研究文化を形成している。古文書の細やかな解読、遺跡の土層分析を地道に行い、出土した遺物について何年もかけてじっくり研究を重ね、学会で発表して専門誌に掲載する。評価されるのは学会での信頼とそれによる助成金獲得の実績だ。

 それに比べて三好は異端だった。革新的ともいえるかもしれない。大学卒業のタイミングでベェル・エル大学院に入り、そのまま現地で発掘調査を始めた三好は、ベェル・エル政府とアルケーのお墨付きはあったものの、日本の学会のツテを持たなかった。アルケーの恩恵もあって助成金を自ら獲得しに行った経験もない。そのせいで、日本の学会における三好の評価は「SNSで有名になった考古学者もどき」だ。

 もちろん、三好はしっかりと研究をしている。発掘が地道な作業であることは日本でもベェル・エルでも変わらない。

 それでも、教授たちにとって三好は教育と研究の品格を損ねる存在に見えている。今回の件も、三好がSNSで扇動したのではないか、くらいに思われていた。


「三好くん、君ね。神話に根拠のない考古学的価値を与えるのはよろしくないだろう?」

「学生に嘘を教えたらいかんよ」


 会議室に下卑た笑い声が響く。三好は下座で身を縮めてそれを聞いていた。


「いえ、ですから、嘘とも断定できないんですよ。物的証拠はあって」

「口答えするもんじゃない。君が言う物的証拠なんてのは妄想の産物だ。科学的証拠を出しなさいよ」


 やっと捻り出した言葉もぴしゃりと遮られてしまう。


(科学的根拠を見つけるために予測を立てるんだろ……予測なしに手当たり次第に推し進めても結果は出ないんだぞ)


 何を言っても無駄だと口を噤むと、三好は深く息を吐いて俯いた。


「このたびの騒動は私の不躾な態度も悪かった、ということは認めよう。申し訳なかった」


 少しの沈黙のあと、松永が口を開いた。思ってもみない謝罪の言葉に驚いて三好は顔を上げた。そんなことありません、と周りの教授や准教授たちが慌てておべっかを使っている。


「ただ」


 先ほどよりも低く、冷ややかな声色。たった二文字の言葉が、三好の心に重くのしかかってきた。


「君は学生を集めるための客寄せパンダに過ぎん。学生を集めてくれるのは構わんが、君の役割はそこまでだ。ここはボランティア現場ではない。学会という権威を背負わなければならない場所だ」


 真正面の上座にいる松永が非常に大きなもののように見えた。その言葉に呼応するように、周りの教授たちも鋭い目で見てくる。その圧迫感に冷や汗が背中を伝うのがわかった。視線に負けて三好はふたたびゆっくりと俯いていった。


「教育の場にエンタメはいらない」


 耳鳴りがするほどの沈黙が会議室を満たす。すっかり下を向いてしまった三好に、なおも教授たちの視線がずぶずぶと突き刺さっている。


「客寄せパンダで、何が悪いんですか……」


 ぽつり、と三好が呟いた。


「本当に考古学が大事なら、閉鎖的なところで語っていてはいけないんじゃないですか?」


 完全にやり込められてしまったかのように見えていたが、三好はへこたれていなかった。ゆっくりと顔を上げた三好が松永を射抜くように見つめる。


「ロマンがなかったら、考古学は消えていきます。僕はひとりでも多くの人に考古学に、発掘に、興味を持ってほしいんです。興味を持つ人が増えることで、発掘人口を増やせます。手が回らないまま埋め戻されたりする現場も減るかもしれない!歴史を取りこぼさなくて済むかもしれない!」


 三好の言葉を遮るように教授や助教授たちのせせら笑う声が聞こえてくる。


「はぁ……これだから学閥に属さない学者崩れは」

「素人に入ってこられては、質の高い発掘はできないだろ」

「そうだそうだ。発掘を簡単なものと思われては困る」


 誰も彼もその道の権威として日本考古学界に名を連ねる存在だ。己の歩んできた道にプライドはあるだろう。不真面目に研究しているとは三好も思っていない。しかし――

 

