エピローグ「人の夜明け」
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国王カーマインが受けた傷は重傷であった。彼は最高の医師団による治療もむなしく、数年後、神殺しの成就を見届けるかのように静かに崩御した。
彼の治世は後世の歴史家たちによって様々に評価されることになる。
ある者は彼を「神を殺し、千年の秩序を破壊した暴君」と断じ、またある者は彼を「神という軛から人類を解放し、理性の時代を拓いた偉大なる改革者」と称賛した。
しかし評価の是非はさておき、彼が成し遂げた事業の巨大さは誰も否定しえない。カーマインは死の床に至るまで旧教会勢力の解体、教育制度の改革、そして科学技術の奨励を推し進め、ホラズム王国が近代国家へと生まれ変わるための礎を築き上げたのであった。
彼の真の動機が愛する息子とその婚約者を救うという極めて個人的な感情から発したものであったという事実を指摘する歴史家は少ない。だがおよそ偉業とは、そのように個人的な動機と歴史の必然とが奇跡的な交差を遂げた瞬間にのみ成就するものなのかもしれない。
王位を継いだのは言うまでもなくハリスであった。
彼は父の死によって、そして一連の動乱を通じて、理想を語るだけの王子から現実の痛みを理解する賢君へと成長を遂げていた。王妃となったイセリナと共に、彼は父が遺した青写真に基づき、着実に国の改革を進めていく。
神の加護が失われた王国にはかつてない困難が幾度となく訪れた。干ばつ、疫病、そして隣国との緊張。だが、人々はもはや天に祈らなかった。彼らは自らの知識と技術を結集し、灌漑水路を建設し、予防医学を発展させ、新たな外交関係を構築することでそれらの困難に立ち向かったのである。
人々は神に祈るのではなく、自らの手で未来を切り拓くという最も困難で、しかし最も尊い道を選んだ。
ホラズム王国にようやく人の夜明けが訪れたのであった。
そして──さらに六十年の歳月が流れた。
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王宮のテラスで白銀の髪を豊かに蓄えた老王ハリスが、膝の上で遊ぶ孫に静かに語りかけていた。
孫息子が壁に掛けられた壮麗な肖像画を指さして尋ねた。
「おじいさま、この人はだあれ? なんだかすこしだけおじいさまに似ているね」
それは、往時の国王カーマインの肖像画であった。
ハリスは穏やかに微笑み、孫の頭を撫でた。
「彼はな、私の父であり、お前の曽祖父にあたるお方だ。歴史の教科書には世界で初めて神様を殺したとても恐ろしい王様だと書かれているかもしれんな」
「神様を殺した? どうして?」
幼い王子の純粋な問いに、ハリスは遠い目をして、かつて父が命を賭して作り出した冬の日の空を見上げた。
「……そうだのう。確かに、祖父はお前たちの世界から神様を奪ってしまったのかもしれない。人々がすがり、祈りを捧げる対象を永遠に失わせてしまった」
ハリスは一呼吸おいて、優しい声で続けた。
「だがな、代わりに我々にあるものを与えてくれたのだよ」
「あるもの?」
「うむ。『明日』だ。神様に決められた運命ではなく、我々自身の力で、悩み、過ち、それでも懸命に作り上げていく『明日』という希望をな。……祖父は世界から神を奪った。だが代わりに我々に『明日』を与えてくれたのだ」
神なき時代は決して安楽な理想郷ではなかった。しかし人々は自らの足で立つことの困難さと、その自由の尊さを知った。
ホラズム王国の歴史は今まさに真の黎明期を迎えたと言っても良いのかもしれない。
(了)