「自分たちの聖域を守りたいだけでしょう……!」


 三好がそう声を張ると同時に、松永が杖で床を一突きした。カンッ、という甲高い音に三好が息を飲む。


「権威あってこその学術研究だ。素人がなだれ込んできては、本物を証明する権威が失われる」


(それは、その通りだ)


 三好は密かに深呼吸して心の中で同意した。権威ある人物や団体が発表するから研究結果には箔が付き、真実味を帯びる。権威は必要なものだ。


「それでも、今のままでは、敷居が高いままでは、次の世代に引き継げませんよ。権威のために遺物や遺構を失うことが、一番くだらない」


 三好はもう俯かなかった。この主張だけは曲げられないとばかりに見つめてくる。その意志の強い瞳に、松永はとある男を思い出して反射的に目を逸らしてしまった。

 

「……相容れないようだ。私は君に、光葉大学の名に恥じない普通の授業をしてもらいたいだけなのだがね」


 気怠げに溜め息を吐くと、ゆっくりと視線を戻す。その目は猛禽類のそれのように鋭かった。

 

「君にゼミナールは任せられない」




 ☼ ☼ ☼ 




 気づくと三好は文学部のフロアを抜け出して、別の階のベンチに座っていた。三好の脳が心を守るために勝手に体を動かしたようだ。


「あれ?三好じゃないか!」


 ぼんやりと一点を見つめていた三好に声がかかった。シンプルなシルバーのハーフリムの眼鏡を押し上げて、落ち着きが感じられる低い声を嬉しそうに跳ねさせながら男が近づいてくる。


「しばらくぶりだな。調子はどうだ?……って、よくはない、か」

「岩成先輩……」


 岩成と呼ばれたその男を見るやいなや、三好はクシャッと顔を歪めた。年甲斐もなく子供のようにべそをかいている。


「うわ!よーしよしよし!泣くな?泣くなよ?」


 岩成は慌てて隣に座ると、三好の背中を乱暴に擦った。両手で顔を覆って必死に涙を止めようとする三好を見守りながら心配そうに眉を顰める。


「さっき……元教え子に、僕のゼミに入るんじゃなかったって、陰口叩かれました……」

「うんうん。そりゃ辛かったな。若者はおじさんに容赦ないもんな」


 ぽつぽつと話す三好の言葉をひとつも取り零すまいと耳を寄せる。

 

「それで、ゼミ担当降ろされた日のこと……思い出して……ううっ……!」

「あー!それは辛い!辛すぎる!俺はその場にいたわけじゃないから詳しいことはわからんけど、聞いた限り辛い以外のなにものでもない!」


 三好がふたたび泣きそうになれば、勢いよく肩を組んだ。この大袈裟なくらいの相槌に、三好の涙は徐々に引っ込んでいく。鼻を啜る段階になったのを見て、岩成は安堵の表情を浮かべた。話をしっかり聞いているぞ、という姿勢を見せることで三好がこうやって落ち着くことを岩成はよく知っていた。


「まぁ干されるってことは、もとは良い待遇だったわけだろ?ここは理系の立場強くないし、俺なんかずーっと待遇悪いぜ?もう干されてるのかこれが普通なのかわかんないし」


 泣き止んだだろうか、と前屈みになって三好の顔を覗き込む。涙はすっかり止まっているが、代わりに何とも言えない渋い顔をして目を逸らしていた。岩成の発言がまごうことなき真実だからか返答に困っているようだ。


(相変わらずお世辞とかうまいことが言えない性格だな……)


心配そうな表情はどこへやら、岩成はすっかり呆れ顔になった。


「そんなことないですって言えよコラ」

「スミマセン……」


 気の利かない返答が聞こえると、岩成は両手で三好の髪をぐしゃぐしゃにした。

 岩成正吾(いわなり・しょうご)は、三好の3学年上で、この光葉大学で青春時代をともに過ごした元学友だ。現在は理学部環境学科地質学コースの教授として教鞭をふるっている。もともと面倒見のいい性格だが、長年の仲であるがゆえに三好の扱いに長けていた。三好が日本で頼れる数少ない存在だ。

 岩成は自動販売機で飲み物を2つ買うと、加糖のカフェオレを三好に渡した。三好の冷たくなった手に、カフェオレの温かさが染みるようだ。手元に残したブラックコーヒーの口を開けながら岩成は隣に座り直す。


「俺はお前が言ってる、イヨゴテ神話が史実だったって説、有り得なくはないって思ってるぞ。オアシスが存在するように、砂漠にも地下水脈はあるからな」


 学生たちから否定されてカラカラに干からびた心に岩成の言葉が染み入る。三好は眉尻を下げて情けなく笑った。


「ありがとう。ただ、もしも地下水脈があったら、って話で…松永教授が言うようにたらればでしかないんですよね。科学的根拠に欠けるっていうのは、その通りで」

「今現在、ベェル・エル近郊の砂漠地帯に地下水脈があるって研究結果が出てないだけだろ?」


 目は合っているものの、その問いに三好は返事をしなかった。岩成が言うように研究結果が出ていないだけで地下水脈はあるかもしれない。が、同じだけの確率で存在しないかもしれないのだ。


「イヨゴテの神話が、地下水脈があることを伝えるための話だって説はなくなったわけじゃない。違うか?」


 語りかけるようにそう問われれば、三好は唇を一文字に引き結んで小さく頷く。


「テト煉瓦の成分分析見て、お前も希望持ってたじゃないか」


 テト煉瓦に使われている鉱物は、植物の成長を促す成分が含まれたものばかりだった。石が混ぜ込まれているせいで歪な形になっている部分があるし、強度が増すどころか脆くなっているところもある。それを踏まえれば建築用には向かない。装飾にしてはそこまで美しくないし、宗教用具にしては近辺の宗教観に該当するものがない。

 成分が限定的に偏っているのを見ると、余計に人為的な、何らかの目的を感じざるを得ないのだ。


「テト煉瓦の成分分析といえば、一部の成分が微量で分析しきれなかったやつがあるだろ?やっぱりあれはもっと高性能な機材を使わないとわからないみたいだ」

「そうなんですね。あとから混入したものの可能性もありますし、大丈夫です」

「すまんな。うちの理学部にもう少し予算があったら……面目ない」


 頭を掻いて謝罪している岩成のポケットからスマホのバイブが鳴った。悪い、と断りを入れてスマホを取り出し画面を見る。その瞬間、岩成は柔らかな表情になった。


「悠真からだったわ。なあ、今度飯でも行こうぜ。悠真もお前に会いたがってたぞ。イヨゴテの話、また聞かせてやってくれ」


 そう言いながら、岩成はスマホの画面を三好に向けた。小学校低学年くらいの少年がにいっと笑みを浮かべた写真が壁紙になっている。


「俺とふたりきりだと、どうも同じような話しかしてやれなくてな。この間なんかチバニアンの話はもういい!って怒られた……」

「岩成先輩はチバニアンの話をしすぎなんですよ。気持ちはわかりますけど、たまには地質学から離れた話をしてあげてください」

「悠真と同じ目をするな!チバニアンはロマンだろ!俺の話よりワーチューバーの話のほうがおもしろいって言うんだぞ!」


 お父さん悔しい!と顔を両手で覆う岩成の背中を、今度は三好が撫でた。


「最近の子どもはワーチューブ見るの当たり前だから仕方ないですよ」

「天国の美悠が見てたら、そんなものばっかり見せないでー!って説教されそうだよ……」


 深く溜め息を吐いて頭を抱えると、岩成はスマホに表示されている悠真の写真を見つめた。つられるように三好も悠真の笑顔を眺める。


「悠真くん、美悠さんに似てきましたね」

「ああ……鼻から上は完全に美悠だよな」

「生命の樹、また見に行きましょう。今度は悠真くんもいっしょに。ベェル・エル国内ならいくらでも案内しますよ!」

「それもいいな。悠真は初海外だ」

「悠真くんに見せたいなぁ、岩成先輩と美悠さんのプロポーズの場所」


 口元に手をやってにんまりする三好が視界に入ると岩成は顔を顰めた。


「やめろやめろ!こっち見るな恥ずかしい!」


 岩成は本気で照れてしまったようで、逃げるように立ち上がった。こちらに背中を向けているので表情こそはわからないが、赤くなった耳に亡き妻への愛情を感じて三好は心が温かくなった。先ほどまで冷たかった手もすっかり温かくなっている。


「岩成先輩」

「……なんだよ」

「ありがとうございます。元気出てきました」


 振り向いて見下ろした三好は、憑き物が落ちたようにさっぱりとした顔になっていた。岩成は一瞬目を見開いたが、すぐに安心した様子で、おう、と返す。


「よし!今週末、飯行くぞ!シャムスちゃんも連れてこいよな」




 ☼ ☼ ☼




  かつてイヨゴテという若者がいた。

  彼はまだ幼いときに家族と散り散りになってしまった。

  父も母も、兄弟も姉妹も、奴隷として遠くの地へと売られてしまったのだ。

  イヨゴテもまた奴隷として売られたが、病気になったところを主人に捨てられてしまい、荒野をひとりさまよっていた。


  日陰を求めて大きな岩山のふもとに腰をおろし、彼は嘆きながら言った。


  「なぜこうも不幸なことが続くのだろう。このままここで死んでしまうのだろうか」


  そうして彼が力尽きかけたとき、一人の不思議な旅人が現れた。

  その姿は人とも異なり、また人と変わらぬようでもあった。

  イヨゴテは、その旅人を“魔人”と呼ぶようになった。


  魔人は大きな岩を持っていた。

  それは光を帯びており、地に埋めれば水を呼び、草を芽吹かせる不思議な力を持っていた。


  イヨゴテはその岩を分けてもらい、荒野に置いた。

  すると、砂ばかりの地に若葉が芽吹き、木々が育ち、花が咲いた。

  鳥や獣が集い、水が流れ、小さな楽園が生まれた。


  やがてうわさを聞きつけた人々がそこにやってきて、家を建て、店を作り、街が生まれた。

  イヨゴテは不思議な岩のおかげで富を得て、その街の長になった。

  街に人の流れができると、長い年月を経て、イヨゴテの家族もその街にたどり着いた。


  こうして散り散りになっていた家族は再び一つとなり、イヨゴテの涙は喜びに変わったのだった。




「これがイヨゴテの神話だよ。作者は不明で、ベェル・エル近辺に残っている民間説話のひとつなんだ」


 配った資料を勉強会メンバーが黙読し終えた頃、茂木が楽しそうに声を弾ませた。


「魔人という超越的な存在が登場することで、説話の中でも神話というジャンルに分類できる。それと、イヨゴテのおかげで水を確保して植物を育てることができたってストーリーから、文化英雄譚という分類もできるね。ちなみにこれは僭越ながら僕が訳したんだけど、古代エール語は一語にいろんな意味が含まれているから訳者の数だけ解釈があるといっても過言ではない。そもそも口伝だったものだから話者の数だけ解釈がある、と言ったほうが正しいかもしれないね。三好教授の訳があまりに素晴らしいからこの僕の訳もかなり引っ張られているんだけど、どうかな?イヨゴテの神話、興味持ってもらえたかな?」


 いつもは控えめで出しゃばることのない茂木が早口でそうまくしたてるのを見て、青柳、草壁、榎田の2年生組は茂木が神話を愛してやまないのだと一瞬で理解した。言い終えてからもにこにこして見てくる茂木の柔らかな威圧感に、3人はこくこくと頷くしかなかった。


「古代エール語は文法が省略されてることが多くて読み解くのが大変なのに、わかりやすくまとめてくれてありがとう。さすが茂木くん!神話オタク!」


 心底嬉しそうに三好が拍手をして褒め称えている。

 

「それ褒めてるんすか?」


 オタクというワードを褒め言葉に捉えていないのか、榎田が疑問を口にしながらケラケラと笑った。それに対して茂木は至極当然といった顔で胸を張る。

  

「僕にとってはボディービルダーがナイスバルク!って声かけされるみたいなものだよ」

「あ、わかりやすい。それは間違いなく褒めてますね」


 ナイス神話オタク!と声かけする榎田とそれに満足げな茂木は放っておいて、青柳が三好に向き直って口を開く。

 

「三好教授は、この神話とテト煉瓦に関係があるって考えてるんですよね?」

「うん。テト煉瓦に含まれる宝石……正しくは鉱石なんだけど、それがこの神話に出てくる岩なんじゃないかって考えてるんだ」


 席を立つと青柳のそばへ歩み寄り、資料に視線を走らせる。 


「たとえば……ここ、地に埋めれば水を呼び、ってところ」


 青柳の前に置かれた資料の中からそのフレーズを指差した。


「この神話を完全にファンタジーだと捉えると魔法の岩でいつでもどこでも水を呼ぶことができるのかもしれないけど、地に埋めるという方法がやけに現実的に感じたんだ。それと、原文でもそうなんだけど、地に埋めれば水を呼ぶ、で文章が区切られていないところも気になる」

「それは、先ほど茂木先輩がおっしゃってたように口伝だから区切る場合もあったのでは?」

 

 三好の話を聞きながら資料を見ていた草壁が顔を上げることなくぼそぼそと呟いた。


「鋭い!」


 三好が嬉しそうに草壁を指差すと、指を差された本人はびくりと肩を竦めて固った。


「僕もそう思ってベェル・エル国内の各地に残るイヨゴテにまつわる伝承をすべて調べて回ったんだ」


 その答えを聞こうとその場が静まり返る。三好は楽しくてたまらないという顔をして少し溜めた。

 

「全部、文章は区切られていなかった。つまり、水を呼ぶと同等、もしくはそれ以上に、草を芽吹かせる不思議な力を持っていた、ことを示したい文章なのではないか、と考えられるんだ」

「魔人はもともと水がある場所を知っていて、植物を育てる能力がある岩を使って楽園を形成した。とも考えられるんだよね」


 シャムスが付け加えるようにそう言うと、三好は嬉しそうにうんうんと頷いた。


「うおおお、なんか現実にあり得そうな気がしてきた!」

「魔人ってワードは全然現実的じゃないけどね。それもまたロマンなんだけど」


 はしゃぐ榎田を横目で見ながら、頬杖をついた杉崎が笑った。


「前に少し話したけど、テト煉瓦にはトルマリン、ゼオライト、アパタイトと思われる鉱石が混ぜ込まれているんだ。この3つの鉱石の共通点ってわかる?」

「うーん……アパタイトって、なんか歯にいい成分だったような?」

「トルマリンが10月の誕生石ってことくらいしか……」


 榎田と青柳が困り顔で己の持てる知識から答えを搾り出そうとしている様子を茂木と杉崎は微笑ましく見守っている。数年三好の元にいた2人には答えがわかっているようだ。それはシャムスも同じで、答えを待っている間に、と紅茶を淹れに席を立った。


「植物の成長促進や土壌の改善効果など、農業にいい影響を与える成分が含まれていること、です」


 草壁の淡々とした声が響いた。あまりにも淡々と答えるものだから、三好はすぐに反応ができなかった。一拍置いてから答えを知っていた4人から、おお!と感嘆が漏れる。


「この質問にすんなり答えられたの、岩成先輩と農学部の学生くらいだったよ。草壁くん、なんでも知ってるんだなぁ」

「いえ……続けてください」


 褒め言葉をかける三好には目もくれず、草壁は浅く一礼した。

 

「草壁くんが言ってくれた通り、テト煉瓦に混ぜ込まれている鉱石は草を芽吹かせる力があるんだ」

「じゃあ、神話に出てきた岩が実在するかもしれないってこと、ですよね!?」

「えー!全然現実的じゃないすか!ねえ、杉崎先輩!」


 興奮した青柳と榎田の声がうるさかったのか、すぐ隣に座っていた草壁が顔を顰めた。名前を呼ばれた杉崎も顔を顰めて、うるさい、と返す。


「え、じゃあじゃあ、これも話しちゃおうかな!」


 三好にも興奮が伝播したようで鼻息を荒くし始めた。


「三好、完全にただのオタクになっちゃってる」

「教授なんてみんなオタクだよ」


 嬉々として席を立った三好を眺めながらシャムスと茂木がしみじみと呟くうちに、三好はテト煉瓦を持ってきてテーブルの上に置いた。


「日干し煉瓦の作り方って知ってる?粘土に水を加えて練って、型に入れて固めるんだ。テト煉瓦も日干し煉瓦だから粘土と水が使われてるんだけど、成分分析にかけたらアンクレナイ遺跡から一番近いスール運河の水や土とは違うものが使われていることがわかった」


 ルンルンと擬音が聞こえてきそうな顔で一人ひとりを見つめる。 

 

「どこかに未発見の地下水脈やオアシスがあってもおかしくない、と僕は考えてる」


 三好の目がキラリと光った。


「前に、テト煉瓦が作られたのはアンクレナイ遺跡より100年以上前だって話したよね。その時代はまだ交易路は発達していなかった。とすると、テト煉瓦の中に含まれている鉱石は、アンクレナイ遺跡からそう遠くないところで採掘された、と考えるほうが自然だ。未発見の鉱脈も眠っているかもしれない」


 未発見のものを見つけ出す、という冒険のような話に教授室内の空気が熱を帯びてきた。

 

「あまりに空想的だって教授会では一蹴されちゃったけど、テト煉瓦が植物を育てるために作られた煉瓦だとしたら、すべての辻褄が合うんだ」

「辻褄?」


 身を乗り出して話を聞きたがる榎田の前に、三好はタブレットを開いて見せた。動画の中で、三好が発掘現場のとある場所を指差している。

 

「テト煉瓦の発見場所は、共用の水場と思われる場所や広場なんだ。ここは水場だよ。女性たちが仕事をしている様子が見えてこない?」


 ロープで囲われて垂直に掘られたそこは、水場といわれればそんなような気がしてくる。心なしか土の色が違うようだ。勉強会メンバーの目には、その場所でたくさん女性たちが水を汲んだり洗い物をする姿が見えてきた。皆でそろって目を瞬けば、動画の中にそんな光景はない。ただ砂塵の舞う、埃っぽい発掘現場が見えるだけだ。

 

「ただのオブジェや権力の象徴として飾られていた可能性もゼロではないんだけど、生きていくのに苦労するあの土地で、一般庶民が使う水場にそんなオブジェがあるとは思えない」


 三好の言葉にシャムスが力強く頷く。


「わたしもそう思う。宝石なんかより綺麗な水や植物のほうが大事」


 長年ベェル・エルに住んでいる三好の言葉もさることながら、現地民のシャムスの言葉には説得力がある。勉強会メンバーは皆、自然と頷いていた。


「もしこの煉瓦が、植物を育てるためのブースターとして存在しているとしても、そこに水がないと意味をなさないんだ。いくら植物の成長を促す成分があったとしても、やっぱり水がない限り植物は育たない。たとえテト煉瓦がオーパーツだったとしてもね」


 オーパーツという単語を口にすると、三好は子どものような笑みを浮かべた。

 

「だから、僕の推論が正しければ、地下水脈がある可能性に繋がるんだ」

「近くで地下水脈は見つかってるんですか?」

「いや、見つかってはないんだ……けど」


 写真を一枚取り出すと、それをテト煉瓦のすぐ横に置いた。そこには若かりし頃の三好と岩成、そして岩成の亡き妻・美悠が写っている。それに気づいた青柳は血眼になって写真の中の三好を見ていた。熱い注目を浴びている三好の後ろには一本の木が生えている。白っぽい木肌に細い幹ながら、葉を空に広げて生き生きと茂っていた。


「Tree of Life――生命の樹って呼ばれている、奇跡の木なんだ。ベェル・エルの観光名所にもなってるよ」


 タブレットで画像検索をしてみると、ベェル・エルの観光局のホームページをはじめ、様々なサイトの写真が出てきた。指を滑らせてそれらの画像を次々に送っていく。


「この木を生かしている水がどこからきているか、いまだに解明されていないんだ。でも、もしこの木を生かしている地下水脈があるなら、僕の仮説がただのおとぎ話ではないと証明できるかもしれない」


 ひとつ呼吸すると、三好はゆっくり顔を上げる。


「そして、地下水脈と鉱脈とテト煉瓦の効能で、ゆくゆくはあの荒涼とした土地に畑を作ったり、砂漠緑化に繋げたりできるかもしれない」


 三好の目には周りにいる学生たちは映っていなかった。ただ、真っ直ぐに前を見据えている。その瞳は期待と希望に満ちていた。 

 

「すごい……三好教授の仮説を元に発掘と研究をすれば、環境問題も解決できるかもしれないってことですね!」


 青柳が目を輝かせてそう言うと、一気に現実に引き戻された三好が我に返って慌て出した。


「えっ、いやいや!そんな大義は後付けだよ!僕は単純に、イヨゴテの神話が史実だったって突き止めたいだけなんだ」

「本当モラトリアムって感じだよね、三好センセー」


 呆れたような口調ながらも杉崎は笑顔だった。満足げで、どこかいたずらっ子のような笑みに三好が肩を竦めて小さくなる。杉崎が言うモラトリアムという言葉が賞賛であることは数年の付き合いの中でわかるものの、どうしても三好の胸の中にある罪悪感を突いてくる。


「杉崎さん、四十路過ぎてモラトリアムはないよ」


 何の悪気もない、常識的なことを説いているだけの茂木の言葉が追撃してきた。胸に手を当て、三好はテーブルに肘をついて顔を伏せた。


「うっ……まぁ実際、研究費ニートみたいなものだし、社会人的責任を先延ばしにしてる感じ、あるけど……」

「うわ!三好センセーうそうそ、ごめんって元気出して?」

「ちょっと杉崎先輩!三好教授のこといじめないでください!」

 

 無邪気に楽しげに騒ぐ面々を、草壁は虫けらを見るような目で見ていた。

 志は素晴らしい、と草壁は心の中で呟く。しかし、地下水脈が見つかって砂漠が緑化され、農地という資産になったからといってそこですべてが丸く収まるわけではない。戦争は良質な土地を巡って起きてきた。ベェル・エルと隣接するアディール王国は長く土地の領有権について揉めていたはずだ。神話の真実を突き止めることで新たな戦争の火種を生む可能性もある。


(こいつら、そういうことにも思い至ってるのか?)


 盛り上がる会話を雑音に感じながら、草壁はふぅと静かに溜め息を吐いた。


(まぁいい。俺は就職のためにここにいるだけだから……)


 勉強会もお開き、という頃になって皆が帰り支度をしていると、三好が何か言いたげにもごもごし始めた。シャムスに背中を叩かれて促されるとやっと口を開く。

 

「あの、座学だけではつまらないと思うから、みんなには実地もやってもらおうかなって考えてるんだよね」

「え!アンクレナイ遺跡ですか!?」


 榎田がバッと振り返って食いついてきた。その後ろで茂木も期待に目を輝かせている。


「あ、いや、それはゆくゆく……まずは、国内の発掘現場に行ってみない?」


 ベェル・エルに行くには費用がかなりかかる。ゼミであれば少しは大学から援助を受けることもできるが、今の三好はそんな立場にない。しょんぼりと項垂れかける三好の前にシャムスがぐいっと資料を突き出す。早く説明しろ、とばかりに見つめられて、なんとか気を持ち直した。


「場所は岐阜県高岡市、飛騨高山。縄文時代の遺跡発掘の現場に参加させてもらうよ!」


 皆、シャムスが配る資料を読み込んでいる。

 夏休み中のどこかで3泊4日の日程で行うようだ。昼間に発掘を行い、夜は近くの民宿に泊まる。現地までの移動は、レンタルしたハイエースを三好が運転すると書いてあった。参加費は、宿泊費、食事代込みで2万円――

 みんなの予定はどうかな?とおずおずと三好が首を傾げた。


「8月中ならまだバイトのシフトどうにかできます」

「8月、私も大丈夫です!」

「オレも!」

「あたしも平気」

「……まあ、問題ありません」


 茂木の返事を皮切りに、勉強会メンバーみんなの許可を得られた。三好の表情が、ぱああっと明るくなる。


「ありがとう!いやぁ、みんなと現場に出られるなんて楽しみだなぁ!あ、でも、みんな参加費大変だよね……レンタカー費用は出せるんだけど、宿泊費や食事代まで出すとなると、ちょっとしんどくて……」


 明るかった表情から一変、三好はしょんぼりと視線を落とした。

 確かに、大学生に2万円は安くない金額だ。皆、不満は言わないながらも三好の言葉に苦笑いした。が、それでも行けませんと言い出す人はひとりもいない。


「ハイエースレンタルするのだって結構な金額かかるでしょうし、お気持ちだけで十分ですよ」

「今はどこでも人手不足だし、短期バイトとかすぐ入れるっしょ!」


 茂木と榎田の言葉に同意するように勉強会メンバーは頷いた。


「初めての発掘、楽しみにしてます!」


 青柳が両手で拳を作ってそう言うと三好はやっと表情を緩め、ありがとう、と微笑んだ。


「そうは言ったものの、やっぱり2万円は楽じゃないから、今のうちからバイト増やしておかないとだ〜」

「私も〜」


 キャンパスを出るとそこはすっかり夜の街になっていた。すれ違う酔っ払いを避けながら一同は歩いていく。

 

「榎田くんと青柳さんは何のバイトしてるの?」

「コンビニっす」

「私はカフェのホールやってます」

「ああ、僕もコンビニとカフェのバイトやってたよ。どっちも大変だよね。でも意外だな。青柳さんはカフェバイトぴったりだけど、榎田くんみたいにスポーツ万能で体力ありそうなタイプは引っ越しとかのほうが稼げそうだけど」


 その言葉に榎田の表情が少し曇った。黙り込んだ横顔を、傍を通り抜ける車のヘッドライトが照らす。その眩しさに視線を落とした先、無意識のうちに右手を握ったり開いたりしていたことに気づいて榎田は目を見開いた。


「てか茂木先輩、なんかやたらいろんなバイトについて詳しくないですか?」


 パッと顔を上げると、榎田はいつもの屈託のない笑みを浮かべて明るく話し出した。

 

「えっ、いやいや、そんなことないよ?」

「いや~茂木くんはバイトめちゃくちゃ掛け持ちしてるから詳しいよ」

「杉崎さん……!院生になってからはそんなにやってないよ?TAとか学会のお手伝いはあんまり稼げないから、コンビニの深夜バイトは入れてるけど……」

「それやってるっていうんすよ!やっぱり深夜だと稼げます?」

「まぁ、普通の時間帯よりは……?でもあんまりおすすめしないよ。寝る時間なくなっちゃうしね」

「スポーツ万能かはおいといて、まあ体力はあるんで!」


 力拳を作ってみせる榎田の様子をじっと見ている視線があった。斜め後ろを歩いていた草壁だ。

 いつだったか、全カリの授業で榎田を見かけたとき、友達に囲まれて話していたのを思い出していた。


――――――


「こいつピッチャーだったんだぜ、名門高校の!」

「プロ入りも夢じゃないって言われてるくらいすごかったよな」

「もう地元じゃ有名人!」


 男子学生たちが囃し立てる中で榎田は苦笑いを浮かべていた。


「お前ら大袈裟すぎ!大したことないって」


 手をひらひらさせて追い払うような仕草をしてから鞄の中から授業用の資料や文房具を取り出す。

 

「えー!すごい!」

「なんでやめちゃったの?続けたら大学卒業後にプロ行けるよね!」


 女子学生が無邪気に黄色い声を出すと、榎田が一瞬動きを止めた。そのとき、草壁にはそれがはっきり見えていた。榎田が目を見開いて固まり、みるみるうちに曇っていく表情――騒がしい一団の人気者がおおよそ浮かべないだろう顔だった。草壁が息を飲んだ次の瞬間、榎田はパッと笑顔になっておちゃらけ始めた。


「小学生から12年もやってたんだよ?飽きちゃってさ~」

「え~そんなもんなの?」

「野球続けてたらみんなと遊べないじゃん~?」

「不真面目!」


 教授が入ってきたことでその会話は終わったが、草壁の脳裏にはその表情がこびりついて仕方なかった。


――――――

 

(あのときと同じ……)


 そう考えたところで草壁はふるふると頭を振った。あのときと同じだから何だというのだろう。自分には関係のない話だ。鞄の中からイヤホンを取り出すとスマホに差し込む。盛り上がっている先輩と同級生を追い越してから振り返るといつもの淡白な声を出した。


「俺はここで。失礼します」


 返事を待つことなく草壁は耳にイヤホンを捩じ込み、すたすたと駅に向かって歩いて行った。




最後まで読んでくださってありがとうございます!

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